おかえりなさい
二人で同じものを飲む。辛口の白ワイン。
マスターは私のことを覚えていたようで、今日は飲みすぎないでね、とウコンの力を差し出してくれた。
建人くんが隣で笑っている。なんとも言えない恥ずかしさを感じながらも、私は有難くそれを頂戴した。
しばらくは、お酒を飲みながら雑談して、と言っても9割は私の話をしていたんだけど、建人くんはうんうんと心地よさそうに聞いてくれるものだからついお酒の力もあって私は喋り通していた。喋りすぎて、喉が渇いて、お酒を飲んで、また喋っての繰り返し。途中でチェイサーを挟んだりしたけれど、気がつくと既に自分の脳みそはふわふわと意識が霞みがかったような感じになっていた。もうやめなくては。飲んだくれの酒クズな私ですが、こうやって自制が効く日もあるんです。
「ねえ、建人くんのこといっぱい聞いてもいい?」
「予めそう聞かれるとなんだか不安ですね」
「建人くんのこともっと知りたいなと思って」
そう言うと、建人くんはなんだか考え込んだ顔をして、少しだけワインを口に含むと私に目を合わせてくる。私の話なんて貴女の話に比べればつまらないものですよ。そんなことを言って、なんでこの人こんなに自己肯定感低いの?なんて笑ってしまった。
「私や五条さんの仕事についてはどこまでご存知ですか?」
「なんにも知らないよ。悟くんはあんまり自分のこと詮索してほしくなさそうだったし」
「そうですか」
そしてまた神妙な面持ち。
特殊な仕事をしていることは知っている。でもどう特殊かは知らない。全国、時には海外まで、飛び回って本当に忙しそうにしていることは知っている。悟くんはよく地方のお土産とかくれた。
建人くんも出張と言っていたし、きっと似たような感じでお仕事をしているんだと思う。
知りたいですか?と建人くんに改めて聞かれたけれど、本音はイエス。でも建前で、建人くんが教えてもいいって思うなら、と答えた。
「…私は前職、証券会社に勤めていたんですが、そこを退職して今の仕事に就いています」
「なにか縁があったの?」
「先程会った学生、私ももともとはあの学校に通っていました」
「へえ!?」
あのあまり見ないような珍しい制服。あれを建人くんは着ていたのか。およそ10年前の建人くん。想像して、なんだか心がきゅうっと締まる。いい、いいよ建人くん。私もその学校に通って貴方と甘酸っぱい恋がしてみたかった。
「写真見たい!卒アル!!」
「…あれば、探しておきます」
学生の頃もさぞモテたんだろうなあなんてお酒を煽る。あまり自分の話をしない建人くんだから、色々話してくれるのが嬉しくてついついすすむのだ。
けど、それでそれで?と話の続きを急かし、私が能天気に建人くんの話に食いつけば食いつくほど、建人くんは何故か続きを言い辛そうにしている。
酔っ払ってふわふわ正しい思考が難しくなってきた私でも、なんか様子がおかしいな、ということくらいは理解ができた。
「在学中、同級生が殉職しました」
「…殉職……?」
まさかの単語。同級生が殉職。殉職?
事故死とかではなく、殉職って言ったのか。
その単語を聞けば、普通ならショックを受けて相手を気遣う一言でも言うのだろうけど、私はつい黙り込んでしまう。だって、高校生が殉職って。
「私たちは本当に特殊な仕事をしています。先程の学生たちも、学生でありながら私たちの同僚でもあります。私も学生時代、今と同じように色々な場所で色々な任務につきました」
「危険な仕事なんですか?」
「呆気なく死にますよ」
もう何人も死んだ人を知っています。なんて、建人くんはあっけらかんととんでもないことを言いながらお酒に口をつける。
「建人くんもいつ死んでもおかしくない?」
「そうですね。強いつもりではありますが、イレギュラーなんてしょっちゅうですから」
知らなかった。そんな危ない仕事だったなんて。なんと声をかけていいかわからず、ただただ建人くんと目を合わせることしか出来ない。何を言えばいい?どう反応するのが正解?毎日を能天気に生きている私の世界とは乖離した世界。
「そんなに危険なのに続けてるってことは、世の中に絶対になくちゃだめな仕事なんですね」
「そう、ですね。やり甲斐はあります」
「そっか…」
ならばそんな仕事しないで、とも言えないし、死んじゃやだ、とも言えない。彼は死ぬことを覚悟している。
「じゃあ、建人くんが帰ってきたら、私、おかえりなさいって言います!」
「…毎日?」
「毎日です!い、一緒に暮らしましょう!」
ぎゅ、と建人くんの両手を握る。私の手は小さくて、彼の手を全て包むことは出来ないけど、この手で、腕で、全身で、彼を抱きしめることは出来る。
恥ずかしくて心臓が少しうるさい気がするけど、建人くんはその言葉を聞いた瞬間に微笑んで、「死ぬ訳にはいかなくなりました」。そう言って、ゆっくり顔が近づくとそっと触れるだけのキスをした。偶然その光景を見てしまった他のお客さんが「わぁ」と声をあげる。ほんの少しの恥ずかしさなんていとも簡単に振り切って、幸福感が全身を駆け巡る。
「人前なのに」
「失礼。我慢できませんでした」
大の大人がいたずらが成功した少年のような顔をして、笑っている。その表情に多少のムラつきを感じつつも、それを払拭するように私はお酒を煽った。
建人くんと飲む酒は、うまいんだ。
「けんとくん、すきです」
「よく知っていますよ」
「うれしい」
「私もです」
……そして案の定つぶれた私。
気がつくと建人くんのいない建人くんの家の建人くんのベッドの上。
ピピピ、とわざわざセットしてくれたのだろうか、丁度いい時間に設定されたアラームをとめて、私を辺りを見回した。綺麗に畳まれた私の服。上着やカバンはハンガーラックに。
どうも記憶が曖昧ですが、酔っ払って浮かれて千鳥足で建人くんに支えてもらいながら帰ったような、そんな朧気な記憶があります。
それで、家に着いて、あと30分は時間があるとかなんとかで一発ヤッてから、建人くん見送って、寝たんだっけ。そうだっけ。
そう、確かに今素っ裸だし鏡を見るとキスマークが体中鬼のようについている。あまりの量に思わず「わお」と独り言を呟いた。本当に独占欲が強いなあの人は。首にまでついてるから、なんとか仕事中は隠さなきゃいけないみたいです。
二日酔いでも仕事は仕事。吐き気はないので良しとする。
そこからは日常。いつものように開店作業をして、ケーキを焼いて、ランチタイムを一人で回して、売上見て今日はちょっぴり喜んで、明日の仕込みして、締め作業して。よし、帰るか。いや、どっちに?どっちに帰るべき?なんて思っていたら、まだ鍵を掛けていないドアがキィと金具の音を立てて開いた。
「…おかえりなさい!」
「ただいま戻りました」
ここからは非日常。でもいずれは日常になるのだろう。
ドアの前に立つ彼に駆け寄り、きっと危険な仕事をしたんだろうに涼しい顔をしている彼の胸に飛び込んで、ぎゅう、と抱き締める。彼も抱き締め返してくれて、しばらく抱擁を楽しむとキュルル、と私のお腹の音が鳴った。二人で笑いながら、帰りましょう。と、手を繋いで二人が戻った家は、言わずもがなというやつでしょう。