『ラットが死んだように、この研究に終わりを告げた』
浮気の定義はどこからなのか。
かつて彼女が私に問いかけた質問だ
本来そんな質問は科学者に聞くべきでは無い、何故なら科学者とはリアリストであるのだから結果こそが全てであり精神的なものへの理解や関心など薄いのだから
しかし、あの時の私は何も理解しておらず、ただ勘違いされる行為をしていたら該当するのでは無いのかといえば彼女は興味深そうに頷いた、しかしあの時の答えは全く異なるものだと知ったのは自分で理解したからだ
その定義ってやつを。
研究は失敗を重ねてようやく出来上がる芸術であり結果だ、そして私は今回大失敗をしたのだと気付いたのは視線の先の彼女の表情を見ての事だった…
「パーセプター…パーセプター、パーセプターってあなたかしら?」
「あぁその通り私がパーセプターさ、見掛けない顔だが私に何か御用でも?」
「ええ、私しばらくホイルジャック先生のところで勉強してたんだけどパーセプターからも学びになるから行っておいでって言われたの」
その言葉にそういえばここ最近ホイルジャックに人間の助手が出来たと言っていたなと思い出す、優秀な人で仕事も早いから随分と助かっているんだとどこか自慢げに話していた彼を思い出しては私は思わず笑みを浮かべて指を差し出した「よろしく」と短い挨拶をすれば彼女もまた私に向かって柔らかく微笑み返した。
至って彼女は優秀な人でホイルジャックと私と彼女の三人で開発することも増えた、基本的に現場に駆り出されやすいホイルジャックと比べれば私は基地での待機で二人きりになる時間も多い。
探究心が強く向上心もあるが決して傲慢で野心家という訳では無い彼女とは穏やかな時間を過ごせる、如何せん科学者というのは自分こそが天才なのだと思いこみがちで、それは私も同じだ、仕方ない…常人に出来ないことをしているのだから多少の勘違いも許されると思えるのだ
「パーセプターって素敵な人ね」
自分よりも遥かに小さい赤子のようなサイズの手が私の指を掴んでやわく微笑んだ、彼女の左手に光るダイヤモンドが飾られた立派な指輪は彼女に愛する者を表すものであることを理解している
勘違いしてはならない
そう言い聞かせていながらも彼女は私の目を見ていう
「浮気の定義ってどこからかしら」
息を飲む。とはこういうことなのだろうか、全く無機物の金属生命体の私には有り得ないことだが例えるならばそれがしっくりとくるだろう
ねえ? と微笑む彼女に私は必死にブレインを稼働させた、研究をするよりずっと悩み、悩み、悩んだ末に
「勘違いされる行為を働いたらじゃないだろうか」
「たとえば?」
「あぁいや、私も詳しくは言い切れないが、恋人がするようなことをしたりとか」
「パーセプターは恋人と何をするの」
質問攻めだなんて珍しいと緊張感が和らいで笑いながら人間と同じ、愛し合うことだと伝えた、それは行動や言葉など数え切れない程のものだが形容し難いものだろう
彼女はその言葉に納得して微笑んでは私を見つめた
「じゃあ私パーセプターと浮気しちゃおうかな」
驚いて手に持っていた道具を床に落とせば彼女は冗談だと笑う、なんてタチの悪い冗談なんだと思わず彼女を見ればゴメンなさいと謝られてしまう
こういうお茶目なところもあるなと常々感じつつも嫌いじゃないと思うが彼女はテーブルの上に置かれた私の手に身体を寄せた
「…浮気なんて、最低だよね」
あまりパートナーと上手くいっていないのだろうと知ったのは偶然、噂話であった、しかしその噂話を聞く度に彼女が二人きりになると特別甘えるような素振りを見せることに私は気を取られてしまう
ダメな行為だと分かっていながらも私は彼女にスパークが揺らされていた、無邪気に笑い少し大人じみた素振りを見せていて、けれど寂しがり屋の少女のように甘える
「パーセプターといると安心する」
「私も君がいると心地いいよ」
「気を遣わない関係って最高だよね」
ぐいっと背伸びをして笑う彼女が気を遣う相手なんているのかと興味本位で聞けば大きな目を丸くして「夫に対しては特に…」という
愛する人に気を遣うことなんてないだろうにと不思議に思うものの彼女は大口でご飯を食べられない、話し方に注意が必要、テレビの前を通る時はしゃがまなきゃならない…と告げる、なんだい案外楽しそうじゃないかと私は少しだけ寂しい気持ちを感じながらそういえば眉が僅かに下げられた
「帰ってきて、くれたらね」
泣いてしまいそうな大人の彼女を私が慰めてあげたい、その寂しさを埋めることが出来るのならば私はどうにだってなっていい、まるで自分が救いの手を差し伸べる王子様になりたいだなんて思っているのかと内心自分を嘲笑したがそんな考えとは正反対に彼女は私の指に手を置いた
「パーセプターといると、安心する」
二度目のその言葉とついてきた眼差しは、あまりにも私を狂わせるものだった
キスをするわけでも手を繋ぐ訳でもない私たちは正真正銘の友人であり、これは浮気では無いと言い聞かせた、例え二人きりの部屋で拡大縮小機を通してサイズ変換をして抱きしめ合っていても、これは友人としてのスキンシップなのだと言い聞かせた
「抱きしめてパーシー」
誰も見ちゃいない、傍から見て誰も私たちの関係を変だと言わない、こんな姿を見せていないのだから
誰も知らなきゃしていい、私たちだけの秘密だとスパークの内で呟いてその熱を感じた、彼女の香りを感じていくうちに彼女の方が小さく震えて次第にクスンクスンと鼻を鳴らす
けれどその表情は私の機体で隠しているから本当はどんな表情どんな想いなのかは分からない、優しくその髪を撫でて私は静かに彼女を抱き締める其の時間は実験のことも大事な仕事のことも全てを忘れて愛おしいと感じるこの人を胸いっぱいに包んだ
それから私は彼女の優しい笑顔が好きだから出来うる限り喜ぶようなことをした、スパイクやカーリーに女性の好きな物を聞いたり、むかし仲間に言われた科学者ってのは人の気持ちが分からないという言葉を思い出して必死に人間達の心理学や感情についての論文を読み漁った
生憎と私にはたっぷりの時間があるため困りはしない
「パーシー最近よく読書してるね、地球の本は面白い?」
人間サイズの本を読むことは苦労するから拡大縮小機を利用しても普通のことになり、仲間も私の小さな姿になんの疑問も抱かない
やってきた彼女が私の隣に座っては覗き込んでくるのを恥ずかしくて思わず本を閉じて照れくさく笑っても彼女は本の背表紙を撫でて、そして私の指を次に撫でる
「゙人の感情に寄り添う為に゙」
「勉強がてらね」
「こんなの読んで次の実験は感情をコントロールする薬だったりして?」
クスクスと笑う彼女にその時の私は照れくさくてそうじゃない。と言ったが今更ながらあの時からそうしていたら良かったんだと思った
私の横で笑う彼女はやはりかわいらしくて、狭い客人用のソファに二人で並んで本を読んで実験をして抱きしめ合って、私たちは互いに通じ合って思いあっていたんだ
「あの人が帰ってきてくれたの」
まるで冷却水が全身の回路に流されたように冷たく感じて、そして次に壊れたように全身の回路が嫌な音を立てて稼働する、初めて見たその表情はとてもかわいらしくて、よくフィクション作品の映像やコミックで見るようなそんな表情をした彼女はいう
「パーセプターありがとう、あなたがずっと居てくれたから」
あなたが私の親友でよかった。
そう…私たちは恋人じゃない、だって機械生命体と人間だ、彼女の左手の薬指には下らない銀色の小さな枷が填められている
「それは…それはよかった」
「パーセプターが居なきゃ私ダメだった」
「そうかい、私は何もしていないよ」
嘘をつくなパーセプター、私は必死に努力していた、彼女の愛が向けられるかもしれないと期待して、大切な実験なんかよりも無駄で無意味な紙の上の現実味のない文字を読んでいたじゃあないか
「パーセプター」
そんな呼び方じゃないだろ
「パーセプター」
違うんだ、君が私をそう呼ぶのは
「パーシー」
「なんだい?」思わず私は顔を上げれば首元が歪な音を小さく出したような気がした、ようやくみた彼女の表情は何処か悲しそうだが嬉しそうで私に左手を差し出した
「私の友達でいてくれてありがとう」
これからもずっと友達で居てね。
そう言って私は実験を終えられた時にその結果を知った、浮気の定義というのはどちらかが相手に本気になった時だと
私は彼女の手を取って「あぁ私たちは最高の友人だよ」と笑みを浮かべた、この手を本当は折ってやりたいと思いながら。
「パーセプターが淹れてくれるお茶っていつも美味しいね」
私がいれるのと全然違う、茶葉だけじゃない気がするの
そう言って笑う彼女に私は確かに笑みを浮かべる
「そりゃあ当然愛情が入ってるからさ」
「ふふっパーセプターってば」
本当さ、愛情だよ、君が私に向くように、愛しているんだ本当に…死にかけのラットだって研究者に噛み付くだろう?それと同じなのさ、生憎と私たち種族は愛してしまえば君たちより遥かに長い想いを抱くことになるのだから。