『幸せを願っている、それと同じくらい不幸も願っている』
「結婚記念日でね、ちょっと奮発してホールケーキを買ってみたの」
一人なのにね。
そう笑う彼女の目の下の青い痣があまりにも痛々しくて私は優しく指先で撫でながら何日かに分けて食べるといい。といってやった
基地内に出入りをする彼女は一般的な普通の主婦らしい、何処から誰が連れてきたかも分からないが笑顔の多い彼女は人もトランスフォーマーも分け隔てなく親睦を深めては皆の友人としてこの基地に時折やってくる
「もう歳かなぁ、ケーキがきつくなってきちゃった」
そう言って笑う彼女は買ってきたという小さめのショートケーキのホールを切り分けずにフォークをそのまま刺して口の中に運ぶ、生クリームたっぷりのそれと赤いイチゴを咀嚼して飲み込む彼女の喉元は今日もまたタートルネックで隠されておきながらも僅かに赤黒い手形のような痣が残っていた
「昔はね、一人で半分くらい食べても平気だったの」
四分の一ほど食べ進めてから手が止まった彼女はそういってはフォークを置いて椅子にゆったりと腰掛ける、人が作業をしている横で本当にマイペースだなと思いながらもそういうところも嫌いではないと思いながらまるでラジオを聞くように話を聞いた
近頃はデストロンとの交戦も落ち着いてるというのに、やれ物を壊したやら、新しい部品に交換したいだとか、こういうものを付けたいやら、まるで看護員を何でも屋と勘違いしてるところがある
「そういえばショートケーキってさ、ラチェットみたいだよね」
「どこがだい、私はそんなに美味しそうかな」
「うーん、硬そう」
不味いとはいわないんだなと笑って作業を中断して身体ごと彼女に向ければ私のデスクの上で一人ティータイムをしている彼女はまるでお人形遊びの人形のようだった
手に取った備え付けらしいプラスチックのフォークで真ん中の一番大きなイチゴに突き刺した彼女はこちらに差し向けた
「頑張り屋さんなラチェットには特大のいちごをあげようね」
ニコニコと笑って一番大事なものをくれる彼女に微笑みかけて口を開く
彼女は自分を不幸にしたがる生き物だった
そして私はそんな彼女にスパークを奪われていた。
…初めの頃は普通の女性だった、元々児童福祉施設で働いていた彼女は人の心に入りやすいのかそれとも持ち前の母性というものが強いのか誰もが皆彼女に甘えて相談した、彼女の前では人もトランスフォーマーもみんなが子供のようでワガママも甘えも全て見せてしまう不思議な人だった
怪我をして帰ってきたみんなに毎度律儀に顔を合わせて話をする彼女のおかげでリペアルームは小さな談話室に変わっていた
「ラチェットのお小言を聞くよりキミの話の方がずっとマシだ」
「お小言を言われるアイアンハイドも悪いのよ?毎度怪我して帰ってくるんだから」
「そうだぞ、それに私はリペアしなくてもいいんだがね」
「かっ勘弁してくれよラチェット、お前が居なきゃ俺は今頃スクラップだぞ」
分かってるならそんな口を聞くんじゃないと笑ってキツめにボルトを締めてやればクスクスと彼女が笑う、それが妙に気恥ずかしくて更にキツく締めれば痛いという声が聞こえる、そんなわけも無いだろうに
そうしたやり取りをするうちに彼女の基地での居場所は静かなこのリペアルームがメインとなり、比較的私と時間を過ごすようになった
「どうしたんだいその怪我」
まさかデストロンにやられたのか?とある日やってきた彼女が顔に大きな痣を作っていたことに驚き駆け寄れば彼女はちょっと転けちゃったのと笑う
心配はあれど人間のことは分からない私にはどうしようもなかった、けれど日を重ねる毎に彼女の傷は増えてしまい、いつの間にか腕にはギブスが嵌められた、理由は聞けないがそうなるうちに人間の医学書や医療書を読み漁りどうすればいいのかを知る
トランスフォーマーと違い人間はとても繊細で一ナノクリック…いや、一秒でも命取りになるのだ、だから私は知識を必死にブレインに叩き込んでこの基地に来る人間や街で会う人が怪我をすれば直ぐに駆けつけて治療した、勿論人間たちのルールとして医療免許もない者は禁止されているが人間を助けたい気持ちがあるのだと説得すれば司令官もそれに同意してくださり
私はそれなりの知識と技術を得ることが出来た
「この怪我は誰かに殴られた跡だ、それも硬い鈍器のようなもの」
「転けた先にテーブルの角が当たって上の花瓶が落ちてきたの」
「またそれか…全くそれなら気を付けてくれ、でないと私のスパークが持たなくなる」
のらりくらりと避けようとする彼女にそれ以上深堀することは出来ない、それになんとなくの予想はついていた
「私まだまだ主婦としてはダメみたい」
苦笑いをする彼女はいつからか家庭での話をするようになった、それは例えば食事の味付けが得意では無いこと、掃除が上手くできてないこと、アイロン掛けが苦手なこと、靴を揃えるのにもタイミングがあること
その言葉全てを勝手な妄想をすればきっと彼女を縛り付ける誰かのせいだった、彼女は真面目な人で仕事にひたむきなタイプだしきっと生活においてもそうなのだろう。
そんな人が下らない家事のことで嘆くことなど有り得ないと思えた、実際彼女がこの基地で子供たちと共にお菓子作りをしていたのをみんなで見ていた時大層な腕前だったし、それを食べた子達もみんなが口を揃えて絶賛したのだから間違いは無いはずだ
「そんなことは無いだろう、君はとても素晴らしい女性だ」
ふと私の声帯シンセサイザーから漏れた言葉に彼女は顔を上げて驚いた顔をした、しまったと私が感じるものの彼女は嬉しそうに微笑んで「ラチェットに褒められるならいいや」といった
彼女の寂しさや悲しみを埋めるにはどうしたらいいのか、何をしてやれば喜ぶのかと必死に探した、本当は基地から帰らずにいることが一番だがそこまで縛れるほど私は彼女の何かじゃない
本当は【なにか】になりたかったがそれは許されない。
傷だらけの彼女が来てはいつも通り階段から落ちた、歩いていたら転けたという中で、ある日頭に包帯を巻いて現れた、目には大きな痣を作っていて首には乱雑な包帯が巻かれているがその隙間からは赤い握られたような跡があった
「昨日の夜にちょっと事故でね、本当に私ってばどんくさいの」
泣きそうな顔の彼女に私は耐えきれずに声をかけてしまったのだ
「ドライブに行こう、綺麗な景色を見に行くんだ」
何もかも忘れて、遠くに行こうといえば彼女はまるで初めて外を知る子供のように眩い表情を見せた、私は彼女を乗せて走った、何十キロ何百キロと私のタイヤで行ける範囲で、時折休んでロボットモードに戻って彼女を手に抱いて彼女の見た事のない景色を眺めた
けれど現実というのは無惨にもやってきて、私たちのその時間はいつも通りの通信でかき消された、デストロンが出たからすぐに来てくれという連絡に本当は知らぬふりをしようとしたが彼女は私の手の中で微笑んで「また来ようね」というのだから知らないふりをすることは出来なくなった。
帰り道彼女はずっと「素敵だった」「ありがとう」といった、騒がしくなる外と正反対の静かな私の車内で彼女は言った
「結婚相手があなたなら私も少しは報われたかもしれない」
ようやくたどり着いた彼女の家で変形を解いて下ろしてやれば彼女は静かに私を見つめるものだから、私は膝をついて彼女の色付いてもいないとても冷たい頬に触れて指先で撫でれば甘えるように頬擦りをされる
「ありがとうラチェット、あなたは私の最高の人よ」
そういって笑う彼女にキスくらいしても罰は当たらなかったかもしれない、けれど人の女に手を出せる勇気はなくて連れ出しても返してしまうような臆病者の私はその言葉に対して不器用に笑みを返すしか無かった
本当は愛していると言いたかった、本当は君が好きだと言いたかった、周りのパートナーを持つ仲間たちは幸せそうだし、現に彼女のそばにいる時の高揚感こそが幸福と愛なのだと感じていた
けれど私たちは恋人にはなれなかった、手を重ねることも抱き締めることも二人きりのアフターヌーンも夜のドライブも、どれだけ回数を重ねても彼女の傷は増えるしそれでも彼女は「あの人がね」というのだ
「私妊娠したの」
ある時、顔に大きなガーゼをつけた彼女は嬉しそうにいった、長いスカートの裾から見える足首にも見られたし歩き方は不自然で腰や肩も少しだけ庇ったような歩き方だった
けれど彼女はとても幸せそうで宝くじでも当たったのかと聞きたいほどだった(実際私には宝くじというものは分からないがスパークプラグがよく言っていたので真似をしてみた)
愛おしそうに薄い腹を撫でる彼女は本当にとても幸せそうで、きっと彼女はいい母親になる、きっと素敵な子供が生まれると感じては「おめでとう」といった
「これであの人も私をようやく認めてくれる、お義母さんやお義父さんも…ようやく私、人間として認められるの」
涙を流して喜ぶ彼女にどうしてそんなヤツらのために喜べるのかと思えた、そして考えては彼女の世界はその家にしかないのだと感じては私は手を伸ばして彼女の震える背中を撫でて優しく手のひらをみせては普段通りに腰を下ろした彼女を抱き上げた
「ラチェット…私今度こそ幸せになる、この数年ずっと苦しかったから、この子が男の子ならあの人もきっと認めてくれる、あなたが私の支えだったありがとう」
腕を伸ばして私の首に抱き着いてくれた彼女に私のスパークはまるで燃え尽きたようだった、馬鹿らしいと感じられたのだ
君を苦しめる人間のために何処まで生きたら君は満足するのだろうかと、子が生まれたところで彼女は幸せにはならない、どうせ産むだけの女でしかない、彼女は完璧な女だった、何も言わない三歩後ろを歩く傀儡だ
「私は君の幸せを願ってるよ」
あっ…と彼女の声が漏れると同時に彼女は五・六メートルの高さから急降下、足の骨が折れた程度だろうがこの衝撃じゃあ無事ではないだろう
痛みに呻く彼女を見つめて私はいった
「心から君の幸せを願っている、愛しているんだよ」
初めて伝えた言葉だ、彼女は脅えた目をして涙を流していた、あんな男のために泣くより私に対して向けた涙はずっと美しかった。
愛している、愛しているからこそ、こうするしかなかった…子を産んで、母になる君はずっと呪われて逃げられないことを知っているから其れならもういま無かったことにすればいいだけだ、私だけに依存して泣きついてそしてまたその手で抱きしめて欲しい。
「やっぱり貴方も男なのね」
最後に聞こえたその言葉に苦笑いをする、ずっと前に彼女が言った「私を好きになる男はみんな酷い事をする」という言葉を思い出したから、仕方ない私を愛して欲しいんだ。
そんな下らない紙の上の契約者よりも、心の繋がりを感じて欲しいんだ。