ハッピーウエディング前ソング

金曜日の夜19時 都内の居酒屋
そこに足を運ぶのは特別な理由があった、プロ野球選手から一般人まで勢揃い100人近く集まるその日は何とも懐かしい青春時代を思い出させる、青道高校のOB達の飲み会だ
プロに入った選手は少なくは無いために毎年決まった店を予約する、開始時間は19時ちょうどだが御幸の務めてる球団の練習場は少しばかり遠く遅れた
のれんを潜り店員に名前を伝えれば2階の席に連れていかれる

「おぉ!御幸ようやく来たか」

「すみません、遅れちゃって」

「久々だなぁ元気してたのかよ」

社交辞令のように挨拶をしつつ席につき、店員におしぼりを貰いつつビールを頼む
高校を卒業してから9年は経ってしまったがみんなあまり変わることは無いがサラリーマンになった者や家業を継いだ者、みんな少しずつ変わった
プロになれたのはこの中の一部のみだ、ビール片手に唐揚げを口に含めば隣にいつの間にか来ていた倉持や先輩であった小湊亮介や伊佐敷が御幸を興味深く見ていた

「な、なんすか」

このメンバーは少しめんどくさいんだと内心思いながらも声を出した

「和泉とはどうなんだよ」

その言葉に固まった、そうだ元3年のメンバーの中には知らない人もいるとはいえ御幸一也には恋人がいた、現在も問題なく勿論居るのだがそこに問題があった

「え、まぁ普通なんじゃね?」

「普通ってなんだよ、籍入れてねぇんだろ」

「……まじ言いたくねぇ」

苦虫を潰したような顔をして御幸は声を出した


「プロポーズして振られたんっすよ」

その一言に全員が御幸を見た、そして爆笑し指を指しみんなの酒のツマミに変わってしまったのだ
だから言いたくなかった、メガネのズレを直しながら御幸は深くため息をついてビールを口に運んだ



和泉智華と付き合ったのは3年に上がる少し前だった
1年マネージャーは選手達からも可愛い等と言われていたおっちょこちょい属性と後輩属性の2人に分かれて派閥はあったが、その中で和泉に行ったのは御幸だった
毎朝早くに練習する選手は知ってるが備品の整備や清掃はもちろん他校の調査に加えマネージャー業
他のマネージャーよりもはるかに仕事をする彼女に恋をしないわけがなかった
夜遅くになった智華を送ることにたまたまなった御幸は勢いに任せて告白をした彼女は大きな満月をバックに優しく微笑んだ

「野球と私以外に浮気しちゃ、嫌ですよ」

そういって耳を赤くした彼女を見て当たり前だろ。と小さく呟いた
それからの生活は高校生活を終えてプロに進んでからも安定した付き合いをしていた、大学に行って就職をして未だプロ選手になった恋人に対して何かが変わる訳でもない

そして28歳になった現在、27歳の恋人
同棲を初めて3年目交際期間は10年と少し、そろそろいいだろうと思いながら記念日のその日高級フレンチを予約してドレスコード通りにしっかりとスーツに袖を通してポケットに小さな指輪を入れた
寝ている智華の指をしっかり測って、どんなデザインがいいか必死に考えた
その時の御幸一也の頭の中には1mmでもフラれるとは思っていなかった、当たり前だろう何年交際していると思っているのか、互いに子供ができるのも夫婦になるのもいい歳すぎる

「結婚してくれ」

店の一番いい席で夜景に照らされながらそう言った
メインも終わりデザートの前に今だと思った、仕事の話や最近の友達の話やらに花を咲かせて楽しそうに微笑んでいた智華の顔が固まった


「お断りします」

御幸が言葉を絞り出すより先にお金を置いて彼女は逃げるように出ていった
周りの客は彼がプロ野球で活躍する御幸一也だと知っていたが驚きを隠せなかった、彼も周りもみな
そこから1週間経った今彼女はまだ帰ってきていなかった、だからこそ今回の忘年会も智華はおらず、珍しく一人で参戦した


「沢村いねぇのかよ」

倉持の言葉にぐぬっ…と言葉が出なかった
智華と沢村は赤ん坊からの幼馴染だ
そこいらの友人やら幼馴染よりも深い中なのは重々承知であったが頼りずらいこともあった
泣かせたら許さない、同棲は許さん、付き合うことは許さん、全て最初は否定するかのような勢いで言う沢村にこれをいえばなんと答えが返ってくるか、想像もしたくない
探すも今日は来れないのだと聞こえ、ほっと胸を撫で下ろす、惨めだ…なんとなく心で泣いた
何がいけなかったのか分からない、幸せに出来ると確信していた、経済面でも男としてでも生活面でも全て不足はなかった、完璧すぎる事が嫌だったのかと考えてしまうほど訳もわからなくなり苦しくなった
時刻は深夜1:30を回ったばかり
こんな時間に帰っても心配する相手なんて居ないと思って二次会まで遊びすぎたと思いながら足を家に向ける

鍵を差し込みドアを開けてシャワーに浴びる気もなくジーパンとシャツを脱ぎ寝室に入る

「なんでいるんだよ」

ベッドの中で眠りについた智華がいた
逢いたくなかったのに。
自分が女々しいと分かってながらも苦しく悔しいのに彼女は何も気にせず帰ってきて寝ている、人一人分のスペースをしっかり開けて、急ぎ足でリビングに行けばテーブルには二人分の冷めた夕食があった、好物ばかり並べたそれは彼女なりの謝罪だと理解した
実際は顔を合わせて謝りたかったのだろう、今日が同窓会であるのも分かっていたはず
重たい足を引き摺るように風呂場に行きシャワーを浴びる臭いタバコや酒の匂いを消すために必死に体を洗う
ドライヤーは起こしてしまうと思い考慮した

「ただいま」

「みゆきさん」

寝惚けたように声を上げた、ぐっと胸が締め付けられる感覚は何年経っても消えないときめきだろう
閉じた瞼と長いまつ毛に小さな口に規則正しい呼吸、全てが愛おしい以外に何と言えようか

「結婚しなくていいからさ、俺から離れんなよ」

少しだけ離れただけで胸が張り裂けそうだと思ったのだから
形式だけの夫婦よりも心が繋がり合う方がよっぽど大切だ、指を絡めてそっと唇を重ねた

「おやすみ」

そういって眠りについた


目を覚ました時隣に智華はまた居なかった、温もりは冷めて頭が冷めた気がしたがふと匂った和食の匂いに釣られるかのように足を進める

「おはようございます御幸さん」

「え、あ…おはよ」

「寝癖いっぱいついてる、ドライヤー忘れたでしょ」

「智華が寝てたから起こせねぇだろ」

「よかったのに」

食べましょうか。と微笑んだ彼女は何も変わらなかった
寂しい気持ちを隠しながらテーブルに置かれた朝食に気分は上がった久しぶりの味をあじわえるのだと思って洗面所に向かう
蛇口をひねり顔に水をかけて泡を満遍なく塗る際にふと気づく、顔にあたる金属的なもの
急いで顔を洗い終えて指を見れば左手の薬指には見覚えのない指輪が存在してた
まるで自分が塁に出る時のように狭い家を走った、リビングのドアをうるさく開けて智華をみれば気づいたかのように笑う

「気づきました?」

「気づかねぇわけないだろ」

「私、御幸さんに言われた時嬉しかったんですけど…心の準備も、嫁入りの準備も出来ませんでした、だから私が妻になれる準備が出来てからしっかり私から貴方を貰おうと思いまして」

「………お前ほんと、ほんと」

「怒りましたか?」

「馬鹿野郎愛してるに決まってんだろ」

恥ずかしそうにそして申し訳なさそうにいう智華を勢いよく抱きしめた、小さな智華が肩に顔を埋めて背中に腕を回した

「私も愛してます」

そういった智華の熱と自分の熱で溶かされそうだと思える程熱かった
指輪がきらりと光った朝は少しだけ出た涙を隠すように開けた窓から風を吹かせた。




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