独裁者は語る
「自主練か?」
「うん。そう言うエレンも自主練しに来たの?」
敷地の片隅で膝を曲げ、上体を起こす──腹筋をしながらエレンに視線をやったルネッタの足先に腰を下ろし、空いている空間に自身の足を挟みこんだエレンに小首を傾げてくるルネッタにエレンは顎で指示をする。
「何回すんのか知らねえけど、こーやって足固定してもらってた方がやりやすいだろ?」
「50回したら交代ね。私もエレンの足持ってあげる」
後頭部に手を回し腹筋の回数をカウントし始めたルネッタを他所に、エレンの心音は彼女の足を固定してから喧しくて仕方なかった。
訓練兵になった初日は予想を遥かに上回る過酷な訓練内容に腰を抜かしていたエレンではあるが、それにもじき慣れて最近では自主練が出来るほどの余裕も生まれてきた。
心なしか筋肉もついてきたようで、たまたま風呂が一緒になったアルミンから「最近エレン、筋肉がついてきたよね」と指摘されて鼻を鳴らしたのは記憶に新しい。
──だと言うのに同量の練習をこなし己と同じように自主練に勤しんでいるはずのルネッタのふくらはぎは思わず飛び上がってしまうほど柔らかくて、困惑に近い感情が芽生える。
「他の人、と比較するのは良くない……って、分かってるんだ、けど!」
吐息の中に苦悶が入り混じった声に色っぽさを感じてしまっている己の頭を振って、ルネッタの言葉を待つ。
「先日お風呂場で見たミカサの腹筋が綺麗に割れてて、ね……私は筋肉が付きにくい、のかな」
「昔親父に聞いた限りだから本当かどうか知らねえけど女は元々持ち合わせている筋肉量が少ないし、付きにくいんだと。あいつと比べんのは本当に止めとけ」
目標回数を終えたのか首筋から汗を滴らせ、荒い呼吸のまま後ろに両手を置いたルネッタはエレンの返答に困ったように薄ら笑んでいる。
薄手の白いシャツが汗で張り付いて、彼女のボディラインを際立たせ無意識のうちに生唾を飲み込んでいた。
「……危なっかしくて見てられないよねルネッタってさ」
近寄り難い空気を纏い、腹の中に何を秘めているのか一切露見させないアニが声を掛けてきた事に衝撃を受けているエレンの耳に、何百何千と聞いた彼女の名前が反響する。
「他人の前では見栄を張って元気ですって顔をしてるけどしっかり見てないとあの子、間違いなく早死にするよ」
いつも積雪のように冷めきっているアニの瞳が今ばかりは暖かさを伴いながら少し離れた場所でクリスタと談笑しているルネッタを映す。
独り言のように、はたまたエレンへの忠告のようにぶっきらぼうに吐き捨てたアニは即座にエレンの前を後にした。
ルネッタがどんな人間で気を遣ってやらねばならないとわざわざ丁寧にご忠告いただくなくとも、一番付き合いの長い自分の方があいつの事を熟知している……正直、余計な世話だと思った。
可能な範囲でルネッタの事は自身が守るつもりであるし、オレの目が届かない場所ではミカサが常に目を光らせているのだからそのような最悪な状況になるなど絶対に有り得ないのだ。
「一呼吸置けたし交代しよっか。……エレン?」
「……あ、悪い。じゃあよろしく頼む」
返答を聞くなりぴったり体を密着させて抱えるようにエレンの足を固定したルネッタの、柔らかなものが足に触れる。
先程から何度も消し去ろうとしては湧き上がってくる本能を振り切るように腹筋を始めたエレンの頬を朱色の夕焼けが染め上げた。
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極夜