とりあえず話そうか

「私はプリン・ア・ラ・モードとメロンソーダ。君はどうする?」
「……アイスコーヒーを一つお願いします。」
ひかるはメニュー表をパタンと閉じ、外へ目をやった。真っ白な空。あまりにも殺風景な街並み。無駄な装飾のない直方体の建物が立ち並ぶ。所々空き地になってい場所もあれば、瓦礫が放置されたままになった場所もある。景観なんてものは観光産業が盛んな地域だけが整っており、それ以外の場所はどうでもいいのだ。
「昔はここからテレビ塔が見えたもんだけどねぇ〜。もう誰もテレビなんか見ないから撤去されっちゃったよね。」
頬杖をついて女性はそう言った。
「テレビ?」
どこの国の言葉だろうか。何故あの人は私の知らない言葉を知っているのだろうか。ひかるは自分が一般よりも博学な方であるという自負を持っていた為、自分の知らない言葉を話す他者の存在に驚き、一瞬嫉妬した。が、この人は只者では無いなと改めて思った。
「テレビも無いのか。ごめん忘れて。私はたまーに変なことを言って人を困らせるクセがあるんだよ。」
悪戯っぽく彼女は笑った。
お待たせしました。ウェイトレスはアイスコーヒーとメロンソーダを持ってきた。
「プリン・ア・ラ・モードの方、しばらくお待ちくださいませ。」
一礼した後ウェイトレスは去っていった。
ひかるは相手の様子を伺うようにアイスコーヒーを一口飲んだ。女性はストローで軽くアイスを突き、思い出したように
「自己紹介が遅れてすまないね、私の名前は薬師寺芽依、大学2年の理学部の応用理工科。」
「応用理工科ですか……!すごい頭がいいんですね!」
芽依はメロンソーダを飲み、ストローの飲み口を少し噛んだ。
「人よりは頭がいい自負はあるよ、決してナルシストなんかじゃあないよ、事実だからね。」
ひかるは芽依の言い回しに少しイラッとしたもののそれを顔に出さないよう堪えた。
「でも授業に遅刻しそうになってたんですよね?本落としたことに気づかないくらい走ってポータル使ってましたもんね。」
「いや〜恥ずかしいところを見られてしまったね〜。他の人には言いふらさないでくれよ?」
恥ずかしそうに頭を掻き、メロンソーダをさっきよりも少し多く飲んだ。
「君の名前は?」
「湯川ひかるです。大学1年生で……学部は……総合人間科学部の心理学科です……。」
「ほぉ!湯川!とても良い苗字だ!それに総合人間科学とは珍しい学部を選んだね。初めて心理学科の人間に出会ったと思うよ。いや……もしかしたら覚えてないだけかもしれないけれどね。」
意外と表情豊かな人何だなぁ、とひかるは思った。今まで出会った理系の人たちは皆表情筋が死んでいるのかと思うほど冷たい顔、抑揚のない声をしていた。薬師寺さんは珍しいタイプの理系の人だ。
飲んだアイスコーヒーは無機質な味がした。ケミカルというか、多分これは本物のコーヒー豆を使ってないんだろうなと思いながらもう一口飲んだ。
心理学科は他の学科に比べて少し軽んじられているということをひかるは理解していた。なのであまり他人に、しかも同じ大学の人に話したくはなかった。でも伝えた時の薬師寺の反応を見るに悪い印象を抱かなかったんだなと思った。
プリン・ア・ラ・モードをウェイトレスが持ってきた。待ってましたと言わんばかりに芽依は早速プリンをパクりと食べた。とても満足そうな顔をしている。ひかるはこんな人工甘味料に塗れた食べ物の良さがわからなかった。


「じゃあゼミは?どういう系の研究やってるの?」
クルクルとスプーンでアイスコーヒーをかき混ぜながら
「いやまだ授業は実用科目だけで……。2年から心理学とか統計とかを学んで、3、4年でゼミに配属されるみたいです。」
言いにくそうにひかるは答えた。
「1年はまだ実用科目なのか、それじゃあ高校とあまり変わらないな。」
芽依は途端につまらそうな表情を浮かべた。プリン・ア・ラ・モードはとっくに食べ終えており、メロンソーダのさくらんぼを口に放り込んだ。
「薬師寺さんはゼミもう入っているんですか?私理学部のことよくわからないんですが…。普通は3年生から配属されるものだと思っていたのですが。」
「なんか特待生?みたいな感じでなんか入れてください〜って言ったら入れてくれたよ。」
「そんな感じで入れちゃうんですね、すごいですね。」
所謂天才なんだろうなぁと思った。私たちが通っている大学は東海地方の中でトップレベルの学力、研究力を誇る。その中で2年生にしてしかも応用理工科のゼミに入れてください〜と言っただけで入れてもらえるだなんて。


「君の瞳は赤いんだね。」
突拍子もなく芽依はひかるを真っ直ぐ見つめそう言った。メロンソーダ飲み、ストローを加えたまま舌で左右に動かした。その幼い動作と裏腹に彼女の瞳はひかるの心、いや“核”を捉えているようであった。
「いえ、私の瞳は灰色がかった色をしていると思います。赤色と言われたのは初めてです。」
「そうかい。それにしても綺麗な瞳の色をしているね。」
不思議なことを言う人だわ、掴みどころがなくて飄々としていて、大人びた知性に溢れた見た目言動をするけれど、動作は時々幼くて。
「不思議な人ですね。」
ひかるはアイスコーヒーを飲み干した。
「よく言われるよ。」
芽依はスプーンでメロンソーダのアイスを押し、炭酸にアイスを軽く沈めた。
「あっ!」
「どうしたんだい?」
不適な笑みを浮かべながら芽依は慌てた様子のひかるに尋ねた。芽依の顔を見た瞬間ひかるは自分が何かを試されているのかを察知した。
「メロンソーダの泡が溢れて机や……服が汚れてしまうかもしれません。」
「それはどうして?」
芽依はアイスクリームをスプーンで軽く叩いた。
「それは……。」
思い出すのよ。小さい頃に読んだ化学の本に書いてあったはずだわ。「子供のための化学」の……
「……18ページの下のコラムに書いてあったはずだわ……。なんて書いてあるのかしらあれは……。」
声に出てるよと指摘するのは無粋だろうと芽依は黙ってひかるの顔をじっと見つめていた。ひかるは左下を見つめながらブツブツと何かを言っている。

「アイスクリームを炭酸水に沈めることで水の溶解度が下がり溶けきれなくなった二酸化炭素が発生してしまう……からでしょうか?」
顔を上げてひかるはそう答えた。
「まぁ及第点かなぁ〜アイスクリーム中の乳化剤で発泡が促されるだとか過飽和とかその辺の説明も含まれていると尚良かったけど。」
「はぁ……。私は数理は苦手なものでして……。よくわからないです……。」
この問答の意味がわからない。この人はただ自分の方が優れていると言うことを主張したかっただけなのだろうか。アイスコーヒーも飲み終えたし、もうそろそろ帰りたい。外に目をやるともう空が赤くなってきた。
「わからないことをわからないと言えるのは素晴らしいことだね。そう言える人は多くはないからね。おっとっと。」
泡ぶくになってしまったメロンソーダを芽依は急いで飲み干した。机に少し溢れてしまったようなのでほら見たことかと呆れながら、ひかるは持っていたハンカチで机を拭いてあげた。
「すまないね、綺麗なハンカチなのに申し訳ない。綺麗な花柄にこんなビビットな緑が…洗濯して返すよ。」
「いえいえ、そんな別に大丈夫ですよ。」
「君は、


芽依にみつめられた瞬間、ひかるに悪寒が走った。違和感、不快というわけではない、今まで味わったことがあるような…ないような……フワフワした感覚、風邪をひいて魘されている様な感覚。


「私の瞳が何色に見えたかい?」


「……青く光った気がしました。」

『見えたかい?』これはさっきの大学のキャンパスでのことだろうとひかるは解釈した。それでは先程私の瞳が赤色に見えると言ったのは何か関係はあるのかしら?この女性は一体何なんのか、本当に同じ人間なのか?
今までであったどの人にも当てはまらない、掴みどころのなさ。謎多き天才。あの青く光った瞳に謎の本『醒深潭』。ひかるは何かに巻き込まれそうな予感がした。しかしそれは彼女の人生で今まで味わったことのない、味わう予定ではなかったもののようだ。
彼女は今まで読んだ本とは比べようがないほど高揚している自分を確かに自覚していた。

「……もう少し話そうか。」
芽依はメロンソーダを飲み、プリン・ア・ラ・モードを食べ始めた。
「アイスコーヒー飲み終わっちゃったので……もう一度注文し直しますね。すみませーん。」
「何を言っているんだい?ひかる。まだ残ってるじゃないかい。」
芽依が指差した先には飲み干したと思ったアイスコーヒーが最初出された時と何ら変わらぬ状態で手元にあり、外を見ると真っ白な空に無機質な街並み。空き地に瓦礫。


私は何かおかしなことに巻き込まれた。


「そういえば。」
はい、芽依はハンカチをひかるに手渡した。
花柄のハンカチに確かに付着していた緑の汚れは跡形もなく消えていた。

困惑するひかるを見て面白がる様な笑みを浮かべながら芽依はストローを噛んだ。

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