「おい、また来たぞ」
「まただ」
ヒソヒソと門番達が声を出す頃、タクシーから降りてきた女は「やっほ!」と片手を上げて笑顔を向けた。
「今日もダメ?」
「……」
「マジで出禁はウケるんですけど、まぁいいや、今日も隣いていい?いいよね?だってなんも言わないんだし、てかお菓子買ってきたからこれはみんなに渡してね、プロテウスのやつも入れといたから素直に受け取らないだろうけど渡してね、そっちは兵士さんたちの、こっちはメイドさんで」
海の王・ポセイドンの居城の門番達は近頃悩みがある。
それはこの女、海の処女神・ルナリアについてだった。
ある日、冥界の王・ハデスの遣いとして来た彼女だったが、見た目同様の軽い態度と話し方により怒りを買ったようで出禁になった。
しかし彼女はポセイドンの城を知ってから毎日現れた、大抵数時間で帰るのだが、その間、門番の隣などで立ったり座ったり時に小さな折りたたみ椅子を片手に持ってきては仕事をしたり。
「てかみんなずっと立ってて疲れない?お客さん来ないならちょっと休憩しようよ」
「……」
「プロテウスが怖いでしょ、大丈夫だって、あたしが怒ってあげるしポセイドンもそういうの気にしないって、てか気にしてもあたしのこと家に上げてくれない方が悪いでしょ、ねぇ無視?も〜……寂しいなぁっていってる間にそろぼち帰んなきゃだわ、じゃあまた明日ね」
ばいばーいと手を振って、呼んでいたらしいタクシーに乗り込んだ彼女が消えたのを見て門番達はどっと息をこぼした。
「やばかった、マジでやばいよあのギャル、距離近いしいい匂いするしフツーにかわいいわ」
「お前だけずりぃよ、触られてたじゃん、つかあの服なに?めっちゃおっぱい見えてたけど」
「女神って服着てなかったりとかするけど、あの人普通の服着てっから逆に困る、ギャルってタイプじゃないのに、あの距離感は俺のこと好きだと思う」
「それはないから、あの人今日も"ポセイドン"って単語百回くらい言ってたし」
彼ら兵士は男である。
彼らがそう悩んでしまうのも無理はない。
あの女は自分に向けられる欲望に興味がないのだ。
特にこの城に来る理由はポセイドンに会いたいためだけ。
初めて来た日の翌日、早速現れた彼女に門番達は厳しくプロテウスから立ち入り禁止の指示を受けていた為、彼女を拒絶した。
ポセイドンの配下である彼らは無駄口を叩くことは禁じられており、彼女に対してはそれ以上の会話は特に固く禁じられているにも関わらず。彼女は一人で話をしたり、スマホで時間を潰したり、時に城を見てポセイドンを探したりするのだが、如何せんかわいげがあるのだ。
正確にいえば"愛嬌"なのだろう。
ニコニコと誰にでも分け隔てなく話してくれる。
門番は一日中その場所に立っていることが仕事であり、正直なところ暇なところではある。門番同士の私語などはあるものの、彼女に対しては話してはならないため、どれだけ話してこようとしても沈黙を貫いた。
しかし……
「お菓子もらっちゃった」
「足痛めてるの気付かれてめっちゃ心配された」
「門番って動かないの?っていいながら背中押された」
「てかいい匂い」
「てか普通にかわいいだろ」
静かに日毎に兵たちが落とされていた。
プロテウスは窓から外を見ると今日も女が城の入口にいた。
ちょうど来たばかりなのか差し入れを手渡している姿が見えるとプロテウスは近くのメイドに荷物を兵から受け取って来るように命じた。
「また……来ておりますな」
独り言のように呟くが部屋にはポセイドンが静かに本を読んでいた。
近頃、この城の空気が変わってきていることにプロテウスは気づいていた。それは悪い意味ではないが、この城は海の王・ポセイドンの場所。
静寂を好み、誰一人たりとも息をすることさえ難しいほどの重い空気、神の中の神と崇められる彼だからこその城で、その場所に空気を注ぐように現れた女をプロテウスはどうしたものかと悩んだ。
ポセイドンは彼に全ての判断を委ねているようだったが、ポセイドンが指示すれば彼女を二度と来させないことは出来る。
だがそこまではしない。
あの日、彼女が消えたあと「うるさい」と小さく呟くだけに留めた王の声は、長年彼に尽くしてきた者だからわかる、不快感から来る言葉ではなかった。
感情もなく、ただそう思っただけのことを呟いた主に対して、あの女を完全に拒絶するという考えは浮かばなかった。
「プロテウス様、こちらルナリア様より、プロテウス様へと」
「またか、全くこんなもので私の機嫌でも取るつもりか、これだから下級女神は……こ、これはッッ!!あの天下の有名パティシエールのチョコではないか、たっ食べ物に罪は無い、仕方ない、受け取っておこう」
彼女は来る度にこの城全員を労わるように気遣うように差し入れを持ってきてくれる。
その中でもプロテウスに関しては彼を一目見てプライドが高く、そして品のあるものを好むと理解しているのか毎度単独で渡されるが、悔しいことにセンスがいい。
彼女が現れてすぐにプロテウスはなにも言われなくとも彼女について調べてポセイドンに報告を果たした。
「あの者は無所属無神話の女神のようでございます。小さな海の力のない女神ですが、ある日助けた乙女の話から次第に海の処女神と呼ばれるようになったようであります」
「……」
「今はクラブ・アトランティスのオーナーをしているようですが、家や生活については殆ど人間のようにしているようで、人類側の思想を持っておられるようです」
「……」
「以前、少しの間、ゼウス様のイタズラにより冥界で世話になっていたと伺ってますが落とされたのでしょうか?まぁあんなにうるさい女神ですから、無きにしも非ずでしょうな」
「……」
沈黙だけが流れる。
それはいつもの事だったがポセイドンは静かに窓辺にいくと門番たちと話している姿をみた。
「あの者たちは処罰いたします」
「……構わん」
「良いの、ですか?」
「目に届かぬことを余は知ることはできん」
見なかったことにする、という事なのかとプロテウスは驚きながらも聞き入れた。
「こちらルナリア様からポセイドン様へのお手紙でございます」
「またか、全く……これも飽きないな」
差し入れを受け取りに行ったメイドがプロテウスへの差し入れと共に渡したのは一通の手紙だ。それは彼女がポセイドンに宛てた恋文─ラブレター─であった。
プロテウスはそれを受け取っては念の為にと開封して読むのだが、いつもながらあの女神は騒がしさとは裏腹に筆体はとても美しく、そして書かれた文はとても神秘的で短い。
あの口から発せられる言葉の何分の一にも満たないからか、必ず一通だけの手紙で、便箋も封筒もとてもシンプルな羊皮紙で出来たもので、その見た目と中身の文に反するのは封のために貼られたシールだけだった。
『海の王・ポセイドン様へ、本日はいかがお過ごしでしょうか。私は今日もあなたの城の前で過ごしていました。日差しは少し肌を焼いてしまいそうで困りました。しかしありえぬ事だというのに、あなたを想い止む日が来てしまうことの方が…と不安に駆られてしまいます日々でございます。またあなたの海を見たいです。ルナリアより』
ウンザリするほどの甘い文章を書く彼女は眩い。
若さだけが理由ではないとプロテウスは思いつつも、それを読む時、彼もまた恋をした日々を思い出してしまいそうになりながら元に戻して、暗い夜の廊下を歩く。
日付が変わろうとする時、恐れながらもまた灯りのついた寝所に足を運んでプロテウスが入室すると、広い部屋の中で窓辺で本を読むポセイドンがいた。
完璧な程に美しく、完璧な程に麗しい王であると感じてしまう。
プロテウスは静かに傍に寄り、腰を直角に曲げて、両手でその手紙を差し出した。初めは捨ててやろうと思ったが中身を見た時に彼は素直に届けてやることにした。
もう十通以上になるだろうか、それが来るとポセイドンは静かに開けて文字を読み、プロテウスに返す。彼はそれを受け取ると寝所の棚の引き出しの中にまた一枚"ポセイドン様へ"と書かれた手紙の上に重ねる。
彼女はどれほどこれを続けるのだろうか?
そして我が主は少なくとも受け入れようとしていることを従者としての感動を覚えていた。
神は群れず、媚びず、常に孤高であるからこそ完璧だというポセイドンにとって、正反対をいく彼女は愚かであると思うはずだ。
それでも許してしまうのは、少なからずそこに情が芽生えているからで、長年共にしていたプロテウスは自分の主の感情の揺らぎを察して嬉しくなった。
彼の心情については深く同意する。だがしかし、その感情が現れた時に素直に喜べないのは従者として失格だと彼は思う。
寝所をあとにして廊下を歩いていればメイドが小さく話をしていた
「ルナリア様のお菓子美味しかったね」
「メイド長なんて三つも食べてたのよズルいわ」
「ルナリア様いつもお手紙も添えてくれてるしお優しいわよね」
「本当にどうしてポセイドン様なのかしら」
「あんなにお冷たくされてるのに」
そういった彼女たちはポセイドンが魅力的であることはわかるが、自分なら好きな人にそうされると悲しくなる、と至極真っ当な意見が出てしまう。
諦めの悪い女なのだろうと思う、あんなにも自分を貫いた女を好きになる者はいない、女は後ろを歩けとは言わないが少しはしおらしいほうが守りたいと思うのが男の性。
彼女の態度を見ていれば兵士たちのように軽い態度で見てしまうのも仕方ないことで、プロテウスのように毛嫌いするのも当然だった。
「分からん」
恋する乙女というのは全く分からないと思いつつ、プロテウスは暗い廊下を歩いて差し入れで貰ったチョコレートを楽しみに従者の部屋へと戻ったものの、それが食い尽くされていたことに珍しく怒りを顕にするのだった。
その頃、寝所にてポセイドンは一人、外を眺めていた。
彼の寝所からは広大な海が広がり、それは月明かりや夜空に照らされて輝いていた。
彼の手の中には一通の手紙、どれもこれも同じ筆体で"ポセイドン様"と書いているが、彼女は自分を呼び捨てていると思った。
何も感じない、うるさいというだけのこと、あの日冥界で出会った彼女の言葉は呪いのように張り付いていた。
『身分なんか知らない!だってあたしは処女(乙女)の女神だもん。恋するあたしを止めたいなら止めてみてよ。あたしあなたのことが好きだから、真剣(マジ)で振り向かせるから!!』
好きだから、止めてみせろ、振り向かせる。
そんな強い言葉を向ける、あの女は海に照らされる月明かりのように眩いと思い出してしまう。
ただそう…[思い出すだけでそれ以上のことはない。
「うるさい」
それ以上の言葉を与えることも今はまだなかった。
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