夏が来ると村では祭りが開かれる。
そんなに大きな祭りではないが山の中だが花火も上がるほどの祭で、四季折々の祭りのある村では祭りは村人たちの生きがいに近い。
男も女も関係なしに数日間準備に取り掛かり、洛熙は彼から花火を見ようと誘われた為、周囲の人々は彼女を目一杯着飾った。
女たちは洛熙に着付けをしては口々に洛熙と李の話をする。
髪を丁寧に結われて誰かが嫁入り道具で持たされた簪を挿してくれたり、若い頃に買って捨てられずに置いておいた華やかな羽織を持ってきたり、旦那のために買ったのが使うことも無い紅を頬に差してくれたり。
みんなが洛熙を楽しそうに着飾り、洛熙は解放されると鏡もないため、家の傍の置いてある桶の水面に映る自分を見て、少しだけ照れてしまう。
──李兄さん褒めてくれるのかな。
ううん、きっと今の彼は褒めてくれると洛熙は確信しつつ日暮れの中で祭りの会場へと向かった。
近隣の村が集まってきては祭りの会場は賑わっていた。
まるで都の時──というのは言い過ぎだが──のように人が多く、洛熙は整えてもらった姿を崩さないように人混みを分けながら祭りの中を歩いていた。
時々彼女の見知った相手がみかけるなり「李のために都の娘さんが来てくれた」と声を出すものだから、ここいらじゃ都へ行った女として有名な洛熙は直ぐにからかわれ始めてしまう。
花火までもうすぐだという頃。
洛熙は祭りの入口で待っていれば足音が聞こえて顔を上げれば彼が汗だくの中で現れた。
花火の打ち上げ直前まで手伝いをしていた彼はすす汚れがついており、洛熙が指先で拭うと嬉しそうに笑う。
村に戻ってきて早ひと月が過ぎた。洛熙は静かに宮での出来事は過去のことにして流そうとしており。隣にいる李に少しずつ心を動かされた。
誠実で真っ直ぐと毎日愛情を注いでくれる彼は洛熙が村を一度去った際に泣いていたと大人たちから聞かされた。彼の愛は本物で今どきそんな男はいないと背中を叩かれた洛熙も本当にそうだと同意した。
「あそこの小さい丘のところの方が見やすいからそっちに行かないか?」
そういって指さした彼は祭りからすぐ側の丘を指して、洛熙は頷くと彼は自然と手を取ってくれた。汗ばんでいる彼を見るとあの人が汗をかいてる姿なんて見たこと無かったと思う。
先を歩く彼を見ていると背中の広さも違っていて、髪は二人とも刈り上げているが長さも違う。李は常に麻の布を首にかけていて汗を拭っていた。あの人はいつも美しい羽織を着ていて触れることさえ恐れ多い物で微かに怯えた。
無骨な大きな手で握られると、布と装飾品をつけたあの人の手を思い出す。
「ほらもうすぐ上がるぞ」
無邪気に笑った彼の顔と、あの人の笑顔はよく似ているのにあの人は少しだけいつも悲しそうだった。まるで自分を閉じ込めたようなあの笑顔にどうしていいのかも分からない。
やがて、夜空に最初の光が弾けた。──ドンッと遅れて音が山に響き、赤い光が夜空を彩る、まるで星空を隠してしまうように次々の光が上がり、煙が出て夜空を消してしまう。
あの人はどんなことをいうのかと考えつつ、思わず隣を見ると彼は優しく微笑んだかと思えば洛熙の手を引いてその胸に強く抱き締めた。
「愛してるんだ、お前のことをずっとずっと、深く愛してる」
花火の音と共に彼がいう。
そこには醜く黒い感情はなく、とても美しい相手を思う気持ちだけであり、素直に言葉に出来る彼は花火のように眩い。
「幸せにする。空腹にはさせないし寒い思いもさせない。お前を傷つけたヤツらのようなことはしない。絶対に」
強い力で抱きしめられると洛熙の身体は少しだけ痛むのに、それが少しだけ心地よいと感じた、
こんなに素直に人に想いを伝えられるだなんて思わなかった。
言葉というものは呪いにも思えていたから怖かったのに、それはあの小さな箱の中でのことで、洛熙はこの広い畑と山々に囲まれた世界ではどんな言葉を口にしていいのだと感じる。
それはきっと天が彼らに何も授けないからだ。
天が何かを課したなら、彼らはここで畑仕事もせず、平民でもない。
反対にあの人は天命を受けたからこそ、皇帝となり、言葉の一つも許されなかった。
彼の声は迷いない真っ直ぐとした声であり。
洛熙はその言葉ほど強い愛の言葉はないと思えた。
この人を選べば幸せになる、二つ返事の言葉を告げるだけでいい。
村で生きて、畑を耕し、子供を育てて、愛する人と静かに歳を取っていく。
それはきっと普通の幸せで、当たり前の幸福。
道外れの茨の道に進むよりも、村の畑や田んぼのように整った道を歩く方がずっと安全だ。
きっと彼はいい夫になる、幼い自分を知っている、眩い夜空の星を隠して光の先に、彼の背中に手を伸ばそうとした時、その声がした。
「洛熙───」
きっと気のせいだと思っていたかったのに。
振り返るとそこには願っても叶わないはずの男がいた。
「陛下」
彼女を抱き締めていた李は馬に乗った男にすぐさま何かを察したようで、抱き締める腕を離して彼女を背に控えさせた。
馬に乗ってきた彼───始皇帝・嬴政は降りるなり、二人をみつめた。
「……洛熙、こやつは誰だ」
「彼は「洛熙、話さなくていい」……でも」
目元を布で被った男の服装は見るからに平民ではない。
馬の質、言葉、態度、全てからして洛熙を庇う李には分かってしまう。
抱拳礼はもちろん、頭を下げることもないおとこに対して始皇帝はその目布の下で眉を動かした。
目の前で見ていた姿からして、この男と洛熙に何かしらの関係があることはすぐに理解できていた。
「朕、自ら迎えに来たのだ」
花火はまだ上がっていた。
今年は洛熙の為にと花火を多くしたんだと村人が話していたのを思い出した。
静かな始皇帝の声が夜の中に溶け込むと、洛熙はその言葉だけで胸が締め付けられてしまう。忘れようと思っても忘れきれないその言葉と声が彼女をまだ縛り付けるが、李はそれを許せなかった。
彼は怒りを抱いたような顔をして半歩前に進み、正面から始皇帝を捉えた。洛熙は「李兄さん、陛下です!皇帝です!」と慌てて声をかけるが彼にとって皇帝でもなんでも関係なかった。
彼にとって洛熙を傷付けたのが目の前の男であることでしか見れなかったからだ。
「迎えに来ただと?お前が傷つけておきながら、もうひと月も放っておいて迎えに来たのか」
「生憎と朕はそなたほど暇ではなくてな、手が空いたいま迎えに来たのだ」
「じゃあ帰れ、暇で連れて帰られるほど迷惑はない、そんな気持ちで迎えに来られても洛熙が可哀想だ」
「貴様に何がわかる」
洛熙は李が無礼を働くことにどうしていいのか分からなかった。
彼が怒っている理由は自分であるようだが、何故そこまで怒るのかも分からなかった。
しかし李は始皇帝に何が分かると問われては、ますます苛立ったように声を上げた。
「洛熙が帰った理由は村の人間、全員が知ってる。態々あんた達のところから手紙が来たんだ」
「……ほお」
それを見た時は驚いた。
大人達は読み書きができないからと洛熙ほどでは無いが読み書きのできる彼を呼んで文を読んだ。
きっといい知らせかもしれない、文が届くだなんてやはり都は凄いと一同は明るい顔をしたのに、彼はそれを呼んだ時、言葉にならない悲しみを抱いた。
周りは何があったか聞いてきたが、これは親と村長にしかいえないというが双方からいえと言われてその場で読むこととなった。
「文には洛熙が皇帝を唆して子を宿したこと、そして産まれなかったものの追い出されたことが書いてあった。もちろん俺たちは信じなかった……だけど、一目見てわかったんだ。こいつが傷付けられて帰ってきたと」
「李兄さん、それは違うの」
「違ったとしてもいい、だから俺は隣の村の娘から来た縁談を破綻させて、洛熙に自分の思いを伝えた"愛している"って"幸せにする"って」
始皇帝には男が眩かった。
まるで太陽の光のような男であり、洛熙が抱き締めることを許した意味もわかった。
そしてその反面、そうして想いを口に出来る彼がどれだけ幸せ者であるのかを言ってやりたかった。洛熙の元にいくため一人で旅を続けたのは家臣がいれば無理やりに引き剥がされて洛熙を連れて帰ることになるからだ。
王ではなく、一人の人として会いたかった。
洛熙が必死にその文は嘘であり、始皇帝は何も悪くなかったと語ることに対して彼はなにも言えなかった。
──皇帝である自分が宮廷を治めきれなかった事実は消えないからだ。
愛するが故に怒りを力にする目の前の男の気持ちが分かる。
しかしそれは皇帝である彼には持ってはならないものであり、あくまでも冷静を装って普段通りに口元に弧を描いてみつめた。
「好……素晴らしい言葉だな、朕には言えぬ言葉だ。そなたの言う通り、こやつを傷付けることしかできん」
「……陛下」
洛熙の悲しみを含んだ瞳が始皇帝をみつめる。
そんな目で見ないで欲しいと思った。
会えぬ日々の中でどれほど想っていたのか口には出来ない。
愛していると素直に言えればよかったのに、薄い布で隠してしまうことしか許されない。しかしその布さえ暴かれて傷つけられることも多く、そうすれば何も言わずにただ皇帝としての権力を振りかざす方がずっと安全だった。
「だが洛熙は朕の光だ。唯一朕の痛みを和らげ、寄り添い、そして誰よりも想ってくれる。だからこそ朕は洛熙に隣にいて欲しいのだ」
精一杯の言葉だった。
それ以上の言葉を目の前の男のようには伝えられない。
その言葉で十分に分かってしまうほど、始皇帝が本気で洛熙に告げていた。
李は「傷付けたくせに」と呟いて洛熙の手を取った。
彼の手を握り返せば村に戻る。そうすればきっと幸せになれる。
宮に戻ればまたあの痛みと苦しみが全身を蝕んで呼吸さえできなくなり、きっとまた涙を流してしまうのに、それでもと考えてしまうと言葉は出なかった。
「無問題(モーマンタイ)」
始皇帝は肩を落としてニコリと笑った。
それは諦めと悲しみを抱いたようであり、彼は背を向けるなり馬に乗って歩き出させる。
丘から去って、村の道を進んでいこうと夜の中に消えていくその背中をずっと見ていた。膝の上に彼の頭を乗せて朝までずっと話を読んで、眠る彼の顔を見つめて胸の内で何度も言葉を交わした。
完全に消えてしまいそうな時、洛熙は取られた手から自分の手を抜いた。
「ごめんなさい李兄さん、でも私はあなたを幸せにできない」
私は血を流してもいい。
洛熙はそう思って走り出した。走ることなんて昔からとても苦手だ。身体が弱くて熱をよく出して激しい運動なんてダメだった。だから書物に明け暮れた。
足をもつれさせながらそれでも洛熙は走った。馬の足は歩いていても思ったより早いのだと感じつつ、背後では花火がずっと鳴り響いていた。
「嬴政様!!」
きっとその声はそんなにはっきりと呼べてなかっただろう。
馬の足が止まると洛熙は転けてしまいそうになりながら追いついて必死に息を整えた。洛熙は彼の足が視界に入っては呼吸も整えきらぬままに見上げると。
花火が大きく音を立てた、最後の花火だったのだろうか。
花火から離れたその場所の空は煙も雲もなく満天の星空を見せていた。
まるでそれは嬴政の瞳のようだった。
「愛しております、貴方様を、誰よりも愛しております」
何になれなくてと、隣にいられなくても、どれだけ血と涙を流して苦しんでも、それでもよかった。
「貴方様が好きなのです」
そういった時、嬴政は目元の布を解いて、その目で洛熙をみつめた。
何も言わない彼の瞳はやはり、この村の星空とそっくりで、洛熙はだから好きなのだと感じた。
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