蜂蜜いつつ




「おはよう、調子はどうだいバルゼミア」
「平気だよパパ」

バルゼミアはゆっくりと目を開いた。彼女はハデスの居城の最深部にあるベルゼブブの研究室にて検査着を着たまま横になり、いくつもテープが貼られては心電図を取られたり、血液を採取されたりとしており、それは不気味な研究の一環にも見えるがベルゼブブによる定期的な健康診断の一環だった。
横になるだけで何もしなくていいとされるバルゼミアは慣れたもので数時間の検査の上でようやく終わりだと言われ起こされて、ベルゼブブに支えられながらゆっくりと起き上がると彼に仕えているメイドであり妻、すなわち彼女の母バーモットが「お疲れ様です、大丈夫ですか?」と優しく声をかけることにバルゼミアは微笑んで奥の部屋で着替えをした。

来客用の椅子に座るバルゼミアにベルゼブブはモニターで数値を見ながら特に問題がないことを確認しつつ、彼女が日頃からブローチを肌身離さず付けており、ベルゼブブはそのブローチを片手に小難しい顔をしていた頃、バルゼミアの前にバーモットがバラの花弁が乗った甘酸っぱいラズベリーティーを置き、さらに長時間頑張りお腹を空かせた娘を労わるように三段のアフターヌーンティーのセットを置いてやると彼女は目を輝かせて「え!ママのフルコース!」と声を出すため微笑ましく感じた。

「ハデスさんのそばに居るからか前より魔力が溢れやすくなってるみたいだ、これは調整が要りそうだ」
「本当ですね、こちらの数値とここの数値が特に上がってる、ハデス様を想われる感情のせいでしょう」

バルゼミアは両親が真剣に自分の為に思って自分を解析してくれていることに少しだけ暗い顔をしてしまうと、二人は慌てて気付いては両隣に座り優しく娘を抱き締めた。

「力の制御が完璧に出来ないことは貴方のせいではありませんよバルゼミア、私はあなたに教えられなかった故なのです」
「そうだよバルゼミア、君は本当に素晴らしい子だ、そんな暗い顔をしなくていい」
「うん、大丈夫だよパパママ、ハデスおじさまも分かってくれてるし、少しは自分でコントロール出来るもの」

それはバルゼミアが生まれた頃からだった。
ベルゼブブは義父バフォメットに対して、自分は娘に彼のような混沌の親バカには絶対にならないと言い、実際にバフォメットのような過保護にはならなかったものの、タイプの違う過保護になったがそれは仕方ないことだった。
神界において神々が子を持つ際には必ず"創造承認書"が必要であり、そこに主神からの判を貰わねば、どれだけ愛し合おうが行為をしようが子を宿すことは通常出来ないこととされ、万が一勝手な創造をするような事があれば処罰を受けることとなった。
孫を欲していたバフォメットであるが、娘夫婦が結婚後何千年も経過した末に子供を作ることにしたと言われた際にバフォメットは二人を祝ったものの、決してそれが幸せだけではない可能性を話した。

「あなたが簡単に喜ばないなんて意外だなバフォメット卿」
「フム、ベルゼブブよ、余もカオスの化身、黒山羊の悪魔といわれようとバーモットという娘を前にすれば所詮はただの親であるのだ、バカかどうかは覗いてな」

バーモットは男同士の話、そして薄らと理解している故にその席から離れて二人だけの男の話し合いにさせた。元よりベルゼブブは優秀な科学者であり死を望んだ存在、そしてバフォメットは神界屈指の知恵のある賢者でもあり、生を司る神でもあった。
冥界を何度も崩壊させるほどの力を持ち、神界全体を何度もあ混乱に貶めたことのある問題児バフォメットが落ち着いたのは地上界で出会った人間の妻との真実の愛のおかげだった。そしてその中で生まれた子がバーモットであり、それはもう溺愛したものだ。

「悪魔(神)と人の子であるからこそバーモットは自分に規律を作り、あの型に抑えることができた、しかし次に生まれる子はお前(神)とあやつ(半神半人)だ、その血は濃くなるだろう」
「それは僕の血ではなく、あなたの血ということですか?」
「そうだ、余も自分の血を調べたのは娘が生まれたからだ、あやつは余を継ぐものと思われ怯えられ、虐げられた……あぁ今思い出しても憎らしい」

殺してやりたいとバフォメットの心からの憎悪に対して、自分の娘を重ねればベルゼブブも痛いほどに理解できた。バフォメットが言いたかったことはその血をより濃くしたバルゼミアはもっと苦しむことになるかもしれないという事だった。
実際に生まれてすぐからバフォメットの血を開花させたバルゼミアに、ベルゼブブは悪いと言いつつも彼女のために何度も注射を打ってその血を解析し、彼女の性質を理解し対策を取ってきた。

バルゼミアはやはりバフォメットの血が濃く、バフォメットに近い濃度のカオスを撒き散らして歩いてしまい度々城の者を狂わせ、ベルゼブブはその度に彼女を抑えてやった。力の加減というものをバルゼミアは分からずバフォメットは教えてみるものの彼女は不器用であり、その結果ブローチで抑えるということが一番簡単なものになった。

しかし成長と共に魔力や濃度は変化を重ね、その都度バルゼミアは周囲を狂わせ、そして孤立したことをバーモットは何よりも苦しく感じた。かつてバフォメットの娘だからという理由で石を投げられたことがある彼女は娘が悲しんでいないのかと不安になったがバルゼミアは毎日楽しそうに外の話をすることに安心したつもりだったが、その闇は深いものだった。

「ねぇママ、どうして私の傍には誰もいてくれないの?」

幼い娘にそう言われた時、バーモットは娘以上に泣きたい気持ちになって彼女を抱きしめた。娘が生まれた時のことがあるためバフォメットを刺激してはならない、だから孫娘に関しては関わらないようにしようと務めて、同じクラスだというのに誰もが彼女を孤独にさせた、家族以外の全員がだった。

しかし一番家族に近いが他人であるハデスは違った。
バルゼミアが望む言葉もものも態度も全て与えたからこそ孤独を与えなかった、外でどれだけ辛くともバルゼミアはハデスがいてくれればいいといい、そしてハデスは彼女を慈しみ深い愛を与え、自分の城の者たちにもそうするように伝えて対策を打ち、友人の娘でありかわいい姪のような存在であるバルゼミアのためにとその権力を使い倒し、そしていつしかバルゼミアの周りには普通の友人も少しずつ増えたのだった。

「調整も終わったから今日はもう終わりだ、またおかしかったりしたら教えてくれるかい」
「うん、ありがとうパパ、それじゃあそろそろおじさまのところに戻るね」
「バルゼミア、くれぐれもハデス様にご迷惑をかけないように、ですよ」
「はーい、わかってまーす」

間延びをした返事をして、ニコニコと笑って出ていったバルゼミアをバーモットは理解している、彼女があの笑顔の下に傷ついた顔を持っていることを。

長い検査の日であったこともあり一日休みを貰っていたバルゼミアは城の図書室で静かに本を読んでおり、そこにはバフォメットについてであり、特にその血の話や、黒山羊の悪魔バフォメットがどのようなことを巻き起こす者なのかが記載されている。
バルゼミアは決してその血を嫌っておらず、反対に祖父も含めて好きだったが血というものはあまりにも複雑なのだと理解したのは成長をする中でだった。バルゼミアがハデスを好きになったのは確かに小さな子供の恋だったが、それが確信に変わっていったのは大人になってからだった。

「バルゼミアちゃん好きだ」
「バルゼミアさん付き合ってくれ」
「バルゼミア結婚前提に」

バルゼミアは自分でも容姿端麗であり明るい性格は他人を吸い寄せるものだと理解していた。だからこそ他人に好かれることは悪いことでは無いと思っていたが、彼らの瞳の奥にはバフォメットの血を継ぐ者という家柄や血族に見た目だけしかないのだと理解した。
だからこそ彼女は敢えてバフォメットの瞳で混沌を彼らに与えてやった、真実を知った時に相手はどんな態度をするのか気になったからだ。案の定相手は正気に戻ると怖がったり不気味がったり、反対に彼女を罵る者もいた。それが"悪魔"と呼ばれる存在なのだから当たり前だと思えた。

「相変わらず独特の不思議な目をしているな」
「……ハデスおじさまは私の目が怖くないの?」
「怖い?バカをいうな余は冥府の王だ、そなたの祖父とも嫌々だが友人だ、あれによく似た目を怯えるなど笑止千万、余を甘く見すぎだ」

それは繊細な思春期のバルゼミアがハデスと過ごしていた時、何かをきっかけに大きな感情が出てしまった時にその混沌の瞳を発現させたが、ハデスはなんてことも無い態度をみせた。当たり前のことだったのかもしれない。
バフォメットの素の瞳であり、バルゼミアが幼い頃から抑えきれずに見せたことのある瞳だ、彼女の黄金色の瞳が透き通る蜂蜜のように重たくも美しく輝き、瞳孔が不気味な形に変わることなどなにもかんびることはない。

「お前の瞳は美しいものだ、尊敬する祖父と同じであるのだから誇るがいい」

それは子供慰めだけの言葉ではなく心から美しいと感じる時の声であり、バルゼミアはハデスに頭を撫でられながらそれを胸の中で何度も繰り返し、自信のなかった思春期の時期を乗り越え、そして完璧な姿になろうと心にした。規律で自分の清さを守った母とは反対に、自由でありながらも自分の誇りを守ることにしたおかげで、ハデスへの愛を溢れさせた。
そしてだからこそ、報われない恋になり、傷つくのではないかとバーモットは不安がっているが、バルゼミアはハデスとの関係がどんなものになっても構わないと思っていた、メイドという形でもそばにいられたらそれでいいと胸の中で言い聞かせて、彼の姪という立場に甘えてほかの者が触れられない場所にいたらいいと。

「次期バフォメットは休みの日でも勉強か」
「ハデスおじさま、どうしてこちらに」
「余の城の図書室だからな、来て問題が?」
「そっそんなことありませんけど、誰もいないと思っていたので驚いてしまいました」

照れくさそうに笑うバルゼミアは検査であったこともあり、普段よりもずっと大人しい貞淑な女性の格好をしており、ハデスはじっくりとバルゼミアをみては「普段よりも露出が少なくて良さそうだ」と返事をすることに内心自分の魅力は全く届かないのだと思って苦笑いをしつつも本を閉じてしまう。
次期バフォメットを継ぐ者としての勉強は続けねばならないものの、好きな相手以上に勝てるものはないのだ。

「先程ベルゼブブから報告を受けた、魔力が強くなっているとな」
「ご迷惑おかけ致します」
「なんだ淑らしいではないか、しかしバルゼミアよ誇るがよい、お前は立派な黒山羊の悪魔を継ぐ者として優秀な存在であるのだからな」
「しかし抑えることもできない未熟者です」
「構わん、抑えることなどどうとでもなれる。重要なのはその力に向き合うことだと教えてきたはずだ」

幼い頃から力に悩むバルゼミアを知っていたハデスは常に力の使い方や、それに向き合う姿勢の話をしてきてくれた、抑えることはベルゼブブやバフォメットのように外部ツールで行えるが、その力に飲み込まれてしまえば意味がなく、向き合うことで己を知れると武人のような言葉をバルゼミアに語っており、その言葉に彼女は救われた。

「お前のその心は向き合っているからこそだ、流石余のバルゼミアだな」
「自慢の姪ですか?」
「姪であり、メイドだ、そしてそれ以上にいつまでも愛らしい存在だ」

その瞳に映る自分の姿が何者かなどバルゼミアはどうでもよかった。
ただどの形であれどハデスに思われるのであれば幸せはこの上ないものであるため、頭をを撫でる彼の手のひらにさに頭を押し付けるとハデスは微笑んだ、たとえどんな結末であれど幸せであるという気持ちは変わらないから。
姪であり、メイドであり、自分である、それだけでいいと彼女は思いながら今日も「ハデスおじさま」と彼を呼ぶのだった。