慰められる

※モブ多め


「はぁ⋯つかれた」

家に戻ってくるなりそう呟いてスーツ姿のままベッドに倒れ込むとき彼女は今日一日の業務の忙しさに深いため息をこぼした。
スカウト業に転職(?)してからはそれなりに慣れて日々を過ごしているものの営業職というものは体力勝負とはいうがここまでなのかと痛感する彼女は目を閉じそうになるもののメイクを落として夕飯を食べてシャワー浴びなければと考えるものの思うように身体は動かない。
今の仕事はフレックスであり、時間に縛られてはいないものの楽な仕事ではないことや緊張した糸が解けて一気に解ける、しかしながら今の仕事は以前と比べてずっとマシに感じられるのは人に困ることがないからだろう。

「メール来てる、あっ報告書あげてなかったからか」

そう考えていた彼女は自身のポケットにいれていたスマホのバイブ音に意識を戻して開けば上司である彼から「お疲れ様です、報告書を頂けますか」という丁寧な連絡がきたことに慌てて起き上がり報告書を慌てて送付し謝罪のメッセージを送ればすぐに既読が付き「確認できました、ありがとうございます」と返ってきたことに安堵してはまたベッドに倒れ込んでは以前の上司や職場とは全く違うと思いながら時計を眺めた。

「(20時って残業中だもんなぁ、っていうか日付変わる前に帰れてるってすごい)」

当たり前のことだと言われてしまえばそこまでの事も以前では有り得なかったことだと痛感しながらも瞼を閉じてしまう。
積み重なる仕事の山に無関係に話しかけてくる異性の同僚にそれを嫌な目で見つめる同期の同性、上司には頭を下げ続けては下世話な笑みを浮かべられそれが交互に繰り返されていくとパチンと弾けたように目を覚ました彼女は酷く冷や汗をかいていたおり、その不快感にようやくシャワーに浴びようと動き出した。

嫌な夢の続きのように出されたリストに彼女は思わず喉が引き攣ったものの目の前の男はそれに気付きもせずに、難しそうなら声をかけて欲しいと言ってはその場を後にして行ってしまう、顔写真と相手の個人情報は氏名生年月日家族構成借金状況や理由まで詳細に記載されている。
その内の一人は見覚えのある男であり思わず身体が震えてしまいながらも何も言えずに仕事を進めなければならないと考えた、上手く演じきればいい、それはこういう仕事だと理解していても上手く取り繕えているのだろうかと彼女は不安を感じていた。

「今週は名刺を配ることがあまり進んでないようですね」
「すみません、時間かかっちゃって」
「難しいようでしたら気にせず伝えてください、無理をさせて何かしらいわれても困りますから」
「それは大丈夫ですよ」

偶然街で会えた彼と適当なカフェで仕事の話をしていた彼女は苦笑いをした、どれだけ取り繕っても何処かしらでセーブが掛かってしまい上手く仕事が出来ていないことは自分でも理解していた彼女は残ったリストを早急に済ませるようと考えていれば、上司となる彼、セールスマンがスマホを開き「このキム・インソンさんならこの後そこの駅を利用すると思いますから頼みますよ」といわれてしまえば彼女は思わず固まったものの笑顔を取り繕って返事をした。

「もちろんです」

昼過ぎの人の少ない電車から降りてきた男はぶつぶつと文句を言いながら改札を出た、近くの宝くじ売り場でスクラッチをしては外れたのか苛立った態度の男の隣でおなじスクラッチをした彼女は1万ウォンの当たりが出たことに思わず隣の男性に声をかけた。

「これよかったらあげましょうか?」
「は?え、1万ウォンの当たり!?いいのか⋯って君はミョウジさん?」
「お久しぶりですキム課長」

接触は大正解、3000ウォンで買ったスクラッチが上手く結果を出したことに安堵して彼女は話でもといい、ターゲットに缶コーヒーを奢ってもらい話をした。

「それにしてもいいスーツだな、相変わらずスタイルがいいしスカートが特に似合ってるね」
「はっ、ははありがとうございます」
「突然消えたもんだから寂しかったよ、君ほど優秀な子はいなかったんだから」

昔から愛想笑いがうまかった彼女は自分を褒めてやった、こんなにも胃が痛い様な思いをしていても相手にはバレないようにしていられたからで、彼女はコーヒーを半分飲む頃本題に入った。

「よかったら私とゲームをしませんか?勝てば10万ウォンを差し上げます」

その言葉に食いつかないわけがなかった、知り合いからの突然の怪しい誘いに男は何を言ってるんだといいながらも興味惹かれて堪らないと目はギラギラとしており、当然のことだった。
彼女の以前の会社は彼女の退社とほぼ同時に倒産した、特に目の前の男は課長クラスだったが取引先とのインサイダー取引がバレてしまいクビとなり、さらには買っていた株が大暴落し家まで担保にしていた男は多額の借金を抱え闇金融にまで頼った程である。
いわばこの仕事において彼はまさに理想の存在であり、今の仕事の企画の一環でありメンコ勝負をしてもらい勝てばお金を貰うというシンプルなことなのだと告げた、勿論嫌なら断ってもらってもいいといいつつ手に持っていたトランクケースの中身をみせれば男は嘘では無いのだと唾を飲み、一回だけなら⋯と常套句を使ったのだった。

目の前の男の頬を打った時、きっと少しは気が晴れると思った時期があったが現実はそうではなかったと手のひらに感じる熱で思った。
一度目のゲームにて負けた男は金が足りないというため無言で頬を打てば吠えられるものの勝てばお金を渡すといえばもう一度だという、甘い蜜に集るハエのようなこの男にされてきたパワハラやセクハラの数々を忘れたことなどはなかった彼女は早くこの仕事を終えたいと思った時、男が放ったメンコがひっくり返ったと同時に頬を打たれそうになるものの金を差し出した。

「金はいいから打たせてくれ」

腹が立って仕方が無いという男はこちらに金を返しては頬を打とうとするためルール違反だというが、男は声を荒らげた「お前のせいでこんな人生なんだぞ」と告げた。
何を言われてるのか意味がわからないと思う彼女は理不尽な罵倒と勝手な言い訳の餌にされては両肩を掴まれる。

「どうせ今の仕事も上のやつと寝たんだろ?」

じゃなきゃこんなに上手く就職するものかという男に彼女は散々言われてきた言葉だと思い出しては胸が痛くなった、誰も実力など認めてくれないことは理解していた、自分の仕事を奪っては自分の手柄にしてくる連中達に声を上げたかったのに出てこなかった弱さが悔しかった。
けれど人間は埋め付けられた思考を簡単には変えられなかった。
彼女は反射的に「ごめんなさい」と肯定でも否定でもない言葉で返事をした、何が悪い訳でもないがこの言葉と共に地面を見ればそのうち終わると脳みそが教えてくれたのだが、髪を掴まれ顔をあげさせられた時、彼女は今ある環境など所詮偶然にしか過ぎず自分は何も変わっていないゴミなのだと感じられると相手の目に映る自分を見て思った頃だった。

「ルール違反ですよ」

聞き馴染みのある男の声に何事かと思えば彼女を掴む男よりも身長の高い彼が男の手を掴みにこやかに微笑んだ。
「うちの者がなにか粗相を?」「ルール違反は見過ごせませんね」「私とひとつゲームをしに行きましょうか」
そう矢継ぎ早に告げていつの間にか男を連れて行ってしまった彼に、呆然と立ち尽くす彼女は何をしていいのかも分からずにホームのベンチに腰掛けて小さなため息を漏らした、本当に今日は疲れてしまったと感じつつ来ては去る電車を右から左に眺め続けた。
何本の電車が行ってしまったのか分からなかったものの、ふと目の前に立っていたスーツ姿の上司であるセールスマンが彼女に張り付いた笑みひとつも浮べずに見下ろしては。

「休憩にいきますか」

とだけ告げて二人はその場を後にした。

――カランカラン
古びているが何処か懐かしい日本のレトロ喫茶にも似た様な雰囲気を持つ喫茶店に来た二人は適当な席に腰掛けて、彼女がメニューを見る日まもなくホットコーヒーひとつホットのカフェラテをひとつ、そしてついでにプリンもひとつと注文された。

「珍しいですね、甘いものを頼むだなんて」
「こういうところのものは美味しいっていうじゃないですか」
「さっきはすみません⋯」

傍から見て二人はなにかミスをした部下とそれの尻拭いをして慰めてやっている上司に見えることだろう、しかし彼女のミスではなかったことは理解しており、下調べが足りていなかったことが原因だと彼は知っていて口にはしなかったのは起きてしまった現状をどうすることもないからだった。
静かな二人のテーブルには注文されたものが届き、彼女側にカラメルが多く掛かったプリンが置かれて彼女は向かい側にやろうとするも優しく制され、彼からのささやかな労りなのだと理解する彼女は小さく頭を下げた。
本来はそうしなくてもいいものだが謝ることに癖ついた彼女はいつもそうしてしまう。
前職のハラスメントに慣れていたと思っていたものの彼の部下となり、それなりに人としての基本人権を得てしまえば目の前の彼のものの言いようは悪くともずっとマシに感じられると感じる彼女はカフェオレを飲みながら薄く彼を見つめた。

「先程のキムさんは"処分"されたんですか?」
「ええ」
「お手数お掛けしてしまい申し訳ございません」
「こちらこそ配慮が足りませんでした」
「プレイヤーの補填が必要になりますからまた見繕います」

淡々と話をする彼女の瞳に光は宿っておらずセールスマンはそれが何処か気に入らなかった、生気のない人形のような態度の彼女を眺めつつ特に修正する箇所もなくこのまま着実にノルマを達成することを確信さえしていた。

「あれくらいの処理なら自分でも出来たのに」

ぽつりとつぶやいた言葉、泣いて喚いて笑う喜怒哀楽の激しい彼女はここには存在せず随分と違って見えるのは、本質として彼女はこの仕事を楽にする方法を知っているからだろう。
思わずセールスマンの手が伸びて彼女の額に中指と親指で輪っかを作り、そしておはじきを弾くようにデコピンしてやれば「い"ッッ」といえ間抜けな声が店内に響いた。
想像したよりも痛かったらしい彼女は額を抑えてはその痛みに薄い涙を滲ませて目の前の彼を見つめると彼は満足そうな顔をした。

「あなたはこちら側には向きません、ちゃんと言われた通り仕事をしてたらいいだけなんですから」

こちら側⋯というのはなにか彼女には理解できなかった、しかし手を汚すことを意味するのならば彼女は今更と感じつつもそれ以上の反論はせずに黙って目の前のプリンを食した。

「美味しいです、一口どうですか?」

固めのプリンは濃厚でたっぷりのカラメルがさらにその味を引き立てる、今週は食事の味もしていなかったと思い出す時、向かいから伸びた手が静かにプリンを掬ったスプーンを持つ手を取り口元へと進んでいき、彼女よりも大きな口が開いて飲み込んでしまう。

「あぁ甘ったるいですね」

分かっていたことだとしても彼はそう呟いて笑うものだから、彼女も釣られて笑っては「当たり前です」と生意気に返事をすればいつも通りの皮肉のような嫌味がいわれるというのに、何故か彼からは何処か優しく居心地は悪くないものに感じてしまうのはこうして自分をみてくれるからなのだろうと彼女は悟る。

「あの⋯」
「なんですか」
「ありがとうございました」

きっとなんの意味にもならないと分かっていても彼女は自分の胸の言葉を告げれば彼は見つめ返しては何も言わずにコーヒーを口にする。
否定も肯定もしないその反応だけが今の彼女には救いであり、頬を緩ませてはまたプリンを口に含んだ、胸の重みは以前よりもずっと軽く、明日からの仕事はもう問題は無いと感じるのだった。