下級神とはその名は地上では知る者も少ないがそれでも神として称えられた者であり、それは天界に住まう他の種族よりも上の立場とされている。
そのため、どのような神であれどもそれなりの地位を持っているが主神達のようにそれぞれの管理する場所などはなく、自由が許されていた。
しかしながらあの女ほど風変わりもいないと思うのはポセイドンだけではないだろう。
執務室の椅子に腰掛け政務に励むポセイドンはその手の中にある一枚の招待チケットを見つめた。ロイヤルブルーのその招待チケットには【クラブ・アトランティス・VIPパス】と金箔で押された文字が記載されていた。
「明日ウチの店のビッグイベントでね、ゼウスが主催してくれるんだけどメンバーもガチってるし、結構あたしらも本気(マジ)で頑張ってるから、もしポセイドンが来てくれるなら、あたし凄く嬉しいからチケットだけ置いとくね。あっ!でも無理しなくていいから!めっちゃうるさいし目もチカチカするし、多分ガチ疲れすると思う」
「……」
「あたしも久々に舞台上がるし、ウチの店姉妹店も含めて全員でやるし、絶対面白くはあるから。まぁ取り敢えずそういうことだから明日はちょっと来んの厳しいから不安になんないでね」
「誰が貴様のような雑魚を心配するか」
「また雑魚っていう、そういうのよくないよ?あたしもポセぴとか呼ぶよ?どうせ嫌なんでしょ!ルナリアって名前あるんだからいい加減呼んで欲しいな〜って、ムリムリ呼ばれたら絶対テンションアゲになってオーバーヒートだわ」
取り敢えずそういうことだから、と昨日忙しそうにやって来て去った彼女はここ数ヶ月は忙しそうだったとポセイドンも感じていた。
城の中は相変わらず彼女がいなければ静寂を極めており、足音一つもせずに城の傍の波の音だけが小さく聞こえるのが子守唄のようで心地よいはずだというのに、どうにも静かに感じすぎてしまう。
「海の処女神……あぁルナリア様のことですか、彼女のことについて?」
それは以前ちょうど顔を合わせたゼウスの息子・ヘルメスにポセイドンがどのような者であるのか問いかけた際だった。
あからさまに何かを言いたげなヘルメスにポセイドンは一切の感情を出さずに答えだけを求めると、海王の怒りを買う訳にも行かずヘルメスは彼女が小さな海の名も無き神であったことを説明するが、基礎情報は知っていると従者プロテウスからの情報で得ているポセイドンは「お前のことだ知ってるはずだろう」と静かに告げると、ヘルメスはその薄笑いを彼に向けた。
「神々というよりも、天界の街や市民からはちょっとした有名人のようでございます」
曰くあの女神は人間世界を好み、人間のようなことを楽しむような女神だった。その為、天界に住まう人類や俗物に塗れることを好み夜の世界で仕事をしていたという。
「人類側の雑誌のモデルをしていたようですね、今は辞められているようですが人気だったようです」
「夜の世界とは、つまりあの女神は……」
「あぁいえ、そういうふしだらな人ではないですね。すごく純情であることは周囲の情報から確実です。なんせ処女神─乙女─ですから」
ポセイドンは女という存在がいかに男を惑わせる美しくも危険なものであるかを知っている。特に女神といえど様々な種類の女神がおり、色や欲の力を持つ者もいるが、彼女もそれを宿すのかと思ったがヘルメスはポセイドンの思考を察したように直ぐに首を振った。
「彼女が務めております、クラブ・アトランティスの前オーナーは現在処罰を受け、天界刑務所で過ごしておられますが、その者が経営指揮を取っていた際はどうやら一悶着あったようで、少しいい店ではなかったようでございます」
欲望の塊のようなその場所で虐げられるスタッフたち、特に女性に対する扱いについては人権団体も出てくるほどで、天界における風紀の乱れも含めて指導されたほどだというが、彼女はそこでバーテン兼ダンサーとしても働いていたのだという。
「もっぱらご趣味だったそうです。いかんせん好奇心がお強い方ですから、気になることはなんでもしたがるようで、ダンサーとしての腕も立ち気に入られていたようでございます」
「夜の蝶としてか」
「……どうでしょうか、蝶は捕まえにくいものですから」
その後紆余曲折の末に今の彼女だといわれたポセイドンはあれが蝶であるのかと考えつつ、派手な姿をした蝶は視界にいつも触れてきて目障りになるのだからあながち間違いでもないのかもしれないと思う。
城の外はもう夜になろうとしており、ポセイドンは静かに立ち上がりそばに居たプロテウスに出かける旨を伝えては彼は礼服をまとうと城を出た。いつ頃に帰るのかは分からないと告げて。
◇◆◇
その日、クラブ・アトランティスはまさに戦争前のような緊張感を抱いていた。
他の店舗は全て本日休業、酒も念の為に持ち運べる分も全て持ち込み、彼女は朝早くから在庫や来店客のチェック、曲やプログラムの確認に各スタッフの持ち場についてもしっかりと確認した。
「よぉ忙しそうだねぇ」
「ヘムりん!!来てくれたァ〜〜!!マジガチ大感謝ありがとう!!」
「ゼウス様からのご連絡だし、ルナリアからの頼みだから仕方ねぇよ、で?今日のパーティは真剣半端(ガチパネ)ぇって?」
スタッフルームから店の中に入ってきたのはフードを被った一人の神、週末の番人と呼ばれるヘイムダルだった。
彼はその独特の声とMCの腕からルナリアが以前から仲良くしている一人であり、今日に限っては客が多く捌ききれないため彼のような上位神の手伝いも必要であった。なによりも店側からの出し物のMCをしてもらう際には彼以上に相応しい神はいない。
「それにしても久々にガッツリオーナーしてるな」
「そう!ドレス新調しちゃったよね!超可愛くない?今日はゼウス主催だけどスポンサーなだけだから実質あたしが好きにしていいっていわれてるし、テーマはズバリ"海"!なのでヘムりんにもちゃ〜〜んと制服用意してるからね!」
「やる気完璧(バッチリ)だなぁオイ、なんか店もいつもより広いし……舞台も……最高じゃねぇの!!MC(オレ)もやる気が滾るってことよ!」
オーナーをしている…と言われたルナリアも今日ばかりはいつものような軽い格好ではおられず、目に見えてわかる"この店のトップ"としてふさわしい格好をしていた。
ホワイトのタイトなアメリカンスリーブのロングドレスは首元をぐるりと一周固定するようなスワロフスキーがついて、背中は腰の下ほど大きく開き、首元からのスワロフスキーがさらに細い一本のラインとなって暗い店内の中ではあまりにも妖艶に彼女を魅せる。
左足の深いスリットからは美しい彼女の艶の細かい素肌を晒して、昨日アフロディテのサロンに無理やり駆け込んで施術してもらった効果が既に発揮されて眩く、その御御足を長く見せるように履かれた十八センチのハイヒールはラメとビジューで輝いていた。
「オーナーはポセイドン様が来るかもってめっちゃ頑張ってるんすよね」
「あっ!ちょっとも〜!言わないでよっ!!絶対来ないと思うのに期待してるの恥ずいじゃん!」
「ン?ポセイドン様来るって聞いたけど」
「え」
え……と言ったのは目の前の彼女だけではない。
店にいたスタッフ全員である。
何せポセイドンはこの天界の中で名前を知らぬものはいない神の中の神と呼ばれるほど恐ろしい存在。そもそも最高神・ゼウスがこの店に来る時点でスタッフ達は困惑した。以前にシヴァ率いる印度神の団体についてもだ。
チラリとみんなが視線を向けるのは現オーナーである彼女だが、本人は「えーやばっ、マジで?あっあたしどうしよ〜上手く踊れるかな、まじやばいかも〜」と両手を頬に添えてやばいやばいと騒ぎながら、何気に自分よりも上級神である北欧の光の神ヘイムダルをベシベシ叩いている。
正直なところ恐ろしいのはこの女だ。
ここにいるスタッフの殆どはここ千年ほど彼女に助けられてついてきたスタッフだが、この女神の豪運については神の加護でも授けられたかのようであった。
お陰様で先日来店した印度神ご一行についても気にいられた彼女はシヴァ・ヴィシュヌ・ブラフマーの三神はもちろん、パールヴァティーやガネーシャなどからも店へと贈り物を捧げられ、特にガネーシャからの捧げ物は店を繁盛させる役割をしっかりと果たしているようだった。
スタッフの中では密かに彼女を"幸運の女神"と呼んでもいるのだが、本人はもっぱら乙女のための海の処女神だけを自称しており、実際はそれだけじゃないだろうとみんなが思いつつも、それだけに留めておいた。
「まぁ兎に角、今日はクラブ・アトランティスの月イチガチヤバイベントデーinゼウスって感じだけど、みんな全然いつも通り行こ!なんかあってもあたしいるし、ちょっとなんかあったらすぐ呼んで。神とか人とか猫とか犬とか全部知らんし、ここじゃあたしらがルールってわけ!!あたしらが最強!!みんなあたしの最強の仲間!!今日も負けじと行くよ〜〜」
長い爪でインカムチェックを行いつつも演説する彼女に、うおおお!!とスタッフが一丸となって返事をするのをみるヘイムダルは静かにこの女神はやはり下級女神で収まっていない気もしなくは無いが、神の能力とカリスマはまた別かと考えつつ自身の仕事の用意に取り掛かった。
◇◆◇
オープン十八時前、クラブ・アトランティスには既に長蛇の列ができており、ポセイドンは一人その列を眺めるなり、彼に気づいた者たちはすぐに頭を下げるが彼はその長蛇の列に並ぶのかと少しうんざりしつつ足を進めようとした頃、背後から名前を呼ばれ、振り返るとそこには冥界の王・ハデスと蝿の王・ベルゼブブがいた。
二人ともポセイドンのように普段とは少し異なる装いであり、ポセイドンは彼らに足を進めるとVIPの招待を貰った者は並ばなくてもいいのだと説明を受け、入口付近に行くと既にゼウス・アレス・ヘルメスなど見覚えのある身内がいた。
「主催でもまだ入らないのか」
「まぁワシの名前が入っててもスポンサーってだけだからのぉ、月イチイベントの名目じゃ、それにこの店はワシらでも介入できん独自のルールを持っておる」
「ルール?」
「はい、クラブ・アトランティスは種族階級を問わずに全てが平等な"お客様"というルールです、まぁナイトクラブとしては当然ですね」
店の前にいたゼウスが入店していないことについて問いかけるが、それがルールだと納得して静かに待つ彼らもまた珍しいがそう思われる理由がこの店にはあるのだろう。
実際に長蛇の列を成しているが、全てが神々というわけではなく、人類側も多く存在していた。
ちょうど眺めている頃、入口の警備員やスタッフがインカムで「オープン了解です、VIPから入場始めます」と話しているのが聞こえ、かたちだけのボディチェックを行うもスタッフたちは決してどんな相手であろうと緊張した面構えはあるが、しっかりと対応していた。
「ほぉ……これはいいな」
「海をテーマにしてるみたいだ、落ち着きますね」
既に店内には騒がしいクラブミュージックが流れており、二階のVIP席に彼らは順次案内される。
店内は天井も高く広く、海をテーマにしたようにナイトクラブとしてダンスを求める場でありつつも、雰囲気を求めるように青を基調とした店内は柱などは上質なホワイトカラーに地面は海の砂のようでありつつも、暗い中も雰囲気を出すように一部床のパーツが蓄光で緑色に照らされており、柱の一部は水槽になったものもあり、魚たちが心地よさそうに泳いでいる。
椅子やテーブルはまるで海を思わせるような貝殻や岩の形をしており、このイベントの為だけに用意をしているにしては盛大だと感じられる。
次々と入店が始まるとすぐに広い店内は埋まり始めるが、奥までとても広いようで、どこまで入るのか不思議にもなるが、今日は全てゼウスによるサービスデーでもあるため、普段よりもさらに客が多く、カウンターは既に酒の注文で潰れてしまいそうだと感じるが、ポセイドンはただ静かに回るミラーボールをみていた時、ちょうど一人の女が前を通り抜けた。
「ゼウス〜!!本当に今日はありがとう、お陰様で大盛況だよ!てか今日のゼウスもクールだね、お酒もじゃんじゃん飲んでいっぱい踊ってね〜!」
「おぉルナリア、お主こそ素晴らしい店じゃのぉ、ワシが思っていた以上で楽しめそうじゃわい」
「短期間で改装して広めにしたんだよ、楽しむっていっても喧嘩NGだからね、一応ベルぴに頼んで今日は鬼やばメンバーだから強制退去装置もあるからね、アレぴもヘルぴも来てくれてまじサンキュね!」
ポセイドンは目の前を通り過ぎた女が彼女だと気付くのに僅かな時間を要した。遠くすぎた際の彼女はまるで夜の中を泳ぐ者のようだったからだ。
隣のテーブルの主催でありスポンサーのゼウスに挨拶をして仲良さそうに手を握りながら話をする彼女はいつもと変わらない。しかしその姿はあまりにも普段とは違うものだと思いつつアレスが「なんだお前そういう格好をすると本物の女神のようだな」と豪快に笑っていうと「当たり前じゃーん!見惚れないでよね」と嬉しそうに返事を返し挨拶を終えると、次にポセイドンとハデスとベルゼブブの座る席にやってきた彼女はグラスと氷、そしてボトルを置いた。
「来てくれたんだね、三人ともってめっちゃ嬉しい〜!」
「ああ招待されたのだから当然だ、ベルゼブブも無理やり連れてきたぞ」
「ベルぴは色々手伝ってくれたもんね〜?ほんっっと感謝!!システム系って詳しい人雇うにしても、信頼できる人がよかったからベルぴなら超絶ウルトラギャラクティックスーパーメガトン安心って感じ!!」
「あれくらい簡単だから気にしなくていいのに……という最後の方色々おかしい」
「ハデスもお酒とか倉庫とかも色々手配ありがとう!!特に内装に関しては冥界のメーカーのやつで気になってたところあったから、これを機に繋がるチャンスだったしありがとうさぎって感じ」
「ありがとうさ……まぁいい、そなたの為だからな」
飛び跳ねるようにやってきた彼女はすぐに二人にそれぞれに言葉を伝えたあと、照れくさそうにポセイドンをみた、いつものように騒がしく何かを言うのだろうかと全員の視線が二人に向くがポセイドンはいつもと変わらない無表情であり。
彼女は視線を合わせるように腰を落としていたが「本当ポセイドンが来てくれて嬉しい、じゃあそろそろ仕事行ってくるね」と小さく告げて行ってしまう。仕事とプライベートを分けたいという気持ちがあったのだろうか。
彼女はポセイドンから言葉があるとは思わずに笑って立ち上がると、彼は店の音楽に消えそうな声でいつものような声量で話した。
「高いヒールだ、間抜けな格好を見せるな」
「〜〜っっうん!!」
どうしても恋をしている女の顔も隠せないままで彼女はその席を外れるが新しくやってきたVIP席利用の印度神達に捕まっては楽しそうに声を上げたり、開放されたかと思えば次にオーディンやトールにロキなどの北欧神達にも捕まっては楽しそうに話をする姿をみてはポセイドンは静かに注がれたワインを三人で飲み始める。
耳が痛くなりそうな喧騒の中でも聞こえる一階の彼女の声にポセイドンは無意識で追いかける。一人だけ真っ白なドレスに真剣な顔をしたかと思えば人懐っこい笑顔を浮かべ、かとおもえば疲れたようにもする。
「踊らずとも彼女を見ているだけで楽しめそうだな」
「あんな間抜け面を」
そう思っていた頃、一人の男が彼女に近づくなり彼女が「釈迦くーん!」と犬が飼い主に懐くように抱きしめるため、ポセイドンは静かに心の波が揺らぐが、直ぐに別れて慣れたように釈迦は二階に上がると「あ〜最悪の席だ」と零しつつダンスフロアとなる一階へもどっていった。
時間は過ぎていくとゼウスやほかの神も下に降りるが、三人は踊ることなくそこに腰掛けていた。一人ずつに与えられた貝殻のような形をした椅子に深く腰掛けて背もたれに身体をやると、店内の騒音が遠のいた。
貝殻の椅子は覆いかぶさったドームのような形になっているため、騒がしさを嫌う者にはちょうどよく、その上二人くらいは余裕を持って座れることもあり内緒話には最適だったのかもしれない。
深く腰掛けるポセイドンは一階で忙しそうにする彼女は唯一薄暗いストロボの激しい店の中でハッキリと彼のその目に映されていた。
オープンから二時間、既にクラブ・アトランティスの会場内のボルテージは上がっているものの、元より静かな三人はその席でただ静かに人の波を眺めるようであった。
「もうそろそろだな」
そう呟いたハデスの声と同時に店内が突然音を止めて、真っ暗な世界へと暗転する。
それはまるで海底に突き落とされたかのようであり、不安や好奇心の声が小さく広い店内に囁かれるが、店内中央ダンスフロアの広い円形のステージ。そこに一筋のライトが照らされると同時に小柄な人物が一人。
フードを被った怪しい男を見た事はあるだろうか。
レディス&ジェントルメン──
静かにつぶやくその声に神に対して期待したように小さく客が笑った。
低く響いた声の主はフードを払うなりその正体を表して脱ぎ捨てると、普段と一風変わった青と黒を基調としたコスチュームを身にまとっていた。
「今宵はクラブ・アトランティスの月イチビッグイベント!神も人も関係ねぇ、踊る準備はいいかぁ!!いいよなぁ!?道を開けろぉ!!クラブ・アトランティスの本物のダンスを特とみよ!!」
広い店内の真ん中に開かれた道に現れたアトランティスのダンサーたち、それは先程カクテルを作っていたバーテンダーや、給仕していたウェイトレスなども混じっている。そうだ、アトランティスは海の底の楽園と呼ばれた場所であり。海に住まうその人々は幸せに生きて海の中で踊っていたのだ。
華やかに舞う青い海のようなスカートの生地と燕尾服は跳ねると裏地に異なる鮮やかな色を見せて魚たちがそこで泳いでいた。
一階から見ても十分だろうが、二階から見るように出来た衣装についてポセイドンは彼女がお茶をしていた際に「どうしよっかなぁ」と悩んでいたのを見ていたのを思い出す。
ダンスホールというのはただ身体を動かすことはもちろんだが、パフォーマーのスタッフたちは魅せるダンスを踊る。
曲調は様々だったナイトクラブらしくない曲もあれば、地上界で流行っているようなポップな曲もあり、踊ることがそんなにも楽しいのかと不思議になってしまう頃、静かにヘイムダルがまたマイクを取る。
「その者は恋する乙女──愛する人の為ならば身を投げうる乙女──今宵最後のパフォーマンスは海の処女神、当クラブが誇るオーナー・ルナリアによるポールダンスでございます」
いつの間にか全員が立ち上がり、二階の縁から一階のダンスフロアを覗いた。藍色のライトに照らされたのは一人の女神。真っ白なドレスを身にまとった彼女は普段の騒々しさも感じさせぬほど、何も宿さぬ瞳を観客に向けた。
曲に合わせて揺れる彼女の元に乙女の秘密を暴くような男たちが現れ、ポールを中心に逃げ惑う彼女の服が下ろされると。
ベリーダンスの衣装のような華やかな宝石に彩られた彼女の肌がさらけ出されても、それはまるで神秘めいていた。
女神という存在は神以上にどこか神秘的で不可思議な魅惑を持ちうる存在だろう。長いロングドレスの下に隠されていたスリットのあるロングスカート桜の花びらのような生地で、腰の周囲を飾り立てる宝石は美しく。
女はまるで海の中でヒラヒラと泳ぎ、その美しさを見せつける魚のようである。
指先まで宝石で彩られた彼女がひとつ揺れる度にキラキラと輝いて。
ヒールを履いた長い足がポールに絡められるとゆっくりと回り始める。
曲はまるで夜の海のように静かだが情熱的でハスキーな女性のボーカルが愛を囁いていく。
客席が息をのみ、それまでボルテージが最高潮だったはずの店内に一度呼吸を止めさせるように、そのダンスは静かに、しかし熱く深く舞う。
「美しいのぉ」
ゼウスは感心したような声を出すがポセイドンは見下ろすだけだった。
ポールに上がり、上にきた彼女が体を仰け反らせてはポセイドンを見て微笑んだ。まるで海の中で二人きりで見つめ合うかのように、彼女は重力も感じさせずに回って、降りて、ポールを恋人のように触れて、床に倒れ込む。
愛する恋人を追うように、望むように立ち上がり、そして覚悟を決めたような顔をするとライトは藍色から淡い天界の光のように明るく変わり彼女はポールに飛び込むと、まるで一つになるように激しく回る。
それはまるで渦のように、何度も最後の激しい愛の言葉が流れるのが止まるまで、そう止まるまで。
そしてポールに足を絡めて宙に固定された彼女はそのポールに顔を寄せて笑いかけるその左手には、まるで恋人から渡された指輪のように輝いて、静かにそこに佇んだ。
ただ静かに……。
曲が終わって少し間が開いた後、拍手が巻き起こり、会場は最高潮へ戻る。彼女はパチリといつも通りの笑顔を向けて、脱いだドレスを受け取ると「はーい、アトランティスからのダンスタイムでした!このあとはDJヘイムダルに戻ってもらって、お酒飲んで楽しくしてね〜!」と軽い声で解散した彼女が早々にスタッフルームに下がるのをポセイドンは静かに見下ろしていたのをハデスは楽しそうに見つめた。
「中々よかったのでないか?」
「……当然だ」
グラスを手にしたポセイドンはその中を飲みながら呟いた。
胸の内にはまるで自分の心の中の海を泳がれたように騒々しく感じられ、ハデスはそんな彼を見て小さく笑うと、挨拶でもして帰るかと呟く。これ以上の用事はなかったから。
ポセイドンは静かに一階へ向かい彼女を追うように作業員口へと進んだ。
その頃、彼女は踊りきれたと心底安心して「はぁ」と息をついて涼しい外にいた。インカムはドリンクの状況のみで、まだ外は長蛇の列であり、今夜は長くなるかと思いつつ、ドレスの裾を整えていた頃、誰か手を取られる。
彼かもしれないと思い振り向くと知らない男がいた。神らしい相手は「さっきのダンスとても良かったよ」と興奮気味に話すことに彼女は愛想笑いをした。ダンスの後はこういう客が出ることは珍しくはないが、明らかに向けられるその眼差しが嫌だった。
「ありがと〜、喜んで貰えてめっちゃ嬉しいよ」
褒められているのなら素直に言葉を返すのな道理だからと彼女は笑うものの、離して欲しいと思う。自分を見る相手の視線は'女'として判断する汚い目だと感じた。
いつからだろうか、他人にその目を向けられると、すぐに自分を軽んじられているのだと察してしまうのを。
好きだというものを貫くだけで他人は自分を軽い女神だと判断する。そこに階級という名の不条理がつけば尚のこと。
「オーナーって言っても元はダンサー、てかこの店のダンサーってそういうことだろ?」
「いや、いま違うから、勘違いやめてくんない?」
「いいから、ちょっと踊ろうよ、踊るのが無理ならちょっと付き合えよ」
想定してないわけでないと思いつつベルゼブブに貰った転送装置を相手に使うべきか、いや、今はないから声を出せば人が来ると思った時。
作業員口のドアが開き、男が現れた、薄金色の髪をした美しい男は彫刻のような顔をして、氷のような冷めた目元をしていたが、彼女の手を掴んでいた者は誰か知らない訳もなく「あ…あぁいや、トイレを聞いてたんですよ」といって白々しくも店内へと戻った。
「……ぁ、あっ、あたしのダンスどうだった!?めっちゃ久しぶりでありえないくらい緊張しちゃって、だってポセイドン来るとか思わなかったから、マジマジほんとーに緊張したわ。ここ数ヶ月お店で練習してたけど、来るっていうならちゃんと言って欲しかったよね」
「誘ったのは貴様だ」
「それは、そうだけど、そりゃあゼウスのお兄ちゃんなんだし誘うよ、でもこういう場所嫌いじゃん。だから来るとか思ってなったのに、いきなり来るから、てかなんで、こういう時に来んの?あたし……その……ズルいよ」
雨の日に倒れた時も、宮殿で会えた時も、全て本当は会いたくて、けれど会えないと思っていた時、それなのに現れて許してくれるポセイドンにルナリアは分からなかった。
彼がゆっくりとその赤い糸に触れようとしてくれているのは分かっていても、急かしてしまいたくなる。今すぐその小指にはめてよと言いたくても逃げられたくなくていえない。
本当は何を考えているのか、色々聞いてしまいたいのに、彼は口数が少ないから答えてくれない気がして笑って誤魔化してしまうのに。
一番怖くて悲しくて辛いと思う時に現れる彼が、いつだって自分の思い描く本物の王子様だと思ってしまうとルナリアが胸の中で思う時、何故かポセイドンは彼女の肩を抱き寄せた。
「……ズルいよ」
そういうのされて好きにならない子っていないんだよ。
そう呟いた彼女を強く抱きしめるポセイドンは静かに二人だけのその場所でつぶやいた。
「勘違いするな、余はお前を拒んではない」
それは受け入れてもいないっていうんだよと思いつつも背中に腕を回せなかった。
ポセイドンがそう望んでいないことを彼女は知りながら、彼がいつか赤い糸を小指に結んでくれると願いながら、拾ってくれた姿をみて、自分は何万年も待ち続けられたから大丈夫と言い聞かせてまぶたを一度閉じると、ほんの少しだけ涙が零れた。
喧騒の中、戻ったポセイドンにハデスは「もういいのか?」と聞くがポセイドンは返事をしなかった。
三人は店を後にして、プロテウスを呼ぶと迎えに来た車の中に乗り込んで、ほんのりと香る甘いバニラの香水の香りが後部座席の隣に座るポセイドンからのもので、それが嗅ぎなれた香りであると知るハデスは外を眺めながら声を出した。
「夜の海とは綺麗なものだな」
その独り言に短い返事が返される。
「月の光が届くならな」
全く持って難儀の男だと呆れる。素直に言葉にすればいいのに。
どうしてもそれが出来ない彼だが、それでもほんの少しだけ変わっていることは分かる。
隣で窓の外を流れる彼の瞳にはあの時、しっかりとあの女神を映していたから。
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