秩序の瓦解する音

ややグロ(胸糞)描写があります

獣の類いであれば、ここまで尾を引きずらずに済んだのかもしれない。
しかしこのご時世善人も居ればはたまたそれと真逆の悪人も一定数存在するのだとディオネは身を以て体感していた。

「そんな体を震わせて……嬢ちゃんは今までこういう経験がないんだな」
護身用にとマーリンから渡されていた白銀がカラカラと虚しい音を奏ながら遠方に転がっていく。
木々が鬱蒼と生い茂る森の中、突如現れた太い手に口を塞がれ気が付けば酒と硝煙の匂いを纏う男に組み伏せられていた。
舌なめずりをしながら値踏みする男にディオネの体はカタカタと震え、声を発することもままならない。

「顔も悪くねぇし銀髪の奴なんてそう居ねえからな。……その前にオレが味見をしてやるか」
「ひ、っ」
やっと出た声はあまりにも短い悲鳴。
男を退かそうと突っぱねた細い両の手は一纏めにされ、襟元だけでなくディオネの真っ白な体が暴かれていく。

「傷ひとつ見当たらねえ。大当たり……ぐ、ぁっ」
男の左胸を、黄金の剣が貫いていた。
ゆっくり振り返ったその先に佇むのは純白の衣に身を包んだ表情なき魔術師。

「ディオネ早くとどめを刺しなさい。武器ならここにある」
「え、あ、あぁ……」
「ここで男を殺せないようではこの先やってはいけない。それとも君の気持ちはこんなところで砕けるような生半可なものだったのかい?」
──そこには1ミリの知性も存在していなかった。
マーリンの言葉でカッと頭に血が昇ったディオネは側に転がる短刀を手中に収め上体を起こすと男の太い首筋にめいっぱい力を込めて、それを突き立てた。
勢いよく噴出する血を目の当たりにし咄嗟に瞼を閉じたディオネの全身ににおびただしい量の血が降り注ぐ。
暫くして物言わぬ屍と化した男の体を杖で退かしたマーリンが深い吐息を漏らした。

「さっきはあんな言い方をして申し訳なかったね。立てるかい?」
「……だい、じょうぶです。すみません」
いつどのタイミングで血を浴びたのか彼の衣もディオネ同様鮮やかな赤に染め上げられていた。
一帯に立ち込める濃厚な血の匂いで既にキャパシティはオーバーしているというのに目の前に転がる死体の光のない虚ろな瞳と視線が絡まってしまい、きゅっと心が締め付けられるようなよく分からない感覚に陥る。

「……アルトリアと合流する前に身を清めにいこう。おいでディオネ」
腰を抜かし立てなくなっているディオネの腕を引いて立ち上がらせたマーリンはそのまま彼女を抱き上げると、どこかを目指して歩き始めた。
自分で歩けます大丈夫です。と喉から出かかった言葉の代わりに吐瀉物が喉までせり上がってきてディオネは両手で口元を覆った。

「直ぐに着くから少しばかり我慢しておくれ。……ごめんね」
辿り着いた小川にディオネを下ろした後もマーリンは少女の背を撫で続けていた。
少しして吐き気が収まったのか酷く青白い顔で口端を無理矢理吊り上げ笑顔を取り繕うディオネの痛々しい姿にマーリンは瞼を閉じた。
"彼女"の為とはいえ年端もいかないディオネをこんな過酷な旅に連れていくなど軽率に提案すべきではなかったのかもしれない、と考えを巡らせながら。

「私は少し離れた場所で汚れを落としてきますので、マーリンさんはこちらでどうぞ!」
頼りない足取りで離れていくディオネの肩を掴もうとした手が虚しく空を切る。

数分して髪から水滴を滴らせ、駆け寄ってきたディオネの細い体を自身の腕の中に引き入れた。
手首を掴まれた瞬間目を見開き、身を固くしたディオネの頭に手を置いてゆっくりと撫でる。
掛ける言葉が見つからず黙ってディオネの頭を撫で続けるマーリンの胸元がじわりと熱を帯び始め、小さな嗚咽に気付かないふりをして花の魔術師は彼女の美しい銀の髪を愛で続けていた。

極夜