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随分と昔の夢を見ている。
まだ高専に来る前の頃の夢。と言っても私は幼すぎて、既に記憶には残っていない頃の、夢。
父と、母がいた。姿はぼんやりとしていて分からない。小さな私は、その二人の温かさを求めてずっと手を伸ばしている。
だけれど、その手を握ってくれることは無い。
私を抱きしめてくれことも無い。
ただ、観察するように私を見つめているだけ。

ーーー適合率は?
ーーー98%。良好です。
ーーーいいね、素晴らしい。

二人は何かを熱心に話していて、私にその内容は一切理解ができない。二人はガラスの向こう側。私は一体どこにいる?まるで宙を浮いているような感覚。ぼやけた視界の端で水泡のようなものが上へのぼる。ああ、水の中、私は水の中にいるんだ。
そう、こんな場所にいた気がする。冷たくて、暗くて、苦しい場所。でも、いつも二人が会いに来てくれるから寂しくはなかった。二人は私を愛してくれたから。

「おとうさん、おかあさん」

苦しい場所で、そう二人に呼びかけた。
水の中、視界はぼやけて、二人の様子はわからない。
そこから突然、意識は途切れて、次に見たのは懐かしい古びた屋敷の光景。
私は大体記憶にも残っている、恐らく3,4歳くらいの姿をしていて、黒い影がせっせと私の世話をしてくれていた。
外では子どもたちの楽しそうな笑い声が。でもその笑っている対象は、いつも窓から顔をのぞかせて子どもたちの様子をみる、私の事。
おばけやしきの子と、そう呼ばれていた。

「クロ」

クロは私にご飯を与えてくれるし、私の身の回りの世話だってしてくれた。私の遊び相手にもなってくれるし、会話はできないけどいつも私の話し相手にもなってくれた。コミュニケーションはすごく取りにくかったけど、それでもこの時も私はクロがいてくれたから、寂しくなんてなかった。クロは私を愛してくれたから。

「クロのこと、食べちゃってごめんね」

でも今思えば、あなたと過ごした時間はほんの一瞬だったんだね。今ではもう私の一部。もう既に黒い影ではなくなっていた屍鬼の姿をしたクロは、私の頬を、そっと撫でた。
そして次の場所は、高専。
悟が私のことを小脇に抱えている。保護されて間もない時の頃。
私のことを荷物のように扱うこの男のことを、私は嫌いだった。上層部に「俺が面倒見る」なんて大口叩いた癖に、私の事を露骨に嫌な顔をして見てくるこの男が大嫌いだった。
でもその宝石のように美しい瞳と、ほっぺたが落っこちるように甘く濃厚な血にすぐにメロメロになってしまって、今日は血を貰えないのかと、せっせと悟の後を追いかけていた。次第に、私は悟にも、みんなにも心を開いていったし、みんなも私にとても優しくしてくれた。みんな私を大切にしてくれている。
でも何か物足りない。私の寂しさは埋まらない。誰も私のことを愛してくれてはいないから。だから私は実はずっと、寂しくて寂しくてたまらなかったの。

ーーー信じてるぞ、寧々子

とても心の落ち着く声がとてもとても遠くで聞こえた。

「起きたね」
「……あれ、私」
「無量空処で気絶していたんだよ」

おはよう。とキスをされた。私は今ニセモノにどうやらお姫様だっこをされているらしい。
なんだか夢を見ていた気がするけれど、思い出せない。

「五条悟はこの通り、封印できたよ」
「悟…、ああ、そうか、そうだった、なんか頭がぼやぼやして何してたか忘れてた」
「おや、案外平気そうだ」
「取り乱してる私が好きだもんね」

皮肉だ。ニセモノはくつくつと笑って、「そうだね」なんて、本当に面白いのだろうか。

「夢を見ていたのかな?」
「…うん、なんか、ちょっと懐かしい感じだったかも」
「へえ、どんな?」
「うーん、忘れた…」

そうかい、と彼は私の頭を撫でる。私の手には箱のような物が持たされていて、「それが獄門疆だよ」と言われて、その箱を手に取ってまじまじと見つめた。
この中に悟がいるのか。なんか変な感じ。
私はニセモノに下ろしてもらってそのゴクモンキョーを渡した。

「悲しい?」
「うーん、そうだね、そんな感じかも」

自分の選択に後悔がないわけではない。でもそれはどの選択肢をとっても同じこと。

「うわー、すごい不細工な顔になってるよ」
「うるさいな」

真人が私の顔を覗いてえらく嬉しそうな顔をしている。うん、放っといてほしい。
そう、そうだ、夢の内容を少しだけ思い出した。このぼやけた視界。水の中に入っているような視界。その向こうには誰かが二人立っていた。
今もぼやけた視界の前にはニセモノと真人が立っている。そう、こんな光景だった。
いつまで経っても視界は歪んだまま。私の目からはこれでもかと言うほど涙が溢れていて、そのまま重力に従って床に落ちていく。
自分の選択に後悔がないわけではない。でももう後には引けない。
でもせめて、私のことは彼の手で殺して欲しかったと、悲しいのではない、悔しさの涙なのだ、これは。