「目が覚めた?」
その言葉を聞くのは人生で二回目だ。硝子の声。
「硝子…」
「空腹にはならないように気をつけなとあれほど言ったのに」
まったくおまえは。
硝子の細く柔らかい手が私の髪を撫でる。
だってそんなこと言っても、突然気分が悪くなって吐くことくらいあるでしょうが。
「悟が心配していたよ」
「ほお〜…」
そりゃそうだろう。だって悟は先生だ。なじみだってある。心配してなきゃ人でなしだよ。
そういや右腕の痛みがなくなっている。ちらりと見てみると、しっかり治っていた。自分で治す前に寝たから、硝子がやってくれたんだろう。
「硝子、ありがとう。もう大丈夫〜…」
「少量でもいいから血を常に持っておくことをおすすめするよ」
「……、うん。そう、そうだよね…」
ベッドから起き上がり、シワシワになった制服のプリーツスカートを払う。黒い学ランだから目立たないけど、見てみると血まみれになってる。ウールだから自分では洗えない。クリーニングか、面倒くさいなあ。
「迎えに来たよ〜ん」
心臓が跳ね上がる。
軽い口調でノックもせずに乙女の眠っていた部屋にずかずか入り込んでくるやつは一人しかいない。
「……あー、悟、ありがとね」
「パンダが慌てて来たからどうしたのかと思ったよ。気分はどうだい?」
「最悪でーす」
大したことなんてなかったですよ。みたいな、必死で平気なふりをする。だって私が取り乱したら悟はまた困った顔をするから。
でも六眼をもっている悟にとっては、そんなことはまったくお見通しなのかもしれない。
「顔色まだ悪いよ。もう少し寝てたら?」
すっと手を伸ばしてきたので思わずその手を払った。
無理だ。今、悟に優しくはしてもらえない。
「自分の部屋、戻る」
「……。」
悟の顔も見れずに部屋を出る。硝子のため息が聞こえたが、少しばかり胸が痛んで、無視をした。
「なにあいつ。せっかく心配してやってんのに」
「寧々子にとってお前はもう異性だろう。意識してる奴に見られたい姿ではなかっただろうな」
「……ふーん」
長い廊下を歩いて、自室を目指す。ポロポロと涙がでてくる。
しばらく歩いたところで、もう前も見えないくらい涙が溢れて、少し、立ち止まる。
どうして私はこんな体なのか。
クロはどうして私をこんな風にしてしまったのか。
「お腹…すいたなあ…」
さっき悟の血を200mlは飲んだはずなのに、これで3日はもつはずなのに、ぐう、とお腹が鳴る。
食べちゃいたいなあ。血だけでもあんなに美味しい悟を食べられたら、そうしたら、もう他の肉なんていらないってなるかも。
「傑についていくべきなのかなあ」
きっと今よりも生きやすい生活が、そこにある。
肉だって食べさせてくれるだろう。
傑と一緒にまずいねって言いながら呪霊を食べて、人を殺して肉を食べて。
でも死んで欲しくない人だっている。
だから私は傑にはついていかなかったし、まあぶっちゃけ悟の血が飲めないのが1番の理由なんだけど悟についた。でもこんなにも私はこの世界では生き辛い。
なんか、虫みたいだ。
私は綺麗なあの碧い眼に囚われた虫だ。光に集まって寄って集る羽虫。なんなら払い除けてほしい。私のことを、殺して欲しい。そうしたら悟にこんなにも惹かれて、心を動かされることもなくなる。
「……いっちょセックスでもしてみるか」
こんなに私が拗れているのはもしかして私が性欲ビンビンの処女だからなのでは?
裸の男を目の前に涎を我慢出来る自信はないけど、ちょっとこいつは食べたくないなーて思うキモデブおじさんならいけるかもしれない。
きっと私のことも可愛い可愛いって言ってくれるだろう。
飢えは満たされずとも、心だけは満たされるかもしれない。
思い立ったが吉日。私は汚れた制服を脱ぎ捨てて、おじさんウケよさそうだからと汚れていない方の制服のスカートと、学ランはイマイチなので白ブラウスに袖を通す。これでカーディガンでも着てたら量産型JKになるだろう。
短すぎるからダメだと言われた膝丈のスカートも、本当はこれくらいの長さにしたかった膝上まで捲りあげよう。
うん、階段でパンツもいい感じに見えそうだ。
馬鹿な行動だってわかってる。
きっと悟に気づかれたら、私は悟に軽蔑されると思う。
それでももうどうしようもないんだ。
どうしようもなく体が乾く。
私だって、せめて性欲くらいは満たされたい。
悟はくれないから、誰かに貰うしかないでしょう。