六話



「皮肉なのか運命なのか、もはや分からないな」

ニコラ・テスラはそう呟いて懐かしい空を見上げた。
しかし、その空は初めて見るものだった。

数時間前ベオグラード・聖マルコ聖堂にて──

一連の話を聞き終えた一同は深い息を吐いてエクレールのことを考えた。
ホームズ曰く、彼女が記憶を失ったのは聖杯が入ったからであり。聖なる聖杯がルーラーを呼ぼうとした挙句ミスを生じてエクレールが来たことにより、誤ってその中に閉じこもったのだろうと今の所の推察を話してくれたことに一同はそうか……。としか言えなかったが、ペトロヴィッチは兎に角聖杯戦争は続いており。最後の一人になれば、もしかすると救いがあるかもしれないということも話した。

何せ今回の聖杯はアインツベルンだけではなく、かのローマ教皇や枢機卿などの聖人たちは無論。世界の為にと時計塔や聖堂協会の人間なども含めたあらゆる人々がその力を注いだ通常とは異なる聖杯であったからだ。

聖杯の犠牲者が増えれば雫が溜まることは確実で、それを抗うことはできないが、ペトロヴィッチはそれを理解していた。
セルチアに残された最後の人類はあらゆる国から逃げてきた人々が生活をしており。常にあの聖杯の泥に怯えて暮らしており。大きくはない国だが逃げてきた人たちを含めても人口はそこまで多くはなく、凡そ三百万人ほどだった。

けれど人々は笑顔を絶やさず日常を忘れずに生活をしており。
既に魔術協会や聖堂教会に時計塔などの主な機関は完全に消えており。せルチアにも魔術師はほとんど居ないレベルであり。同じく聖職者もペトロヴィッチ以外はほとんどいないレベルで、彼女がセルチアの数多くの教会や聖堂、修道院の管理はもちろん。以前から活動的だった孤児院の管理も行っており多忙の身であり。
聖杯戦争のこともあって疲れが顔から滲んでいるのは隠せないものだが、気丈に振る舞う姿は流石だといえるだろう。

「ところでシスター・ペトロヴィッチ、この聖杯の参加者について、なにか情報は?」
「監督官はほかの神父が担当でしたが亡くなられたので今はおられませんが、私のわかる範囲でお話いたしますね」

エクレールは少しだけ外の空気を吸うといってマシュと共に部屋をあとにしていくのをテスラは何も言えずに見送った。
ペトロヴィッチは座っていたスツールから立ち上がり。観光客向けの地図とは別のセルチアの地図を持ってきてはセルチア全体の話をした。

セルチアはどちらの国も混ぜたような形で、比較的横に長い印象を持つ国土だった。
北は山岳地帯であり、その奥は聖杯の泥に覆われている。高い山と結界により泥が入り込まないようにとなっている。
西は比較的穏やかで北の海へと大きな川が流れている様子で、静かで過ごしやすいとされていた。
東は現在避難者が多く、政府自体も対応に困難になっている部分はあり、治安自体はあまりよくないとされた。
南は完全に海沿いで、クロアチア領といえるような雰囲気と土地をしており。アドリア海が面しており美しい紺青海があるが、その奥には聖杯の泥が見受けられるという。

「またマスターやサーヴァントに関しましては残ったメンバーは私を含めて四組です」

今回は七騎の通常の聖杯戦争のため既に三組は脱落。
残る四組のうちの一組は今説明をしているシスター・ペトロヴィッチとジャンヌ・ダルクであり、ペトロヴィッチは「残った三名は癖がある人ばかりでして」と困ったように呟くため、面倒なサーヴァントなのだろうかと藤丸、テスラ、ホームズの三人はみつめるとペトロヴィッチは説明した。

「まずサーヴァント・シェイクスピアとそのマスターですね」
「待てシスター、何故真名を知っている?」

エクレールを殺す可能性を伝えたゆえかテスラはペトロヴィッチへの不信感を隠す気はないように疑いの目を向けたが、ペトロヴィッチよりも先にルーラークラスであるホームズが答えを伝えた。

「博士、ルーラーには真名看破のスキルがある。この特殊な聖杯戦争だと互いに知っているのだろう。安心していい」
「そうか……すまない、シスター」
「構いません。皆様が聖杯たるあの方を大切に思うのは当然ですから……話を戻します」

シェイクスピアのマスター、名はグスタフ・マルコーニ。
セルチア大学歴史教授であり、歴史や宗教に詳しく、妻子を"泥"で失っているが本人はもっぱら観察に徹している。
またサーヴァントのシェイクスピアも劇作家として、今回の終わりを見届けたいとして、双方は聖杯戦争に消極的である。

「あぁシェイクスピアらしいね」

ペトロヴィッチの言葉に藤丸が呟くと彼女は笑った。

次にパーシヴァルのマスター、名はライニール・アルバ・クレイフォン。
元軍人の現警察官。真面目な上に正義感が強く、信頼はあるものの若干正義や自分の考えに飲まれやすい。さらに離婚した妻から引き取った息子を持つシングルファーザーで、彼は自分の子供を大切に思っている。
サーヴァントのパーシヴァルとは黒聖杯の泥から人々を守るために活動しており。話せばそれなりにはわかる相手。

「なるほど、真面目で人々に信頼されているのはいいことだ、しかしその男はミドルネームを変えた方がいい」

テスラの言葉に事情を知る藤丸とホームズは苦笑いした。今頃テスラの頭には憎き獅子頭の直流電流の悪鬼が浮かんでいるのだろう。

「最後の一人が危険です」

そういってペトロヴィッチは北側の森の辺りをや細い指でなぞるように円を描いてみせる。

「ジルドレェのマスター、ブランク・ハリー・ホワイト、残ったメンバーの中では純粋な魔術師で、尚且つ科学にも精通しています」

ジルドレェ……さらに魔術師とは厄介だと苦い顔を三人が浮かべたが、テスラはコーヒーを飲みながら、エクレールと会った初日を思い出した。
博物館前で襲ってきた海魔だが、あれはカルデアのジルドレェが使い魔として使っているのを見たことがあった。もしやと呟いてみればペトロヴィッチは十中八九ジルドレェのものだろうといった。

「彼はアヴニールを知っており、なにか執着しているようでもあったと伺ってますので気をつけてください」

聖杯様を狙ってなのか、別の理由なのか分かりませんが──というペトロヴィッチに一通り話を聞き終えて双方納得できるまでの話をした。
唯一の聖職者であり。今はほとんど聖杯戦争については仕切っているペトロヴィッチは本来は監督官の仕事内容となっているが、父親が前回の黒い聖杯戦争の監督官だったこともあり。それの手伝いをしていた為、多少の情報を調べる能力に長けてるのだといった。

「私は忙しいのでここまでになります。そしてこの教会は残念ながら皆さんを泊められる程の部屋や設備がありません。しかし危険もあるかと思いますのでよろしければベオグラードから離れた北西の小さな村に教会がありますのでそちらを使ってください」

村の名前はスミリャン、そこに唯一あるセルビア正教会は、小さいながらも七人が泊まれるようになっており。たまに客人などを泊めているのだという。
今は入口も閉まってあり、ペトロヴィッチが鍵を貸した者しか入れないようになっているが結界も強く安全も多いため利用して欲しいといわれると、この場から少し離れることとなるが宿泊先を見つけた藤丸は素直に感謝した。

「ジャンヌにつきましてはいつでもあなた方に力を貸すでしょう、ね?」
「はい、神に仕えるように、皆様をお守りします」

それを最後にカルデア一同は集まり。
二時間程度の移動の末に辿り着いたとても小さな村スミリャンに到着した。
静かでのどかな田舎町という雰囲気であり、地図を貰っていた彼らは辿り着いた教会には確かに個人用の客間が八つあり。サーヴァントも全員休めるのだと感じて安心するなり自由な時間へと切り替わった。

──テスラは空を見ていた。
スミリャン──それは彼が生まれ育ったクロアチアの小さな村で、その村の唯一の教会は彼の父が司祭を務めていた場所だった。
博識でユーモアがあり、テスラに様々な言葉と感性を与えてくれた父の教会は後年一度戦争で破壊されたといい。それ歴史があるように、教会も彼が知っているものではなかったが。スミリャン自体の空気や心地良さは変わらないものだった。

結果的に話はエクレールを犠牲にせずにどうやってこの世界を救うのかという話し合いで。それは終わりが見えないものだった。
テスラは静かなスミリャンの村の噴水に腰掛けては息を吐くと、夜は案外冷えて、少しだけ息が白くなってすぐに消えた。セルビアとクロアチア、スミリャンに自分のことを残したその場所。

探し求めていた失ったパートナー。
様々な考えがテスラの頭の中で浮かんで消える。
普段であれば発明のことで思考を埋めつくしてしまえるのに、その余裕は彼にはなく。反対に重たいため息がこぼれてしまいそうな時。人気の少ない夜の村で足音がした。

「博士こんばんは」
「エクレールか、君はあまり教会から出ない方がいい」
「エルキドゥさんが鎖を張ってるから大丈夫だって。それに教会って目の前じゃありませんか」

隣いい?と指を指した彼女にテスラは断る理由もなく隣に招いた。
昨日から彼女の心労を考えるとテスラの悩みはちっぽけだったのかもしれない。
記憶がない中で、当然死を宣告されたようなものだ。世界の為にと大義名分を告げられて、二つ返事の了承をいえるのは頭のネジが飛んでるだけだ。論理的に考えてもテスラはそれを受け入れられないと思えた。

例え彼が科学者であり。
人類の為にと進めてきたことの中に犠牲があったとしても、それを軽く受け止めるつもりも流すつもりもないのと同じだ。

隣に並んだからといって何をする訳でもなく。二人はスミリャンの心地よい夜風に当たった。
フクロウが近くで鳴いて、猫が寝床を探すために歩いて、近くの川の流れる音が聞こえるとテスラは懐かしさを感じた。幼い頃はこののどかな村で無邪気な少年として過ごしていた。
夏は川を泳いで、冬は雪だるまを作って、雨の日は家の中から雨音を音楽に父に怒られるほど本を読んで、晴れの日は母の手伝いをしながら自分なりの発明をして。少年テスラとしての記憶が蘇ると、父も母も兄弟も懐かしいと思えたが、その思考は一枚の機械音で止められた。

パシャ──と音がして、何かと思うとそれまで静かだったエクレールが首から下げていたカメラでテスラの写真を撮っては確認した。

「やっぱり博士って綺麗な顔してますね」
「当然だ、私は美男子だからな」
「自分でいうんだ……まぁその通りだけど」
「……ッ」

カメラを眺めながらテスラの言葉に唇を尖らせて返事をした彼女はカルデアにいた普段の彼女と全くおなじ仕草特徴であり。テスラは思わず肩に力が入ってしまい。エクレールへ距離を近付けては写真見せるように告げた。
大したものはない。という彼女だがそんなことはどうでもいいとして、テスラがカメラを借りると、そこには彼女がセルチアに来てからの写真が数百枚で撮られているが。
それは"彼女"の写真だった。街並みも、景色も、人も、全てを撮影しており。美しい建造物や被写体のみならず。ゴミを漁る野良猫もいれば、喧嘩をしてる男たちの写真、並んだ夫婦の写真、白い鳩の写真。

「君もこの鳩に出会っていたのか」
「はい、とってもいいモデルさんでしたよ、博士も会ったんですか?」
「あぁここに来た時に、君を追いかけてベオグラード要塞へ向かった際にな、中々の美人だった」
「わぁ……本当に鳩好きなんですね」

呆れたように笑う彼女に鳩は安心感と幸福を与えてくれる上に、平和の象徴であるのだと熱弁すると彼女もウンウンと流す訳でもなく、ちゃんと話を聞いた。
平和──という言葉をつぶやくと、この世界のことを思わず考えてしまう。
目の前の彼女は、また世界のためにその命を危険に晒されている。本人ではないのに初代観測者オブセルという大魔道士を選んでしまいたくなった。

「ねぇ博士、サーヴァントってどんな感覚ですか?」
「どんな感覚?まぁ生前人では感じられなかったパワーを感じるな。電力を魔力に変換できるとなれば無限の力を得られるし……」
「そうじゃなくって、第二の人生……みたいな?なんかそういうの」

尻すぼみする彼女にテスラは何が言いたいのかわかった。
彼女は自分が死んだあと、第二の人生があればと考えるのだろう。だがテスラはサーヴァントという環境など、彼女には向かないと思えた。
本来サーヴァントは聖杯戦争のための道具で、召喚されても死ぬために喚ばれるようなものに近い。テスラは偶然。カルデアでの縁があり、彼らに力を貸すことになったが、それ以外の記録では完全にはいい思い出とは言えず。もしそれがエクレールになるのならば、サーヴァントになどなってはならないと思った。

それでもテスラは目の前の彼女と過ごした時間については彼が生涯得られなかった強いものであり。
例え彼があと何度英霊として喚ばれたとしても、世界が滅びるとしても、そこにエクレールがいるのなら、応じていいと思えた。
カルデアにいる時でさえ、未来というものを考えては無駄だと無視しても。いつか来る別れが嫌だと思っていた。だから彼は令呪やブレスレットなどで彼女を縛ったのに、今の彼女には何も無かった。

けれど、泣いて笑って怒って呆れてとコロコロと変わる表情も態度と言葉も同じで「博士」と呼ばれる度にテスラは彼女をただ無償で守りたいと願う。

「……ニコラ?」
「ッ……エクレール?今なんと言ったんだ」
「え?ニコラって……ニコラ・テスラ博士だから。馴れ馴れしいですよねすみません」
「いや、構わない……君にならなんと呼ばれても」

テスラは胸が熱くなるのを感じた。
名前程度。それでもカルデアにいた時間と同じ呼び方と声には無意識に背中が伸ばされてしまうほど喜ばしくて、誤魔化すように手の中のカメラを返す時、彼女はいつものように小さく笑うものだから、テスラは静かにその身を寄せた。

触れたい、味わいたい、安心したい、愛していると。

いっそ口に出来ればよかったのに何も言えずに無意識のままテスラはエクレールの唇に自分の唇を重ねた。
大きく開かれたエクレールの目が薄く閉じるとテスラは背中に腕を回して、余計に深くキスをしてしまい、エクレールがカメラを膝の上に落として宙を彷徨う手をそっとテスラの背中に回す。

出会ってまも無いはずの知らない男だ。
なのにどうしてこんなにも安心して、どうしてこんなにも愛おしいと思えて、どうしてこんなにも恋しいと思えるのか。
エクレールには分からなかったが彼を拒絶したくなかった。

夜の静かな村の噴水の前で二人は長い唇を重ねたあとゆっくりと離れると、泣いてしまいそうな顔をしていたのはお互い様だったのかもしれない。

「すまなかった」

テスラは立ち上がると先に教会へと戻り。
エクレールは静かに残されてはしばらくした後にカメラの中に残った彼を見つめた。
美しい絵画のような顔をした男、ニコラ・テスラのことなど知らなかった。教科書の名前程度しか知らないはずなのだ。なのに身体の奥は彼をちゃんと覚えてるようで疼いてしまうと彼女は膝に顔を埋めた。

「……今死ぬなら後悔ないかもって思っちゃったよ」

だってあんなにかっこいい人なんだし。と彼女は思ってしまう程度にはやはり凡才の一般人だった。
一方テスラは教会にもどると祭壇に立っていたヨハンナがテスラを見て、何かを察したように笑った。

「懺悔ならお聞きしますよ?」
「……結構だ」

炭りゃんの穏やな夜が過ぎていくのだった。

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