失色


「せと!おかえりなさいっ!」
相手が誰か確認することもせず開かれた扉から現れた青年に飛びついた少女は深い色味の瞳を輝かせ何度も彼の名を紡ぐ。

「遅くなってすまんな菜乃いい子にしていたか?」
少女とそう年端変わらぬ見目の青年は幼子を宥めるような優しい口ぶりでその艶艶とした髪を撫でてやる。
胸に顔を擦り付け心地よさそうに目を細める菜乃の姿に海馬の表情も柔らかくなる。

「この後は特に用もないしお前とゆっくり出来そうだ」
「ほんと?やったあ!」
海馬から離れその場で菜乃が飛び跳ねる度、蒼のワンピースがふわふわと揺れる。
飛び上がるのを止め窓辺へ静かに近付く菜乃の姿に得体の知れない何かを感じた海馬が声を掛けるより早く彼女が再び口を開いた。

「……私は死ぬまで瀬人から逃げられないのでしょうね」
諦観が滲む一点の曇りも穢れも存在しない瞳は窓を叩き始めた雨粒を見つめ語りかけるように、或いは独り言のよう彼女は呟く。
何も答えず後ろから歩み寄ってきた海馬の抱擁を振り払うことなく受け入れた菜乃は静かに瞳を閉じた。

この部屋は白と蒼しか存在しない。
…何より、誰より大切に想っていたあの人の髪色は?瞳はどんな色だったかしら。今はもう全く思い出せないの。
頬に一筋の雨が流れ落ちる。少女は無垢な笑顔を浮かべた。

「わたしはせとが、だいすき」


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極夜