「もう痛くはないです」
ボコボコになってしまったお腹の皮膚を彼は申し訳なさそうに、それでも愛おしそうに撫でている。
ちょっとやりすぎちゃったかなあ、なんて、完全にやりすぎだ。痛々しい傷痕。きっとこれから誰かに見られる度に「それどうしたの?」なんて、恐る恐る聞かれるんだろうな。
「で、あのですね」
「なにかな」
「アレの始末どうするんですか」
「ああ、」
忘れていたと言わんばかりに、夏油が目で追ったのは玄関にある、でっぷりとした死体。私たちの喘ぎ声をたっぷり聞かされた挙句呪い殺されるとはなんて不憫な男なのだろうか。けれど実はこの男には何度か共同のランドリーで下着を盗まれたり、ストーカーまがいなことをされていたので少しいい気味だと思ってしまった私はきっともうすっかり"こっち"側なのだろう。
「エサにでもするさ」
なんの前触れもなく夏油の横から呪霊がにゅ、と伸びてきて、その死体を丸呑みする。元々、汚くならないようにと申し訳程度の配慮でもしてくれたのだろうか、血とかは出ていなくて、体液も滲み出ていなくて、もうすっかり無かったことのようになってしまった。
これでスッキリしたね、とまた夏油は私の腹を擽るも、私は未だに見慣れていない呪いに内心めちゃくちゃビビっている。そんな私を見て夏油はくつりくつりと笑って、眺めて楽しんでいるようだ。
少しだけムカついたので、少しだけ、仕返しをする。
「さっきの言葉って忘れた方がいいですか」
楽しそうな夏油に水を差すような言葉。急に真顔になって、私の顔を覗き込む。
鋭い切れ長の目、長いまつ毛、スっと通った鼻筋。ああ、本当に、顔だけはいいんだよなあ、と見蕩れてしまう。
「忘れたいのかい?」
低く艶かしい声が私の耳をなぞるように、ぞわりと鳥肌が立つ。怒っているのだろうか。目を合わせられなくて思わず逸らすと顎を持ち上げられ、また目が合ってしまう。どきどきと、きっとこの鼓動は夏油にも届いているだろう、とてつもなくうるさくて、胸が痛い。
「あまりにも現実味がない言葉だったので、私の幻聴かもしれないと思って」
「残念ながらそれはないよ。私はずっと昔から撫子が好きだった」
「なんですかその冗談は」
「冗談じゃないさ。だってこれはキミのだろう?」
「へ」
中学二年の頃の、あの日に落としたピアス。
呪いの口から出てきたそれは、時が止まっていたみたいにダイヤがキラキラ輝いていて、プラチナも傷なんてなく、美しい。今は亡き父がくれた、最後の私へのプレゼントだったもの。
特注で、花の形にダイヤがあしらわれて、この世に二つとして存在しないもの。その片割れは今も私の耳についている。
「や、やっぱりあなただったんですか!」
「キミも気づいていただろう」
「そ、それは、憶測というか…。ていうかなんで黙ってるんですか」
「私を殺すとか言うから面白くて」
私を殺す気満々で見てくるのに犯してしまえばとろとろになってて滑稽だったよ。
なんて、めちゃくちゃに酷いことを言われて、羞恥と怒りで頭が沸騰しそうなくらい顔が熱くなって、体が震える。
「こ、殺す!殺します!今すぐあなたを殺す!!」
「ふふ、もう私は撫子に殺されているようなものさ。親さえも殺した私が、たかがキミを殺せなかったんだから」
「…親?」
「私の両親だよ」
後悔はしてないけどね。なんていう夏油の顔は、確かに清々しい。夏油のご両親は非術師だったのだろうか。そんなことも聞けずに、私はまだ怒りが収まりきれていないながらも、夏油からの口付けを受け入れる。
「きっと再会したあの日に既に死んでいた。冷たくするのは大変だったよ」
「いや、しきれてませんよ。めちゃくちゃ動揺してましたから、私」
「最初は殺すつもりだったさ。私の手で犯してやったら自殺でもするかな、とか。そしたら嬉しそうにアンアン啼くんだもんなあ」
「な、ないてません!」
よしよしと後頭部を撫でられて私を子どもかなにかと勘違いしているのだろうか。押しのけて抵抗すると今度は私の耳たぶをふにふにと触り始めて、「返すよこれ」と、私の空いたままのピアスホールに、夏油が持っていた片割れを通す。久しぶりに通したその穴。ぷち、と皮膚の破けるような音が鳴った。
まだ情事の後、服も着ていない私を上から下まで、まじまじと見つめる。
「うーん、あんな子どもだったのに、いやらしくなったなあ」
「そりゃ、……あなたも」
黒い制服。ズボンはボンタン。段々あの日のヒーローの顔を思い出してきた。うん、そうだ、こんな顔だったな、あの人。でもあなたは昔もそんな官能的な顔をして、あの時からいやらしかったよ。
「私は今も昔もいい男だろ」
悔しいけれどそれは認めよう。見た目だけは、いい男だ。
「そのいい男さんは私の人生をめちゃくちゃにした責任はとってくれるんですよね」
わざと、にっこりと笑って、彼の頬に手を添えた。そんなことを言われるとは思ってもいなかったのだろうか、少しだけ目を丸くさせて、すぐにいつもの笑みに戻った。
「…そうだね」
夏油がまた、私に向かって片膝を着く。
そして私の足を拾って、足の甲に、キスをした。
「キミに、恭順を誓うよ」
ああ、私はどうやら、本当にこの男を殺せたらしい。
古いアパート、死の香り、駆け巡る高揚感。これはきっと私の呪い。悦びで脳が痺れて、ゆっくりと口元が釣り上がる。
私の家族に対する役目は終わった。これで私の復讐劇は、お暇させていただこう。