冥界はいつも薄暗く朝も昼もなく、夜のような闇が存在するのみ。
冥界に住まう者は天界のような普通の人のような姿ではない者も多く禍々しい種族も多い。
不気味で危険な冥界にいくと、そのまま戻って来れなくなる、太陽の光も届かないその場所は永久の闇のみ……のはずだったが、ある日を境に小さな太陽が現れていた。

太陽とは暖かく眩しいものだが、その太陽はうるさくて眩しい者だった。
冥界の王・ハデスの居城にて、兵や従者達が城の中で職務をこなす中、聞きなれないヒールの音と明るい声を聞いた。それは冥王の友人・ルナリアの声であり、彼女は会う人全員に愛想良く笑いかけては一言告げて足を進めて、ようやく辿り着いた執務室のドアを強く開けるとそこにはモノクルを掛けたハデスがいた。

「え?老眼?」
「違う、久しぶりに来たと思えば何の用だ?」
「聞いてよ聞いて!ガチでやばいの!てかお茶いる?」
「そなたが用意するわけではないだろ」

えへへと笑う彼女は今日も丁寧に長い髪の毛を巻いて、派手なメイクと長いネイルをしつつも、適当な椅子に腰掛けては落ち着かない様子で目の前で肘を立ててニヤニヤとハデスをみつめた。
彼女との出会いはもう二ヶ月以上も前になる。
あの日ポセイドンに一目惚れをしたからと連絡先を求めに来た彼女になんだかんだと紹介してやり、あれからポセイドンの城の前に毎日通っているという話は聞いていた。
冥界へはベルゼブブのお陰で気軽に来る彼女だが簡単に来るような場所ではないと言いつつも、ハデスは友人として彼女を気に入っているため特に問題視しなかった。

本当に問題であれば彼の弟・ゼウスも当然のごとく止めることとなるが、誰も彼女を止めない、それどころか彼女が誰かと知り合ってしまえばその相手は時間がかかっても彼女のことをそれなりに好んでしまう。
愛嬌があり、相手をよく見て、そして何よりもよく笑う、そして釣られて相手も穏やかな気持ちになってしまうような女神だった。

「それでねそれでね!!最近ついにポセイドンと話できるようになったんだよ!!」
「ほぉ……」

ポセイドンと話ができるようになった。
それは少し誇張した言い方にも思えるが、彼女は初対面でポセイドンと最悪の日を過ごしたあと、ハデスの手助けにより再度ポセイドンに会いに行ったが案の定出入り禁止を命じられ。
その後、毎日城の前で過ごしているというのは本人の口から聞いていた。しばらく来ていなかったのはそのせいかとハデスは少しだけ口元を緩めて嬉しそうな乙女の話を聞いてやった。

「仕事の合間とか午後休の時とかにいってんだけど、毎日お茶したりご飯食べたりしてんだけど、案外ポセイドンって甘いものも食べるんだよね。あたしが作った時食べなかったくせに〜って文句言ってやったら、なんかメイドちゃんたちにあげてたクッキー目の前で食べられてさぁ、あたしまじ顔から火が出そうなくらい嬉しくって」
「ああポセイドンは案外甘いものは嫌いではないな」
「美味しい?って聞いたらなんもいわないんだけど全部食べてくれるし、プロぴー……ってプロテウスね?が『お口にあったようでございます』っていうからまじ嬉しくって」

当然だろうなとハデスは騒がしい彼女に対して静かに話を聞くのだが、身振り手振りで必死に話をする彼女の姿を見るのはハデスだけではなく、傍に控えた従者たちもだった。

「まぁでもポセイドンってめっちゃクールじゃん?おまけにめっちゃ真面目な読書家だし。だから暇だなぁって思ってお城見てたら、ハデスもそうだけどお城がめっちゃ寂しい感じだったから、あたしが『アクアリウムとか欲しくない?』っていったら、アクアリウム設置してくれててさぁ、ついでにお庭とか手入れしてみたいかもっていったらペルギーが『お好きに』とかいわれて」
「……あの城もそなたの色に染められた、というわけか」
「そんなことないよ、でもウチのご贔屓にしてる園芸屋さんに頼んで花とか持ってきてもらってね、庭園のとこめっちゃかわいくなってポセイドンに見せてあげたら、そこでよく本読んでくれてるっぽくって、まじ嬉しすぎってかさ」

奥でメイドが小さく笑ったのが聞こえた。
ハデスは何処でも彼女は自分が思うように行動をするのだと改めて感じた。
ゼウスのイタズラで帰れなくなった彼女が冥界に一週間ほど滞在した時も、毎日暇を持て余した結果、庭園の手伝いをといって自分の好きなように初めて、城の中にも花を置くようになったり、城が暗いからもう少し明るさのあるライトに変えようと提案したり。

兎に角、相手のテリトリーにも関わらず彼女は自分なりのコーディネートをするが、文句のつけようがないほどにセンスだけは良かった。
呆れつつもハデスがその事を伝えると「クラブのデザインもしてっからね」と真剣に城の中を見て回る彼女は既に仕事の顔をしており。軽い雰囲気とは正反対に彼女は存外生真面目な女神なのかもしれないと思った。

その甲斐もあってか冥界の王・ハデスの城は以前よりも活気ある城となり、先日珍しくゼウスがお茶を飲みに来たと思えば「なんじゃえらくオシャレになったのぉ」というため、彼女がしたといえばゼウスは自分の王宮も頼むかな……と言っていたが、世辞ではなく本気であるのは分かっていた。

「では今はポセイドンと過ごしているのか」
「過ごしてるってかよく遊びに行ってる、前一回あっちの城で倒れちゃったことあるせいか心配させちゃったみたいで、あたしのお部屋も作ってくれたんだよね。使わないし余ってるから〜って、あたし自分の家はピンク系なんだけど、ポセイドンの方は自分でレイアウトしていいって言われたし折角だからお城に合わせて白と青系にしたんだよね」
「……部屋を、作ってくれた?」
「え?うん、あたしパソコンで仕事もかもしてっからうるさかったんだと思う。部屋あるからそっちで仕事しろって言われてさぁ、いるもんも全部用意してやるって言われたけどベッドとかまじお客さん用の豪華なやつで、いやあたし煎餅布団でいいしって言ったんだけど」

ハデスは思った。
あの弟─ポセイドン─は確実にこの女神を気に入っている。
それも普通の気に入り方ではないということに。
しかしあの弟の性格もまた難儀なものであると理解している彼は、彼女がどれだけ激しく求めてもポセイドンは何も言わないのだろうと察した。
実際に彼女の口ぶりからしても「ポセイドンってそんなとこあるよね」とだけで流しているが、ハデスは違う……と思ったものの、そこは二人の考えもあるため余計なことは口に出すべきでは無いと理解した。

そもそも神として完璧な思考を持つポセイドンは群れるものは神ではなく弱者という認識がある。
神の中の神と呼ばれるポセイドンをハデスもまた尊敬の念を兄弟として抱いていた。
そんな彼がこの目の前のうるさい女神を受け入れたのはどんな心理だったのだろうかと思いながらも「ポセイドンがね」と純粋な好意で話をする彼女を見ていれば、ハデスも少なからず悪くないと思う。

人からの好意というものは確かに難しい。
それが暴力的であったり、嫌悪感を感じさせるものもある。
彼女の愛情は押し付けがましく相手のテリトリーに土足で踏み込むところはある。しかしそれでも彼女は踏み込んでは行けないラインというのも理解しており、その線引きがうまい。好きだとしても相手の意志を尊重できる。もし本当にポセイドンが彼女に刃でも向けて拒絶すれば彼女はそれを受け止めるだろう。

「マジで好きなんだけど、どうしたら振り向いてくれんのかなぁ」
「そなたの努力次第だろうな」
「だよねぇ……うん!でも多分ちょっとは過ごせてるし、あたし今の関係でもめっちゃ幸せ!てか聞いて聞いて!!」
「あぁいくらでも聞いてやろう」

ハデスは頬を緩めて聞いてやる。
弟を愛してくれる彼女は素直に悪くない相手だと思えるから。
友人でありながらも弟に恋をする彼女、その無垢で真っ直ぐとした愛情は冥界にも、きっとあの海に位置する城においても、眩いものだから。

◇◆◇

ポセイドンの居城、その城はとても広く静かで来るものはその空気の冷たさと海のような心地に息苦しさを感じられるだろう。
そしてそんな彼に仕える従者や兵もまた主同様の雰囲気をまとっていたが、近頃は城の雰囲気も随分と変わっていた。

春のような心地よい風が流れる時、メイド達は廊下から中庭を見ると、中央の白い東屋の下には海の神・ポセイドンが静かに本を読んでいた。
その傍に佇むのは他のメイドたちであるが、誰も一言も発することなくその場所で心地よい午後を楽しんでいるようだった。

「本当に素敵な中庭よね」
「ええ、ルナリア様が先日手入れされてからポセイドン様もずっとあちらで過ごしてらっしゃるわ」
「お気に召したようでよかったわ、ルナリア様が手入れすると言われた時は正直恐ろしかったもの」

メイド達は小さく話をしつつ頭の中にルナリア様……と呼んだ女神を思い浮かべる。
彼女はポセイドンに比べるとマイナーもマイナー、下級の女神でその名はポセイドンの足元に及ぶこともないような一般神(いっぱんじん)である。見た目も仲間もポセイドンとは正反対。
メイドたちも彼女のことは派手で品のない女神だと見た目と軽い態度から考えてしまっていたものの、健気で真っ直ぐでピュアな心を持つ彼女は次第に城の者たちの心を掴んだ。

「ポセイドンのお家ってまじ綺麗だけど、なんか中庭閑散としてない??庭師さんの手入れあるっぽいけど、なんかなぁ……華がないよね?花だけに」
「……」
「あたしお店の関係でいい園芸屋さん知ってるし、あたしあそこでお茶したりしたいからお花植えたりしていい?このお城の感じだと、コスモスとか似合いそうじゃん?白とブルーでポセイドンカラーにしてさぁ、絶対いいよね、てかあたしのお店もその系統だから結構マジで上手いと思うの」
「……」
「入口のとことかももう少し彩り欲しいよね……廊下のとことかは…」

顎に手を添えて楽しそうに考える彼女にポセイドンは何も言わなかったものの、拒否することもなく、彼女がしたいようにさせていいと命じていたポセイドンを理解していたプロテウスはその旨を伝えるなり、彼女は太陽が登ったように明るく笑って、翌日には業者を入れたものの、請求関係を全て自分持ちにさせた彼女とプロテウス(一悶着あったのは別の話。

「結局ルナリア様の自腹って」
「いくらしたんでしょうか、というかポセイドン様のお城なのに」
「自分がしたくてしたからダメの一点張りだそうよ」
「そういうところよねぇ」

メイド達は窓の外を眺めてはキラキラと輝いても見える庭にうっとりとしてしまう。その費用が簡単に考えても安くは無いのに自分のためだからと言って通した彼女の心の強さは愛の強さであるのだろう。
そしてその愛の中心に座る王の姿。
それはまさにラブロマンスであると乙女なメイドたちはキャッキャッと楽しそうに盛り上がっていたところ「騒がしいぞ」という恐ろしい声が聞こえ、振り向くとそこには従者全員の長となるプロテウスの眉間に皺を寄せていた。
ポセイドン様に仕えるメイド達が仕事もせずに私語ばかりをしてなんたることかと怒鳴りつけると彼女たちは謝罪をして、颯爽と持ち場へと戻り、プロテウスはため息をつきながら外を見ると、美しい花々に囲まれた王が真っ白な東屋の下で静かに本を読んでいた。

「プロぴー!!」
「ッ……ルナリア様」
「やっほー今来たんだけどポセイドンどこにいんの?」
「いつものように中庭におられます」
「オッケー、あっこれペルギー用のお土産、冥界行ったから冥界ガトーショコラね、最近あっちで美味しいってバズってたから買ってきたの、多分ペルギー好きそうな味だったから食べれると思うよ」
「いつもありがとうございます」
「ううん、あたしこそありがと、それじゃあね」

廊下に響く声で呼ばれたかと思うと今日もまた丁寧に髪を巻いて、短いショートパンツに肩が大きく開いたトップスを着た派手な身なりの彼女が長い爪をさせながら、転けないのかと心配になりそうなほど分厚い厚底でやって来てはプロテウス用の小さな差し入れを手渡した。
そしてまだ片手には小さな紙袋があり、それはまたプロテウスにあげたものと異なる紙袋のようで、彼女は挨拶を終えると早々に中庭に向けて歩いていき、プロテウスは紙袋の中身を見ては頬を緩めた、本当に敵わない女神(ひと)だと思いながら。

「なぁに読んでるの?」

コツコツと石畳を踏んだ足音が近付いては穏やかな午後の中庭にその声を響かせた。
現れた彼女は椅子を自分で動かしてポセイドンの隣にピッタリとくっついては彼の顔を覗き込むが、彼は来ているのかどうかも確認する様子もなく彼女に視線も言葉も向けずに本のページを捲った。

いつもの調子だと彼女が「じゃじゃーん、冥界で買ってきたガトーショコラのプレミアム版」といいながら箱を取り出してポセイドンの前に見せつけるが特に気にした様子はない。
仕方なしに近くのメイドに見せつけると「お出し致します」といって受け取られ、紅茶を入れるのと一緒に切り分けられたガトーショコラが二つ分、二人の前に置かれるとポセイドンは本を読み続け、彼女が一口フォークで切り取るとポセイドンに向けて差し出したら、

「はい、あーん」

まるで仲睦まじい恋人のような所作であるが、その実彼女の耳たぶが微かに赤く染っていることをメイドたちは知っている。どれだけ取り繕っていても好きな人に対して彼女はずっと恋をして照れくさくなってしまうのだが勇気を出していることがあまりにも愛らしい。

「って食べないならあたし食べるよ……ん、美味しい、ポセイドンも早く食べてよ、絶対好きな感じだと思うんだよ」

冥界のどこで売っていて、どこで買ったのか、ハデスにも教えておいたし……などとうるさく一人で話す彼女に対してポセイドンは本を閉じると静かに食べ始める。

「美味しい?」
「……」
「ふふっよかった、これめっちゃ美味しいって聞いてたから絶対買いたかったんだよね、朝で売り切れるから今日四時に起きて冥界いってオープンと同時に買ってきたんだよ」
「……」
「朝起きるのちょっと苦手だけどポセイドン喜んでくれるかもって思うとあたし全然平気だよ、てかポセイドンのこと思ったら辛いとか苦しいとかマジ無いし、反対にもっと頑張るぞー!ってなるんだよね、ってさすがに単純かな?」

楽しそうに話をする彼女に何も返事をしないポセイドン。
しかし彼が食べ終える頃、少しずつ食べ進める彼女が静かになるとポセイドンは口を開いた。

「悪くない味だ」

いつだってたったの一言。
それだけなのに彼女はまるで全部の言葉を返してもらったように嬉しそうに顔を赤く染めて満面の笑みを浮かべる。
優しい風が流れて庭園の花が踊るように揺れる。
それは二人の心のように穏やかに優しく。

- 10 -

mae top tugi
index