天界はいつも澄んだ空気と心地よい天候であった。
まだ大人と呼ぶには少しだけ幼く見える顔立ち、しかし子供と呼ぶには大人である女人──洛熙は天界図書館と呼ばれる、地上界にて生まれた本が一堂に集う巨大な図書館にて書物を数冊借りては、帰路を歩いていた。

生前も、死後も、書物に触れられ続けることを彼女は大層喜びながら歩いていると、ふと呼び止められる。
心地よい天気の中で彼女は庭園で借りてきた書物の一冊でも読んで見ようかと思っていたが、聞き覚えのある声に何かと思うが、そこには見慣れた戦乙女がいた。

かつて人類と神々は真剣勝負──ガチンコバトル──を繰り広げた。
結果として和解を済ませた天界では、かつての平和が訪れ人類も神々もそれなりのルールを持って平穏に過ごしている。
天界の庭園はいくつもあるものの、蓮が見事なその庭園にて名を呼ばれた洛熙が足を運ぶと、そこにはちょうどお茶をしていたらしい戦乙女の姉妹、十女のアルヴィトと十一女のフレックに十三女のゲルもいた、そしてちょうど柱の影で見えていなかったもののフレックのパートナーのジャック・ザ・リッパーが茶菓子を出していた。

「アルヴィト様、フレック様、ゲル様、それにジャック様も、このような所でお会いできて光栄でございます」
「ちょうどお茶をしてたのよ、洛熙も座りなさい」
「そうよ、それなりにいい茶菓子があるわよ」
「そうっスよ!早く座ってください」
「ハイ、お嬢様方、本日のお茶はラプサンスーチョンに合わせたアフターヌーンティーのセットですよ」

おぉ……と四人の前に提供された三段の大きなスイーツプレート。香ばしい松の薪で茶葉を燻して作られた中国の紅茶に洛熙は思わず目を輝かせる。
せっかくだからと呼ばれた洛熙は傍に荷物を置くなり、ジャックに一礼して彼女らと共にお茶をした。

彼女たちは姉妹でお茶会をしたいと話して、この場所に来たのだがフレックのパートナーのジャックがそれなら是非お茶の用意をしようと声をかけてくれたのだそうだ。
しかしながらジャックは女性たちの憩いの時間を邪魔してはならぬと告げて行ってしまい、四人は早速と話をした、近頃の神々の様子や戦乙女としての職務が忙しいということ、またそれとは別にフレックのパートナーの愚痴……基い惚気のようなものを聞いていれば、アルヴィトは難しい顔をした。

「洛熙からもあいつに言ってちょうだい、全然あいつ私の話なんて聞いてくれないんだから」
「話……といいますと?」
「この間も人類側の会議があったのに、あいつったら『無問題!』の一言で済ませてきて、結局来なかったのよ、それをいったら『あぁ洛熙との昼寝の時間であった』とかいうし」

アルヴィトの怒りの言葉に洛熙は苦笑いをするとほかの二人もアルヴィトのパートナーならびに洛熙の王──始皇帝のことを思い浮かべた。

始皇帝──かつて神々と人類が代表者を出し合い戦いあったとき。
人類代表として神殺しの十三人──エインヘリャル──の一人として現れ、あの冥王ハデスに打ち勝った男だ。

若々しく陽気でいつも笑顔を絶やさぬ男であるが、如何せん唯我独尊じみた根っからの王であり、自分のいうこと以外を聞かぬ男である。
職務上、天界においてはパートナーと呼ばれるアルヴィトは随分と手を焼かされており、洛熙が彼女に愚痴を零されることは一度や二度でなかった。

アルヴィトの言葉に対して苦笑いを浮かべつつ、プレートの上からスコーンを手に取り、食べ方を教わった洛熙は温かいそれを割っては目をキラキラと輝かせる頃、ゲルは始皇帝が洛熙をそれはそれは深く可愛がっていることを知っていたが小首を傾げた。

「ところで洛熙さんは、始皇帝さんのなんなんスか?奥様とか?」
「ッッ!!」

ゲルの無邪気な言葉に思わずひと口食べたスコーンを器官に詰まらせた彼女は咳き込んでしまい、呆れたフレックが優しくお茶を差し出してくれた。

「ちっ違いますよ、私は陛下の「玉座である!」……へっ、陛下!」

洛熙が慌てて答える前に、彼女の声を遮ったのは一人の男だった。
男は洛熙の背後から手を伸ばしては彼女の手の中のクリームとジャムがたっぷり乗ったスコーンを奪っては、その大きな口を開けて遠慮なしに食べては「好!」と嬉しそうに声をあげるが、アルヴィトの不満な声があがるが彼は気にしなかった。

「全く洛熙、そなたが戻ってくるのが遅いからと匂いを辿ってみればこんな所で暇を潰していたとは、ズルいじゃないか」
「すみません陛下、戦乙女の皆様からのお誘いでしたので」
「朕も同席しよう、洛熙食べさせてくれ」
「はい、承知致しました、お茶も入れますね」

そう言って手際良くいうものの、席を立った洛熙の席に始皇帝は座ると椅子が硬いと文句を言いつつも動く様子はなく、彼女はお茶の種類やプレートから彼女の分のケーキなどを取ると始皇帝の前に差し出し、そして彼の左足の膝の上に「失礼致します」と告げて腰掛けた。

ゲルもフレックもなにもいえなかった。

天界において、神はもちろん、人類においても始皇帝のような"王"という生き物は彼女たちに理解できない価値観で生きている。
ただ一人──アルヴィトはその姿になれた様子で「洛熙のが無くなるでしょ!」「というかこの間のねぇ」と平然とした態度で話をすることに、戦乙女の末娘ゲルは全くわからないという顔をしつつお茶を終えて、変な気を使った気がする……と思いつつ帰宅するなり、今日のことを長女ブリュンヒルデに話した。

「始皇帝と洛熙さんの関係ですか?……あぁ王とその付き人のようなものね、正確にいえば寵妃……いいえ、侍書のようなものね」
「侍書……っスか?」
「ええ、天皇や皇帝など君主に学問を教える方をそういうのよ、まぁあの二人の関係はもっと特殊ですけど」
「それはどういう?」
「つまり、二人は男女の仲、恋人に近い関係でしょうね……見ててわかるわ」

その言葉にゲルは声を出して驚くが、その声は同じ部屋にいた次女フリストに怒られる形で黙らされるのだった。

その日の夜、始皇帝の寝所にて。
洛熙は広い寝台の上で膝の上に始皇帝の頭を招いて書物を読んでいた。

「──そして王は民に愛され、幸せな国を作ったのでした」

最後の一文を読み切った彼女は膝の上の相手をみつめると、彼は物語を咀嚼するように味わっては「誠によかった」と告げたあと、物語の感想を語る。
洛熙はそれを嬉しそうに聞きながら、薄い子供向けの童謡となったそれを片しては横に置いて、子を相手するように始皇帝の髪を撫でた。
毎夜、こうして彼女は始皇帝に話を読む。
それはどれだけ幸せであるのかと彼女は感じていた頃、昼頃に戦乙女達との時間は楽しそうだったと突如言われてしまい目を丸くする。

「朕のことを話していたのか」
「はい、どのような関係かと話していた頃に来られたのですよ」
「ふむ、もう少し待てばよかったな」

苦笑いをする彼女はその柔らかい始皇帝の髪を撫でる手を止められない。
いつも触れてきた髪は飽きる気配もないが、彼本人が何よりも心地よさそうにしていると、自然と手が動いてしまうのだから無理もないだろう。
玉座だといわれた際、洛熙は嬉しいと思った。
いつでも彼はそう言って洛熙の膝に頭を預けてくれる。
どんな椅子よりも、どんな枕よりも、どんな場所よりも心地よく落ち着くのだと話してくれる彼のためなら何時間でも膝を貸せる。朝昼夜と彼の気まぐれで膝を求められるが、それがとても嬉しく、さらに書物を朗読するように命じられれば、ますます喜んで行った。

「ところで朕との関係はなんというつもりだったんだ」
「陛下との関係は王と宮女であると、または語り部かと」
「なるほど、皇后だと言わないのか」
「冗談でも恐れ多い」

そんなことをいえば処罰対象ですよと始皇帝の言葉に困ったように眉を下げて否定する彼女に、始皇帝は下から手を伸ばし、彼女の頬を撫でた。

「そなたなら構わん、寧ろ喜ぶべき言葉だ」
「……な、なりません」
「相変わらず硬いな、ここに来てもなおか」
「陛下は陛下ですから」

示しがつかないという洛熙の真面目な態度は大層好感を持てるものの、始皇帝は一点不満そうに彼女の頬から唇を撫でた。

「嬴政と呼んでくれ」

二人の時はその約束だといわれた洛熙はハッとする。
特別な関係ではない。
陛下と宮女という当たり前の関係、それ以上を望まぬ洛熙とは反対に始皇帝は彼女を深く望んでいた。生前も死後である今も。

「嬴政様」
「好……いい子だ」

触れられるだけで胸が脈打つ。
喉が妙な乾きを感じて、心臓が痛くなる。
顔に熱が篭るのを感じる洛熙に嬴政は嬉しそうに口元を緩めた。
彼女の後頭部に手を回して手繰り寄せると、彼女はキュッと目を閉じる為、彼は敢えて理解していながらも予定とは違う頬に唇を置いてやった。
何度も口元の周辺に啄むようにしていくと、次第に彼女の手が彼に触れて、羽衣の襟をか細い力で摘んだ。

「嬴政様」
「なんだ?そんな顔をして」
「お戯れは」

真っ赤になって呟いた彼女に始皇帝は楽しそうに笑って「わからないな」といいながら口の端に唇を置いてやると、彼女の指先に力が籠るのが分かった。
眉が八の字に下がる姿は、昼間に戦乙女の娘たちに囲まれていた時の顔によく似ているが、目の前の彼女は女の表情も含ませていた。
それを知るのが自分だけだと思う度に彼の胸は心地よくなってしまう。

「……唇を、重ねてくださいませ」

なんと甘美な声であるのか。
始皇帝は心から喜んだ。
彼女の声はまるで琴の旋律のよう、春を告げる風のように心地よく、女として求める彼女の素直な言葉を聞くために、この場所があるのではないのかと思えて始皇帝は思わず彼女を抱き寄せて、自分が起き上がると、その腕の下に抑え込まれた彼女がいる。
期待したような眼差しと、羞恥心を混ぜた乙女と少女と大人の顔、ずっとこれを見ていたかったと思いながら、あの頃は触れることさえ出来なかったと思い出してしまう。

「好い顔をしているな洛熙、愛おしいぞ」
「それはいけません」
「朕の言葉だ、拒否権は無い、受け止めろ」

それでも……とうじうじと悩む理由はわかっていた。
だが、あの頃とは違う。
決して結ばれることは許されなかったあの頃とは違い、今は堂々と彼は洛熙を自分のものだといえる。抱き寄せて口付けをして、その肌と肌を重ねることさえ許される。
あの時、生きていた頃二人には決して許されなかった、万が一にも過ちが起きた時、彼は彼女を不幸に落とすとわかっており。彼女もその身に自分がふさわしくないと分かっていた。

だからこそ今が愛おしいのだ。

薄い目布を外して始皇帝は彼女を見つめた。
星を宿したような、その瞳は誰よりも人の感情を受け止めやすい痛みの瞳。
それでも洛熙を見る時にそれを感じることはない。
反対に緩和されるほどに心地よい感情を与えられてしまい、ずっとみていてほしい、人々の憎悪よりも強い温もりを与えて欲しいと感じる。

「愛おしいな洛熙、朕の寵愛を受け止めてくれ」
「……は、い」

そうしたいと願う彼女の言葉に始皇帝は嬉しそうに微笑んで彼女の唇に優しく重ねた。
それはどんな唇よりも甘く心地よい感触で、抱き寄せて胸の内に閉じ込めてしまえば、二度と離せぬ女の柔らかさを初めて知るような感覚に陥り、唇を軽く触れて離した後、聞こえた名前を呼ぶ蜜のような甘い声に顔を向ければ、桃が熟したような色をする彼女に永遠に冷めぬ愛があるのだと、まるで彼女が読む書物の物語のように感じてしまうのだった。




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