あの運命的な恋は終わった──訳もなく。彼女はうーんとパソコンの前で仕事を放置して、両肘をついて頭を悩ませていた。
唇を尖らせて一体どうしたらいいのかを考えていたが、それは仕事のことでも友人のことでもなく、当然先日のあの運命の相手──ポセイドンに対してだった。
友人曰く「最悪の初対面」と言われたポセイドンとの初対面─勿論友人には相手の名前を伏せて好きな相手にお兄さん経由で紹介してもらったという体で説明した─について、彼女も密かに悩みは持っていた。
笑顔を絶やすことがあまりない彼女は人前で悩む顔をあまり見せない。
そうする事が他人を不安にさせることを知っているからだったが流石にあの日は落ち込んだ。冥界のみんなは優しく慰めてはくれたが彼女は笑って誤魔化した。強がるふりをしていたが連絡先も、家も知らない──正確に言えばあれ程の有名人は調べれば簡単に出てくるのだが押しかける理由もなければ流石にいけないと尻込みした。
「押しかけ女房作戦はマジで怒られそうだし、キューピットの矢文作戦は手紙読まなさそうだし、メイドさん変装作戦はいけそうだけどお家どんな感じか分からないし……ってネイル折れたぁ!!最悪すぎる、マジでテンサゲじゃん」
一人でも騒がしく話をしていた頃、部屋の中で大音量の着信音が流れてスマホのライトがピカピカと激しく光った。
「うおっ!」と乙女らしくない声を出した彼女はパソコンの隣に置いてあるストラップが大量についたスマホを手にして、相手も気にせずに応答ボタンをタップして「はーい」と間抜けに返事をして、誰に見られてる訳でもないが仕事をしたフリをしてパソコンを眺めようとすると「元気そうだな」と聞きなれた声がした。
「ハデスじゃん、どうしたの?あたしまじちょ〜最悪なんだけど、アトランティスの方のバーテンの子がいきなり辞めるっていって辞めちゃってさぁ、それも一人じゃなくて三人ね、友達同士っていわれて雇ったのにまだ半年もしてないのに……ってダメだね、快適な職場作りがあたしの仕事なのに」
電話の相手は冥界の王・ハデスであった。
彼女は他の友人と話をするように何気ない仕事の話をしているのをハデスはもう慣れたように聞いた。彼女の話に割り込もうとそうでなかろうと話が止まることはない。その上ハデスは彼女が天界でどのようなことをしているのか簡単にしか知らなかった為、まともに仕事をしているタイプの女神であるのだと知っては電話先で内心感心した。
「案外真面目なんだな」
「え?まぁそりゃあ仕事はね、人に任されたことは責任あるし、あたし女神としての腕は全然だけど、仕事ではちゃんとしたいし、ってかハデスも天界(こっち)来た時はウチの店来てよ、めっちゃサービスしたげるし」
「そのうち伺おう、ところで頼みがあって連絡したんだが」
「いいよーなになに」
「ちょっとした用事だ、ポセイドンの城に書類を届けて欲しい」
「………マジ?」
持つべきものは友!!
持つべきものは友(好きな人のお兄ちゃん)!!
思わず彼女は椅子から立ち上がるとキャスター付きの椅子は音を立てて転けてしまい大きな音を立て、電話先のハデスにまで届いたが彼は気にすることなく、会議の重要な書類で冥界の使者から届けることを伝えているからポセイドンに直接渡してほしいと頼まれた本来彼女に渡す仕事ではなかった。
けれどハデスは少なからず彼女にもう少しだけ力添えをしたかった。
あの日、彼女がポセイドンをみていた瞳をどうしても応援したくなってしまうのは彼女の女神としての能力なのかもしれないが、彼女はそれには気付いていない。周囲の人間を変えてしまうような力こそが彼女の恋する乙女の力なのだ。
「マジマジマジで大感謝、あざっす!お礼絶対するから今度お茶しようよ、こっち来るの大変ならあたしそっち行くし、てか行きたいし、メイドちゃんとか執事さんとか兵士のみんなにも会いたいし、てかベルぴご飯食べてる?アダマス悪いことしてない?」
あの日、枯れた花のように落ち込んでしまっていた彼女のことをハデスは知っていた。兄弟であるアダマスに「分かってたことだろ」と言われていた彼女に対してハデスも同意するが、それでもなお諦められない彼女に対して、どうすれば反対に諦めるものなのか興味深くもあった。
「最近お客さんに教えてもらった人間の紅茶屋さんがめっちゃ美味しいらしくってね、そこのお茶と、メイドちゃんたちが食べたいって言ってたお菓子買ってくからって人多いし箱で送る方がいいかなぁ……」
ハデスは一通り話を聞いている間に時間は二、三時間と過ぎてしまっていたが、彼女が「え、やばっ、時間経つの早すぎ」といって、書類については冥界から配達で送ってあるのでもう届くはずだと言われた彼女は二つ返事で通話を終えた。
「マジで感謝……あーでもどうしよ、書類急ぎじゃないよね?とりまネイルと美容院予約しよ」
直近で友達になった彼らの家……というよりも城と比べて彼女の城(家)は1LDKの普通の部屋だった。物は多いが片付いてあり、部屋中は恋する色のようにピンク色、海に関連する女神だが、その姿も趣味も落ち着いた水色よりもピンクが好きだから壁の色もカーテンも家具も統一している。
空間というのはその人を表すものだが、ポセイドンはどんな家なのだろうかと思った。あまり暗いと気持ちが滅入る、好きな物はあるのだろうか、せっかく行くなら挨拶くらい許されるだろうか。
色々と考えて予約を取り終える彼女はため息をこぼした。
「魔法使いがいてくれたらなぁ」
そうしたら美容院やネイルサロンになんて行かなくてもいいんだからと彼女は思いつつも仕事に戻る。ちょっとだけやる気が出たから。
例の書類はその日中に届いたがネイルサロンの予約は翌日にしかできなかった。
一時間半の施術を終えたネイルは完璧な仕上がりであり、ポセイドンは控えめな方が好きかと思う彼女はスクエア型のロングスカルプだがシンプルなラメ系のグラデーションのみにした。
お陰様で担当者に「男の趣味?」と聞かれてしまい笑って好きな人のためというと嬉しそうに恋バナをして、それを終えると美容院で毛先を整えてセットしてもらう。美容師にも「彼氏とデート?」と聞かれたため、好きな人に会いに行くと言うと嬉しそうに笑われた。
ポセイドンは海の王、ともなれば彼の城に出向くにはあまり露出も多くない方がいいと思い仕事の取引の時のようなパンツスタイルになってしまう。
しかし固すぎるのは合わないためあくまでもカジュアルな格好にした。
シンプルなハイウエストのジーンズは腰の部分が編み上げのリボンであり、スキニータイプのタイトなデザインだが足首は生地が広がって柔らかい。
トップスはシンプルな白いチューブトップのビスチェで涼やかな印象を与える。十五センチの深藍色のハイヒールのヒール部分はまるでポセイドンのトライデントのように鋭く、華やかな金色だった。
アクセサリーは細身のシンプルなゴールド系に合わせて、財布とスマホとリップが入るいつもの合皮の小さなショルダーバッグを右肩に掛けて、ハデスから受け取った書類を片手に向かった。
街から少し離れた高い場所にあるポセイドンの城の前でタクシーを降りた彼女は領収書を受け取って、入口を見上げた、長すぎる階段にハイヒールで来るんじゃなかったと思いつつもポセイドンに会えるならいいと思えて階段をあがった。
「ガチやばい……毎日これならジム行かなくてよさそう」
ヤバいといいながら登り切った彼女は巨大な門の前の兵士に睨まれたものの、今日ばかりは用事があるからと「ハデス……様の使いです」といって冥界の印が押された書類を見せると入城を許された。
「めっちゃ静かすぎん?人いるの?あっ、いるわ……てかまじ広ーい、お城って感じだなぁ、めっちゃいいじゃん、シンデレラ城みたい写真撮ってみたいけど流石に人ん家だからやめとこ〜っと、あっ!すみませんポセイドン……様ってどこですか?」
「ポセイドン様は大広間に居られます」
「そうなんだ、ありがとー!」
誰も案内もしてくれない中で彼女は書類を片手に歩いていれば見かけたメイドに慌てて声をかけると、相手はギョッとした顔をしつつその手の書類を見て冥界の使者と理解して素直に話してくれたがそそくさと行ってしまう。
なんだかこの城は静かでもの寂しいなと思いつつ彼女は大広間と呼ばれた場所に向かうと入口には従者や兵がいたことに彼女はここか、と直ぐに理解する。
城の中は天井が高く、彼女のヒールの音が騒がしいと思うほどに響いた。
視線を向けたが何も言われないことに彼女は大広間に入ると一人の男が椅子に腰掛け静かに本を読み、その横で従者がお茶を入れていたが彼女を見るなり鋭い視線を向けた。
「あっいたいたポセイドン、てか今日もマジイケメンじゃん、やばーいマジで顔面最強過ぎる、何読んでんの?ちゃお?りぼん?なかよし?その顔もしかしてマーガレット?……いや男の子だしジャンプの可能性あるよねぇ、あっちなみにあたしはなんでも読むよ、結構漫画詳しいかも、オタクって感じじゃないけど美容院で暇だと読むし話のネタにはなるし……」
彼女はいつものように話しながら近づいて本を読む彼を見つめたが、シン──と静まり返っていた。
空気が冷めた。
小さく紅茶の水面が揺れた。
ポセイドンの傍にいた従者は鋭い視線を彼女に向けており。
彼女は「いかにも執事って感じ」と思い見つめ返すと従者・プロテウスが口を開いた。
「ここに来たとは、何者でしょうか」
ビリビリと肌に触れる悪意と嫌悪に満ちた視線に対して彼女は書類をポセイドンの前に置いた。
それは冥界の印が記載されており、誰からのものであるのかを理解するがポセイドンは視線を動かさず、プロテウスがそれを受け取り中を開けて確認するなり「ハデス様からでございます」と告げた。
「それであなた様は?」
「あたし?ハデスの友達のルナリア、ポセイドンのこと好きなんだけどこないだめっちゃふつーにフラれてさぁ、まじガン萎えだけど諦められなかったところにこの間書類でも持ってって謝って来いって感じのこといわれたから来たんだけど、この人もさぁまぁまぁ酷いんだよ、あたしのお菓子とか残して帰ったし、あの後ベルぴ……ってベルゼブブね?にもっかい食べてもらったけど、美味しいって言われたし、もしかしてポセイドンって潔癖?それならごめん、あたしも人の素手で握ったおにぎり食えって言われたらちょっと考えて食べるもんね」
シーーーン……と空気が冷えるのに女は気にせず話を続けるが、それを止めさせたのはプロテウスだった。
静寂を好むポセイドンの前に現れるのはもちろんだが、その身なりや態度、さらに見るからに下級女神でありながら膝をつくことさえせずにあろうことか座っているポセイドンを見下ろしてはまじまじと見つめる姿は無礼以外の何者でもなく。ポセイドンの従者であるプロテウスは苛立ちを感じられずにはいなかった。
「用がお済みでしたらお帰りくださいませ」
「え?あたし客だし、てかそれってポセイドンの判断なの?あなたの判断だったら家主はポセイドンだから聞く気ないけど」
「ポセイドン様はお疲れでございます」
「疲れてんの?こんなとこで本読まずに寝室とかで横になったら?てかだから顔色悪いの?美味しいもん食べてる?この城って綺麗だけど味気ないよねぇもうちょっと飾ったら?あっ、アクアリウム入れたりとか、お花飾ったりとかさぁ、うちのお店もそういうのめっちゃ凝っててね」
空気を読めないのだろうかとプロテウスは酷く苛立ちを感じた。
この城においては必要なこと以外は誰も口を開かない。
王は静寂を望む。
実際に彼女が来てもポセイドンは本を読む手を止めない。
彼女が来ているのかも知らないように普段通りに過ごしているが、その態度こそが彼の苛立ちと不快感を表しているのだと彼は内心、目の前の女神を酷く罵ったものの、ポセイドンの前でそれを出さなかった。
あくまでも従者として務める彼は冷静に女を見つめて微笑んだ。
「お帰りください、冥界からの使いとしての職務は果たされました、感謝致します」
「……ふーん、そういう態度なんだね、全然いいよ、あたし負けないし。言っとくけど聞こえてんのわかってんだからね、ウザイなら前みたいに自分で言ってよ、そういうの言わないで部下に言わせるのってズルいですけど、それともあたしと話すの怖いの?」
プロテウスの言葉を無視して彼女は黙り続けるポセイドンを睨みながら告げた。
まつパに行ったまつ毛は元気に上向いていて彼女の心を表すように真っ直ぐだった。
プロテウスは流石の言葉に無礼であると怒鳴りつけようとした時、静かな声が大広間に一言だけ広がって溶けた。
「うるさい」
それだけだった。
ポセイドンは何も言わずに小説をみつめるだけでそれ以上は何も言わない。プロテウスは驚いた。寡黙な主人がこんな娘に言葉を与えるのかと。流石はポセイドン様だと感涙しかけたが、黙り込んだ女にやはり王の声が届いたのかと得意げな顔をしてみせると、彼女は口元に手を添えた。
「イッ……イケボぉ……まじヤバい!!ねぇもっと話そうよ!もっと声聞かせてよ、顔も声もスタイルも性格も本当にド級にタイプなんですけど、やばいっ!無理っ!好きっ!!連絡先無理なら家来てもいい?あたし結構暇作れるから毎日話し相手になったげるし、この城ってスイッチとかあんの?あたしあるから持ってきたげよっか!桃鉄もマリカーもスマブラあるし、王様ってゲームとかしないんでしょ?あたし教えたげるからさぁ……え、やば電話きた、マジごめん出るわ」
プロテウスはこの世とはなにか考えた。
あのバカな女は何をどう足掻いても自分のことしか考えていないのだと感じては苛立ちを感じつつ、主を見るが静かに本を読んでいた。
「申し訳ございませんポセイドン様、あの者をすぐに追い出しますので」
「……」
そういってプロテウスは入口にいるメイドに出ていった彼女が戻ってきたら拒否しろと告げて、カップの中でいつの間にか空になった紅茶を再度注いだ。廊下で話をする彼女の声は大きく響いており、全くこの城には似つかわしくないとウンザリした。
あんな身なりの女がポセイドンに好意を向けるなどあってはならない。仮にあったとしてもそれは叶わないものだと理解し諦めるのが当然で、全ての生物は平等に分不相応を弁えて行動するべきなのに、彼女は弁えずにいた。愚かどころの話ではないと思う頃、彼女が戻ってこようとしてメイドに止められていた。
「え!マジでダメなの!?絶対命令したのあの執事のジジイじゃん!」
「聞こえておるぞ!!バカ女神ぃ……ごほん、失礼いたしました」
「ちょっとポセイドン聞いたぁ!?あんたのとこの執事あたしのことバカって言ったよ否定しないけど!!え、まじで頼むからやめて?……あ、うん、ごめんね、そうだよねメイドさん悪くないけど怒られるもんね、これよかったらメイドさんたちに買ってきたから食べて、最近流行ってるお店のラングドシャ、足りないと思うけど……うん、じゃあ帰るね、うん、えってかメイドさんのそのピアスかわいくない?どこで買ったの?…え、やば、センス良すぎる」
「早く帰れ」
いつまでも帰らない彼女にプロテウスは思わず入口に行くとメイドたちと平気で談笑する彼女がいた。メイドたちも華やかな彼女に絆されて話をしていたが従者長のプロテウスが来た途端に慌てて顔を伏せたが彼女が眉間にしわ寄せをして、メイドの手にある紙袋を指さした。
「アレ、めっちゃくちゃ美味いけどあんたは食べたらダメだから!メイドちゃんのことイジメんのも許さないし!イジメてんのみたら犬のうんち踏む呪いかけるからね!」
「なっ!早く帰らんか!!」
「きゃー!こわーい!じゃあポセイドン帰るね!また明日も明後日もずーーっと来るからー!」
最後に入口から顔を出して行ってしまった彼女はまるで嵐のようだったと思いつつ、怯えたようなメイドたちにプロテウスはいじめてる訳じゃないのにと思いつつも、自分の言動はそう取られるのかと思い紙袋を見ると、そこには天界でも屈指のパティシエの店であり、毎日四時間は並ぶという。特にラングドシャは特に美味しいと聞いていた彼は欲が小さく揺れるが彼女の顔を思い浮かべるとどれだけ欲しくてもプライドから許さない代わりに、メイドたちに一度休んで来いと伝えると彼女たちは珍しく嬉しそうに去っていった。
「全く騒がしかった。あぁですがポセイドン様ご安心ください、あの者は出入り禁止に致しますので、仮に明日来ようが必ずあなた様の城へは入れません」
「……」
そういってプロテウスはまた静かに本を読む主の傍に佇もうとしたが、ふとその本の進み具合を見ると、ポセイドンは彼女が来た時からページが全く進んでいないことに気付く。
騒がしかったからだろうと思う彼は静かにあの女め……と思う頃、ポセイドンは静かに呟いた。
「うるさい」
まるで耳に残った声にようやく返事を返すように。
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