ヴァルハラ・天界大図書館──そこは洛熙にとって宝庫であり、今はちょっとした趣味のように司書見習いとして時折手伝っていた。
天界図書館には地上界のありとあらゆる本が集まっており。その数は数え切れぬほど莫大な量であった。近年は人類の文明も発達し、電子化された書物も多いが本を好む者は大抵が紙の本を好むもので、洛熙は本を片していたところ自身に近づく足音に振り返った。

「洛熙いいかしら?」
「あらアルヴィト様、珍しく図書館にいらしてくださったのですね」
「貴方がおすすめしてくれた本を読み終えたから返しに来たのよ」

現れたのは洛熙とも仲の良い戦乙女のアルヴィトで、彼女は常々洛熙の王であり、アルヴィト自身のパートナーである始皇帝に困らされていた。
そんな彼女の手には王道のラブストーリーものの小説で、洛熙が以前茶会の席に招かれた時、アルヴィトは漫画を好み小説はあまり読まないという話を聞き、洛熙は彼女の読んでいる漫画を読ませてもらうなり興奮気味に小説を勧めたのだが、どうやら彼女の好みには合ったようだった。

「凄く良かったわ、また貴方のオススメする小説が読みたいんだけど」
「まぁ……アルヴィト様は胸踊る恋物語がお好みでしたね、私も好きですからオススメは沢山ありますよ」

そんな大きな声で言わないでよと照れるアルヴィトはもっぱら少女漫画が好きであった為、王道のハッピーエンドで終わる恋愛小説を好んだ。洛熙はさっそくと広い図書館内を歩いて、彼方此方に視線を飛ばしては落ち着きがなく。毎度の事ながらあまりにも小説が好きなのだと背後を着いて歩くアルヴィトは思ったが、その実、洛熙に隠れて一冊の本を借りていたのだった。

「そういえば"コレ"読んだわよ」

ちょうど洛熙が本を取るために梯子を登っている隙にアルヴィトが取り出したのは現代小説のひとつであり。朱色と紺のシンプルな表紙に金箔の文字で"皇帝の玉座"という至って短いタイトルの小説に洛熙は読んだことがないものだと感じ「なんですか?」と問いかけると、アルヴィトはニヤリと微笑んで裏表紙のあらすじを読んだ。

「えーっと、"かつて六国を滅ぼし一つの国へ統一した始皇帝・嬴政は全てを手に入れても尚、彼自身の安泰は無く眠れぬ夜を過ごした。悪夢に苦しむ彼の前にある日、現れた宮女・洛熙は平民の出でありなが……」
「ちょっとちょっと待ってください!なんですかそれ!!」
「何って、地上で流行ってる中華の小説よ、今天界でも流行ってるのよ?」
「陛下はもちろんなのですが、なんだか聞いたことのある名前が」
「うん、だってあなたと彼の話だし」

──彼って……?
──嬴政

洛熙は顔から煙が出そうな程に真っ赤になった。
何故そんな話が物語になっているんだと大慌てするもののアルヴィトは知らないけど、何かしら見つかったんでしょうね、とイタズラをした娘のように笑ってみせる。
彼女は普段、とてもかわいらしいお嬢さんだが時折とてつもなくからかってくるんだと洛熙は思いつつ、地面から二、三メートルはあるハシゴの上で慌てていると、体勢を崩してハシゴから転落した。

危ない──と思う頃、洛熙には痛みは走ってこなかった。
反対になにかに優しく抱きすくめられていることに目を丸くするが、その相手を見ては洛熙は普段通りに変わらず笑みを浮かべた。

「ハデス様!」
「声が響いていたぞ、騒ぐのはよくないぞ」
「すっすみません」

まるで当たり前のように彼女をお姫様抱っこをして助けたハデスは「なんの話をしていたのだ」と問いかけるため、洛熙はアルヴィトと本の話をしていたのだというが、当の本人は驚いたように固まっていたが洛熙は小首を傾げる。

「なっ、なっ、なんでハデス様がここに!」
「余も本くらいは借りに来る」
「どうして洛熙とそんなに仲良いんですか」
「知り合いでな」
「そうなんです、ハデス様とは数百年前に知り合ってからお茶友達なんですよ」

せっかくだから図書館の裏の庭園でお茶でもしましょうと提案する洛熙にアルヴィトはどうしてこうなった……と図書館の裏の薔薇の咲き誇る庭園にて席に着いていた。
流石は中華の娘というべきか、洛熙は茶を飲むことを好み、アフターヌーンティーを楽しむ英国人とは違うが頻繁にお茶を出してくれるがハデスは慣れたように「美味いな」と告げた。
冥界の王・ハデス───彼は三つに分けた世界の中の冥界の王として君臨する彼はあのゼウスやポセイドン達ギリシャ十二柱の長兄であり、神々が尊敬する神といえる男で、アルヴィトが緊張してしまうのも無理はない。
──例え彼女が始皇帝と正面から挑み勝利していたとしても。

「それで面白い話をしていたようだが」
「面白くありませんよ、よく分かりませんが私と陛下の話が勝手に文にされていたのですよ、全く今どきは著作権侵害という法律があると聞きます。訴えましょうか」
「そうか、それでいえば余など何処にでも出されているぞ、人類とは常に何かしらを探したがるものだ、許してやれ」
「ですけど流石にちょっと……あっ!ハデス様、先日お願いしていた本届きました?」
「あぁ冥界図書に届いたが念の為に余の部屋に取っておいてある、読みにくるが良い」

アルヴィトは口からお茶をこぼした。
冥王ハデスと始皇帝の侍書の洛熙が何故こんなにも仲が良いのか分からないからだ。
そもそも、神々から尊敬と畏怖の念を受ける存在と洛熙は理解しているのか……しているはずだ、何せ彼女は始皇帝とハデスが戦ったあの場で始皇帝の隣に立つ者として待っていた。アルヴィトは本を読まずとも洛熙と始皇帝の関係が特別なものだと知っていたが、それにも関わらずなぜ目の前の神でも近付けない存在にと驚いて「ね、ねぇ洛熙、ハデス様と知り合ったこと詳しく教えてよ」と小さな声で問いかけた。

「彼女が冥界図書館に現れたからだ」
「え!洛熙、冥界図書館にいったの!?ケルベロスがいるっていうのに?」
「いませんよ、入口にワンちゃんいるけど怖くないですし」
「あれはケルベロスの子供だ」
「いやそれ魔犬じゃない!!」

アルヴィトは手で顔を覆いながら洛熙はこういうところがある、と思わざるを得なかった。出会いこそ最近のことであるが、如何せん彼女は脳天気なところがある。姉妹間で彼女の話をした時「洛熙さんって女神に好かれるタイプだよね」という話をしたが、つまりはそういうことだ。
女神の寵愛を受けるタイプは特別善人だが、その実抜けたところがある。いわゆる天然(アダムの妻イヴなどがそれに該当するだろう)

「あの頃はまだ陛下とも再会しておりませんでしたから、ハデス様と出会えたことはとても嬉しかったですね」
「お前はずっとそそっかしくて目が離せないがな」

そう言って笑い合う穏やかな二人にどういうことかと聞くと洛熙は顎に手を添えて、ハデスとの出会いを思い出す。

◇◆◇

それは洛熙が天界に来てからのことだった。
一人孤独に天界で第二の人生を歩むこととなった洛熙はすぐに何をしたいかを考えた。
そして直ぐに自分が好きだった本を読むことにして、その為に勉学に励んだ。
天界には幾つもの図書館がある。その中でまずは中華から学び直しをしたが、その内天界の司書と仲良くなると面白い本を進めてもらうが残念なことに言語が違った。
しかし、そこに負ける洛熙ではなく、反対にこれはまた新しい知識をつける機会だと熱く燃え上がり、お陰様で読めない本がほとんど無くなった。図書館も場所によっては何かしらのセミナーのようなものをしており、言語セミナーに通ってみたり。街では習い事があるため外国語教室にいってみたり。天界の中央図書館までいくと人種や時代、神々と人類を問わずに利用しているため、人見知りの無い洛熙は次第に人脈を広げた。

そして借りたいと思った本がついに冥界図書館にしかないと言われた洛熙は冥界がいかに危険で恐ろしいかという"噂話"を聞かされつつも、恐る恐る足を踏み入れた。
冥界図書館は天界の最深部に位置する場所に存在することや、その噂話から人は寄り付かないが、冥界図書館だけにしか存在しない天界限定の図書が数多く存在した。
女一人で踏み込んだところ、出会ったのがいま目の前にいる冥界の王・ハデスだった。

「そういえば、ここの本の管理はハデス様がされているのですか?」
「いや、余の部下が本が届き次第管理している程度だな」
「だからバラバラだったんですね」

他の神々が見てしまうと卒倒するであろうと周囲は思いつつも、洛熙はいつからかこの図書館に現れるハデスと茶飲友達の如く過ごすようになった。
初めて図書館に訪れた際、彼女は真っ暗な図書館に閉館の日だったのかと思ったがドアは開かれた。誰もいない寂しい図書館に通い始めてしばらくした所、本を探す彼に出会い洛熙は声をかけてしまった。
その時、彼がどんな立場の存在か知らなかった洛熙は後から他の図書館に行った際に「冥界図書館のハデス様という方がとても優しくてくださって」と話した時、すぐに仲の良い神々から菓子折を持って詫びにいけといわれ、洛熙は立場も知らずにと震えながら謝罪をした。

『そのようなことは気にせん。それよりも一人で食すには心細い、良ければ付き合ってくれないか?』

そういって安心させるように口角を僅かに上げた彼を洛熙は美しい人だと感じた。
地位や権力もあるのに美丈夫であることはまるで自分の皇帝を思い出してしまうと洛熙は生前の主のことを思い浮かべては、その都度僅かに寂しさを感じた。

「そういえば、もうすぐ人類存亡会議の時期ですね」
「そうだな、気になるのか」
「当然ですよ、人類ですから……でもまぁあんまり関係ありませんけど」
「その者を探さないのか」

ハデスは紅茶を飲みながら洛熙に問いかけた。
彼女はかつて王に仕えた侍書であり、毎夜王に物語を読み聞かせていたという。
ハデスは初めて出会った頃、声に出して本を読んでいた洛熙の声は人を惹き込む声だと感じられ聞き入った。彼自身も時折短い話を読んでもらうが洛熙はそれを喜んで受けてくれた。
しかし洛熙はかつての王のことを思っていながら探すことをしていなかった。彼女が亡くなって人類は何十年何百年何千年何万年と時を重ねてきた為、その王も亡くなっているはずだった。
特に高名な王であれば名前を聞くだけで見つかる筈だが、洛熙はその相手のことを隠しつつも相手のことを思いながら生活していることをハデスは深く聞かないようにはしていた。

「なんと言いますか、早くに亡くなったせいで、陛下を泣かせてしまっておりましたので」
「それ程までにお前が大切だったのだろうな」
「はい、だからもし陛下が天界にいらっしゃるのなら、傍にいると迷惑をかけるかも知れませんので探さぬようにしているんです」
「それもまた誠の忠臣だ」

いい家臣を得たとハデスは思いながらも、彼女とその王がただの関係ではなかったのだろうともその表情で理解していた。
洛熙が自らの王を呼ぶ時の声はとても甘く優しい、ハデスは恋や愛というものを熱く求めることはないが、そうした感情が分からないわけではない。

「もし誰かに仕えたいと思うのなら、余の元へ来るがいい」
「冥界は流石に、天界図書館が遠くなりますので」
「ハハッ、そうだな、だが余もその王のようにその声で眠りたくはある」
「では、なにかお読みしましょうか」

お茶のお供に良い話をと笑う洛熙にハデスも微笑んで頷いた。
冥界の職務の中で過ごす彼にとって、洛熙は友人と呼ぶことは過言では無かっただろう。

◇◆◇

「……って感じで、ハデス様とご友人として過ごしていたんです、まさか陛下のお相手になられるとは思いませんでしたが」
「洛熙こそ、あの男の家臣であったとはな」

柔らかく笑う洛熙とハデスにアルヴィトは何も言えないと思いつつお茶を飲む頃、その場の空気が変わった。

「不好!!何処におると思っていればじゃじゃ馬娘は兎も角、冥界の王と茶を嗜んでおるとはな」
「陛下いらっしゃいませ、お茶は?」
「いる!」

突如現れた目元を布で隠した男──先程まで話題に出ていた始皇帝・嬴政はいつもの様に堂々たる態度で現れては椅子に座り洛熙は何も気にせずにお茶を注いだ。
ハデスと始皇帝は犬猿ではない。反対にあの時、互いを知ったからこそ二人は認め合うほどの仲になったといえる。
お茶を入れた洛熙に「なんの話をしていた」と問う始皇帝に、ハデスとの出会いの話をすると、見るからに始皇帝は不満気な顔をした。
無理もない。彼は洛熙に生前から相当な愛を注いでおり、今なおそうしているが関係性を大切にする洛熙にはやんわりと断られる時もあり、彼女に男が近付けば隠すことなく嫉妬をする独占欲の強い男であるとアルヴィトは日頃の態度から知っていた。

「洛熙は良き従者だ、余の傍に置いていたくなる」
「冥王よ……それを朕の前でほざくというのか」
「素直な感想だ、洛熙は優秀だ、その上、本を読む腕に長けているし、話しているだけで穏やかな気持ちになる。人間だがここまで優秀であれば隣に置いても差し支えないだろう」
「……不好」

手を伸ばす始皇帝にアルヴィトは触れそうになったが慌てて手を抑えた。始皇帝は神器錬成(ヴェルンド)させようとしたのである。
あまりにも心を通わせることに手馴れた結果、神器錬成がしやすくなったことにアルヴィトは「何させようとしてるのよ!」と言葉を荒らげる。始皇帝はなおも不快そうな顔をしつつ茶を飲むなり立ち上がった。

「洛熙は朕の玉座、朕の侍書だ、例え何処に行こうが誰にもやらんぞ」
「あっ、陛下っ、お茶がまだ」
「そなたは少し話がある!帰るぞ!」

そう言って騒がしく洛熙を肩に担いで行ってしまった始皇帝に残されたアルヴィトはこの場をどうするんだと震えた。
しかしハデスはテーブルの上に置かれた本を見つめるためアルヴィトは恐れ多くと差し出しては「ふむ……」と言いながら彼は読んだ。

「面白いな」
「恋愛小説ですよ」
「たまには悪くない」

意外と読むんだ……と思いつつも返却手続きだけしてきますと彼女は告げて席を離れつつ、いつもは始皇帝に怒ってばかりだが、今度会ったら必ず洛熙にお灸を据えてやろうと思うのだった。

◇◆◇

一方その頃、始皇帝の寝所にて洛熙はすっかりと帳の中で膝の上に頭を乗せては不機嫌な王に困り果てていた。

「嬴政様、機嫌を直してください」

一体今日は何をそんなに機嫌を損ねてしまっているのやらと洛熙は困り果てるが、腰に抱きついて何も言わない彼にどうしようかと思いつつも仕方なしに頭を撫でてみても変わる気配はなかった。

「朕と再会を果たす前に冥王のところへいたのか」
「冥界図書館って天界の隅の方の図書館ですよ、なにもありませんよ」
「しかし仲睦まじかったではないか」

彼は寛大な王でありながらも、洛熙に対してだけは非常に心狭かった。
生前も洛熙が他に気に入られたり、彼の視界の中で他の者と過ごしているのを見るとすぐに笑顔で割って入り。洛熙を連れ帰って今のように強く抱き締める。

「何もありませんよ、本の話をしたりお茶するくらいですよ」
「信じられぬ」

あのハデスの目は冗談ではなかった。
本当に隣に洛熙がいても悪くないと思っているような口振りだと始皇帝は気付いていたが洛熙は何も気づかない。
洛熙は昔から人の感情に鈍感なところがあったため、やはりどこか憎らしかった。

「……私には嬴政様だけですよ」

だがその反面、勝てないという気持ちもある。
不器用な娘はあまりにも素直に思いを口にするため、始皇帝は顔をあげると洛熙が微笑んで頭を撫でた。

「嬴政様だけの侍書だと、貴方様が申したのですよ」
「その割にはどこにでも行く」
「行きませんよ、望めばあなたのそばにいます、ずっとずっとずうっと」
「では口付けて教えてみよ」

少しの意地悪のつもりだった。
ハデスの事は認めているからこそ嫌だったのだ。
彼は洛熙を働きの良い家臣として望むのだろうがそれでもだった。
性別も種族も関係なく望まれるのが気に入らないのだが、洛熙は優しく始皇帝の頬に手を添えてみつめる。

「嬴政だけの洛熙ですよ」

小さな音を立てて恥ずかしそうに唇を重ねた洛熙を始皇帝は下から起き上がりゆっくり寝台へ押さえつけると「嬴政様!」と喚かれるが気にせずに彼は装束を脱いで、洛熙の唇を撫でる。

「そうだ、朕だけの最愛の侍書だな」

それはもうここが天界という場所だから伝えられる言葉だった。
始皇帝がそういうと、洛熙は言い返さずに素直に受け入れるのみであった。
そしてそれ以後、始皇帝はまたしばらく洛熙にベッタリとして、冥界図書館までついてくる彼に、ハデスは不思議に思いながらも人々───いや、皇帝の深い愛情をまたひとつ知るのであったとさ。


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