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「2人はここで救護を待ってください。私は寧々子と禪院さん達と合流しB5Fへ向います」
「…、私も」
「駄目です。これからの戦いは1級で最低レベルです。足手まとい。邪魔です。ここで待機を」

七海はそう言い残し、再び私を担ぎあげると足早にその場を去る。その持ち方はお腹を非常に圧迫して苦しいのですぐにやめていただきたい。
野薔薇ちゃんに手を振ってバイバイをすると、彼女は笑っていたけれど、やっぱり腑に落ちていないようだった。

「言い方キツいね」
「他にどんな言い方が」
「野薔薇ちゃんは、七海が思ってるよりずぅっと強いよ」
「それでも死ぬ可能性の方が高い」
「そんなの呪術師みんな平等だって」

七海は、学生が死ぬのが嫌なのかな。七海の同級生は高専在学中に殉職した。私も会ったことある人だ。しかも七海と一緒に行った任務で、七海の目の前で、同級生は死んだ。だから余計に私たちを子ども扱いして、自分は大人だからと私たちを守ろうとするのかもしれない。
だけど、そうだとしても、七海の言う子どもの私たちはそれがすごくムカつくのだ。野薔薇ちゃんだって強いし自分を守る術だって知っている。だから彼女を信じてあげて欲しいなと思うけど、七海の気持ちも分からなくはないから、これ以上は言えなかった。

「寧々子!?」

誰もいない渋谷の街を少し進んだところ。井の頭線のホームに続く地下鉄の入口の所に2人の影。禪院さん達とは言っていたけれど、まさか、彼女がいるなんて。

「まっ、ま、まま…っ」
「お前やっと戻ってきたのか。ったく」
「真希ちゃん…!!」

すぐに七海からおりて真希ちゃんに駆け寄る。そのたわわな胸に抱かれようと両手を広げた時だった。

「やめろ」
「んぎゃ!」

呪具の柄で頭をバシリ思い切り殴られ思わずその場に蹲る。へこんだ。絶対へこんだ。でもすぐ治せるからへこんだかどうか分からないのが少し悔しい。
でもその一瞬の痛みで目から涙が少し流れて、涙目になりながら真希ちゃんを憎たらしげに見つめていると、真希ちゃんはよほどムカついているのか、かっこいい顔がしかめっ面で余計にかっこいい顔になっちゃって、なんだか私は胸を締め付けられるような気持ちです。

「真希ちゃん…」
「戻ってくんのがおせーぞ」
「ごめんなさい…」
「ほら」

手をさし伸ばされ、少し躊躇ったけれどその手を掴んだ。私とは違う、硬くなった手。努力の手。そのまま引き上げられてその勢いのまま真希ちゃんにぎゅうっと抱きついた。真希ちゃん、今度は抵抗しない。

「真希ちゃんすき!」
「あほか」

また、ばしりと頭を叩かれた。
そんな感動の再会はさておき、禪院家の当主らしいおじいちゃんと七海が情報共有をしているようで、それはすぐに真希ちゃんにも伝えられる。
悟が封印されたこと。ついでにそれに私も加担をしてしまったことも。あと、呪詛師や呪霊、改造人間が地下にはわんさかいることとか。
なんにせよ、五条悟奪還のため、今から私たちはB5Fまで急いで向かわなければならない。
その道中、少しだけ脹相の血の匂いがして一瞬足が止まる。脹相が術式を使うと出血量とか関係なく戦うからその分血の量も凄くて、だから多少離れていても分かってしまうらしい。
戦っているんだ。誰かと。多分、恐らくは、虎杖悠仁とだ。もしかしたら他の呪術師に捕まっているのかもしれないけれど、もう一つ仄かに混ざる匂いからして間違いないだろう。
行くべきか否か。でもこれはゲーム。先に見つけた方が勝ちなのだ。宿儺のおかげで悠仁が死ぬことはないと思うけど、脹相は、わからない。悠仁に殺されるというよりかは宿儺に殺される可能性の方が高いような気がする。

「寧々子、何やってんだ」
「あっ、ごめん…」

悶々、もやもやとしていると不思議そうな顔をした真希ちゃんに声をかけられ、ハッと意識を戻す。
禪院のおじいちゃんはどうやらやる気もなさそうで、気だるげに私たち3人の後をついてきていた。
まだ私はこのチームを離脱するか悩んでいたのだけど、井の頭線ホームを抜けて少し広まったところ。

「陀艮…?」
「ぶふぅー、ぶー…」

柱からこちらの様子を伺うように見つめている陀艮がいた。どうするか、と考える間もなく、

「オマエ達、ちと鈍すぎるな」

後ろにいたはずのおじいちゃんが陀艮を何かに捉えて殴り飛ばしていた。呪具を取り出した七海も、真希ちゃんも、私も、おじいちゃんにすっかり遅れをとってしまう。
術式?早すぎる。全く見えなかった。
赤子のように泣きながら、殴られたせいか腹に溜め込んでいたモノを嘔吐して、また苦しそうに泣いている。

「ぶぅー、ぅー、じょうごぉ、まひとぉ、はなみぃ」

人の亡骸。もう肉の破片も残っていない。一体何人食ったんだと思っていたら、おじいちゃんが私の気持ちを代弁してくれた。
そして私はどうやら、人の骨にはさほど興味がないということをここで初めて知った。
にしても、別に陀艮とは特別仲がいいわけではないけれど、少なくとも一緒にゲームをした仲だ。真人とも、漏瑚とも、花御とも。3人の名を呼び泣いている陀艮に少しだけ心が痛むのは、仕方のないことだとする。

「あの子は陀艮。領域展開できるし、強さは知らないけど多分強いはずだよ」
「術式は?」
「よくわかんない。ていうかあの子多分…」

まだ子どもだから。と伝えきる前に、陀艮は憎たらしそうに私たちを睨み、その可愛らしかったフォルムを脱皮をするように脱ぎ捨て、宙に飛び上がる。

「成程弱いはずだ。まだ呪胎だったというわけか」

私たちを見下ろすそれは私の知っている陀艮ではない。呪力の圧も桁違い。
水を操る術式か、大量の水が陀艮から放出されまるで津波のような勢いに足が取られる。真希ちゃんが私の腕を引き上げてくれ、柱に突き刺した呪具の上になんとか避難ができた。

「あ、ありがとう…」
「鈍くせえな。お前ならこのくらい避けられるだろ」
「ごめん。なんか、ビックリしちゃって」

水はどんどん地下へ流れていく。まさに濁流。すぐにその水は引き、動ける頃には私たちの攻撃が始まっていた。
おじいちゃんの術式は恐ろしく早い。投射呪法か。確か禪院家相伝の術式だ。
あれ、めちゃくちゃ欲しいな。
みんなが戦っている中、冷静にそんなことを考えている自分自身に少し幻滅してしまう。どうやって陀艮をみんなと乗り越えるかよりも、どうやって投射呪法を手に入れるかということを考えてしまった。
私って結局、こんなもんだよな。

「寧々子…、お前それ…」
「ん?ああ…やっぱ水に炎は悪手かな」

手の中に炎。それは漏瑚の術式。私が得ている術式はそう多くはない。摂取していた血液には偏りがあるし、その血液の持ち主と術式が一致していないと会得することはできないから。
でも今日は漏瑚の肉を食べた。呪霊の肉は相変わらずクソまずいけれど、これはいいものをもらったと思った。

「私、本当は使えるの呪霊操術だけじゃないの」

私の持ち前のスピード。投射呪法の前では霞んでしまうけれど、それでも私はすばしっこい。陀艮の生成する水の防壁に突っ込みそれ以上の火力で攻撃を試みる。
その私よりも早くおじいちゃんが、そしてほんの少し出遅れて七海と真希ちゃんが速度勝負でどんどん攻撃を繰り返していく。

「それ、これが終わったら説明しろよ!!」
「終わったらね!」

もう偽る必要は無い。私の本性も、私の術式も。私の答えに不満そうに真希ちゃんは舌打ちをして、でも今はそんなことに気を取られている場合ではないというのは2人とも承知のこと。陀艮が反撃できないくらいの速さと攻撃の物量から逃げようとした陀艮を執拗におじいちゃんが追って追い詰めて、陀艮は手も足も出ない。
これで、終わりか。と思った時。

「領域展開。ーーーーー蕩蘊平線」

広がる海。無人島のような。砂浜で。私が見てきたどの領域よりも、穏やかで、明るい領域。
惚けているとその瞬間には腹部に痛みが走った。魚のような式神が私の肉を食んでいる。必中効果か。反転術式があるとはいえ、領域って本当にめんどくさい。

「寧々子!真希さん!式神は真っ直ぐこちらに向かってくる訳では無い!次の瞬間には私たちの肉を抉っている。考えては駄目です。触れられたと感じたら片っ端から叩き落してください!特に真希さん、呪力のないアナタにはそれしか…」
「七海…!ぅ、わ…っ!」
「寧々子!七海サン!!」

七海が一瞬で魚の術式に埋もれたかと思ったら今度は私が視界いっぱいに魚の大きな口。どんどん肉が食われていく。治っては食われ、むしろ再生の方が間に合わない。必中効果のせいで一度は攻撃を受けないといけないし防いでも防いでもどんどん肉を抉り取られていく。
ふざけんな。
私が食われる?そんな馬鹿な話があったものか。食うのは私。食われるのは陀艮だ。
そしてこの術式も、絶対に私のものにしてやる。
私の肉に式神が食いついた瞬間に、その式神に食らいつく。何匹も、何匹も、際限なく湧き出るこの式神はわんこそばみたいなもんだ。ただ、ひたすらにまずいけど。
食いちぎられては食っての繰り返し。ものの1分ほどだったかもしれない。けど、物凄く長い時間のようにも感じた。

「真希さん!!」

突如、領域の必中効果が消えた。魚の壁の向こう側から聞こえた声。

「恵!」
「寧々子さんも…!無事だったんですね」
「大無事!」

晴れた視界。七海も真希ちゃんもおじいちゃんも生きている。
なるほど恵がどうやら領域を展開しているようだ。生意気な後輩。私にだってまだ領域展開なんてできないのに。
ならば陀艮は恵を潰そうとするだろう。私たちはそれを阻止しなければならない。
私と七海で恵を守り、真希さんとおじいちゃんは陀艮を叩く。
この状況が続けば勝機はある。しかし恵の様子を見ると長い時間領域を展開する余力はないらしい。ならば、あるいは。

「七…海さん!あのタコは今俺と領域の押し合いをしていると思っています。でも俺の狙いは違う。領域、この結界にわずかでも穴を開ける!!」

その穴から全員領域から抜け出せれば、陀艮も領域を二度展開することは恐らく不可能。なるほど本当に可愛くない後輩だ。

「いつでもいけます!3人同時に飛び込んできてください!」
「恵だけ残るなんてナシだよ!?」
「命は懸けても、捨てる気はありません」
「なにそれかっこよ…!」
「二人共!!集合!!!」

陀艮は意思の疎通がとれる。だからこその、こちらの意図をとられぬよう、この言い方。2人は攻撃をやめ一目散にこちらへ向かってくる。陀艮は恵への守りを固めるかと思ったかもしれない。しばらくはその様子を伺っていたが、バレたのだろうか、すぐにこちらへ走り出した。
だけどもう遅い。私たちが逃げる方が先だ。
「伏黒くんの足下へ!」そう七海が指示をすれば恵が領域に穴を開ける。領域の外にさえ出られれば。
穴に逃げ込もうとしたその刹那。

その領域の穴から、人が、飛び込んできた