紆余曲折はもちろんありますが、


結局、私と建人くんは上手くいかなかった。

ほとんど同棲状態だったけどやっぱり建人くんは忙しくて、会えない日がたくさん続くとどうしても寂しくて建人くんに怒ってしまったり、喧嘩になってしまったり。
最近建人くんはいつも疲れていて、セックスの回数も減ったし、一緒にいる時間はいつの間にかあまり楽しくないものに変わっていった。
あんなに幸せだったのに。
そもそも私は一人が嫌いなんだ。だからセフレがたくさんいた。
でも彼氏がいるとセフレとも縁を切らなきゃいけないし、建人くんは毎日私の隣にいてくれるわけではない。
我慢ができなかった。
最初は向こうから「最近どうなの?」ってチャットで連絡が来た。なんとなしに私もそれに返信してしまった。それがそもそもの間違い。最初は一日一往復くらいのやり取りが、二往復、三往復と次第に増えていって、建人くんへのイライラがピークに達していた時、ちょうどきたメッセージが「会わない?」だったのだ。
我慢が、できなかった。会うだけなら。と、そう自分に言い聞かせて。

「久しぶり、小春」
「悟くん…久しぶり」

私たちが会うということは、つまりはそういうことなのに。
呆気なく建人くんにバレる。引きずられるように建人くんの家に連れ戻された私は、この時初めて建人くんの涙を見た。

「五条さんの連絡先は消したと言いましたよね」
「…悟くんが消してなくて、向こうから連絡がきて、それで…」
「だから会った?私がいるから関係は全部切ると言っていたのは貴女でしょう?」
「…、ごめんなさい」

三年。今日は私たちの交際記念日になっていた。別にいつも記念日だからと言って特別なことなんてしなかったけど、なんとなくこの日は建人くんは非番にして、私も店を臨時休業にして、二人で一緒にいる日だった。そんな日に私は、よりによって、元セフレと、彼氏の上司と、一夜を共にしたのだ。
謝ることしかできなかった。言い訳をするつもりもなかったし、建人くんが泣いたことに驚いていたのもある。謝って、謝って、何回も謝って、もうしばらく顔を見たくないと言われて、私は建人くんの家の鍵を置いて部屋を出ていった。
冷蔵庫の中には腕によりをかけた料理と、手作りのケーキをいれてある。捨てられてしまうだろうか。まあ食べやしないでしょう。
私だって本当は、この日をきっかけになんとなくギスギスした空気を元に戻したかったんです。
でも悟くんが、「七海、この日にはわざときつい仕事いれてるよ」なんて言うから。そう言うから。一昨年も去年も休んでくれたのに、「外せない仕事なので」とそう言って、仕事に行ったから。
それでも戻ってくると思ってご馳走作って待って、「いつ帰ってきますか?」てメッセージいれて「帰れないかもしれないので先に寝ていてください」なんて返事がきて。ムカついて泣いてたらそんなタイミングで悟くんから連絡くるんだもんな。もしかして悟くん分かっててやったな。

「呆気ないな」

もう行きつけになってしまった件のバー。マスターとはすっかり仲良しになって、一人で行くことも珍しくないから帰巣本能の如くフラフラと立ち寄った。
マスターもただならぬ私の様子が気になっている様子。でも無遠慮に話しかけてきたりはしない。この人、距離感わかってる。

「ねえ、一人?一緒に飲もうよ」

そしてここに距離感わかってない人が一人。一緒に飲むなんて了承してないのに勝手に隣に座ってきて、勝手に私が手に持ってたグラスと自分のグラスをチン、と重ねた。
その時初めてその隣に座った男の姿を見る。どうして気が付かなかったんだろう。こんなに大きな男はこの辺ではこの人くらいしかいないだろうに。

「…悟くんじゃん」
「やっほー。なに?すっごい顔ブスだけど七海と別れた?」
「まだ別れようなんて言われてないもん」
「でも似たようなこと言われたんだろ?」
「…建人くん、泣いてた」
「まじ?」
「大マジ」

震える声でもう顔も見たくないと言われて、思い出すと涙が出てくる。毎日頑張っている彼を平気で裏切って、泣かせて。本当にクソ野郎ですよ私は。
お酒をあおりながら目にいっぱい涙をためて、それでもなんとか泣かまいとまばたきもせずに、どこを見るという訳でもなく、目の前にあるグラスの棚を眺めている。悟くんの手が私の腰を抱いてぐっと体を引き寄せられたけど、とてもじゃないが彼の胸を借りて泣く気分にはなれなかった。

「僕と付き合おうよ。僕だって出張で長期間東京を離れたりするけど、そうなったら一緒に出張に行こう。寂しい思いはさせないよ」
「お店を閉める訳には行けないから」
「辞めればいいじゃん。小春一人養うくらいどうってことないよ」
「それは建人くんも同じだと思うけどな…」

でも建人くんは、辞めればいいじゃんなんて一言も言わなかった。だって私はあのお店を一人で切り盛りしている自分に誇りを持っていたし、本当に大切にしている。それを建人くんは分かってくれてた。
辞めればいいなんて絶対に言わない。

「悟くん、私ね、建人くんが好きなんだ」
「そりゃあ昨日あんだけ泣いてりゃそうでしょ」
「でももう終わりかなあ。呆気ないなあ」
「え?ヤッてないって言ってないの?」
「うん」

馬鹿だねえ。と呆れた声。
そう、私と悟くんはセックスしてない。もちろんホテルに行ってそういう雰囲気になったんだけど、結局致してない。私が怖くなって、泣き始めてしまったから。そんなちんこ激萎えなことをしても悟くん怒らなかったし、三時間の御休憩では、映画を見て過ごした。
問題はその後。さあ帰ろうとした時に、なぜかホテルの出口に建人くんがいたのだ。
そのまま問答無用で連れ戻されこの有様というわけだ。
そりゃあヤッてはいない。ヤッてはいないけど、ヤろうとはしたんだ。無実ですとは言えないでしょう。言い訳なんて、できないでしょう。

「…寂しかった、なんていう浮気の言い訳をする馬鹿な女にはなりたくなかったのにな」
「僕は小春みたいな馬鹿な女が好きだよ」

そんな馬鹿なことを隣な馬鹿な男が言う。自惚れかもしれないけど、悟くんは、どうやら私の事が結構好きらしい。直接は言われてないけど三年ぶりに会ったら昔とはうってかわり私を落としにかかろうとしているのがよく分かる。
ちび、とマティーニを唇を濡らす程度に飲んで、小さく息をつく。はっきりと言わなければ、またずるずるとホテルに連れ込まれそうだ。

「私、建人くんをもう一度口説かなきゃいけないから悟くんとは付き合えないよ」
「七海は神経質だからな、もう戻れないんじゃない?」
「悟くんのいじわる」
「小春のいじわるはちんこにクるなあ」
「こないでくださーい」

二人でくつくつ笑う。悟くんと話をするのは頭を使わなくて楽しい。久々に会ったけど何も変わっていない。私の記憶の中の悟くんそのままで嬉しくて、逆にどうして私と建人くんはこんなにすれ違っちゃったのか悲しくなってくる。

「悟くんありがとう。会おうって言ってくれたのも私を元気づける為だったんでしょ?」
「まあ、間違いではないけど」
「悟くんっていい加減でジコチューだけどそういうところすごく救われてた」
「小春…」
「元気でね。私を気に入ってくれてありがとう」

最後の悟くんの顔を見ると多少後ろ髪を引かれるような気持ちになるけど、振り切るように店を出た。
癖なんだろう、自然に建人くんの家の方向に足が向いて、さすがに今日は帰れないと辛うじて残してある自宅へと久しぶりに戻った。
古いアパート。狭い部屋。建人くんの家と違いすぎて最初こそこの小ぢんまり感が恋しかったんだけど、すぐに建人くんの家に慣れた。
戻りたい。なんて思うのはきっと勝手なんだと思う。ほろりと涙が落ちそうになるのをグッとこらえながら鞄の中から鍵を探す。
けど、ない。鍵がない。カバンを全部ひっくり返してもない。まじですか。そういやキーケースごと建人くんの家に置いてきた。
取りに帰るべきなんだろうか。ドアの前で情けなくしゃがみこんで大きなため息をついた。いいや、大家さんに電話して合鍵借りよう。事情を説明して、新しい鍵を作ってもらうか鍵ごと交換してもらうかしよう。迷惑だろうとは思うけど仕方がない。もう一度だけ大きくため息をついて、岩のように重い腰をあげた。

「…え?」
「お探しのものはこれですか」

目の前で私のキーケースが揺れている。その向こうには、数時間ほど前に別れたばかりの彼。

「な、んで」
「すみません。貴女の気持ちも聞かず、頭に血が昇ってしまって大人気ない態度をとってしまいました」
「そんな…」
「一人ではあの料理もケーキも食べきれない」
「捨てればいいじゃないですか」
「そんな勿体ないことができるわけないでしょう」

走ったのだろうか。髪が乱れて、いつもきちんと着こなしているスーツもシャツがスラックスからはみ出していて、ネクタイなんてどこへいったのやら。
いつまでも建人くんの手からぶら下げられている鍵を受け取ろうと手を伸ばすと、私の手はそのまま建人くんの大きな手に包み込まれた。
彼に触れられたのがとても久しぶりな気がして、ずっと触れられたかったんだと気がついて涙が出てくる。

「小春さん。結婚しましょう」
「え?」
「実は、今日これを渡すつもりだったんです」
「は?」

建人くんのポケットから出てきたのはリングケース。え、いやまさか、なんて思ってたらパカ、とケースが開かれて、ギラギラに輝いているダイヤモンドのついた指輪が目の前に現れた。
あまりにも突然のことすぎて理解が追いつかない。え?え?と声を漏らしながら建人くんと指輪を交互に見て、あまりの混乱ぷりに建人くんはクスリと笑った。

「嫌ですか」
「い、嫌じゃないんですが…、だって今日は帰れないって」

何が起こったのかもう分からなくて、涙目になりながら建人くんを見てると建人くんは小っ恥ずかしそうに目を伏せた。

「…女性は、サプライズが好きだと聞いたので」

あまりにも予想外の返答。サプライズ。サプライズだったの?仕事いれたのも帰れないかもしれないと言ったのもサプライズ?
私の気持ちも考えて、言っていい嘘と悪い嘘があるでしょうよ、なんて可愛げもないことを思ってしまったけど、それよりも申し訳なさが勝ってしまう。
私はサプライズで私のことを喜ばせようとしたこの人の気持ちを踏みにじってしまった。

「本当にごめんなさい」
「…受け取っていただけないということですか」
「違う…。だって私、酷いことしたから」
「私が紛らわしいことをしたからです」

不安にさせてしまいすみませんでした。と頬にキスをされて、また罪悪感でどうにかなりそうだったけどポン、と建人くんの手が肩に置かれ、その手は私の肩を強く掴んだ。痛い。そういう間もなく、建人くんは「ただし」と言葉を続ける。

「ただし、二度目はありません。いいですね」
「は…はい」

これは全然許してもらえていないパターンだった。また怒りが込み上げてきたのか美しい顔がえらいことになっている。本当に、馬鹿なことをしたものです。そんな建人くんに恐る恐る手を差し出して、「よろしくお願いします」とこれまた恐る恐る伝えると、ぐっと体を引き寄せられて、いつの間にやら私は建人くんの腕の中にすっぽりと収まっていた。
こうして抱きしめられたのもいつぶりだろうか。久々に感じた建人くんの香りは、今日は少しだけ汗の匂いがしてドキドキする。

「…建人くんが好き」
「私も小春さんを愛しています」
「なんか、その言葉はずるいです」
「本当のことですから」

それと、今夜は覚悟をしておいてくださいね。と抱きしめる力がより強くなって、私も思わず体にぐっと力が入る。
ああ、最近はご無沙汰だったからな、抱きしめられているこの感覚だけで少し濡れているのがわかった。

「ぜんぶ、けんとくんのすきにして…」

そのまま流れるように私の部屋に入って、二人とも我慢もできず玄関でお互いの体を貪る。何回も何回もイカされて、しまいには気を失うように、多分挿入された状態で寝落ちしてしまい、翌朝、建人くんの家とは比べ物にならない固くてぺらぺらの布団で目が覚める。
寝てしまったのか、と、お風呂にも入れなかった不快感を感じながら布団の中でもぞもぞしていると、左手に少しばかりの違和感。なにかシーツにひっかかるような感覚があり、自分の手を確認すると、

「よく似合っていますよ」

その左手の薬指にはちゃっかり大きなダイヤのついた指輪がはめられていた。家に置いてあった安いインスタントコーヒーを飲みながら、非常にすっきりした顔の建人くんが珍しくにっこりと笑ったのだった。

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