深い闇が包む冥界──そこには天界や地上界には存在せぬ危険な魔物や恐ろしい者たちが存在し。冥界を統べる王・ハデスが支配するその世界は恐ろしいほどの静けさが……邪魔するぞハデス!!」……存在するはずだった。

冥界の王ハデスは自身の執務室の扉が吹き飛ばされるのを見ては思わず顔を上げてみたところ、一人の人間の王がそこにいることに呆れたような顔をした。

「嬴政か……全く扉は普通に開けてくれと言いたいところだが、まぁここまで壁が壊された報告がなかっただけでも………ん?修繕について?……いや、まぁいい.か」

ハデスはかつて神々対人類の戦いとなったラグナロクを経て、今は互いを友人だと認めあった始まりの王・始皇帝をみては呆れたような顔をした。ドアが吹き飛ばされただけかと思ったものの、慌てて入ってきた兵から案内前に城の入口や冥界の一部地域にて壁を叩き壊してきたらしい始皇帝の報告が飛び交ってきたことにハデスは一度知らぬふりをして「それで何事だ?」と余裕を持った冥王としての態度で彼を見つめた。

始皇帝は珍しくソファにも腰掛けず、ハデスの執務机の傍に来ては向かいに立つやいなや机を強く叩いてハデスに威圧するような態度で声を荒らげて告げた。

「今すぐそなたの判を押せ!持っておるのだろう!?」
「なんの話しだ、全くわからないんだが、どれのことだ」
「しらばくれるな、持っておるのだろう"創造承認書"とやらだ」

ハデスはその言葉を聞くや否や思わず頭を抱えてしまいたくなった。
誰がこの男にそのような入れ知恵をしたのやらと思いつつ、ハデスは思わず手で顔を覆いながら「何故それを」と声をかける間にパタパタと奥から聞こえてきた足音に視線を向けると、そこには一人の官服を身にまとった女がやってきた。

それは始皇帝の唯一無二の侍書たる洛熙であり。
彼女は息を整えつつも走ってきた様子で息を切らしては入口に手を超えて肩で息をしつつもゆっくりと執務室へと入ってきてはハデスにいつものように始皇帝が迷惑をかけていることについて謝ってみせるが話の意図がまずわからない。とハデスは手に持っていたペンを置くと二人を見たが始皇帝は変わらぬ態度で机に腰掛けては堂々たる態度をみせる。

「聞いたぞ?そなた魂管理が主な主神であるとな。そしてそなたが許可さえすれば天界でも子を宿すことが出来るとな!」
「はぁ……どこでそんな話を聞いてきたんだか」
「誤魔化すでないぞ、朕は本気だ、そこにいる我が侍書洛熙と朕との間の子を許可せよ、いいや、許可も何も不要だ必要なものを全て出すがいい」

豪快に笑って告げる始皇帝にハデスは呆れながらチラリと視線を背後にいる洛熙へと向けると彼女は心底困り果てたような顔をして「これには事情がございまして……」と呟くことにハデスは面倒なことが起きたのだと思ったのだった。

◇◆◇

それはある日の夜のことだった。
地上の頃とは違い、互いの死後、その身も魂も結ばれた始皇帝・嬴政と侍書・洛熙は幸せな日々を過ごし、熱く甘い夜を共にした。

「そういえば先日図書館に扶蘇様がいらっしゃいました」
「なに?あやつがか、何か下らぬことを言われてなかろうな」
「もちろんです、お元気そうでございましたよ」

横たわる始皇帝の腕に抱きとめられていた洛熙は日頃司書見習いという名の手伝いとして務めている天界図書館にて、始皇帝の息子となる皇太子・扶蘇と生前ぶりにあったことを嬉しそうに話をした。
生前に幾度か会ったことのある関係だが、扶蘇は大層知識人かつ始皇帝とは少し反対の大人しい皇太子であり。洛熙は嬉しそうに話をするのを始皇帝は穏やかな表情で見つめた。

「そういえば陛下は生前幾人もの麗しい皇太子様や姫様が居られましたが、こちらではお会いに?」
「いや、向こうが来ないのならば朕から求めるのは無粋なものだ、あやつらには皇帝の子という運命だけでも苦労をかけたからな」

そうして話をすることは滅多になかったものの、思い出すように遠い目をする始皇帝をみつめては洛熙は胸元のシーツを握った。思い悩んだような考えるような彼女の姿を見ては機嫌を取るように彼は髪を撫でながら「どうした洛熙」と優しく声をかける姿など、例えどれだけの女と過ごしてきたとしても与えることの無かった声であった。
大きな男の身体に抱きしめられる幸せを味わいつつも、洛熙は思い悩み考えてはそれがどうしようもないと思うが、一向に何も言わない彼女に何事かと小首を傾げては見つめる頃、洛熙は「陛下は子供がお好きですか?」と問うた。

生前、二人で宮殿を抜け出して都の子供たちに囲まれて過ごした時もある。始皇帝にとって子は国の宝であると心より思うものだった。我が子については皇帝の子という血の運命ゆえに普通の子のように抱きしめる事も笑う事も滅多に出来なかったものの、始皇帝は胸の内にはその子の母が誰であろうと平等に国の父として愛してやった。

「あぁ当然だ、何を思い悩んでいるのだ」
「悩む……というか、私はやはり羨ましいなと思ってしまうのです」

誤魔化すように始皇帝の広い胸に顔を寄せては聞こえる小さな鼓動。例えここがヴァルハラであり。人は魂のみな存在だとしてもそこにはちゃんと血の巡りも命の鼓動もあるのだと知る彼女は始皇帝の胸の温もりを味わいながら、本来は告げるべきではない胸の内を呟いた。

「侍書というお立場を得られたことは光栄です。でも……それでも私は陛下の女として、あなた様の子を宿してあなた様の子を抱いてみたいと、未だに夢を見てしまうのです」

浅ましいと分かっていても思ってしまう。
生前にはこうして肌を寄せることを互いに禁じた身であるため、決してそれは有り得ないことであるが洛熙は女として愛する男との子を宿せたらと考えてしまう。

「もしあなた様の子をあの時身篭れたのなら、私はあなた様を思いながら宮廷から離れ、遠く異国の地で愛する子を抱いていたのかと」

もし許されるのなら、あなたと共に子を愛でられたのかと、夢を見てしまっていたのです。
……と告げた洛熙の言葉と共に寝所の蝋燭の火が微かに揺れた。
始皇帝は思わずその身を離して洛熙をみつめると、彼女はその頬を薄紅色に染めながら照れくさそうに微笑んでもう一度彼女を抱き締めた。

「あぁ洛熙、朕の最愛なる女よ、そなたがそう想う気持ちがあるというだけで朕は何よりも幸福な男だ」
「ふふっ私の世迷いごとを受け止めてくださる陛下がお好きでございます」

そうして一晩深い夜を過ごした始皇帝は朝になると今日も今日とて自身の知識の探求の為にと出向いてしまうマイペースな侍書が居ないことを考えて、家臣たちを大広間に集めては玉座の上で告げた。

「朕と洛熙との子を今から成す為にどうすればよいか」

生前より忠臣であった彼ら一同は途端にざわついた。
そんなことが出来るわけもない、陛下のおかしなことがまた始まった、洛熙殿のことになればこの人は。とみながザワつくものの、始皇帝は生前より洛熙のいぬ間に暴走じみた真似をすることは密かにあったため、彼らはそれを上手く受け流すなり、何らかの形で解決させたりと繰り返していたのである。

妖術師か?人形師とか?呪術師などは?と彼らは口々に考えていたものの一人が「科学では」と告げた。
今や時代は二十一世紀、始皇帝たちのいた時代からは大きく進化をし、人々の医療や治療に関しても医学のみならず科学もあることは彼らも薄く理解していた。

「それで私のところに来たと?」
「好!物分りがいいな光の科学人よ」
「ハハッ、中華の皇帝たるあなたにその様な言葉を貰えるとは光栄な限りだ、是非テスラと」

そうして始皇帝自らが足を運んだのはラグナロク人類闘士代表の一人、現代の天才科学者ニコラ・テスラであった。
人類科学者が集う研究所のテスラの研究室には既に始皇帝には理解できぬカラクリの山ができており。圧巻されては疑問を聞くと彼は実に見事に答えてくれるものだが、如何せん話がそれてしまうことに始皇帝は戻した。

「なるほど、天界においてあなたとその侍書の間に子供が欲しいということか」
「そうだ、そなたに聞いてみるのは良いのではないかと言われてな」
「ふむ……ヴァルハラにおいて私たちの概念は魂、エーテル体のようなものといわれている、しかしかと言って食事や睡眠は必要だし、血も流れる……」

ブツブツと呟き始めるテスラに何かしらを思考してるのだと理解する始皇帝は椅子の上に腰掛けては待っている間に騒がしい音が聞こえ、それはちょうどテスラの研究室の大きく開いた穴から聞こえたものだった。

「嬴政あんたなにしてんのよ!!」
「ム……アルヴィトか、なにテスラから少し話をと思ってな」
「それはいいけど、ここの壁ぶち込ましまくったせいであたし呼び出されたのよ!全くここの修繕どうするの!」
「そんなものはそなたらの仕事であろう?ん?なんだテスラ、血がいるのか?あぁ勝手に取って構わん」

大きな声を上げて入室したのはラグナロクのパートナーたるワルキューレのアルヴィトであり。彼女は方向音痴かつ我が道を物理的に進む始皇帝が壊した壁を辿って来ては一体どういうことだと捲し立てるが、他の研究室にいた人間たちに連絡を受けて呼び出された彼女は既に怒り心頭の様子であった。

「というかなにしてるのよ、健康診断?」
「違う、子を作ろうと思ってこの者に頼みに来たのだ」
「やぁ皇帝陛下のワルキューレ、あぁパートナーの分も必要だから呼べるかい?」
「あぁ構わんぞ、おいアルヴィト、洛熙を呼んでくれ、この時間であれば図書館にいるだろう」
「誰が呼ぶかー!!全くなんなのよあんた達、そもそもヴァルハラで人が、ううん、神々でさえ子供を作るなんてねぇ……」

一同の騒ぎに駆けつけたアルヴィトの背後には既に迷惑を被った人類の天才たちが集まるものの、その問題の相手が始皇帝であるやいなや少しだけざわついて研究の付き合いに。というものだからアルヴィトは呆れ返っていたものの、少し遠くから走ってやってくる音が聞こえたかと思えば「陛下!?」と鈴の音のような声が聞こえ、息を乱した一人の官服を来た娘がテスラの研究室に来るなり始皇帝はニコリといつものように人の良い笑みを浮かべた。

「洛熙、よく来たな、今この者にそなたとの子を作るのを頼んでおってな」
「なっなにを言っておられるのですが、そんなこと天界規約にもヴァルハラ条例にも違反でございます」

全くどういうことなのかと洛熙が困り果てていたものの、始皇帝は椅子から立ち上がるやいなや洛熙の前へ行き、そして彼女の腰を優しく抱いてはその顎に手を添えて笑みを見せた。

「そなたと朕の子だ、欲する以外あるまい」
「へ……陛下……」

王たる彼の色気に洛熙はふわりと意識を持っていかれそうになるのをみたアルヴィトは「流されないの洛熙!」と喝を入れたことにより、洛熙は慌てて意識を戻しては始皇帝の胸を押しやり首を振った。

「なりませんし、いけません、法令を重んじるのが陛下であられるのにそのようなことは許されません!そもそも天界において許可なく子を持つことは違反です!」

それは侍書であり、始皇帝より数年早くヴァルハラにて生活をしては一人で生きていた洛熙だからこそ告げるものであり。始皇帝がどれだけ願おうともそれが難しいことや規律を違反してまでは彼の地位や存在が貶められてしまうものとなるため強い拒絶を示したが、少し離れてみていたテスラは目を丸くして呟いた「許可があればいいのか」と。
その言葉に洛熙は同じく目を丸くして、あまりみんな知らないのか?と小首を傾げてはその場でハッキリととあることを告げた。

それは天界においての子孫を残す行為は主神からの許可なく行ってはならないということ。
世界がまだ完成した頃、その頃は人も神も自由であったが、近年の人口増加に合わせて天界においては神も人も同様に承認を得なければ基本的には出来ない。またテスラのような天才などが普通とは異なる方法で子を作ろうとする行為は直ぐさま冥界行きになるほどである。
現在の天界においては創造許可を得るための書類を提出し、その上で判を得られれば天界においても子を持つことが可能であるのだ。

「人の祖たるアダム様やイヴ様などとは訳が違うのです。考えてみてください陛下、国民が増え続ければそれだけ管理をするのは大変じゃあないですか」

近年の中華でも一人っ子政策なんてものをしては大変なことが起きたが、天界においてはそうしたことも考慮した上での魂管理なのだと洛熙は胸を張って条例や法律の話を侍書として語ると、彼ら一同はなるほどと納得した顔をしていたが、一人だけすっかりと引きつった顔をする者がいた。
それはワルキューレのアルヴィトであり、彼女は全てを告げてしまった洛熙に対して「どうして言っちゃうのよ」と片手で顔を覆いつつ、天を仰ぎながら告げた。

洛熙は首を傾げてなにかダメなことでもあったのかと思ったのもつかの間、自分の肩に手を添えていた始皇帝をみつめると、彼はそれはとても嬉しそうな顔をして笑みを見せていた。

「つまりだ洛熙よ、この地においてそなたと朕の間に子を成すには許可がいるとな」
「はい、左様でございます」
「主神であれば誰でも良いのか」
「まぁそうですね、管理者が誰であるかだとかどこの神界なのかという明確なものが必要なだけですし、所謂明確な戸籍や責任者が必要だということかと」

なるほどと始皇帝はこくりと頷いてはそれはもう天界に響き渡る声を上げた。

「であれば向かうしかあるまいな、我が友のもとへ!!」

◇◆◇

「……というわけです」

洛熙は事の経緯を丁寧かつ簡潔に話終える頃には執務室の来客ソファに腰掛けて淹れて貰ったお茶を飲んでは申し訳なさそうか顔をしつつも、お茶が口に合うようで嬉しそうに小さな笑みを浮かべた。

「さぁ理由も話したのだ、さっさと出さぬか」

始皇帝は洛熙の隣でまるで自分の妻だといわんばかりに彼女の腰を片手で抱き寄せつつ、ハデスにそう告げるが、ハデスはといえば向かいの席に腰掛けては全くとため息を溢しては「無理だ」と言葉を重ねた。

「不好ッ何故だ、これ程までに求めてやまぬのだからよいだろう」
「そんな単純な話でもないし、そもそもお前は自分が誰かわかってるのか」
「うむ、朕─始まりの王─だ」

何を今更聞くのかと呆れたように返す始皇帝にハデスはティーカップにひと口つけてはそれだという。
そして洛熙をみつめては少しだけ言い辛そうな表情をして、二人の生前が王と侍書、それもただの王ではなく、中華始まりの皇帝となった存在であることをハデスは強く理解しており。それ故に彼を認めていた。

「魂にも形がある、パズルのピースのようなものであり。それが合致しない存在同士をつけては魂の形というものが保てなくなる」
「つまり朕と洛熙は適応されないということか?くだらんことだ、王たる者だあればその理すらねじ伏せるものであろう」

意地悪く拒絶してる訳では無いというハデスと関係ないという始皇帝の言葉に洛熙は悩ましい表情をしつつ、見守るものの納得の行かぬ始皇帝はいよいよとハデスに食ってかかるため、ハデスもその行為を受け取るなり小さな火花が散り始め、二人はいよいよと「では余から奪うがいい!」「よかろう、またその身を伏せてやろう!」と声を荒らげては互いに戦闘態勢に入るのを見た洛熙はおもわずお茶を吹き出してしまい。

いよいよと互いに熱を高めるのをみるなり彼女は始皇帝の腰に抱き着いては慌てて止めた。それでなくとも壁を破壊し尽くした彼が今ここでハデスと戦えばラグナロクの再来。
この城が木っ端微塵となるのも数秒のことであろうにと彼女はなっては「陛下いけません!!」とその声を大きく張り上げた。

「安心せよ洛熙、朕はそなたとの承認の証を必ずや奪ってやろう」
「だっ、ダメです陛下、いいえ嬴政様、そんなことをするのなら出ていきます!」
「なっ……!」

戦闘態勢に入っていた始皇帝は洛熙のその一言に石のように固まっては彼女を見た。何故なのかと思いつつも腰にしがみつく洛熙はハデスへのこれ以上の迷惑は掛けられないとした。
元よりハデスも始皇帝も二人集まれば大きな問題が起きたことは何度かあった。仲違いしている訳ではなく。感性が似ている故でもあるのだろうが周囲には一溜りもないものだった。

「何故だ、子を欲しいのだろう?今叶えてやろうとしておるというのに」
「それはありがたいことですけど……私は陛下がいて下さるだけで幸せでございます」

生前のあの夜、傷ついたあなたと出会い、あなたと過ごし、天界においても二千年以上の月日を重ねた末に再び巡り会えたこの時間以上の幸福はない。

そう告げる洛熙の必死に言葉を聞くなり始皇帝は動きを止めた。
困り果てている彼女をじっくりと眺めてはしばし考えた末に彼女がこれ以上自分たちの我儘でハデスを困らせることに申し訳なさを感じていることは彼も理解しており。静かに考えた末に彼女の頭を撫でた。

「本当に欲のない女だ」
「ありますとも、贏政様の隣にいたいという大きな願いを持っております」
「そなたには敵わぬな。よかろうハデス、今回の件は保留にしておく」
「……全く、人騒がせな主従め」

ハデスは呆れたように微笑んだ後、少し茶でも飲むか?と告げたが洛熙は図書館での業務を残したまま来た為、先に天界に戻ると告げて王たちのもとを先に去ってしまう。
残されたハデスと始皇帝は全くと働き者の侍書を見送りながらもう一度ゆっくりと王として、そして男としての話をするのだった。

天界の夜は心地よい夜風が流れていた。
ヴァルハラの一画にそびえ立つ始皇帝の宮殿内は今宵も静かに時を味わい。侍書洛熙は二人分の茶器を用意しては窓際に腰掛けて外を見つめる始皇帝の傍に寄ると淹れたてのお茶を渡した。
月は暗い夜を照らすように眩く輝き。それは二人が生前互いを思い眺めた夜を思い出すようで、始皇帝は目布を外した瞳の中に月の光を吸い込むようにみつめているのを洛熙は穏やかな表情で見守っていた。

「知っておったのだな、この世界において命を宿すことについて」

ふと、そう告げた始皇帝の言葉に洛熙は僅かに呆気を取られたが長い時間を過ごしたこと、また冥界にも足繁く通ったため、ハデスのような魂の管理を主とする者がどのようなものかについても理解していた。

「ハデスから聞いたぞ、朕たちには難しいのだと」
「はい、私のせいでございます」

決して陛下のせいではありません。と告げる前に洛熙は突如として強く抱きしめられたのを感じた。茶器を置く音よりも早くに強く抱きしめられた洛熙はいいえぬ胸の痛みと喜びと悲しみを味わった。

「そなたの身体が弱いことは朕も知っておる。だが女としてのそれを知らなかった」
「陛下にはお伝えしておりませんでしたから」

洛熙は生前よりその身が脆く、そして女としての身体もあの頃不完全とされ、村の老婆からは子を宿しにくいといわれていた。
だからこそ洛熙は生前触れることもされなかったこととは別に安心感に似た何かを持っていた。自分は陛下の子を宿せないと。二人でどれだけ他の子供をみては愛らしいと笑っていても、それを手にすることはできない。
洛熙はそれで良いとしていても、胸の内には始皇帝の血を継ぐもの達を見て密かな悲しみと切望をしてしまったときもあった。

「嬉しかったです。陛下が私との子をあのように望んでくださることを、私には身に余る光栄でございました」
「欲するの当たり前であろう。朕にとってそなた以外に欲しい女はおらん」
「女は……ですか、天下ならば欲しいと?」
「天下を取らねばそなたに会えぬからな」

意地悪く返事をした洛熙に一度身を離しては始皇帝はその瞳で彼女をじっくりと見つめた。
皇帝になってからの出会いであった故に、それが無ければ二人の運命は星のように繋がれることはなかっただろうと告げる始皇帝に洛熙は儚く微笑み、彼の手を取ると頬に手を添えさせて子猫がじゃれるように身を寄せた。

「貴方様がいれば私には何もいりません」
「書も……か?」
「そ、れは」

困った。と言いたげな顔をする彼女の素直さに呆れたように笑って「そこはハッキリと"書もほしい"と答えぬか」と寛大に受け止めては笑った。
洛熙は少しだけ迷ったあと、彼の胸に身を寄せて自ら強く抱き締めた。

「いいえ、贏政様がおられるのなら、書がなくとも構いません。私は侍書でございますゆえ、物語を語るのは書がなくても結構なのです」
「不好、あまり男を喜ばせる言葉をいうな、期待してしまうだろう」
「喜んでくださるのなら、私の思いをいくらでもお伝えいたしますよ」

ここでは二人きり、誰も止める人もいない、まるで時間が止まっているかのような世界なのだからと彼女はその胸に顔を寄せて告げると、始皇帝の指先が彼女の顎先に指を添えて上向かせた。

「そなたと悠久の刻を過ごせるのならば、このままでよい」

そう告げた彼に「あれほどハデス様にご迷惑をかけられたのに」と彼女が最後まで言い切る前に唇は優しく塞がれた。
ヴァルハラの心地よい風が二人を撫でる時、互いの熱を味わいながら、互いを強く想いあった。そこに何が残らなくても、たとえ互いが死んだ後の世界で今を生きているとしても、そこには互いが確かにいる。という事実だけがあるのだから。



「それでテスラの方法であれば」
「陛下、本気でタルタロスに送られてしまいますよ」
2026.9.11


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