過去の呪いとナポリタン


『なんか怖ぇよお前。キモ…』

お店が暇すぎてボーッとしていたら、思い出したくもないことを思い出していた。元カレに言われた衝撃的なその一言。
キィ、と古いドアを開ける音がして、一気に現実に引き戻される。お客様だ。にこやかに営業スマイル。いつものようにいかにもな店主の皮をかぶります。
建人くんにまんまと告白を誘導されてから数時間後。重だるい体とズキズキと痛む頭を叱咤してなんとかお店を開けている。ケーキも間に合った。店から近いホテルで本当によかったです。
建人くんもこれから仕事のようで、今日は迎えには行けないと謝られた。いや別にそんなこと全くもっていいんだけど、建人くんの中で私はすっかり恋人のようなので、どう返事をしたものかと悩んでしまった。
恋人。
というワードで思い出すのはやっぱり数年前に私をフッた元彼のこと。まあ、すごく重たかったんだと思う。そりゃ仕方ない、すごく好きだったから。毎日毎日晩御飯をタッパーに詰めてケーキも用意して、毎日毎日彼の家に押しかけていた。最初は喜んでくれていたあの人も、次第に私を見る度に顔を顰め、終いには、冒頭の一言である。しかも、私と付き合うずっと前から付き合っている本命までいたときたもんだ。元カレだけじゃない。今思えばそう多くはない歴代の彼氏、ろくな男いなかったし大体重いとフラれて終わってる。トラウマなんだよな。恋愛って。

「お姉さん、日替わり。食後にブレンドお願い」
「はい、かしこまりました」

そんなことを思い出してどうする。
にこ、営業スマイルで注文を承り、料理にとりかかる。本日のは日替わりはナポリタン。別に何も凝ったものではない。いかにも純喫茶風な昭和感漂う昔ながらのナポリタン。あとは自家製パンにサラダにスープのセット。ちゃちゃっと作って提供。食事の進み具合を見計らって、ハンドドリップで丁寧に珈琲を淹れていく。
この瞬間、好き。ゆっくり抽出された珈琲がサーバーに落ちていって、綺麗な色で溜まっていく。いい香り。おいしそう。
大変満足のいく淹れ方ができたのでいい気分にお客様に持っていき、その珈琲を口に含んだ瞬間を見届ける。

「ふぅ…」

少しだけ口角のあがった口元。柔らかな表情。そうでしょ。おいしいでしょ。遠目で得意げに鼻を鳴らした。
東京の郊外にある、小さな小さなカフェ。すぐそこには山があるような、都内というには些か気が引けるような場所だけど、私のお城。大切な場所。
一時間ほどするとそのお客さんも帰っていき、ポツンと一人。今日は暇です。売上がランチ一食と珈琲一杯は勘弁して欲しいところ。それでも現実は残酷で、ぼんやりしているとあっという間に夕方。うん、こんな日もあるよね。あってたまるかとも思うけど。
暇すぎたのでパチパチ電卓を叩いて今月の収支を計算していた。うむ、赤字である。一応自分の生活費、もとい給料を差し引いての金額なので、それを少なくすればいい話なのだが。
家賃に日々の食費、光熱費、通信費。貯金できないくらいにはキツイんだよな。
建人くんと結婚でもすりゃあ、と思ってすぐにそんな考えは取り払った。借金を返してもらうところまで想像してしまった。自分でこさえたものは自分で責任を取るべきだろう。ああ、でもなあ、あの人絶対高給取り。

「結婚かあ…」
「したいんですか?」
「んー、借金がね〜…え?」

突っ伏していた頭ガバッと起こすと、目の前、カウンター席に建人くん。あれ、今日は仕事だから来れないと自分で言ってませんでしたっけ。顔をポカンとさせていると察したのか「思ったよりも早く片付いたので。連絡は入れたのですが」と淡々と返される。わたわたとスマホを確認すると確かに、建人くんからメッセージが来ているではないか。

「お!おつかれさま!です!」
「お疲れ様です。体調はどうですか?」
「大!丈夫!です!」
「その不自然な敬語は何なんですか」
「な、なんでしょう…」

どうにも恥ずかしくて、建人くんとイマイチどう接していいかわからない。昨晩も今朝もズコズコヤッといてあれだけど。裸のお付き合いの時の方が恥じらいないのってどういうことなんでしょうか。ヤリマン特有の性質なんでしょうか。男と女のやることなんてヤること一つ。簡単だ。でも服を脱がない男と女はどうしてる?男女って、服着てない時どうしてるんだっけ?

「あ、あの」
「はい」
「今日、お客さんこなくて…、廃棄いっぱいあるので、晩御飯食べていきませんか?」
「喜んで。お代も払いますよ」
「い、いや!それは大丈夫、です」
「いえ。それはこんな素敵な店を経営している貴女に失礼でしょう」

きゅん。
なんでこの人しれっとすらっとこういうことが言えちゃうかな。本当に紳士。今朝のセックスはどうかと思いますけど。
少し照れてしまって、建人くんの顔を直視できず目を逸らしていると「楽しみにしています」となんとも柔らかく優しい声で言われ、これは失敗するわけにはいかないと緊張すらしてしまう。手が少し震えています。

「え、と、…今日のランチで出てたやつなんですけど」
「ナポリタンですか。すこぐ美味しそうですね」
「め、召し上がれ…」

建人くんに果たしてこんなザ・在り来り!なものを作ってもよかったんでしょうか。もっとこう、イタリアン的なフレンチ的なものの方がよかったんじゃないだろうか。だって建人くんだよ。あの素敵なおうちに住んでいらっしゃるお方だよ。

「美味しいです。毎日でも食べたい」
「うっ」

微笑み。心臓が撃ち抜かれたような感覚。建人くんには照れくさいとか、恥ずかしいという感情はないんだろうか。あまり考えすぎないようにナポリタンの具だけバゲットにのせたなんちゃってブルスケッタを食べる。「それも美味しそうだ」と私の手からパク、と食べ掛けを横取りされ、またぎゅん、と、胸が痛いようなこそばゆいような。
ダメだ。明日も明後日も晩御飯を作ってあげたい気持ちになっている。なんならお昼にお弁当も持たせてあげたい。でもそんなことをしていると元カレの二の舞で。きっとそんな私の気持ちが重たくなって建人くんだって、キモ…。ってなるはずだ。距離感、大事。ベタベタなカップルは続かないってファッション誌にも書いてありましたし。そもそも、だから、男女の関係なんて体の関係だけで十分だって思ったわけで。そしたら線引きができて割り切れるし傷つかなくて済む。ハマっちゃダメですよ、私。こんなイケメンでハイスペックで性格もいい男性が私のことを好きでいてくれる時間なんて、きっとこの長い人生、たかが知れています。
そんなことを考えているとやにわにスマホが鳴る。聞き慣れた通話アプリの着信音。気持ちが段々沈んでいってたから慌ててその電話を取ると、相手はセフレのBくんだった。なんでこのタイミング。なんて思ったけれど、そもそも建人くんと出会う前はタイミングに良いも悪いもなかったんでした。

「あ、あれ、Bくんどうしたの?」
『ねえ今日暇?会おうよ』
「あー…」

ちらり、建人くんを見るとなんとも言えない顔をしている。真顔のような気もするけど、顔を顰めているような気もする。でも先程まで美味しそうにナポリタンを食べていたあの表情では決してない。恐らく電話の相手がどういう相手か検討もついているだろう。

「えーと…ごめんね?今日は先約いて…」
『マジかー!明日は?』
「あ、明日…」

建人くんの顔色を伺いながら言葉を選ぶ。すぐに断らない私を怒るだろうか。

「いいですよ。その代わり私も行きます」
「へ!?」
『…え?何、男??』

煮え切らない返事を繰り返しながら、建人くんに背を向けた瞬間、耳元で建人くんの声。い、いつの間にか背後に立たれている。怖すぎる。
その声はしっかりと電話の向こう側にも届いていたようだ。『なになに俺以外にもセフレいんのかよ〜!え?3P?3P??』とか嬉しいのかよく分からないテンション高い声でBくんは何故かはしゃいでいる。さてここからどうしたものかと悩んでいると、耳に、刺激。

「ひぁっ」
『…ん?』
「や、…んっぁ、」
『え!?もしかしてヤッてる!?』

健人くんの舌が耳を這っている。ぬちゅ、とえっちな音を鳴らして、ちゅう、やらしく吸われて、スマホを持つ手が震えてしまう。

「や、やん…ッ、けんとく…っ、やめ、んっ、ふ、」
『やべぇ…勃ってきた。小春ちゃんの声、エッロ』

電話の向こう側で荒くなった息が聞こえる。変態趣味のBくんはすっかりスイッチが入ってしまったようだ。
耳だけでぐずぐずになってしまいそうな私はなんとか片方の手で建人くんに抵抗するけれど力強くグローブみたいに大きな手には敵わない。

「んっ、んんん…っ!」
『はあ…っ、ねえ、今何されてんの?教えてよ、小春ちゃん』
「…教えて差しあげたらどうですか?」
「や…っ、やだ、ん、ぅあ…っ」
『いいじゃん、ねえ今どこ?合流しよ。けんとくん?も一緒にーー…』
「するわけがないでしょう」

ふやけそうになるほど耳を舐めて吸ってをしていた建人くんは足が立たなくなりそうな私の腰をしっかりと抱いて、手に持っていたスマホを奪い取り、Bくんに繋がっていた通話を遠慮なく切ってしまった。

「茶番は終わりです。食事に戻りましょう」
「はぁ…っ、ごめん、な、さい…」
「ほら、しっかり立ってください」
「ん…ぁ、建人くん…」
「そんな顔をしても、まずは食事からです」
「やっぱり…いじわる…」

覚えていてくれたんですね、光栄です。と嫌味たっぷりに返されて、耳舐めですっかりその気になってしまった私は悶々と渦巻く熱をどうにか逃がすために、可愛いガラスのドリンクサーバーに入れてある水をついで勢いよく飲んだ。レモンとミントがいれてあるので、その香りがほのかにして、すっきりする。パンツが濡れているような気がしますが気にしないことにしましょう。

「あとでたっぷり可愛がって差し上げますよ」
「…た、たっぷり…、」

美しいグリーンの瞳が私を捉えて離さない。あとでたっぷり。それを想像しただけで心が躍る。せっかくお水を飲んですっきりしたのにも関わらず、建人くんのその一言で私はこの夕食をひたすらとムラムラしながら食べることになってしまった。
責任は、あとでたっぷり、とってもらうことにしましょう。
これがいつまで続くかは、分からないのだし。

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