十九話
▼▲▼
『博士ってばいつもこれなんだから』
『博士のことなんてもう知りませんからね』
エクレール・アヴニールは本当にどこまでも平凡な女だ。
カルデアの事務員兼記録係という役割であるのは、彼女がカルデアの中でも一番か二番目くらいに一般人だからだ。もちろんもう一人のその一般人クラスは本物の一般人であるマスター藤丸立香である。
アヴニールという家系の歴史自体はとても古くから残されており、御三家などの比にならないレベルに古くから存在するものと言われるが。実際は十五世紀の王宮仕えの大魔道士オブセル・ウァートル・アヴニールの奇跡から起きたものだった。
観測者──という存在はその世界をその五感と五体で感じては奥底にあるオブセルが作った"観測者の記憶"として残るか、当の本人は観測者というものが何かを知らないものばかりだった。
運命とやらがあるのかもしれないが、英雄譚や歴史の要には必ず同席しているものの、その姿は英雄でも王でも魔道士でも金持ちの貴族でもない。ただ平民である。
エクレール・アヴニールは魔術師とは縁遠い存在であり。
一応は魔術師家系だからと、基礎的なことは一通り聞いてはいるが頭の中には何も入らず、平凡な人間として普通の大学を卒業して、就職をして、転職の末にカルデアに来たのだ。
テスラにとっても不思議な相手だった。
彼が惹かれてきた人間のような知力も魅力も、特筆すべき何かは特段感じられない人だった。
けれど一点、はっきり言えることは傍にいて話をしていると心地よいということだった。どんな話にもちゃんと耳を傾けてくれる彼女。テスラと出会った当初は交流も直流も分からない彼女だったが、必死に彼との会話のためにカルデアの広い図書館で学び続けるその姿勢は好感が持てた。
『ちょっと博士、怒られるの私なんですけど』
呆れたようにいう彼女のその不貞腐れたような声は何色にも色を変えてくれる。同じ単語であるというのに何百通りの呼び方があるのだろうかと感じるほどに心地よい。
マスターとサーヴァント、博士と助手、そしてそれ以上に思うようになった時からテスラにとってのエクレールはずっと特別なパートナーだ。
サーヴァントである以上はいつか座に還らなくてはならない。
それでもその時間までは例えどんな困難があろうと構わないと思った。
マスターではあるが前線に出るのはテスラのみで、アヴニールという特殊な存在であるゆえに基本的には留守番の彼女と、藤丸立香の手伝いで前線にいくテスラがたまに強大な敵によって、カルデアに強制送還されると、エクレールはいつも泣きそうな顔で駆け寄った。
『博士大丈夫ですか?怪我は?』
カルデアのシステム上、倒れたとしても座に戻る訳ではなくその手前で戻されて休むことになるのにとテスラは思いつつも、工房で横になって休む時に彼女が飼い主の心配をする子犬のように駆け回る姿は素直に愛おしいと思った。
『我が助手よ』
『なんですか?休んでてくださいよ』
『今日は研究も出来んし、本も読めんからな、少しばかり君の体温を感じて眠りたいがどうだね』
『……狭いでしょ』
『ニューヨーカーホテルのベッドで過ごした時より狭くはないはずだ』
戦闘で負傷して戻ったテスラの軽口に彼女が呆れて同じベッドに入ってくるため抱きしめると、心地よい彼女の石鹸の香りがした。清潔感があるのは心地よいとは言うが、それ以上に彼女の香りが好ましく。フェロモンとして本能的に好んでしまうのだと理解して彼女の頭に顔を埋めてみると次第にくすぐったくなったのか彼女は笑ったため、テスラは少しだけ少年のような気持ちになって、彼女の首筋に顔を埋めて、何度もキスを落とした。
『博士……博士……ニコラ、休むって話では?』
『なんだ我が助手ら、不要だが、あまりにうるさいから仕方なくベッドの上にいるじゃないか』
『眠りたいって言ったのはどこの誰ですか』
『体温を感じたいと言ったはずだ』
──減らず口。と彼女が呆れて笑うとテスラは生前に知らなかったものを知ることがこんなにも自分の幸福値を高めてくれるものなのかと感心してしまう。
初めて肌を重ねた時は守るための儀式だったが、いつしかそれが恋人としての行為となり。テスラは腕の中で自分を『ニコラ』と時折呼ぶ彼女にくすぐったさを感じた。
腕の中の彼女は『博士』とも呼んでくれない。
「エクレール……エクレール……我が助手よ、眠らないでくれ」
愛する家族の節目にはほとんど会えなかった。
しかしいま目の前の光景をテスラは受け入れられなかった。
瞳が濁り、とめどなく溢れる赤い血が彼女から色を抜いていく、テスラの腕の中で彼女は僅かに息を取り戻したように指先を動かすと、ゆっくりと手が持ち上がるため、テスラはその手を強く握った。
「はか、せ……わた、し……なん、で、ここ……」
「話すな!必ず助けてやるから話すんじゃない!マスター、エクレールの意識が」
「い、い……ダメ、ってわかっ、てる……」
「ダメじゃない、頼むから話すな。必ず何とかしてやる!」
大聖堂の外にいる藤丸を呼ぶとすぐに駆け出してきてくれるものの、エクレールは自分が何故ここにいるのか分からないが、もう長くないことはわかっていた。
死にたくは無いがこうなってしまったことを悔いても仕方ないとエクレールは言い聞かせた。好きな人の腕の中なら悪くないと思えたから、彼女はテスラの手を握りながらいった。
「ニコ……すき……」
本当はもっと伝えたいことがあるのに何も言えないと彼女は思った。
私がいなくなっても有り得ないけど、ニューヨークの彼のようにならないでほしい。これからもカルデアや人類に力を貸して欲しい。あまりにみんなに迷惑をかけないで欲しい。旅行に行こうという話を守れそうにない。本当はもっと好きだと言いたかったのに素直に言えなかった時が多かった。
たくさん、たくさんあるのに、もう目を開けることも、声を出すこともできない。
痛くて、寒くて、苦しいのに、彼の顔も見れないのに、それでもぼやける視界の中で光はとても眩しくて暖かい。初めて家庭に電気が通った人々が感動に溢れふ気持ちはこれなのだろうかと思った。
彼の届ける希望の光は全てを包み込むように強くて遠くまで届く。
これから先も、何千年先も、人類がある限りはどこまでも切っても切り離せない。
それこそが天才であり、雷電博士、人類を神に近付けた魔法使い。
「………ニコラ……テス、ラ」
どんな記憶を失ってもその名前だけは忘れたくないというように呟いて彼女が完全にその命の灯火を終えてしまうと、テスラは何も出来ずに眺めることしか出来なかった。
「博士」
「少年」
テスラの背後には藤丸立香がいた。
彼は人類のためにいつだって歩む男であるため、何を求めているのかはわかっていた。テスラに戦って欲しいと内心思っていながらも無理強いすることはないと。そして本心から彼もまた仲間を失ったことを悲しんでいると。
テスラはエクレールを抱き締めるのみで何も言えなかったが、藤丸は冷静にロンギヌスが柱を七本呼び出して、巨大な槍が世界に向いており、完全に槍が呼び出されてしまうと世界は滅びること。
そして現在エルキドゥやヨハンナやマシュが対応しており、先程カルデアと通信が繋がったが魔力の乱れから何人かは呼べても、数が足りず、さらに呼び出すことができないと言われたとのこと。純粋なセルチアの魔力はロンギヌスに奪われており。テスラの科学の力が必要なのだろう。
分かっていても足が動けないなどということがあるのかと思った。
藤丸はジャンヌとパーシヴァルに声をかけると彼らはようやく意識を戻したようで直ぐにほかのメンバーの援護に行くと告げた。パーシヴァルは入口に佇むライニールを見ることなく外に出ては柱へと向かった。
動けずにいるテスラとそれを見つめる藤丸だったが、空気を変えたのは二人の男だった。
息を切らして肩で息をする二人の見慣れた観客達。
──シェイクスピアとグスタフ・マルコーニである。
グスタフは外の状況を察しては何があったのかを理解しているようであり、足を進めながら「遅かったか」と呟いて彼らのそばに来た。
そしてシスター・ペトロヴィッチは本来の聖杯参加者であり、自分の父である監督官を殺害し、さらに聖杯はその父の生きたいという願いとペトロヴィッチの世界を変えることを受け入れた。
事実を知らぬ聖教者達は白い聖杯を作り上げたが、それも本来はペトロヴィッチによるもので、あの魔女はあらゆる男を堕落させて操り、そして聖杯で自分の願いを完遂させようとした時に現れたのがアヴニールであった。
魔力については当然ペトロヴィッチだけでは維持できないが、彼女が運営している孤児院や修道院は現在、魔力の備蓄庫となり、子供や逃げてきた女性が魔力で昏睡の上、魔力の抽出をされたものであるが、それらを聖杯の泥を操ることによって隠した。
「さらに聖杯は隠れていたが鍵が必要となった為にパーシヴァルに目をつけていた……ということか」
「そうだ、ジャンヌ・ダルクもパーシヴァルも、ペトロヴィッチの道具でしかない。まぁ聖杯が呼ぶはずのルーラーが呼べなかったから呼ぶとなったからだろう」
さらに現れたホームズもペトロヴィッチの真なる目的が神になろうとしたことであることを告げたが、テスラには関係の無いことだった。
「誰の陰謀や影があろうと、彼女が死んだことには変わりない」
静かなテスラの言葉だったが、グスタフはエクレールをじっくりと見てはその胸の奥を見て「いやまだチャンスはある」と告げた。
どういう意味かと思う時、グスタフの隣にいたシェイクスピアが小さな木箱に入ったナイフを見せた。それはとてもシンプルだが手元にはラピスラズリの石が大きく入っており。さらに刃には小さな文字が刻印されていた。
──オブセル・ウァートル・アヴニール
そのナイフに何かと思うとシェイクスピアは怪しげに笑った。
それはまるでおとぎ話の悪い魔女のようでもあり、救いを差し出す魔法使いのようでもある。
グスタフはあの事件の後に調べ物のために訪れたブランクの館で、そのナイフをみつけたという。伝承によると"観測者"が不測の事態で記憶をなくしてしまったり、死に追いやられた場合、その"鍵"を差し込むと"観測者"は記憶の扉を解放され、奇跡が訪れると記載されていたという。
「そんな奇跡、信じられるものか。彼女は普通の人間だ!観測者だと言おうと、この人は人間なんだ」
奇跡も魔法もそんなものはない。とテスラは科学者として断言する。彼とて死は恐ろしかった。家族の死、友人の死、自分の死、それらは等しく訪れるのが人である。
二十世紀はオカルトブームもあり、人々は死についての非論理的な話をしていた。テスラも一時期はそれを信じたが、愛する人々の死を感じた際に全ては等しく訪れ、そして奇跡だと思ったものには全てなにかしらの結果や証拠や原因があるのだと理解できた。
小難しいグスタフの話はナイフをエクレールに突き刺せということであり。
誰が聞いてもそれは心臓以外にはないのだ。
確信的ではないだろうとテスラが彼女を抱くが外は戦闘が激しくなり、カルデアから緊急で呼び出すことができた数名のサーヴァントも対応に当たっている様子だが苦戦していた。
「時間はない、確率は聖杯も残ってるから五分五分だろう」
「五十パーセントだとしても私には出来ん」
「それなら俺がする」
そういったのは傍観していたライニール・アルバ・クレイフォンだった。
エクレールを殺した本人でもあるが、テスラは彼を恨んではいない。男はテスラ同様に守るべき存在がいたのだ。ペトロヴィッチに脅された男はすっかりと疲れきって、その髪はストレスからか白くなり、自分自身に絶望していながらもなお、責任を取ろうと姿を見せていた。
「俺がそうしてしまったんだ、責任を取りたい」
「それは無理だ、ミスター・ライニール、アヴニールは大魔道士であり、その弟子は魔法使いに到達した者だ。そんな人間が残したギミックにおいて、関連のない人物が鍵をさしても意味はない」
ライニールを制したのはホームズであり。
外の敵はキリがなく、ロンギヌスの進行も強まっているといった。
グスタフはカルデアからサーヴァントの様子を聞いてはブランクの館に残った聖杯から抽出した魔力は残っていることや、それをカルデアと繋げて兎に角勢力を増やして対抗する他ないだろうといい、テスラに「考えてる時間はない」と言い残して藤丸とホームズを連れて後を去り。
シェイクスピアはエクレールを抱くテスラの傍にナイフを置いた。
「あぁなんと美しい舞台なのでしょうか、愛する故に迫られる選択。なんと劇的な事なのか、吾輩はこの舞台の行く末を心より楽しみにしております、最後の時まで彼女を深く愛する男の姿を楽しませてもらいましょう」
それでは……。と大聖堂から去ったシェイクスピアに残されたテスラは選択というのはここで残酷なのだと感じた。
かつて別世界のニューヨーク特異点にいたもう一人の自分。
黒い喪服のようなスリーピーススーツを着たもう一人のニコラ・テスラは自分の恋人が"観測者"だと知らずに生きていた。けれども運命は二人を狂わせ、あの男は最後に自らの手で最愛の人を殺すしか無くなった。
誰にも奪わせないと殺して抱きしめて泣きじゃくったという男の姿をテスラは重ねた。人類が滅びて欲しいわけがない。これから先も何百年何千年と歩み続けて欲しい。
腕の中の彼女はもし健康に生きていたとしても平均的には五、六十年の人生だろう。それでなくても人間の人生とは長くても百年であるのだから、英霊になったテスラからしてもその限られた時間は短く。だからこそ幸せに生きて欲しいと思った。
「私は君に生きていて欲しい。私が隣にいなくて、私を忘れていても構わない。君が君であるのなら、私は全てを投げ出してもいいというのに、残酷な選択ばかりを突きつける」
どうして今になって、一人の女性を強く愛したのかとテスラは自分でも何度か思ったが、大嫌いな悪鬼であり獅子頭で直流志向の男は言った「恋愛は論理ではない」と、それはもうテスラを嘲笑うように散々言ってきたもので、腹が立ったものの意味は理解できていた。
テスラは彼女の左手を握るとラピスラズリのブレスレットと指輪がそこにはある。ラピスラズリは幸福の石だ、幸福を招く石と呼ばれて古来よりその意思はエジプト神たちからも愛されたものであり。太陽王から直々に譲り得たものを利用したが、彼女によく似合うと胸の内でいつも思っていた。
自分の死を感じた彼女は心から悲しみ、涙を流しながらもテスラに愛していると告げた。
死が残ったニューヨーカーホテルの三三二七号室のベッドで初めて二人が一つになったとき、互いの人生を知った際に彼女が向けた眼差しは愛おしくも悲しく守りたいと願うものだった。
慈悲深いその瞳は彼の心を満たす全てであった。
テスラはそれを思い出しながら、冷たくなった彼女の額や頬にキスをして、そして最後に唇に触れると、彼女の唇は乾燥していた。
「我が助手には新しい保湿リップを用意してやらねばならんようだな」
───なぁエクレール。
身だしなみには気を使うタイプの女性だったからと思い出しては苦笑いしたテスラはナイフを手に取り、彼女の名前を呼んで涙を流した。
「愛している」
───我が最愛の助手エクレール・アヴニール
その言葉と共にテスラが彼女の心臓にナイフを突き刺す時。
彼女の奥からまた赤い血が溢れて、テスラはそれでもナイフを強く握りしめて、彼女が戻ってくることを願って叫んだ。
「エクレールッ──────!!」
その時テスラの腕の中で眩い光が放たれた。
そして一枚の白い羽が落ちる時、テスラは自分が死ぬ数ヶ月前のある日、いつでも鳩たちが来ていいように開けていた窓から現れた最愛の白鳩が強い光を放ち、別れを告げて去ったのを見たときと同じだった。
その時、聖サヴァ大聖堂の屋根から一羽の鳩が飛びだった。
奇跡は今起きたのだ。
▲▼▲
- 40 -