第十九話


十五世紀──まだ魔術が秘匿ではなく“畏怖”として王侯貴族の間に存在していた時代。その男は王宮魔導士として名を馳せていた。彼は自分の記録を極力隠すようにしていたがそれでも残った資料からしても一流の魔術師であり、彼自身は周囲が彼を呼ぶように『大魔道士』を自称した。

名を、オブセル・ウァートル・アヴニール。

未来予知、予言術、ルーン、古代魔術、ありとあらゆる魔術に精通し、古来より魔術家系である彼はその時代でも魔術回路も魔術刻印も現代の魔術師を含めても稀に見る者で。
その魔術の腕はどれを取っても第一級であり、特に「未来視」に関しては右に出る者はいなかったされていた。

王が彼を信頼した理由は、単純に強大だったからではない。

彼は“人を見ていた”。

飢饉が起きる前に備蓄を進言し、疫病の兆しを見れば村を閉鎖し、戦争の気配があれば兵の家族に金を配らせ安全な場所に避難するように告げて、彼は人を守るために魔道を極めて魔術を利用した。
そして未来を視る男でありながら、彼はいつだって目の前の人間を大切にした。未来はきっと何百年先も見ることができるが彼はほんの少し先の未来だけを見て、深くは求めなかったのだ。

──だから人々は彼を恐れるより先に愛した。

王は彼を友と呼び、
騎士は彼に酒を勧め、
侍女たちは彼の好きな茶葉を覚え、
市場の子供たちは彼のローブを引っ張って笑った。

そして彼にもまた、人々のように特別に愛する者がいた。
──妻だった。
柔らかく笑う彼にとってこの世の誰よりも美しい女性で、魔術の知識などほとんど無かったが、研究に没頭して寝食を忘れる彼に毛布を掛けるような人で、よく笑ってよく泣いてオブセルが揶揄うとかわいく怒った。
そんな素敵な彼女との間には二人の最愛の子供も生まれた。
大魔道士はその子供を抱いた時、年甲斐もなく大泣きしてルーンの祝福を沢山作り、ゲッシュの誓いも立てようとしては王も含めて全員に止められた。

愛する妻との間に産まれた、幼い息子は彼のルーン札を勝手に持ち出して怒られ、愛する妻との間に産まれた、娘は彼の短い髪を結って遊び、そんな光景を見て妻が笑う。それをみるたびにオブセルは思っていた。

───ああ、自分は幸福なのだと。

未来を見通せる男だった、数え切れない破滅を見てきた、人の醜さも愚かさも知っていた。
それでも、それでもこの世界には価値があると思えた、信じていた。人々の温もりも愛も何もかも嘘がないから、彼は生命すべてを愛していたし自然も好きだった。永遠に続けばいいと思ったのだ。

だが──戦争が起きた。
それはどこにでもある戦争だった。
領土・宗教・資源・誇り・復讐。
理由はいくつもあったが、結局は人が人を殺しただけの話であり、オブセルは前日に未来を見た、見えていた、この戦争が国を焼くことを、どうなってしまうかを。

未来視は万能ではない。
未来を知ることと、人を従わせることは違う、彼がどれだけ慕われた魔道士でも人々には生活があり、そして迫り来る炎を防ぐことはできない。
王は最後まで抗い、民を逃がし、騎士たちは城門で死に、炎が王都を呑み込んだ。そして妻も、子供も、王も、国も。
彼は一夜にして全部失い、絶望を知った、それまで戦争を知っていた、自分達の国も戦い、領土を増やし、人を殺したのは分かっている。彼は直接その手で人を殺していないが自分の力を国に使用していたのだから罪は同じだった。

そして心労からオブセルは長い間放浪した。
何年だったのか、自分でも分からなくなるほどに。
荒野を歩き、雪原を越え、名前も知らぬ土地で眠り、人々の営みを見た。
人は泣いていた。笑っていた。恋をしていた。子を産んでいた。

世界は続いていた。
自分の全てが失われたあとも。
それを知ると彼は少しだけ安心して、彼はかつて祖国だった場所へ戻った。

だがそこにはもう何も無かった。
城は崩れ、街は形を変え、新しい人々が暮らしていた。
彼の愛した城下町も、人々も、銅像もない。
そこに住まう人々は数年前だと言うのに誰も王の名を知らなかった。
かつて民を守った騎士も、英雄も、歌も、誓いも、何一つ残っておらず、彼はフラフラとした足取りで酒場に行き浴びるほどの酒を飲んだ。金だけは無駄にあった、皮肉なことに彼は魔道士であり錬金術もできた為、汚い稼ぎ方をすることができた、かつての大魔道士は今や見る影もない醜い男だった。
それでも彼は希望を僅かに抱いて尋ねたのだ「この地にあった王国を知らないか」「王を知らないか?」返ってきたのは怪訝そうな顔だった。まるで酔っ払いの話を聞くようなうんざりしたような、嘲笑した顔で。

「昔話か?」

その瞬間、彼は理解した。
人は忘れる。
どれほど愛しても、どれほど大切でも、どれほど命を懸けても。
人は忘れてしまう。

それが悪なのではない。
人は生きるのに必死だからだ当然のことだった。だから彼は人を恨むことは無かった、明日の食事、今日の寒さ、家族の生活、愛した人ださえ、変えてしまう。
それは積み重なった本と同じ、読まれることもなく開かれることもなく、誇りを被って過去は埋もれていく。

オブセルには耐えられなかった。
愛した人々が、存在しなかったことになるのが。
いや、もうすでにその時には彼以外の中から存在は消えていたのだろう。
だから彼は“観測者”を作ろうとした。

記録するためではない。

“生きたまま残す”ために。

人の温度を、涙を、笑い声を、喧嘩を愛を。
そしてオブセルは妻の笑顔を温もりを肌の感触を口付けの味を思い出した時、機械では駄目だと判断した、冷たい記録では意味がない。

抱きしめた温もりを知る者が必要だった。
抱きしめ合う温もりを得ることが必要だった。

そうして彼がかつての王宮の地下工房で狂気じみた研究を始めた頃、一人の青年がやって来た。

──彼の弟子だった。

王宮魔術師時代からずっと彼に付き従っていた青年。
優秀だった。魔術の腕も確かだった。誰もが優秀だと言って彼を評価するが同時にとても人間臭くて、そこが欠点だと周りは言った。

腹が減れば機嫌が悪くなり、
嬉しいことがあれば大笑いし、
美しい女性を前にすると照れて、
理不尽を見れば怒鳴り散らし、
悲しいことがあるとすぐ泣いた。

魔術師としては致命的なほど感情豊かな男だった。
きっとオブセル以外がみればなんて魔術師に似合わない男なんだと憤怒されるだろう、実際彼はオブセル以外の魔術師には好かれなかった、怠惰だし、くだらない事で魔術を使ったりした、それは女を口説くためや、泣いてる子供を慰めるためだったり、困った人を助ける優しい魔術の使い方でその優しさをオブセルは"魔法使い"と呼んだ。童話に出てくる優しい存在だ。

彼は荒れ果てた工房を見てまず初めに叫んで盛大に転がった

「なんつー部屋ッ!先生、ちゃんと食べてます!?うわ汚ったない!!」

それが再会の第一声だった、もっと色々あるだろうにと思ったのにオブセルが戻ってきたことを知った彼はずっと彼を探して追いかけていたようなのち、その反応だったから、オブセルは久しぶりに少し笑ってしまった。

世界が終わったみたいな顔をしていた自分に、
弟子はいつも通り世話を焼いて人間として接してきたからだ。

そして弟子は知った、
観測者計画を。
オブセルが何をしようとしているのかを。

人間の魂と記録を未来へ継がせる禁忌。
命を媒体にした永続観測機構。
それを聞いた瞬間、弟子は泣いた。ぼろぼろと、まるで子供のようでありオブセルは懐かしい自分の子供たちの泣き顔を思い出して、慌てて彼を慰めたが弟子は震える声で問いかけた。

「なんで一人でそんなもの背負うんですか」

オブセルは少し驚いた、責められると思っていたからだ。
禁忌だと。狂っていると。やめろと言われると思っていた。
それが普通なのだ、当たり前なのだ、これは神の理に侵食する行為であり、人がしてはならないのだ。だが弟子は違った、彼はオブセルが誰よりも優しく、そして誰よりも人を愛する"人'だと分かっていたから。

「先生がそんな顔するくらい苦しかったなら、自分も一緒に背負います」

その言葉に、彼の表情と姿に、オブセルは強く首を振った。
こんな優しい青年を巻き込みたくなかった、彼はまるで自分の息子のようだった。誰よりも自分によく似た優しさと思いやりを持っている。

──観測者は罪だ。
──人の生を歪める。
──永遠に世界を見る呪いだ。

それでも力になりたいと願う弟子の悲痛な声にオブセルは彼の手を握り子供を窘めるような声で頼みごとをした。それさえきっと深い罪だ。それでも彼だからこそ任せられると思った。

「“目”になってくれ、"耳"になってくれ、君の五感全てで、その人生を味わい尽くして欲しい」

観測者そのものではなく、未来を見続ける者に。
普通の人間として生き、世界を見て、笑って、恋をして、怒って、泣いて、今のような姿でいて欲しい。
その全てを未来へ繋ぐ者にとオブセルは祈るように願うと弟子はしばらく黙っていた。
オブセルはなんて酷い頼み事だろうかと思ったが弟子は泣き笑いみたいな顔で頷いた。

「……はい!!」

その日から彼は旅をした。
名を“アヴニール”と変えて。
未来を意味するその名を背負い、
彼は世界を歩いた。

国を巡り、人と出会い、恋をして、家庭を持った。
彼は英雄にはならなかった、ただ人として生きた。
子供を抱き上げ、妻と喧嘩し、老いて、笑って。たくさんの人に囲まれて、そして死ぬまで観測した。

それが最初のアヴニール。
本当の最初の観測者。
オブセルは夢の狭間からそれを見守り続けた。

何世紀も、次の観測者も、また次も。
皆どこか弟子に似ていて、平凡だった。
怖がりで、泣き虫で、優柔不断で、ちょっと勉強が苦手で、恋をして、誰かを愛して。

それでも人の隣に立ち続けた。
未来を紡ぐためで、アヴニールが時代の自分の子に自分の使命を伝えるのをみた。

「これはとても大変だ、だから嫌なら断っていいぞ?」

弟子は自分の子供にそう言った。
だからオブセルも観測者たちにする時に聞くのだ。

「断ってくれてもいい」

それが弟子の言っていたことだから、彼はそれを厳守した、もしダメなら他の候補者に声を掛けるが全員ダメならそれでもいいと思った。その時には何かしらきっとできると思ったのに、アヴニールはみんな優しくて断りきれない性格なのかもしれない。

『こんにちは未来の観測者、エクレール・アヴニール、君を次の観測者にしたいんだが、どうかな?嫌なら断ってもいいよ』

その時のアヴニールも間抜けな顔をしていた。

『普通に生きてるだけ?それだけならまぁ…いいですよ、あーぁでも私ちょっとくらい魔術師の家系なんだし、ちょっとくらいそういうのあっても良かったのになぁ、いやでも魔術師って嫌だなぁ魔法使いとかのがいいかも!』

なんて面白いのかと彼は笑った、そしてだからオブセルは思うのだ。

──ああ、自分は間違いなく罪人だ。
──だが。
──この人間たちを残せたことだけは、きっと間違いではなかったのだと。

彼はロッキングチェアに座りながらベビーベッドについたベビーモビールが回るのを眺めては手の中の本を閉じた、彼も魔術書や複雑なものは好かなくて、いつもその手には子供たちに読み聞かせていた童話を持っていた。

「エクレール、君は魔術師も魔法使いも似合わないよ、君の家はみんな誰かの隣で泣いて笑って怒るのが、一番似合ってるんだからね、それに君……複雑なことは苦手だろ?」

ウォーデン・クリフタワーにて困惑したような彼女にオブセルは苦笑いした「ちょっと、僕の術を注ぎすぎたかな?」と大魔道士はそういって、優しい父親のような顔をして未来を見守った、きっとあの空はそのうち晴れるから。

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