12.俺様の知らないアイツ
苛立ちはパワーに変わるというのは本当らしいとたづなはリングの上で思った、だがしかし苛立ちがあるからといって感情に振り回されるという訳ではなくあくまでも冷静であった
女子日本ランキング4位、気付けばこんな場所にいたのかと先月の雑誌のランク表を見て改めて感じた、会長の用意する人選はいつだって強くベストを尽くさねばならない相手だった
「はぁ…とはいえ、難しいよね」
打たれて傷んだ頬を撫でながらたづなは試合終わりの会場の廊下を歩いた、どうすれば当たらなかったか今回は6Rまで伸ばしてしまい実力ならばこちらが上であった為こっぴどく叱られた
「馬上さん」
「あれ、モブ田くん」
「試合お疲れ様」
「今回も来てくれてたんだ、ありがとうすごく嬉しい」
あれ以来よく顔を合わせるようになった彼にたづなは笑顔を向ける、こうして自分にファンがついているとしるとやはり力になるもので有難かった
何度もチケットを渡すと伝えているが彼はやんわりと断る、ファンだからこそお金を払って応援させて欲しいという彼はまるで紳士だと思った、鷹村さんとはまるで違うどちらかといえば一歩のような弱々しい青年で今のたづななら3割程度のパンチでダウンさせられそうだった
「にしても日本ランクもいよいよ2位だっけか、はやいね」
「そうだね、私もビックリだよ」
「馬上さんは昔から何してても完璧だったもんね」
「そんなこと」
恥ずかしそうに笑うたづなにモブ田は見惚れていたときだった、背中に何かが当たりぎこちなくみてみれば案の定たづなのジムの先輩である鷹村たちだった
「おせぇから迎えに来たのにまたキサマか」
「モブ田くんいつも来てくれるんです、有難いですよねぇ」
「…同級生だったか?」
「え、あ…はい」
「うし、たづな借りるぞ!」
「えぇ、そんな」
「おーし、たづなは俺たちと帰るぞ」
突如鷹村に首元のシャツを掴まれたモブ田、そして頼みの綱のたづなは木村たちの手で背中を押されて帰って行った
どうしてこうなった…
目の前にあるアイスコーヒーを啜っても汚い音を奏でるだけで味はもうしない、そして向かいに座る男は腕を組み未だに無言である
なにか不快にさせることでもしたのだろうかとビクビクしていれば鷹村の目が合わさる
「キサマ、たづなと仲いいのか?」
「仲いいってほどじゃないですよ!」
「じゃあなんだ、惚れてるのか」
「ほ、ほれ…」
それを言われると頷く他ない、自分の中では彼女は憧れのマドンナで学校の中でも人気があった
男子の恋バナなんかでもたづなはまずトップにでてくるようなカースト上位の女子だった、察したであろう鷹村は複雑そうな顔をするがモブ田からすれば同じジムの後輩がボクシングの邪魔をするような男に目に付けられているのかと思われてるだろうと考えてしまう
だがしかしそんなことはなく鷹村の頭の中は別のことだった
たづな…あいつやっぱり男にモテるのか
この目の前のヒョロがり野郎は明らかにたづなのタイプではないだろうか確信は取れん、にしても同級生ってのはなんだ?はしたない関係か?俺様の試合をデートに選んだのはまぁいいがたづなに惚れてるとなると話は別だ
「あいつはどういう感じだったんだ」
鷹村はできるだけ平静を装って声を出した、目の前のモブ田は近くの店員に空のコップに水を入れてもらいながら鷹村をみたあと少し恥ずかしそうな顔をした
「彼女はなんていうか完璧な人で、そりゃあ皆の憧れというか高嶺の花です」
彼女がいればどこだって活気づく
水泳部だってそうだ、中学の水泳は個人も団体も3年連続全国制覇という偉業を成し遂げ
彼女を求めて散った男は数多知れず、全学年からの憧れのサッカー部主将のモブ本先輩という男でさえ彼女に一刀両断された
クラスというか学校の中心の生徒であり、彼女は絶対的な人気があった
「ほぉ、優等生ちゃんか」
ボクシングの世界にもそういう人間は一定数いる、そうして全ての地位や名誉を手にした人間がボクシングという孤独な戦いの世界に身を置いて戦い潰されることも
「そういえばたづなは親が有名な騎手だとかいってたな」
「はいそうです」
父親は負け知らずの騎手の馬上ひづめ 母親は調教厩務員であるが名だたる名馬を担当してきた 祖父はどんな馬でも勝たせるというカリスマ騎手 馬上あぶみ そして祖母はイギリスの騎馬隊の隊員であったという
1家揃って素晴らしい馬の家なのである
そんな家に住んでいれば必然的な彼女も馬に触れて馬に乗るようになり、齢4歳にしてポニーに乗り8歳には通常の大人の馬でさえ乗りこなせるほどになっていたのだとか
「直接は聞いてませんが、昔競馬のインタビュー記事に載ってたんですよ」
「お前だいぶオタクだな」
「違いますよ!たまたまです」
馬に水泳と考えれば必然的に腰やバランス感覚さらに肩のやわらかさや筋肉の付き方なども納得ができる
そしてもとより天才型だからこそ彼女は大きく伸びているのだと改めて感じる
「水泳も本当凄かったんですよ」
得意なのは背泳ぎとバタフライ、この二種類に関しては勝てるものはなかなかおらず基本的にどの大会でも2.3馬身離してゴールするほどだった
1年からのエースであり、彼女が立ち上がり次の待機をしているだけで全員が勝てると確信してしまうほどだった
「写真ないのか」
「さすがに持ち歩いてはないです」
「ほぉ家にはあるのか」
「違いますよ」
あの目は写真を奪う気だと察してしまい思わず嘘をつくが多分分かっているだろうな、思わず蛇に睨まれたカエルのような気分になってしまい背中に嫌な汗が流れた
こうして聞けば聞くだけたづなの才能とやらは恐ろしいものだと鷹村は考えつつも目の前の男以外にも彼女を狙う不届き者は多いのでは無いのか?と冷静になる
学生時代からそれなら今は人気もあるためそろそろ縁談のひとつ来ててもおかしくは無い、思わず焦ってしまうがそれに関してはまた後日聞けばいいだろうと言い聞かせる
気付けば夕方になっており流石にそろそろ帰るかと鷹村は腰をあげた
「もう帰るんですか?」
「まぁな、今から練習だ」
「尊敬する鷹村さんと話が出来て光栄でしたありがとうございます」
「おうよ、精々有り難め…そして、たづなのことは諦めろ俺様のだからな」
そのまま出ていった鷹村にモブ田は口を小さく開けて見届けてしまう
そしてふと気付いてテーブルを見れば、メインからデザートまでしっかり食べたあとが残されており
「お金もらってなかった」
と気付いたのだった。