十七話


世界はまるで何もないように感じられるほどセルチアの空は雲一つない快晴だった、
修道院にはカルデア一行のみが残され、静かに今後についてを考えつつも僅かながらの穏やか時間を過ごした。エクレールは未だに眠っていたが容態は安定しているようであり。それ以上は今はどうしようも無いと言い聞かせる以外には何も出来ず過ごしていた昼頃のこと。

テスラは修道院の図書館で読書に耽っていると突如としてエクレールをみていたヨハンナが「誰か来て!」と突如として声を上げたことに、一同は何事かとエクレールが眠っている一室に集まった。

「これは……」
「聖杯が活性化しているようだ」

息苦しそうに眉間に皺を寄せて呼吸を荒くするエクレールがその身を捩りベッドの上で暴れていた。
彼女の胸からは黄金色の光が溢れており、それは聖杯がここにいると主張するようであり、彼女の吐息が部屋の中でこだまするようだった。
ヨハンナがなんとか一晩中彼女を見ては時折祈りで落ち着かせていたはずだったが、もう一度ヨハンナが彼女を落ち着かせようと試しみてもエクレールの手がヨハンナを強く払い除けた。

「兎に角詳しく分かりそうな人を呼ぼう、マシュはシスターに、ホームズはグスタフさんに、僕はライニールさんに連絡するから、迎えがいるならエルキドゥお願い。博士とヨハンナさんはエクレールさんをお願いします」

そういうと直ぐに各々の仕事に取り掛かり、部屋に残されたテスラは暴れるエクレールの左手を無理やりに掴んで、その両手で握りしめた。
ベッドの横に膝をついて、テスラはどうか彼女にこれ以上の苦痛と試練を与えるのは止めてくれと胸の中で願った。

「あぁ……頼むエクレール」
「テスラ博士……」
「すまない、ミズ・ヨハンナ、今だけは私はただのニコラ・テスラでしかないのだ」
「いいじゃない、愛する人のために祈ることは大切だもの」

それに少しだけ落ち着いてる。と慰めてくれるヨハンナにテスラは不安を拭うことはできなかった。
彼女の命を狙う者がいるなら、それを打ち倒せばいいだけだ。
しかし病や、今のような状況において、解決策のない問題に対処できないことがテスラにとっては何よりもむず痒い気持ちであった。

もし自分が医術の神たるアスクレピオスなら。
もし自分が秘薬を扱える魔女キルケーなら。
もし自分がその世界の理さえ変えられる存在であれば。

それなら目の前の彼女が救えるのかと無意味なことを考えてしまう。
ニコラ・テスラという男は人類のために歩みを止めることはなかったが、それは一人の人を救うという力には特化されていない。人類に光を届けるように、彼の全てはいつだってこの地球にいる人類に対してなのだ。
大勢の人が住める家を建てることが出来ても、一人の人を雨から守る傘を差し出せないような、そんな気持ちだ。

己が無力だと思うことはない。
テスラは自分がそう思ったことは今もない。
人にはそれぞれの分野があり。彼がどれだけ天才だと言われても、医学に精通していない事と同じなのだ。どれだけ彼が祈りを捧げても隣にいる女教皇ヨハンナの真なる祈りには及ばないことと同じ。
特にサーヴァントというのはクラスというひとつの枠組にはめ込まれるため、なおのこと性質として届かない部分はあるのだ。そう言い聞かせてもなお、彼は納得が出来ずに歯を噛み締めて、目の前の苦しむ助手を見ることしか出来なかった。

「お待たせしてすみませんッ!」

騒がしい音を立てて一番乗りでやってきたのはシスターペトロヴィッチだった。彼女はジャンヌと共に現れてはベッドの上で倒れ込む彼女をみて驚いたように目を見開き「そんな」と呟いた。

「少し詳しく見ますので男性は席を外して貰えますか?」

ペトロヴィッチの申し訳なさそうな言葉にテスラは藤丸やエルキドゥもいたが、ヨハンナとマシュも同席させるというため頷いて部屋を出た。
ペトロヴィッチがヨハンナとジャンヌの手を借りて、修道院にあったワンピースに着替えさせていたエクレールの前ボタンを外して服を大きく開くと、そこにいた女性陣は言葉を失った。

黄金の光は強まり。
さらに聖杯が透けるように見えているのだ。

エクレールは先程まで暴れていたが暴れることさえできずに意識を失って、その代わりに高熱を出して息を荒くしていることに気付くと、衣類を元に戻してドアを開けたペトロヴィッチは彼らに状況説明をした。

「聖杯が活性化しています。聖杯の泥が進行しているため反応しているのかもしれません。この修道院では危険過ぎます」
「どうしたらいいんですか?」
「聖杯を落ち着ける為に一時的に儀式を行いますがここでは難しいでしょう。ベオグラードの聖サヴァ大聖堂でしたら、儀式に必要な道具や土地としても十分ですので、そちらで今すぐに」

修道院の裏には車もあるためここから飛ばして一時間ほどでいけるでしょう。とペトロヴィッチがいうことを誰も反対しなかった。出来なかった。聖職者であるヨハンナやジャンヌもペトロヴィッチの言葉は確かに嘘では無いと同調し、後からやってきたホームズもこの世界の聖職者達が作り上げた聖杯ならその効果は高いと告げるため、一同はそれに同意し、ペトロヴィッチの運転の元、ベオグラードへと向かった。

運転席にペトロヴィッチ、その横には藤丸、後部座席にはテスラとマシュがエクレールを支えており。他のサーヴァントには霊体化して着いてきてもらうことを頼んだ。

最初の数日間を過ごしたベオグラードに辿り着いたかと思った直後だった。

「ッッ危ない!!」

ペトロヴィッチの言葉と共に車が大きくドリフトし、何事かと思えばベオグラード全体に教会の鐘が鳴り響いていた。それは危険を知らせる避難の鐘であり。聖杯の泥が地面から現れては人々を襲い始めていたが。ちょうど運転していた車に攻撃をしかけたため、車がパンクしてしまい大きなドリフトをする形で停止したのだった。

「聖杯様に釣られているようですね」
「ペトロヴィッチさん、聖堂はどこに?」

あそこだとテスラが静かに指差すと街の中央にシンボルのようにそびえ立つ大聖堂がそこにあった。巨大なドーム型であり、平和の象徴のような白に屋根は柔らかい緑で十字架が飾られており。
世界最大級のセルビア正教会であり。ベオグラードを一望できるほどのものだった。距離にして二キロ程度であるが、聖杯の泥たちは以前にましても数が多いもので、車は完全に使い物にならないとして降りると、追いついてくれた他のサーヴァントたちの面々も集まってくれた。

「私が前線を切り開こう」
「わかりました、ジャンヌにエクレールさんを頼んでも?」
「あぁ構わない」

そういうとジャンヌは割れ物を扱うように大切にエクレールを抱き上げてテスラに必ず守ると誓った。そうして一同は聖サヴァ大聖堂に向けて走り出した。テスラやエルキドゥやヨハンナが敵を一網打尽にし、ホームズとマシュが立香やペトロヴィッチを守り。ジャンヌはエクレールを抱えて走った。
走れば数十分の距離であるが、敵の数は多く、さらに逃げ遅れた市民についても守らなばならなかった。やることが多く思っているよりも足止めを食らう時、白い槍が黒い泥を貫いた。

「円卓の騎士、パーシヴァルッ遅れながら馳せ参じた!!」
「遅れてすまないカルデア、用事を済ませてたんだ」

ライニールさん!!パーシヴァル!!──と歓喜の声をあげると、もう目の前だから走り込めとライニールが告げて。扉の開いた聖サヴァ大聖堂に向けての最後の噴水の道を彼らは駆け抜ける。
聖杯の泥はさらに数を増やしていくがペトロヴィッチが大聖堂まで入れば結界があるため問題は無いと告げて、彼らは走り抜けて、敵をなぎ直しながら大聖堂へと向かい、ようやく入口にたどり着こうとするとき。

ホームズはペトロヴィッチの笑みを見た。
エクレール─聖杯─を持ったジャンヌ・ダルクが大聖堂に入った。
それに続いて仲間たちも。

「しまった───罠だッ!!」

気付いたホームズが声を上げた時。
まるで柵が閉まるように結界が作動した。
入ってすぐのメインホールには四方八方のフレスコ画が描かれており。窓からの自然光が描かれた絵に光を与えて神々しく輝いており。
ジャンヌはペトロヴィッチが用意した祭壇の前に置いた椅子に彼女を座らせるように告げて座らせ、ペトロヴィッチが儀式を始めるかと思ったがホームズの言葉に何事かと藤丸やテスラが振り向くと、ホームズは「そのシスターは敵だ!」も叫ぶため、テスラは慌てて攻撃を放つと黒い泥がペトロヴィッチの足元から現れて、テスラの放った電気を吸い込んだ。

「ようやく全てが整います」

まるで聖書を読むような澄んだ美しい声でペトロヴィッチはそういって、エクレールが座る椅子の背に手を添えた。
その椅子はまるで玉座のようであり。とても神々しい黄金に宝石が散りばめられており。そこに座るエクレールの胸からは強い聖杯の光が強まっていたが、ペトロヴィッチを守るように現れた聖杯の泥にジャンヌが「マスター?」と驚けばペトロヴィッチは彼らに微笑んだ。

広い聖堂の中には、カルデアの全員と先程助けてくれたパーシヴァルとライニールもいた。祭壇で恍惚とした表情のペトロヴィッチは両手を握ると声高々に告げた。

「全て揃ったのです。この地も、聖杯も、そして……聖槍も」

そういった途端に全員の視線がパーシヴァルに注がれるが彼は何事かと目を丸くした。何を言うのかと思えばペトロヴィッチは世界を救う為には聖杯と聖槍が必要であり。聖杯を解放するために聖槍がいるというため、それはつまりエクレールをパーシヴァルの槍で貫くということだった。

「そんなことする訳がない!私はどんな命令を受けたとしても、そのような非道な真似はしない!!」
「……ですって、ライニールさん?」

ペトロヴィッチは呆れたような冷めた目で一番後方にいた男の名を呼ぶと、全員の視線がライニールに向けられた。テスラはもしや……と思ったがライニールはその右手の令呪を光らせた。
それはパーシヴァルには絶対的なものであるとして、彼はその顔を絶望の色に変えながら「やめてくれライニール」と友人の慈悲を求めたが、ライニールは呟いた。

「息子を人質に取られたんだ……すまない」

そう静かに告げた男は告げる。

「パーシヴァル、令呪を持って命じる、命令に歯向かうな」
「やめてくれ」

一画の令呪が光るとパーシヴァルは金縛りにあった気分になった。

「重ねて令呪を持って命じる、この命令を完遂しろ」
「頼むッ──!」

二画目の令呪が光り、パーシヴァルは抗えない何かを感じた。

「さらに重ねて命じる、その槍で"聖杯"を解放しろ」
「やめろおおおッッ────!!」

三画目の令呪が光ると、パーシヴァルは槍を手にエクレールをみるが、彼の瞳には絶望が映し出されており。カルデアとジャンヌは武器を構えるがパーシヴァルは強い精神力で抗った。己の拳を握って。唇からは血を流して。必死にそれに抗おうとするのは並大抵の騎士ではできない事だった。
流石は円卓の騎士かと思うものの、祭壇にいるシスター・ペトロヴィッチは自身の修道服の裾を捲り、左腕を胸の高さまで上げた。そこには禍々しい赤い令呪が何十画も宿っており。それは聖杯戦争の監督官が持つものに酷似していた。

ペトロヴィッチは美しいその面立ちと甘い声で告げる。

「サーヴァント・パーシヴァル、あなたのその聖槍で"聖杯"を貫きなさい」
「ッッッ!!」

パーシヴァルはいよいよ抗えずに掛け出すと、すぐさまエルキドゥが対峙して止めようとし、ジャンヌも応戦しようとしたとき、ペトロヴィッチはまた微笑んだ。

「令呪を持って命じる、ジャンヌ───あなたはカルデアを止めなさい、全身全霊を持ってね」
「マスターッ───!!」

ジャンヌの魔力が強まり。
黒い聖杯の泥が現れると各自が止められる。
パーシヴァルを何とか止めようとするがそれも限界が近く。
藤丸はペトロヴィッチにガンダを向けるがそれは弾かれてしまい、ライニールは絶望の縁に動けなかった。

「止めてくれッ、私はこんなことを望まない!こんなことは許されないっ!」

そういいながら止まることの出来ないパーシヴァルは駆け抜けながら宝具を解放した。

─── 聖槍、二重拘束解除。カウントダウン。『光さす運命の槍(ロンギヌス・カウントゼロ)』

また夢を見ている。
騒がしい音がして、誰かの声がする。
聞き覚えのあるバリトンボイスは素敵な声だけど、あんなにうるさいと少し迷惑で、今でこそ慣れたのに、それでも夢でもたまに聞こえてしまう。

交流や直流なんてどうでもいいのに。
毎日飽きるほど喧嘩をして、喧嘩をするほど仲がいいというと必死に違うといった。
子供みたいな喧嘩をするけど、そんな風になれる相手がいるのはいいと純粋に思うし。博識なところは尊敬できるし、多少口うるさかったり自意識過剰なところがあったりもするけど、なんだかんだとこの人とは付き合っていくんだろうなと思った。

目を開けると左手にはブレスレットと指輪があった。
ラピスラズリのそれは本当に最初はなんてものをと思ったけど、デザインセンスがいいから悪くないと思ったし。
全部が終わったあとに指輪を貰った時は本当は恋人みたいだと思ったけれど、私たちは似た者同士で少しだけ素直になれないから恋人というよりも、博士と助手がお似合いだと思った。

カルデアで全部終わって、ほんの少しだけ自由が許されるなら旅行に行こうと言った。座に帰っても博士は私を忘れないと言ってくれたけど、そんなことないと思うから、もし出来たらたくさん思い出を残したい。
ルルハワやドバイやラスベガスや、なんだかんだといったけど、あれは全部カルデア経由だから、出来たら普通に船や電車や飛行機で旅をしたい。飛行機なんて乗ったことないだろうから博士喜ぶかも。
沢山見て回って、それで全て満足なんてできないけど、死ぬ時までずっと覚えるんだ。

───博士のこと。

どうして泣きそうなの?
そんな顔、ニューヨークの時でさえ、みたこと無かったのに。

「え─────?」

胸が痛くてアツい。
何故か目の前にはパーシヴァルさんがいた。
私の胸にはパーシヴァルさんの槍、ロンギヌスが入っている。
私の心臓は、聖杯は、記憶は、全部、全部、消えていく。
燃えていく本みたいに、オブセルがみてしまった、かつて消えた人々の記憶みたいに。

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