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手を繋ぎながら、渋谷の地下を歩いている。
脹相は悠仁と野薔薇ちゃんを殺すために。私は二人を守るために。
いや本当おかしい状況なのは私は承知してるんだけど、このお兄ちゃんが私の事好きらしく離れたくなくてずっと手を握ってるものだから、なんていうか、しょうがないんだ。

「本当に二人を殺すの?」
「殺す」
「私が嫌って言っても?」
「…俺の弟は二人に殺された」
「…だね、」

正直、脹相とケンカしても勝てる気はしていない。私の術式は基本的にはオリジナルの2/3程度の実力しか出ないからだ。加えてその術式を扱うのに慣れていない。一級になることができたのは呪霊操術のおかげ。傑のおかげ。でもその術式も、今は弾切れで役には立たない。
未だ私の手を引き続けている脹相を引き止める為に、繋がれた手をくん、と引いた。

「やっぱり別行動しよう」
「駄目だ」
「やだよ、私二人を殺したくはないんだって」
「夏油のところに戻るのか」
「戻らないよ」

どうやら脹相は私がニセモノと共にいるのが気になるらしい。確かにやたらちゅっちゅしてるし私のこと好きなんだったらそりゃ嫌だろうとは思うけど。
そもそもどうして私のこと好きなんだろうか。血を飲んだから?そんな単純なことで?
でも脹相の顔を見たら嘘をついているようには見えない。私を見る目は、まるで、
そう、まるで
私が、悟を見つめているような、そんな目をしているから。

「じゃあね、私ね、約束するよ。これが終わったら高専へ一緒に行こう。それで兄弟を取り戻して、みんなで一緒に暮らそう」
「嘘じゃないか?」
「嘘じゃないし、もし脹相が野薔薇ちゃんと悠仁を殺しても私は脹相を責めないよ」
「本当か?」
「意外と脹相って心配性なんだね」

まるで子どもを安心させるように、脹相の両手をぎゅう、と握って、笑ってあげる。なんなら縛りをつけようか、と言えば、それは不要だと断られた。確かに、縛りは結構危険だしね。

「じゃあ、誓いの飲血でもする?」
「口付けではないのか」
「こっちの方が私達らしいでしょ」
「…。」

少し残念そうな脹相の顔が私に近づいてくる。そして私の首に顔を埋めると、痛みと熱が同時に襲った。私も同じように脹相の首に歯を立てて、その独特な味のする血を貪る。
これが私たちの誓い。でもごめん、嘘ではないけど、本当に守れるかどうかはわからないよ。死んじゃったらごめんね。
肉を食べたせいかあまり空腹は感じていない。血を飲む時はいつも理性が飛びそうになるけれど、今日ばかりはずっと気持ちが冷静だ。

「ん…、じゃあ、私行くね」
「…やっぱり心配だ」
「えー、大丈夫だよ」

はい、証拠。と少し血なまぐさい脹相に触れるだけのキスをした。一瞬、意表をつかれたような顔をしたけど「寧々子ッ!!」と名前を叫ばれ抱きしめられる。私も脹相の背中に手を回した。
最初は無口で冷たい人だと思ってたけれど、兄弟をすごく大切に思っていたり、少なくとも私に対してはびっくりするほど優しい。私も脹相といると安心する。それは私たちが呪霊とも人間とも言えない、受肉体仲間だからなのか。恋愛感情とはまだ言えない。

「じゃあ、死んじゃやだよ」
「問題ない。死なない」
「うん、じゃあ、気をつけて」
「寧々子も」

少し寂しそうな顔をした脹相に少しばかり名残惜しいけれど背を向けた。
さて、どちらに向かおうか。
どれほどの術師がここに来ているだろう。きっと高専の皆もここに来ている。2年の皆も、ここに来ている。
もし会ったら、どんな顔をすればいいかな。呪霊に加担していると言えば、なんて言われるかな。
でも、これだけは言える。皆に死んで欲しくない。
他の人間なんてどうでもいい。正直、非術師なんて守ってあげないといけないような大層な存在ではない。私にとってはただの食料。これから私が人間を好きに食べれる世界が来るのなら、きっと私にとってはそちらの方がいい。
じゃあ、皆はどうなるの?悟はどうなるの?
死んで欲しくはないのに、あのニセモノに殺されるのを黙って見ているの?

「地上に出てみるか…」

私は、もう後戻り出来ない。悟も封印されてしまったし、私もそれに加担した。二人を守るとか言ってしまったけれど、そんな都合のいいことってあるのだろうか。
悟も傑ももういない。手を引っ張ってくれる人はもういない。
自分で決めなきゃ。自分で決めるしかない。
頭をかかえてしまいそうな衝動を抑えて、階段を登る。
外は、人の気配が微塵もない、この世の終わりみたいな光景だった。

「血の匂い…」

より匂いの濃い方へ、辿って歩いていく。
いつもはあんなに人で溢れている渋谷も、こうもしぃんとしていると不気味だ。
しばらく歩いていると、見知ったスーツの男が立っていて、足元には、これまた見知ったスーツの男が、血まみれで倒れていた。そういえば、援交事件の時も渋谷。しかもこの辺だったんじゃないかな。どうやら私たちは渋谷に縁があるらしい。

「七海…」

名前を呼ぶと、その男はゆっくりと振り返る。
その顔は、怒りが満ち溢れていて、殺されそうなほど、殺気を孕んでいる。

「伊地知、止血くらいなら、できるよ」

倒れているのは伊地知。どうやら呪詛師にやられたらしい。私はどんな呪詛師が何人いて、ニセモノと手を組んでいるかは知らない。でも伊地知も高専通ってたし、呪術師目指してたし、きっとそこそこ強い呪詛師に卑怯な方法でやられたんだろう。

「五条さんの封印を手伝ったと聞きましたが」
「うん、そうだよ」
「夏油さんがいたからですか」
「…ううん、だって偽物だし」
「では何故」

なんか、寝返ってるのバレてるし。怖い。やっぱ怒ってる。
誤魔化すようにハハ、と笑うと、よほど腹が立ったらしい、七海に、胸ぐらを思いっきり掴まれた。避けようと思ったら避けれたと思う。でも、あまりにも七海が怖くて、動けない。

「人を食べたの」
「…なに」
「私ね、もう人間じゃないの」

違う。私は最初から人間なんかじゃなかった。悟と会うずっと前から。人間だと思い込んでいただけ。自分を誤魔化していただけ。
守ってもらう価値などなかった。
大切にしてもらう価値などなかった。
みんな間違っちゃったんだね。こんなものを育ててしまって。

「結局私はこんなもんだよ」

もう一度笑うと、左の頬に思いっきり平手打ち。耳鳴りがして、脳も軽く揺れたような感覚、熱い程の強烈な痛みと少しばかりの気持ち悪さ。でもご自慢の反転術式でなんのその。むしろ七海の方がその掌にダメージを負ったんじゃないかと思うくらい。赤くも腫れ上がってもいない私の顔を見て、七海は隠すことも無く舌打ちをした。

「貴女は高専へ連れ戻します」
「え、いやいや〜戻んないよ」
「伊地知くんの処置をお願いできますか」
「それはするけど、高専へは戻らないよ」
「貴女の意思は関係ありません。貴女は高専の生徒です」
「…。」

話をしたところで無駄かと、まずは伊地知の応急処置をすることにした。この、恐らくこの深く刃物で刺された傷を私では完治することはできない。硝子の力が必要だろう。でも、止血くらいならできる。このまま血を垂れ流しているよりかは幾分もマシなはず。

「伊地知、大丈夫?…痛いね」

気絶している彼に声をかけても返答はない。浅く短かった呼吸も落ち着いてきて、少しは楽になったのかと、術式を解いたところで、救護が来て伊地知を運んでくれた。となると、恐らく硝子も来ているんだろう。これで安心かな。
七海に向き直って、サングラスの向こう側の瞳を見つめる。まだ、怒った顔。

「生徒って言うけど、生徒だったら何をしてもいいの?私はもうこの腹に人の肉をおさめちゃってる」
「自らの手で殺めたわけではないでしょう」
「どうしてそう思うの?」
「…貴女にそんな度胸があるとは思えません」

流石、よく分かってるな七海は。確かに私が直接手をかけているわけではない。誰一人として、私の手で人を殺しているわけではない。
だから?
だから赦されるの?
人殺しに加担をしておいて?
呪いに負けて死体を食べといて?
赦されるわけないじゃないか、七海や皆が赦してくれても私はどの道死刑になる。
それに、生徒だから、子どもだから守る義務があるとでも七海は思っているのだろうか。でもそれは違う。10年前から、確実に、それは違う。七海だって知っている。
傑は死罪になったじゃないか。
何百人もの命を救ったはずの傑は、たかだか100人ぽっち殺したくらいで、死刑になったじゃないか。

「五条さんも、夜蛾学長も、家入さんも、どれほど貴女のことを心配したか」
「そうだよね、だからね、戻れないの」
「駄々をこねないでください」
「私はっ、もう人間には戻れないって言ってんの!」

肉の味を思い出した。伊地知のことだって食べたくてたまらなかったんだ。きっと肉を食べていなかったらその衝動を抑えられなかった。
もうあの味が舌にまとわりついているんだ。もう元の生活には戻れない。もう高専には戻れない。
私は最初から、人間じゃなかった。

「御託はいい」
「御託って…う、わあ!」

浮遊感。揺れる視界。七海が私を肩に担いで歩き出す。暴れようにも物凄い力。非力な自分に、もっと鍛えておけばよかったと今更後悔をした。非力だとしても真希ちゃんとか相手に今まで上手く立ち回っていたからあまり気にしていなかった自分を呪いたい。
放してと叫んでも放してくれない。七海のアホと罵っても放してくれない。もう何を言っても放してくれない。暴れたってこんな岩みたいな人には無駄なこと。
七海は、恐らく伊地知を刺した呪詛師の仕業だろう、何人もの補助監督の死体を辿っていく。追っているのだろうか、私を担いで。

「七海」
「なんですか」
「この人たちも、私が殺したようなものかもしれないよ」
「いいえ。殺したのはこの先にいる、呪詛師です」
「…、新田ちゃんと野薔薇ちゃん、向こういるよ」
「…わかるんですか?」
「わかる、だって、血の匂いするもん…」
「…急ぎます。掴まってください」

そう言うと七海は走り出す。恐らく、ブンカムラ付近。東急の中かもしれない。それを伝えると、より一層スピードを増して、本当にしがみつくしかできなくなった。
これが罪滅ぼしになるとは思っていない。赦してもらおうとも思っていない。でも、やっぱり死んで欲しくはないから。

「ごめんね七海…」
「舌を噛みますよ。黙ってください」

七海の体は暖かくて、それだけで少し、泣きそうになった。