斬鬼
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昔からその人の背を見つめた、家柄もあってか鬼としても優秀なその男を憧れながらも勇気も出ずに見ていた
「茶の入れ方が上手くなったな」
そういう頃にはもう彼は鬼から引退してしまった、足の怪我がなければ続けていたかもしれない、轟鬼が独立しなければ彼はやめなかったかもしれない、少しばかり悪いことを思ってしまった
「そりゃあ、もう父から引き継いで3年目ですよ」
表向きは喫茶店をしているためかたちばなで報告を終えたあとに身体を癒しに来る場合があった
この男、斬鬼と呼ばれた彼が来たのは両手で数える程度、おまけに葵自身が癒したのは片手で数える程度だ
「そうか、顔は出していたが葵に会うのも久しぶりだな」
「えぇ少し寂しかったです」
「後で頼めるか?」
「父をお呼びしますね」
「いや、葵に頼みたい」
そう言われたことに胸が高鳴り驚いた、いつも指名をするのは父である先代だ
葵の腕は確かに未だ成長途中であるが術のレベルは一流だ、時間を重ね父には到底勝てるわけもないが
斬鬼の足の怪我も定期的に治すことを早めたのは医者でもなくこの親子だった、出来るだけ回復するように願い力を込めた
「用意しますから、ゆっくりしててください」
腰に巻いたカフェエプロンを外して後ろに掛け、入口の看板をCLOSEに変えて二階の部屋に上がり窓を閉めて香を炊いた
仕事をするのは数日ぶりだ、それも彼の弟子である轟鬼が来た、それでも葵は緊張により深く深呼吸をした
「どうぞ」
手馴れた様子で部屋に入っては上着とシャツにインナー全てを脱いだ轟鬼がうつ伏せで寝そべる
医療薬のようなものを大量に用意しては塗っていき身体のひとつひとつを丁寧にマッサージする、鍛錬は未だ怠ってはいないのだと思いつつもその背中を見つめるのは久しぶりに感じた
「轟鬼さん少し痩せましたね」
「そうかもしれないな、引退をしたせいか怠けているかもしれない」
「そんなわけ…ないじゃないですか」
知っていた、どれだけ悔しいものかとどれだけ悲しいものか
たかだか足の傷で体力がもうついて行かなくなって、好き好んでやめたわけじゃないことくらい、響鬼がいっていた「どうしてやめなきゃならないんだろうね」と
運命という言葉があるならばとてつもなく残酷な言葉だと思えた
「葵」
「はい」
「お前が気にする事は何も無い」
昔から変わらない男だった
誰よりも人の感情を察する、厳しいふりをして誰よりも優しく自分に厳しい
人を愛する力を強く持っている、起き上がった斬鬼の手が伸びて葵の頭を撫でる
「でも…私がもっと優秀ならきっと治ってたかもしれないんです、きっともっと斬鬼さんは」
「俺が決めたことだ、それに
俺は後悔はない、斬鬼が俺を継いだ、それだけで俺は後悔はなく胸を張り堂々と引退できたんだ」
兄のようなその大きな手が頭を撫でる、この男の強さが好きであった
斬鬼の胸の中に寄り添った葵の背を撫でながら慰めるように 大丈夫だ といった
「それと、葵にいいたい」
「なんですか?」
「俺と過ごしてみないか…まぁ年はあれだが、ずっとお前を想っていた」
優しい声でそういった斬鬼に顔を見れば少しだけ恥ずかしそうにしていた
冗談を簡単に言うタイプではないのはよく知っているために葵は頬を紅潮させた、かくいう相手も恥ずかしそうに耳が赤くなった
「斬鬼さん、私でいいですか?」
「あぁお前が欲しんだ」
「……宜しく、お願いします」
「…ん、あぁ」
あまりにも静かなその言葉同士に互いの熱がぐんと上がった気がした、自然と絡め取られた指だけを見つめることしか今はできないでいた。
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