ヒビキ










近頃は平和であった、夏に差し掛かり暑さにやられてるんじゃないのかとみんなが笑いながらいっていた
その為かあまりマッサージ師である恋人の世話になることもなく、身体をゆっくり鍛えることも出来、頻繁にコーヒーを飲みに行くこともできるようになった

ドアベルが音を立てた、顔を上げて入口を見れば片手をあげて優しく笑う陽気な男が1人


「ヒビキさん」

「よっ」

入ってきては慣れたように一番奥のカウンターに座る
珈琲豆の匂いが鼻を擽る、暇を持て余してしまう時間を気にしてか先に小さな焼き菓子を置かれることに相変わらず女子供らしい考えに感じる


「葵さ、10日は?」

「10日は…日曜日ですか?仕事ですかね」

「ここ、四時締めでしょ?」


あーやらうーやら唸る三十路の過ぎた男を見て葵は首を傾げる
日曜日は基本早めの閉店を目標にしているが、10日と言われた日は特に大きな予定はなかった
それこそいつもと変わらないものだろう、淹れたてのコーヒーをソーサーに置いて彼の前に出す、渡したコーヒーフレッシュを少しだけ入れてはティースプーンが泳ぐ
目を逸らしたりどうしよう、と呟いたり少し変わった彼に声をかけた

「あの「花火行かない?」

ようやく出てきた言葉に目を丸くする
花火、花火といえばあぁこの近くの祭りのか…と理解する
彼がデートを誘うのは珍しいものだ、いつもどこに行くにしても女から誘っては優しくどこまでもついてきてくれる、申し訳ない訳では無いがたまには彼からと思えてしまっていた
それがまさかこんな形で人混みの多い場所に行けるとは思いもよらないことだろう


「ヒビキさんと行きたいな」

「じゃあ、10日の5時に迎えに来るからさ…まってて、ね?」

急に両手を取られては目を合わせられる
キラキラと輝く黒い瞳がまるで子供のように愛らしい、返事もそのまま走るように行ってしまった彼のもとに出したコーヒーも焼き菓子も綺麗になくなっていた
外からは喜びの声が大きく聞こえたような気がした、きっと気のせいだろう。



10日の昼過ぎからいつもの日曜日に比べ少しばかり暇であり、先代である父から先に終えていいと言われ、浴衣を出した
ヒビキはどのような格好かと思いながらも白地に紫の紫陽花の描かれた浴衣に袖を通し黒紫の帯と赤色の帯留めをして気づく、いつの間にか彼の鬼の姿のような色だと
意識していた訳では無いが無意識でもそうなったのならば余計少し恥ずかしいと思えた
長い髪を纏めて祖母から譲り受けた赤い鬼灯の簪を刺した


「あ、もうすぐだ」

時間はあっという間に4時半すぎ、化粧を終えてないのにと急ぎ気味に筆を滑らせた


「よっ葵」

「ヒビキさん、ちょっと待ってくださいねまだお化粧が」

いつの間にかやってきた彼が部屋に上がる、清潔感のある部屋だから特には問題は無い、手にある紅を見た彼は目の前に座り紅の入れ物をとった
そういえば今日は浴衣を着てるのだなと思えみつめる

「俺が塗ってあげる」

「は、はい」

真剣な瞳だった、いつもの緩い優しい顔がキリッとして、ドキリと緊張する
唇に触れたヒビキの男らしい指先が厭らしい、撫でられるように触れられ、指が離される


「完成、いい色だな」

「ありがとうございます」

「…キスしちゃダメだよな」

ずるい顔をしながら彼はそういう、膝に置かれた手の上に自分の手を重ねて、顔を近づける
少しだけついた赤い紅が可笑しくなり少しだけ笑う、また彼の指先が唇をなでた
ふと時計を見れば慌て始めて手を取られ下駄を履いて走り始める
鬼であり鍛えてる彼とは全く違う為に息を切らし始めれば抱き上げられ、騒ぎ始める、恥ずかしいやら嬉しいやら照れるやら
全体的に五月蝿い中で屋台が見えてくれば下ろされる


「葵はなんか食べたいものある?」

「リンゴ飴…とか」

「よっし!いくか」

まるで少年みたいだった、隣を歩きながら彼の両手には沢山の屋台で買った食べ物が
りんご飴に綿菓子、焼きそばにたこ焼きにベビーカステラ、はしまきにイカ焼きにポテト、ビールにかき氷
こんなに買っても置く場所もないのではないのか?と思えてきたが足を進める彼は人気のあまりない場所に連れていかれる
もらった雑誌を地面に敷いて、その上に座りものを置いていきビールを口に含んだ


「にしても、珍しいですねヒビキさんがこんなの誘ってくれるなんて」

「いや、なんていうかあんまりこういうこと…しないだろ?」

「…気にしてたんですか」

そういうとの少しだけ恥ずかしそうに顔を逸らした、心がジワリと暖かくなるのを感じながらみつめれば、大きな花火が上がって音を立てた
思わずそちらを向いてしまうが手を取られて唇に触れた


「愛してる葵、そう言いたかっただけっつったら笑うか?」

「……いえ、とても嬉しいですヒビキさん」

彼の唇についた紅が酷く愛おしかった、打ち上がった花火をみるのも忘れながらまた唇を重ねる
少しばかりの休息だ、きっとみんな許してくれると言い訳をして、花火の美しさも忘れてビールのアルコールさえ消えるほどの熱に侵され、また求めては二人で笑う。







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