あれから数ヶ月、カスティナはハデスの広い城の中で着実に人間(?)関係を作るころ、様々な声が彼女に対して密かに投げられていた。

「本当にカスティナ様ったら素敵な方だわ」
「ああいうのを本物の"騎士(王子)"様というのでしょうね」
「今朝だって洗濯物を運んでいたら『こんな重たいものを持つだなんていけませんよ』とかいって運んでくださった上に、洗濯物を干すのも手伝ってくださって」
「それなら私だって朝食の席で『キミが淹れてくれる紅茶は本当に美味しいね』といってくださったのよ!」

密か……というのは些か語弊があったかもしれない。
メイド達はカスティナが騎士として培ってきた当たり前とする女性への態度を見せているが、それまでハデスの城にて黙々と仕事をしていたメイド達には刺激が強いのか、それはまるで天界から現れた唯一の騎士様─光─であると思い、それはもう王子様が現れたかのように黄色い声を上げて、毎日誰かしらが彼女になにをされた、なにをいわれた、などとマウント合戦であった。

そしてそれはメイド(女性)だけではなく。
冥界を守るハデスの兵たちもだった。

「カスティナ様の太刀筋は本当に綺麗だよな」
「人間だがあのハデス様と渡り合えたんだ流石だぜ」
「あんな騎士に俺もなりてぇ……いや、あの人についていきたい」
「てか俺この間『キミの剣は迷いがないね、とても素晴らしい』って褒められたぜ」
「それなら俺だって『キミのような知力を持つ優秀な部下を持つハデスは誇らしいだろうね』っていわれたし」

カスティナは人間であり、あくまでも今はハデスに彼女が"個人的"に仕えているだけの騎士であるが、毎日手合わせをしたり、冥界の守護や様子を聞いては他の兵同様に冥界のことや兵を案じていることから、一般兵はもちろん、ハデスの腹心たちでさえもあの"光"にあてられてしまってきた。

冥府の番犬ケルベロスも
最凶の怪物テュポンも

冥界の全てが彼女にあてられると眩い光のもとにその心が穏やかな春のようにされてしまうのだというが、彼女の話についてハデスに仕える者たちで知らぬ者はいない。

悲劇の騎士カスティナとして。
元から彼女が冥界に現れたことは一大事件で、人間ごときがハデスを狙いに来たのは愚かであるとするが、その人間があの冥王に槍を持たせ、敗北したといえど互角に戦い、さらには負傷させたことに冥界は動揺した。
さらにハデスはそんな彼女を自分の"妻"として求めたことについて城中の者が知り、彼女を客人としてもてなしたが、その客人としてもてなしていた際から従者や兵たちに今のように交流し、その心の氷をゆっくりと溶かした。
そうしてゆっくりと彼女に心を開いて行く中、彼女が生前の王には道具にされ、それでも国のために生き、さらに妻には最後まで不貞を働かれ、あまつことか毒を飲まされた上に間男を使い殺害されたという過去。
その上、死後も人類の為にと騎士を貫いていた中、自分を殺害したはずの妻に花を届け一途な愛を送り、冥界まで彼女を迎えに来た挙句に捨てられたということ。

そしてその話についても広がり、冥界の者はもちろんだが、天界の女神たちも涙を流さずに語ることは出来ないほどで。
「でもハデス様よ」「いやまぁ弟たちと比べたらねぇ」「あの方は不器用なだけで純愛だし」「でも浮気してたような」「まぁでも私たちの騎士様がわかってるし」
などと若干の不敬な言葉を浴びせつつも、彼女とハデスの関係については密かに周囲は応援していたものの、当の本人たちはといえばそれはもう王と騎士という関係を続けており、甘い恋人のような関係性には見られなかった。しかしながらその中にもトキメキはあるとしてメイド達は常に目を光らせて二人を見守っていた。

今やハデスの城の女性達にとって二人は少女漫画よりも甘酸っぱく切なく胸ときめく関係性なのだった。

「それでハデスが僕に……!」
「……」

ハデスの居城の最深部には誰も寄り付かない場所がある。
そこは蝿の王であり厄災とも呼ばれる呪いの男ベルゼブブが日夜研究に勤しんでいたからだ。他人を望まず孤独を好み。いつだって死ねぬ呪いのかかった自分の本当の死を願うベルゼブブは自分の救いとなったハデスの城の一角にて静かに過ごしていたが、その研究室に足を運ぶのは今や冥界の聖騎士と呼ばれるカスティナだった。

彼女は世話焼きかつ好奇心旺盛な騎士であり、研究者として常に何かしらに時間を費やすベルゼブブに興味が強く暇さえあれば食事を片手にベルゼブブに会いに来た。

ベルゼブブは静寂を好む質だが、如何せんこの無邪気な光の騎士を嫌うことはなく、反対に自分に好意的である彼女を多少は気に入っていた。
一日何があったのかと報告をして、研究の進捗を聞いて、ベルゼブブの心配をする彼女にベルゼブブは犬のようだと思った。
話をするとついてもない尻尾がブンブンと揺れて、研究室の危険な培養ポットをまるで動物園や水族館の展示を見る子供のように見ては「大きくなるんだぞ」と声を掛けているソレはかつて冥界を滅ぼしかけた伝説の狂戦士・波旬の残穢だぞと思いつつも見守った。

「それでその服はどう?」
「ん?あぁキミが作ってくれたこの軍服、とっても動きやすいよ!軽いし耐久力も素晴らしい、ほとんど鎧だね、魔力も弾くと言ってたが、その辺は少しまだ分からないので申し訳ない」
「その辺はデータがあるから大丈夫」
「それにしてもベルゼブブ、本当にキミは素晴らしいよ、こんなに探究心が強く努力を怠らない、この服に関してもキミが作ってくれたと聞いたが裁縫まで出来るだなんてまさに天才だ」

そういって立っていたカスティナはベルゼブブの前でその純白の軍服の裾を摘んでは感心するように熱く語る。
元々鎧の下に着ていた彼女の生前からの軍服は人間のものであるゆえにすぐに傷んでボロボロとなるが、まるで気に入ったブランケットを手放せない子供のように大切にする彼女に見窄らしいから手離せとハデスは告げたがどうしても無理だという彼女にベルゼブブは仕方なく手直しをしてやった。

軽量化と耐久力と防護力に彼女が持ち得る聖力を兼ね備えた純白と金の軍服はベルゼブブが天界と冥界から特別に取り寄せた守りの祝福が込められた生地であり。そこにカスティナの髪を糸として加工すれば彼女が生まれ持って得た聖者の力も相まって普通の神々でも簡単には壊せない装備へと変わった。

ただの人間ではあるが、一定数"聖者"と呼ばれる生まれながらに祝福を受けた人間には特別な力があると言われるが、まさかその存在が目の前に現れるとはとベルゼブブは驚きと喜びを感じており。
自分に強い感謝を示す無邪気な彼女を友人として好いている反面、この光がいつか自分を殺してくれないだろうかとも考えた。
かつて親友と愛する人を失い、その愛する人に愛ある呪い─祈り─を掛けられたベルゼブブは、彼女に対しても自分に対しても愛ほど恐ろしいものはないと感じていた。

「カスティナ、そういえばここにグミがあるんだが食べないか?」
「サルミアッキのように真っ黒だね、いただこう」

ベルゼブブは手元に置いてあった黒い禍々しいお菓子を一つカスティナの口元に寄せる時、何かがベルゼブブの手から取り上げられてゴミ箱に捨てられた。

「おいベルゼブブ、なにコイツにテメェのキモイ虫(波旬の残穢)食わせようとしてんだよ」
「……別に」
「アダマスなんてことをするんだ!せっかくベルゼブブがくれたお菓子なのに!食品を粗末にするとは良くないぞ!」

アダマスの手で捨て去られた黒い禍々しいグミを手に取るとそれは塵のように溶けて消えてしまい、彼女は「あれ?」というものの、アダマスはベルゼブブを睨み、ベルゼブブはそっと視線を逸らしつつ手元でメモを取り直した。
そこには〇〇回目の隣にバツの印をつけていることに、隙あらばしているのかと気付いてはアダマスは弟のようにかわいがってしまってるカスティナの身を案じてやったのだった。

「全くキミ達は本当に仲がいいんだね!」
「「全然」」

結局カスティナは廊下にいるメイドに頼んでお茶菓子を貰い三人はまるで昔ながらの友人のように気さくに話をしつつ時間を過ごした。
まるでカスティナは冥界に光を与える小さな太陽のようであり、眩いばかりの純白の軍服も鎧もその全てが彼女を形容するものであるとして、彼女に関わる者たちは彼女を受け入れた。

勿論それはハデスも……という言葉では彼は収まらなかった。
カスティナを愛するといった言葉は嘘偽りなどなく、けれど彼女(彼)の心を丁寧に扱い、客人として招いたまま、けれども自分の騎士として、そして愛する相手として。

──それは騎士でも女でもない、カスティナという一人の人間としての扱いだった。

冥界の空がさらに暗くなる頃、彼女はただ静かにバルコニーから空をみていた。
どれだけ取り繕っていても心の中に残る小さなモヤはまるで冥界の空のように陰りがあった。妻の言葉は寝ても冷めても消えることはなく、夢の中さえ現れてしまう。
それでも小さく胸の中に残るのはかつて自分に微笑むを浮かべ、手を取りあった甘い時間。夢のようだった...という比喩ではなく、本当に夢だったのかもしれないと彼女は自分に言い聞かせてしまう頃、服の下に未だに残っている銀の指輪が小さく光った。

あの日投げ捨てられた指輪は丁寧にも目覚めたときに元の指に飾られていた。直ぐにハデスの仕業だと理解して、感謝をすればいいのかもわからずに知らないフリをした。
首から掛けていたネックレスを外すと小さな十字架と共に並んだ銀の指輪、かつての神への祈りと妻への祈り。それは何も意味などなかった。

「いや...そんなことはないな」

ずっと祈っていた。
妻の平和と幸せを...それはある意味、彼女が戦場にいれば、彼女が死んでしまえば祈りは叶っていたこととなる。
天界においても、妻を追いかけたが面と向かって言葉を交わし、戻れぬものになってしまったのだから、神は最後まで祈りを聞いてくれたのだ。

それなら彼女を自分を祈る者はいたのかと考える。
いたはずだ——かつて自分のためにと笑いあった両親も、国のためにと貢献する度に背を見届ける民も、そして愛する妻も祈ってくれていた。
みんなが祈り、そして全て離れた。
両親は兄の死に苦しみ娘の思いとその存在を捨てて、民は騎士の死を嘆き国を滅ぼして、妻は夫になる騎士を受け入れられず。

手が震えていた。
冥界の冷たさがきっと心を冷ましてくれると思っていたが、冥界は暖かく優しいもので、かつての場所を思い出してしまう。
「主よ」と口にしてしまう声が震えた、誰に願えば届くのか、何を願えば許されるのか、彼女は必死に考えても喉は震えて声は出なかった。
銀色の指輪はいつだって丁寧に磨かれて、傷があれど美しいほどに輝いており、その輝きを彼女はこの暗い闇の世界を統じる王・ハデスのように感じてしまうと胸が痛くなった。
ハデスはとても優しく丁寧にまるで彼女を優しいブランケットで包むように接して、その全てを授けてくれる。それは王としての力だけではない、個人の感情からくるものだと理解してしまうのは、彼女がかつて献身に注いだ愛と似ているからだ。
否、それ以上の温もりがハデスにはある。

あの日、彼に抱かれていたらその苦しみはなかっただろう。
しかし、心はきっと闇に囚われ戻ることはできない。
人生の道はいつだって木の枝のようで複雑だ、正解などないと彼女は理解しているのに探してしまうのは人間ゆえの愚かさだろう。
手の中の指輪を見た。投げ捨ててしまえば過去を全て切り捨てられるのにと彼女は思いながらも手のひらで握ったそれを捨てるふりすら出来ずに顔を俯かせてバルコニーの縁に腕を立てて涙を流した。
美しく彩るネグリジェは彼女の女の体を見せつけるが彼女は全てを捨てきれず、ネックレスを付け直し、羽織っていたストールを直しては部屋へと戻った。

「夜間警備でもなく騎士が夜ふかしとは関心しないな」
「外の空気を吸いたかったんだ、キミこそこんな時間に一人で歩くとは不用心だ」
「どこにいても王の危機にすぐ気付く騎士がいるものでな」

広く静かな廊下では赤い火を点けたロウソクが揺れていた。
自分の部屋へ戻ろうとする彼女の向かいから歩いてくるのは変わらず白銀の姿の冥府の王であり。彼は向かいの鎧を脱いだ騎士をみては冗談を交えるように返事した。
薄いストールの下のシルクのネグリジェ彼女をみて、ハデスは足を進めては彼女の前で足を止めると自身のコートを彼女の肩に掛けてやると、ふわりと彼の香りが彼女を包みこんだ。
当たり前のような彼の行動に驚く暇もなく「今夜は冷える」と短く言われてしまうと彼女は何も言い返せずにコートを掴みつつ、頬が小さく熱を持つことを感じた。

「毎晩夜遊びのために外に出るのはいいが、もう少しマシなものを羽織れ、騎士がくだらないことで体調を崩せば笑われるぞ?」
「夜遊びなんてするわけないだろ!というか羽織が薄いのはキミが用意してるからだろ!」
「見栄えを取ってのことだが毎夜外に出るとは思わなくてな」

余の騎士は遊び盛りなのかもしれんと意地悪く笑うハデスは彼女が本当に夜遊びをしているなどとは思っていない。反対に彼は彼女がなぜ毎日外に出るのか理解しているが敢えて知らないフリをしていた。
しかし赤く染まる頬とは反対に白くなった指先を見る彼は騎士のその両手を取ると、自分の側に引き寄せて大きな両手で包んでやるなり、小さく息を吐いて擦ってやった。

ハデスの骨ばった男性らしい手は槍を掴むことに長けた指先をしているものの、カスティナとは違い綺麗な手をしており、女性よりも白いのではないのかと聞きたくなるような肌をして、彼女の手を包んで何度も冬の空の下で温めるように息を当てて、労わるように手を撫でれば冷え切った手がゆっくりと彼の熱が彼女に伝わる。

まるで血が通うように彼女の指先が少しずつ熱を帯びて、暗い廊下に二人だけの明かりが灯るようだった。
カスティナが顔を上げると、ハデスの伏せた長い睫毛と、月のような神秘的なその瞳の中に自分が囚われているのだと理解してしまう。

「カスティナ...」
「ハデス...」

小さく胸の鼓動が響いた。顔に熱が次第に広がって、胸のうちから全身にと思うとき、彼は彼女の頬を包んでまるで赤子の頬を遊ぶようにむにむにと両手で内側に押しつぶした。

「ははっ、カスティナよ、そなたは騎士でありながら赤子のような肌だな、懐かしい赤子の頃のゼウスの柔らかさを思い出すようだ」
「わっ、っぷ、うっ、やめっやめろよハデス、僕は赤子じゃ」
「あぁお前はカスティナだ」

騎士でもない、女でもない、ただのカスティナという人間。
神でも、聖者でも、何者でもない存在であると、ハデスの神々としての瞳で告げるものだから、彼女はその瞳の中に閉じ込められてしまうと、思わず彼の手に自分の手を添えた。

「そうだ、だから、今晩は寒いから、眠るまで側にいてくれないか」

それは恋しさであると理解している。
彼が甘やかせてくれると彼女は静かに理解してしまっている。
ハデスは何も言わずに彼女に掴まれた手を見つめて微笑んだ。

広いベッドの中で孤独に横になり規則的に寝息を立てる彼女を見下ろすハデスはその髪や頬を撫でた、眠るまでと頼まれては彼女の部屋でベッドに腰掛けて何も言う訳でもなくハデスが頭を撫でていれば彼女は静かに眠りにつき、彼はしばらく眺めていた。
彼女は身体を小さく丸める中でもその胸にまだ残る指輪を見つめるとハデスは触れることもできずに眠る彼女に問いかける。

「余がそなたを愛してやる、だからはやく、呪い─そんなもの─を手放してくれ」

心は未だに過去に囚われる彼女にハデスはそう望んで顔を寄せて彼とは違う丸い耳に唇を重ねた、夢の中でくらい自分を見てくれと思いながら。
その夜、カスティナの夢には一筋の優しい光が差し込んだが彼女はまだその光に触れることは出来ず、目覚めた時いなくなったハデスがほんの少しだけ恋しいと思ってしまうのだった。


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