きっとこの人生の中で絶対に忘れないと思ったのは彼が初めてだった。

アイドルという仕事をしている中でファンの顔を覚えることはそれほど苦ではなくなったのはきっと自分を押し殺す事に慣れたからだろう、フワフワのドレスのようなワンピースに子供みたいな年齢に似合わない髪型に薄手のかわいいメイクに甘ったるい猫なで声で歌うくだらないラブソング
それなりに売れていることは嬉しいが素直には喜べない、ライブ終わりの握手会で色んなお客さんと触れ合うことにも慣れてきたというのにその日だけは違った

「はじめまして、オレっちも握手してもらえる?」
「へ」

随分と見上げた先にある顔はとても楽しそうな嬉しそうな表情でおもわず仕事の顔も忘れて素の表情が現れてしまう
トランスフォーマーという存在がいるのは知っていたがまさか目の前に現れるなどとは思わなかったし、それどころかファンだなんて想わなかったのだ、固まる彼女を他所に彼の手から1枚の小さな紙切れが渡されるが紛うことなき握手券である

「これ買ったんですか」
「うん、人間の友達に頼んでね」
「ライブみてくれてましたか?」
「もっちろん!最前列でね」

はい次の人、とスタッフの人が彼の足を押せばほかの人たちみたいに名残惜しそうな顔をされてしまう

「オレっちはサイバトロンのブロードキャスト、忘れないでね」

カセットを買ってくれた友達らしき人と行ってしまう彼の背中に目を奪われたまま他のファンとの握手なんてうわの空で仕事を進めてしまいその日はマネージャーに怒られてしまうのだった

それから会場で彼を探すのが常になる、だがしかしあの赤い彼はどこにも見えやしない大きな身体だからすぐに見つかると思ってもあれ以降全く挨拶ひとつもできやしなかった
自分を偽る仕事をし続ける中で少しだけ嬉しかったのだ、宇宙人にも私の歌声は聞こえているのだと、けれどきっとそれは夢のようなことで日が経つにつれて彼の思い出が薄れていくにつれてまた自信がなくなって自己嫌悪してしまう日々に戻ろうとした
お疲れ様ですと挨拶をして暗くなった会場で出待ちしている人達を見つけて表の入口からでていった時だった

「あっアイリスちゃん発見」

エフェクト混じりのその声に思わず顔を上げてもその姿はどこにもない、幻聴まで聞こえたのかと思わずため息をこぼして夜なのにサングラスをかけようとした途端ギギガガと奇妙な音を立てて近くにあったオシャレなラジカセが姿を変えた、3m程の彼は近付いてきては興奮気味に今日のライブのセットリストについて話を始める

「あなたが好きなのは音楽なのね」
「そりゃあ勿論、オレっちの故郷にはない音を人は作るんだから好きになるよ」
「あなたみたいに音楽ごと好きになれたら少しは違うのかな」

ほとんど初対面のファンになんてことを言ってしまったんだと思わず自身の失言に慌てて顔をあげればそのロボットは大して気にもした様子はなく見下ろしていた
小さな歩幅に合わせて歩いてくれる彼の優しさがどことなく心地よく、人間では無いからか思わず自然と愚痴が溢れていくのに彼は心地いい音楽を聴くみたいに黙って聞いてくれるものだから夜更けだと言うのに廃工場にいって適当に2人腰をかけた

「本当はあんな歌よりかっこいい歌が歌いたいの」
「ロック?」
「そう、ずっとそういうのが好きで事務所のオーディションに参加したけど私の声じゃアイドル系しか無理だしビジュアルで売ったらいいっていわれたの」

悔しくて堪らなかった、デスメタルやハードロックやヘヴィメタルとかカッコいい尖ったものが好きで声を敢えて枯れさせて歌ったとしても合わないから。と一刀両断されてしまった
アイドルとはいえ所詮は会社員であり逆らうことは仕事を辞めるということで簡単にはいかないです、結局あれよあれよという間にアイドルとして自分が売れてポップでキュートで無垢な存在として出来上がった

「そっか、でもオレっちはアイリスがどんな歌うたってても好きになるけどなぁ」
「本当?アイドルじゃなくても好きになれるの?」

ブロードキャストは語った
ある日のデストロンとの戦いの帰り、マイスター副官の助手席に乗せてもらっていた時「最近ここのラジオ曲が好きでね」といわれ流された音楽チャンネル、在り来りな人気バンド達の曲が流れる中でMCが次の紹介をする超新星アイドルの新曲を…
トランスフォーマーにはそんなものが無いのに目の前が弾けた気がした、ブレインが揺れてスパークはバチバチ音を立てているように感じた
かわいい甘い声に混じった少し生意気なキツい声はきっと人間には聞こえない叫び声のようでそれが解放されたらきっとこの子は自分の中で最高のアイドルになる

「気に入らないかもしれないけど言っていい?」
「ええどうぞ」
「新曲は加工が入りすぎて良くなかった、ピッチも弄りまくりだし素の君の声の方がずぅっと素敵だよ」

まるで雷でも落ちたように頭の先からつま先まで電流が走ったような気がした、その感覚はきっと恋なのだろう
人では無い種族である彼がこうして理解してくれることが嬉しくてたまらないと彼女は思って思わずその硬い金属の体を抱きしめた

「嬉しい、私を分かってくれる人があなたで」

それはきっと互いに恋に落ちたような気がしたことだろう
それから2人は良き友人としての関係を進めた、ライブやイベントのチケットは毎回送ってあげたし帰りは2人で帰るようになった、時折ブロードキャストの友人であるトラックスやマイスターなども来るが彼女はそれでも自分の全てを見てくれたブロードキャストに夢中になった
ヒラヒラの衣装も縦巻きされたツインテールも甘ったるい声も嫌いだけれど前より少しマシな気持ちになった、それもこれもすべて彼のおかげでしかない
休みの日があれが自身のハーレーでサイバトロン基地に行って2人で音楽を語り合う、生憎とポップスやロックなどは彼の好みにもあったらしくますます距離は近づいて行き2人は最高の親友であり、バンブルとスパイクのようなトラックスとラウルのような関係を築いていた、基地の中の彼の部屋の中で2人はいつも通り隣同士に座って音楽雑誌を見たり聴いたりとしていた

「私アイドルになれてよかったって最近思えるの」
「そう?それはよかったね」
「この仕事してなきゃきっとブロードキャストは私を知ることは無かったし気にもしなかったと思うもの、だからすごく今楽しい」

心からそう思える日が来るなんて思いもよらなかった、笑顔で彼を見上げればいつも澄んだブルーのカメラアイが少しだけ曇りを見せていた、不思議に思い名前を呼べば彼の視線が注がれる

「ねぇアイリス、オレっちのためだけに歌うたって欲しい、どんなのでもいい好きなの聞きたい」
「どうしたのブロードキャスト?いいけど…はっ恥ずかしいなぁ」
「人に聞かせたことないアイリスの好きな奴がいい」

力強くそう言われれば何度か声を出して発声練習をする、笑わないでね?と釘を刺せば俺っちが笑うはずないでしょ。なんて真面目に返事をされてしまうのがまた恥ずかしくなる
彼の胸元のカセットテープが音を立てて動くものだから思わず立ち上がる

「録音するのやめてよ」
「やだ」
「下手かもしれないじゃん」
「そこも含めて好きだからいいでしょ」
「やめてよ」
「お願い、聞かせて」

顔を寄せられて優しくそう言われれば観念してしまう、本当はロックが好きなんだといっていたくせにその時に浮かんだ曲は何故だかみんな聞いたことのある懐かしい子供を寝かせる時のような柔らかい音楽だった
ちらりと見つめればブロードキャストはどこまでも穏やかで優しく微笑んでいた

「オレっちこのこと絶対に忘れないから何万回も何億回も聴くから」
「恥ずかしいからいいよ、こんな下手な歌」
「言ったでしょ?俺っちはアイリスの声が好きだって、だからずぅっと聴いてたい」

その彼の言葉にはなにか含みがあって恥ずかしながらも小さく頷いた、その日から毎日彼女がいない時間のブロードキャストは柔らかい子守唄を流すものだから基地の中が眠たくなると怒られるしまつであった
ふと彼女の声がほかにも聞こえているのが気に障って、ラジオで流れているのも気になってきて、彼女の笑顔がチラつく度にその笑顔さえムカついていればいよいよ重症だと頭を抱えてしまう
その姿を見たトラックスに連れられて久方振りの彼女のライブを外から聴いた、青い美しいボディの彼は「本当アイリスっていい声だな」というのを普段なら喜んで同意するのに「そうかな」なんていってしまう、様子のおかしな彼を知っている友人は苦笑いを浮かべてライブ終わりになれば先に帰るといって行ってしまった
ふわふわのワンピースに縦ロールのツインテールに異性受けするキラキラのメイク、どれもこれもブロードキャストは遠目に見て可愛くて堪らないと思う反面その笑顔の矛先が憎らしく思った

「次のか…ブロードキャスト?」
「ねぇオレっちもうダメかも、アイドルってみんなの憧れなのかもしれないけどアイリスには俺っちだけをみてほしいし、笑っててほしい」

律義に握手会に並んでいたブロードキャストは会うなりそういったものだから思わず彼女も口を開けて出逢った頃のように驚いてしまう
チケットがないならダメですよ。なんていうスタッフの言葉も聞こえずに2人はみつめあって固まった、ブロードキャストがもう一度口を開く前に彼女は彼に飛び込めばいつものように優しく抱きとめられそして同じ目線になるように抱き上げられる

「凄く嬉しい、私ブロードキャストだけのアイドルでいたい」
「・・・それって、オレっちのこと」
「うん、そういうこと」

それ以上は言わないようにブロードキャストの金属の唇に優しく口づければファンやスタッフの悲鳴が溢れるが今の2人にはそれさえとびきりのスパイスになった

翌日のラジオ番組のMCは自身の応援していたアイドルがまさか恋人を作って引退するだなんて。と嘆いて前置きもそこそこに彼女の音楽が流れ始める
サイバトロン基地の一室でそれを聴いていた1人のトランスフォーマーは心地よさそうにカメラアイを閉じて余計な情報を消して浸っていれば突然それは電源ごと消されてしまう

「もう本物はここにいるのに酷い人」
「あぁそうだった、それで?オレっちのかわいいアイドルちゃんは今日は何を聞かせてくれるのかな」

足元に抱きつく小さな恋人を抱き上げてそういえば彼女は嬉しそうにうたを奏でる、特別席でそれを聞く彼の顔と言えばもうだらしないことこの上ない
どこまでも幸せなふたりがその部屋に広がっている

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