猫田の孫



もう何度この山道を歩いたことか、くまも気付けば出なくなり安全で自然豊かなだけの山道になったと男は淡々と歩いていた
川のせせらぎ、小鳥の鳴き声、広がる緑、いつきてもこの自然の多い山は悪くないと気持ちを穏やかにさせた、ようやく見えてきたペンションに少なからずため息をこぼして慣れたようにはいっていく

「いらっしゃいませ、こんにちは…あれ、今日は予約はなかったような」
「なんだァ?泊まりの客がいやがったのか、にしてもいい女じゃねぇかどうだ?俺様といいこと……」

男はそのペンションの中に上がりドアを開いたと同時にいた若い女性に鼻の下を伸ばし声をかけたがそれと同時に後ろから華麗に薪で叩かれる
勢いが良かったのか額からは小さく血が吹き出す彼にそこにいた女は酷く慌てた様子だった

「おじいちゃんお客さんにそんなのしちゃダメだよ」
「鷹村だニ、平気だニ、それより何も変なことはされてないだニ?」
「変なことも何も今来たばかりだろうが…って、おじいちゃん?」

もう何度もこの場所に訪れ、この老人に会っていたが祖父と呼び慕う人間は初めて出会った、頭から出血をさせながら鷹村と呼ばれた男はまだ自分よりも若い女性を見つめた、中々に綺麗な女だと感心しつつも不思議に思えた

「ナマエは正真正銘わしの孫だニ」
「なんだと!」

玄関先で話すのも…と言われ3人は家の中にあがり、鷹村はナマエと呼ばれた女性から手当を受ける
大袈裟かもしれないが額に包帯をぐるぐると巻かれてはまるで病人のようだったが、心配そうな彼女に不思議と強くはいえなかった

「ちなみに源ちゃんの孫でもあるだニ」
「どういうことだよ!」

あのジジイの孫?!どういうことだ…というか猫もジジイも昔馴染みとはいえ嫌に仲がいい、気味の悪い想像をしては思わず吐く素振りをみせれば嬉しそうに笑うナマエがいった

「私が2人共本当のおじいちゃんみたいに慕ってるってことですよ」

家族…慕う…ねぇ…俺様にはあまり分からない感情だ、そう思っていればナマエは時計を見て慌てて立ち上がり小さな鞄を片手に外に出ていこうとする

「こんな時間だからもう行かなきゃ、鷹村さんはゆっくりしていってくださいね、じゃあっ」
「なんだぁ慌ただしい女だな」
「ナマエは孝行娘だニ、朝夕と新聞配達のバイトで昼は大学の食堂で働いとるだニ」
「ペンションだけじゃ経営も難しいわな」
「失礼だニ!働かんでもいいのにナマエは高校生になってから聞く耳持たず働いて家にお金入れようとするだニ…本当にいい子だニ」

少し遠い目をする猫田に彼女は心底この老人から大切にされているのだと感じた、山に来ることも多くは無く数日は泊まる気の鷹村は荷物を置いて山道を走り川の中で筋トレをし薪割りを手伝い、とにかく自身を鍛えた、その辺はこの男もストイックなものだと感心してしまう

「あれ鷹村さん、今日は泊まっていかれるんですか?」
「おう、今帰ったのか?……ってお前自転車で通ってるのか」
「えぇ流石に走っていくには遠いんですけど、自転車だと丁度いい運動量ですから」

仕事終わりのナマエと走り込みをしていた鷹村が顔を合わせた
彼女の言葉に目を丸くして後ろを見れば街は当然見えない、そりゃあ1番近い町まで鷹村の足で走っても1時間はかかる、それがそこいらの小娘となれば3.4時間はかかるだろう、おまけに自転車であれば坂道への負荷が掛かるが彼女は汗水ひとつもかきはせず戻ってきていたのだ少なからず驚いてしまうのも無理はないだろう

「小学校の頃からずっとですから慣れちゃいました、それに鷹村さんは歩いて来てましたよね?」
「俺様はプロボクサーだからな」

自転車と並走しながらそういった彼の言葉にまるで彼女はスーパーヒーローをみた子供のように目を輝かせた
なんともまぁ成人女性が向けるような目ではなく、その無垢さに鷹村はウッ…となぜか胸を詰まらせた

「私のおじいちゃんも、源おじいちゃんもなんです!すごいっプロのボクサーの方なんて初めて出会いました感動です!」

わぁっと捲し立てる彼女に鷹村は悪い気分ではない、普段自分に近付く女性とは違い彼女は何処かまばゆかった
2人で並走しつつ鷹村は自分の話を沢山してやった、このペンションに初めて来た時にクマに襲われたことももちろん教えてやれば興奮気味になって喜んだ

「それじゃあ、おじいちゃん鷹村さんおやすみなさい」

気付けば2人は話に花を咲かせて寝る前まで話し込んでしまった、彼女が語る猫田と鴨川は鷹村の知る存在ではなかった父のような祖父のようなそれでいて師匠のような、とにかく2人に彼女は大切に育てられたのだと知っては何故か頬が緩んだ

「あの子は捨て子だニ」

珍しくいい日本酒を貰っていたといい飲み始めた猫田を前に鷹村は1杯だけ貰い、それをちびちびと勿体なさそうに飲んだ
遠い目をしていつものとぼけた顔など忘れそうな程の表情にこの老人の娘への思いは強いものだと感じた

「源ちゃんが来ておって2人で飲んでいた時だニ、赤子の泣き声さ聞こえて飛び出したらまだ半年くらいのナマエがおったんだニ」

"この子をお願いします"

震えていたが女性らしい美しい字体であった、布おむつとミルクだけが入れられ夏だとはいえ山の中は寒い上に獣も出てくる、どうするんだと二人で話し翌朝警察に連れていこうと話をしていた
けれど泣きじゃくる赤ん坊を抱き上げた時彼女は酷く嬉しそうに笑ったのだ、その笑顔が忘れられないのだ

全くとんだ年寄りの昔話を聞いたと鷹村は思いながら自身の寝床に足を向けようとすれば何かが音を立てた、睨みつけるように瞬時にそちらを見れば寝ぼけ眼のナマエがいた

「たかむらさん」

甘い女の呼び声に胸が高鳴る、なのに何故かそこに対して性欲がわかなかった、彼女は嬉しそうに小さく微笑んで「お水貰いに来ました…おじいちゃん、寝ちゃいましたか?」とリビングを覗いていうものだから軽く返事を返す
彼女の足ははっきりと猫田に向かい、酔い潰れた自身の祖父であるその男にブランケットをかけてテーブルを片して酒瓶を片手にキッチンに向かい電気を消した

「鷹村さんもお水飲みますか?」
「あ…あぁ」

改めて名前を呼ばれて自分が気付けば彼女についてまわっていたことに気がつく、何か話す必要があるわけでもないのに何故か彼女から離れられなかった

「仏壇みたことありますか?」
「奥の女の写真があるやつだろ」
「あの人の話聞いた事ありますか?」
「いいや、本人の口からは何も」
「そっか…おじいちゃん達の最愛の人なんです」

ユキといった女の話を彼女はしていた
ふと写真の女を思い出せば、雰囲気や髪型などがナマエにどことなく似ている気もしなかった

「素敵ですよね、あんな2人に愛されたユキさんってきっと素敵な方なんですよ」
「お前さんも十分だろ」
「…私なんて、恋もした事の無い小娘ですよ」
「年は?」
「23になりました」
「いいじゃねぇか、今からでも男漁り放題だ…なんなら俺様と遊んでみるか?」
「鷹村さん…あ、おじいちゃん」
「なにしとるだニ」

ゴンッと鈍い音を立てて雰囲気の良かった2人を割くように猫田は空の日本酒の瓶で軽く鷹村の頭を叩いた、その行動に怒り暴れる鷹村にナマエは声を出して笑った
あぁこいつ笑った顔は向日葵みたいじゃねぇか。と胸に刺さった
鷹村は恋をしたことは無い、女を抱いてきたことも愛してきたつもりでもあるが"恋"をしたことはない、だからナマエに対する感情は分からなかった
それから3日間ほどペンションに泊まりナマエの仕事が休みであった日は1日練習の手伝いをしてもらった、白い犬に自然豊かな土地に広い家にいい女

「いい場所だな」

そういえば2人が自慢するような顔をして微笑んでいた、こんなに心地いい場所は久しぶりだとも感じられる、その原因はナマエがいるからだろう
帰る支度をしていればナマエが部屋に覗きに来た、入口に立ち尽くしなんとも言いようのない顔をしていた

「なんかあったか」

鷹村がそういえば彼女はなんとも言葉にしずらいのか困ったように眉を下げた、それでもあの鷹村がめずらしく気長に待っていれば彼女は決心がついたのか言葉を呟いた

「寂しくなるなぁって」
「猫がいるだろうが」
「それは勿論ですけど、こんなに仲良くなれた人初めてだからつい…」
「他の客とは話さねぇのか」
「話しますけどこんな田舎だから流行のものなんて分からないし、大体みんな遊びに来るか団体の合宿で来てるだけですから」

ずっと彼女は孤独の中で生きてきたのだろう
別に縛り付けている訳では無いが、自然と彼女はやはり老人を1人にはできないのだろう、鷹村は荷物を詰め終えればナマエに近付いた
小さな頭は彼の胸くらいにあり、そっと太い腕が背中に回されて強く抱きしめられる、汗と洗剤の匂いにナマエは酔いしれた

「俺様が来てやる、寂しいってんなら暇さえありゃあいつでも来てもいいしな」
「…いい、んですか」
「おう、なんなら電話もしてきていいぞ、手紙でもな」
「嬉しい」
「お……おう」

かわいい
とにかく可愛い
うじうじと恥ずかしがる姿もまぁいいが、そこからの向日葵のような強い笑顔は何物にも代えがたいほどに愛らしい
男心を知らない小娘に触れられているというのに心地よくてたまらなくなった、柔らかく香る彼女の匂いは都会の女とは違う自然な柔らかい匂いで香水なんてつけた事もなさそうだった

「鷹村さん」
「なんだ」

胸元からみあげるナマエにごくりと唾を飲んだ
好きか?大好きか?愛してるか?抱いてか?どれだ??

「また来てくださいね」

「すぐ来てやるよ」

望んだ言葉とは違うがまぁいい、結局2人に見えなくなるまで見送られ数日間だと言うのに心地いい練習と休息ができたと鷹村は思っていた
翌日の夜1本の電話がなり、珍しく彼は手に取った

「なんだぁ?」

機嫌悪そうな彼の声
そして電話口の声は少し脅えたようなけれど柔らかい声でいう

「ナマエです」

短い名乗りと続いての挨拶が耳から耳に通り抜ける、なんとなく嬉しくなって食いついて話せば彼女は特に変哲もない今日を話して、鷹村も同じように久しぶりのジムのことを話した

「'今度そちらに行くことになりました」
「ジジイに会いにか?々
「それもありますけど」

けどなんだよ…と思っていればナマエが小さく唾を飲む音が聞こえて鷹村も少し緊張をして姿勢を正して受話器を耳元にしっかりとつけた

「鷹村さんに会いたくて、昨日会ったのに寂しくなっちゃったんです不思議…それだけですから、おやすみなさい」

通話が切れた音が聞こえるが鷹村は受話器を外せずに固まっていた
それから1分後彼は正気に戻って叫んだ
これは脈があるだろう!と思って、この恋は実らせてやると決めるも彼はまだ気付かない、大きな2つの大きな壁を
2人の今回の中睦まじさをしった猫田が告げ口をしたことによりナマエを狙っていることがバレるなどその時の鷹村は知ることなどないだろう、この恋は始まったばかりで前途多難は続くのだった。