ハデスに挑み破れた騎士カスティナはあれから数日深い眠りに落ちた。
その間、彼女の世話を頼まれたのは普段他人と関わることを極端に拒み、ただひたすらに自分のための研究に時間を費やしていたベルゼブブだった。ハデスの従者ではないもののその知性と内に秘める強い感情を持つ彼をハデスは思うがままにさせてやるといって自身の城で生活をさせており。
彼を尊敬し敬愛するベルゼブブもハデスに言われたことについては基本的にどんな事でも従ってやるようにはしていたが、広い研究室の隣に用意された昏睡している彼女専用の部屋にいたベルゼブブはバイタルなどを確認しては研究心のみを向けていた頃、自動扉が開く音と共に白銀の冥王が花を手に現れた。

「どうだまだ目覚めぬか」
「ええ、あの神器と深く繋がっていたことや人間が冥界に自ら来たこともあってかまだ寝てる……というより、僕の研究室に花を持ってくるのやめてくださいよ」
「この騎士には花が似合う、それに僕の研究室とはなんだ、余の城だぞ」

気心の知れた友人のような会話をするがハデスはあの日から眠る彼女の元に花を持ってやってきた。当初白百合の花束を持ってきたハデスだったがバイタルが酷く低下してしまい、ベルゼブブが調べたところ百合の花は強い毒を持っており、少量であればまだしも部屋を埋めかねない量については死に至らしめる可能性が高いとして花に詳しくなかったベルゼブブは「殺したいの?」と素直に聞いてしまい、知らなかったハデスも苦い顔をした。
それ以後、この部屋に日替わりで飾られる花は花瓶一つ分となるが、ベルゼブブからするととても華やかだと感じた。

「傷についてはどうだ」
「そっちももう平気、というか人間相手にあんな怪我をさせるほどってよっぽどだ」
「最初は手を抜いていたんだがな、如何せん強かった……こやつ相当手練れた騎士であったようでな」
「まぁ……王国の聖騎士団長だったそうだし」
「妻もいいが我が軍を率いて欲しいものだ」

上機嫌に彼女の寝顔を見るハデスだが、彼女が深い眠りに落ちた理由は何も神器という神に傷をつけられる天界の武器だけではなく、数日前の戦いにおいてハデスはほんの少し全力を出してしまったのだ。
神でさえも恐れるあのバイデントの猛攻を可憐に躱し流した彼女だったが人間と神の能力というものの差、否、その前の城に来る間の長い戦闘による疲れも重なり敗北を期した彼女が万が一全力であったのならばと考えてしまう。

ベルゼブブはあの日珍しく騒がしい城に対して何事かと思いハデスを伺いに行った際に騎士と冥王が剣と槍を交えていたのを見た。
人間の身でありながらも立ち上がる騎士のその力と傍から見てもわかる芯の強い眼差しにベルゼブブは不思議と惹かれてしまった。それは好奇心という心の惹かれ方であった。
何度吹き飛ばされても、何度膝をつこうと、決して諦めぬあの意思の強さは特別なものであり、ベルゼブブはいい研究対象になりそうだと思ったのだが、如何せんハデスが力を出してしまったこともあり、運び込んだ時には人間の身体では重症に部類されるほどの怪我を負っていた。

あのハデスがバイデントを手にしてほんの少しでも全力を見せたことについて、ベルゼブブは素直に凄いと感じた。
自身も数百万年前、リリスの呪いを受け、死を望み天界から冥界へと自ら堕ちた神だった。ハデスに死を望み戦った時の彼の強さは忘れることは無いだろう。
それをこんな人間が……と思いつつ一人残されたベルゼブブは眠っている彼女の近くに虫のような物を近付けた。それは彼が自分に死を与えてくれるかもしれないと思い研究していた波旬の残穢を培養した種であった。
ウネウネと生物のように動く黒い物体を彼女の口元に寄せようとしたが残り五センチほどの距離でそれは蒸発したように塵となり消えた。

「やはり失敗か、光の加護のせいかな、全く冥界に不釣り合いだ……だがこの光の力はとても気になるな、もう少し寝ている間に調べておこう」

そういって薄い診察着のまま眠っている彼女をみつめるベルゼブブはその騎士がいかに哀れで愚かな者なのかということを思いつつも知らぬフリをしてその肌に手を置いた。
女の肉体にしては鍛え上げられたその肉体には数多の細かな傷が残っている。それはハデスからのものではなくベルゼブブでも消せない生前騎士として生きてきた彼女の勲章であった。

「君がそこまでして"アレら"を護るべきだったのか?」

自分には分からない感覚だと彼女のデータログを読み過去を知ったベルゼブブは思う。いや……彼だけではなくハデスも、そしてきっと彼女を知るもの全員がだったが、彼女の左手の薬指に存在する指輪だけは眩く輝いていた。

◇◆◇

珍しく随分長い眠りについたようだと彼女は感じた。
一度綺麗な川を渡りかけて来ちゃダメだ!と言われたような気もしなくもないと思いつつ彼女は薄く目を開けると見知らぬ天井がみえた。
周囲には機械があり、自分の腕や胸にもバイタルチェックのためのものが貼られたり、点滴がつけられていたことに彼女は自分が冥界まで妻を探しに来たことを思い出し、さらにそこで冥王ハデスに屈辱的な敗北を味わったと思い出すと苦虫を潰したような顔をしてコードを勢いよく抜くと、ドンガラガッシャーンと音を立てて機材が倒れてしまいエラー音がなり始めた。

その途端に彼女は悔しさなども忘れて大慌てでベッドから降りてどうしたら音が止むのだろうか機械を前に慌てていた頃、自動扉が開く音がするなり部屋の温度が下がる感覚を感じ、直ぐにその身を背後に向けると、一人の暗い顔をした癖っ毛の青年がいた。

「起きたのか」
「あっ、あぁすまない。管を抜いた途端に転倒させてしまって」
「目眩や吐き気は?体調はどう?ダメそうならもう少し寝てるほうがいいよ」
「いや…この通りピンピンしている!こんなに眠り身体が軽いと感じるのはいつぶりだか」

それならよかったと素っ気なく返事をする青年は彼女のベッドの近くで倒れた機材や騒がしくエラー音を鳴らす機械を無表情で元に戻していき、彼女は目を丸くしながら青年を見つめていると彼と目が合い、数秒の沈黙が流れた。

「元気なら着替えて広間に行くといいよハデスさんが待ってる」
「ハデス……あの男……ん?では君はハデスの部下なのか?」
「いや違う、僕はこの城の一部を借りて僕を殺す研究をしているだけだ」

またしても沈黙が流れた。
先程まで彼女に繋がっていた機材などが小さな音を奏でるだけであり、この青年……いや、神であるベルゼブブはいつものことだが、相当なコミュ障であり、突如自分を殺す研究をしているなどと言えば相手が黙ってしまうことも気にせず平然と告げたが、変わっているのはこの目の前の騎士もだった。
彼女はしばらく彼を見つめたあと、軽く周囲を見渡し、その上で「君が僕の看病も?」と問いかけるため、怪我の状態と治療内容を淡々と資料を読むように報告し、そして最後に一言告げる。

「僕もハデスさんと戦ったが、人間の身で戦うだなんて相当愚かだ」
「……」

そんなベルゼブブの言葉にポカンと口を開けた彼女に研究の邪魔になるから早く消えてくれと思いつつ、素っ気なく去ろうとすれば彼は突如手首を掴まれ驚くが、それ以上に彼を見る彼女の瞳はキラキラとまるで夏の日差しのように眩しく輝いた。

「君は研究者であり、僕を診てくれた医師であり、ハデスとも対等に渡り合えるのか!!なんて素晴らしい人なんだ!!僕はカスティナ、君の名前を是非教えてくれないか!!」
「……ベッベルゼブブ」
「ベルゼブブ……蝿の王!神なのか!なんてことだ僕は蝿の王ともある方に治療をしていただいた、その上にあの蝿の王が研究者であり、ハデスとも戦える程の武闘派だなんて、なんと素晴らしいのだろうか!!あぁあなたのような人に救われるだなんて」

眩しい……
眩しすぎる………とベルゼブブは背中が痒くなる気持ちになるが彼女は周囲に置かれた研究内容などを見ては、研究者は自分には決してなり得ない存在であり、それが更に戦うことも出来るだなんてとまるで子供がヒーローを見つけたような無垢な真っ直ぐな瞳でベルゼブブの両手を強く掴んで見つめてくることに彼は耐えられないと思った。
しかしベルゼブブは決して嫌いという訳ではなかった。
反対に自分を認めてくれる存在を彼を不器用なりにも好ましいと感じてしまうのは、自分が常に恐れられ避けられていたからであり、彼女のその光はかつての友人や愛する人を思い出してしまうほど。

「別に普通のことだ、キミが褒めるようなことなんて……」
「いいやキミは誇るべきだ!!文武両道とはいうが僕は難しいことはとても苦手でね、いつも王国の研究者達の話が分からずに困ったものだよ、ちなみにあれって?」
「あれは……」

思わずベルゼブブは聞かれたことに対して答えてしまうと、彼女はまるで子供のようにあれは?あれは?と何にでも指をさして問いかけてくるのなが、ただの話題作りのためではなく心から気になって聞いているためか、ベルゼブブの問いに対してもさらに詳しく聞いてみたり、自分なりに解釈して感心したりする姿はあまりにも素直で眩い。

「キミはどうして冥界に来たんだ」
「妻が行方不明になったんだ、懸命に探したが見つからず風の噂で冥界にいると聞いて迎えに来た、冥界の行き来はハデスが管理してると聞いたから、あの男に聞くのが一番だと思ったんだ、それに噂とはいえあの男が乙女を拉致したことがあると聞いていたから僕の妻も……と考えてね」

その逸話についてはベルゼブブも知ってはいるが、あくまでも人類が残したものでハデスは誰彼構わずに拉致するような男では無いとベルゼブブは思いつつ、カスティナに対してハデスのことを告げる。

「ハデスさんはそういう人じゃない、キミは勘違いしてるだけだ」
「そうだねベルゼブブ、キミがいうならそう思うよ。だけどあいつは敗北した僕に対して"妻にする"なんていったんだよ!」

あれほどの屈辱は騎士にはない……と燃える彼女に対してはベルゼブブもなんとも言えなかった。
ハデスが好意を持つのはいいが王としての態度が表に出てしまったが故に印象はあまり良くないだろうと内気で恋愛初心者のベルゼブブも思うが彼女はそれはそれとしてハデスは強かったし素晴らしい人だったとも評価するあたり、よく分からないタイプだと思いつつ、もう一つの疑問を問いかける。

「それとカスティナ、キミは本当に"あの"妻を探して連れ戻すのか」

その問いは彼女に対しては少しだけ鋭利なナイフ、いや、錆びたナイフで切られたように痛みを与えるものだった。
彼女はその言葉の真意を理解しつつもはにかんで返事をする。

「勿論だとも、それが愛すると神に誓った夫の役目だから」

そういった彼女にベルゼブブは何も言えずにハデスに会う前に着替えをしていくようにと起きた時用に用意されていた服を一式手渡すと彼女はありがとうと言った。
隣の研究室に戻ったベルゼブブはハデスが難儀な相手に恋をしてしまったかもしれないと思いつつも、思っていたよりも悪くはない相手だと評価する時、隣から声が掛けられた。

「ねぇベルゼブブ、下着がないんだが」
「それはメイドにいってくれ……」
「そうか!すまない!」

一応は女性なんだからと思いつつも騎士としての思いが強い彼女にベルゼブブは少しだけ下手な考えが脳裏を掠めては小さなため息をこぼすのだった。


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