その1歩を踏み出すのは

刀は1度使えた主の為ならば何もかもを差し出すのだと教えられ、それこそが生きる為だと認識していた
主の為ならば手足がもげても、声が出ずとも、目を潰されても、形が残らなくても彼を守り続けねばならないのだと言い聞かせていた

「クラウスさん!」

彼を守るためならば、私の命は羽より軽いものだった




目を覚ませば白い天井と外の大きな爆発音、この街で平穏を望むのは宝くじを当てるよりも何億倍も難しいのだ
両手足が動かせるか確認をしながらゆっくり起き上がる、身体に着いたチューブはさっきまでの自分を生かす為だったらしく勢いよく引き抜いて布団を整えてサイドテーブルにおいてあった服に着替える
何日たったのか、何時間経過したか、事件は解決したか等と思いながらもまだ軋む体の痛みに顔を顰めて外に出る、今日もこのHLは騒がしく品がない
腰に差した刀が早く出たいと騒ぐように、自分もまた一つ早く彼に会いたいと願うのだ

「和泉智華、只今帰還致しました」

まるで今の彼女は傍から見れば出張でもいってたような口振りで、その姿はまるで主人を見たようにその深紅の瞳はキラキラと輝いていたがまるでそれはこの部屋が冷凍室に変わったかのような、どこかの誰かの技のように冷えていくのが実感した
部屋にいたスティーブンもチェインもザップもツェッドも、レオナルドさえ誰もおめでとう。と声を出すことは出来なかった
そして全員の目が智華から次に部屋の奥に座っているクラウスを見る、その姿に大の大人が小便をチビりそうな勢いだった

「智華様、クラウス様が大変お怒りでございます」

そう声を出して部屋に紅茶を入れにやって来てギルベルトが言うものだから、智華は分からなくなった
自分は主命を全うしたのだから、彼はなにか事件で問題があったのだろうかと1歩足を踏み入れた

「智華は後で部屋に来なさい」

部屋、と言われたのは彼の私室ではないことは直ぐに察していた
クラウスの目があまりにも厳しいものであったからだ
智華は「畏まりました」とだけ残して部屋を後にするクラウスをみて悲しそうにした
まるでそれを慰めるように全員がようやく声を出したことにほっと胸を撫で下ろしながら珈琲を口にした

時刻が過ぎに過ぎた、聞いたところ気絶してから17日間眠っていたらしい、だからこんなにも身体がダルいのかと感じながらも珍しく早く帰ってしまったスティーブンと食事に行くために出ていったツェッドの背中を見た後にクラウスがいるであろう部屋をノックする
すぐに行くつもりであったが、周りがあまりにも止めるものだから仕方なくその意見を聞きいれた、どうしてクラウスが怒るのか理解していない訳では無いが智華からすればとてつもなくしょうもないものだった
自分の命が朽ちたとしてもその際の魔術も全て準備出来ているのだから問題は無い


「それが君の意見と、私は受け入れればいいのか」

低い声により一層の低さが増した
背中の毛が栗立ちまるで叱られた犬のように智華は眉をまた下げてしまった
実の話こうして怒られることは1度や2度ではなかった、クラウスの前に立つ智華は「でも」「ですが」「けれど」等と言葉を並べるがその度にクラウスの目がジトリと智華を見つめるものだから言葉が詰まる、頭の中で言い訳のような考えが浮かんでは相手の顔を見て消えてしまう


「私は怒ってはいない」

「…それは、理解しています」

「君が危険を顧みず進む姿に心配になるのだ、弱いと思ってる訳ではなく…何度も言っているだろう智華」

立ち上がったクラウスが目の前にいる
目に見て分かる仕立てのいいベストや太い腕に鍛え上げられた身体、上を向けば赤い美しい髪に狼のように美しく気高き獣の様な牙のような歯も、智華は愛おしいのだ

「君を愛しているのだと」

真っ直ぐとした言葉は何度聴いても智華を混乱させる、頭を満タンにさせると同時に爆発しそうなほど、顔に出ないだけで手は汗まみれで背中だって熱い

「そ、それは理解、しています」

「なら君は私を置いて逝ってはダメだ」

「…ですが私は貴方を」

「あぁ百も承知だ、智華…キミが想うように私もキミを想っている、だからこそ私にその忠誠を誓って欲しいモノではなく心として私に忠誠と愛を捧げて欲しいのだ」

王であろう筈の男が跪いた、彼からすればそんな事にプライドも何も無いのだろう
正しいと信じているのだから、智華は耐えられないでいる彼を傷付けるものも彼を跪かせることも彼の情を得ることも自分では無いのだと言い続けていた

「クラウスさん…わ、私如きにそのような事はしてはいけません」

「智華何度も言おう、私と君は対等であり主従ではない…だがそう望むのならば尚更従って欲しい」

見下ろされたその瞳はまるで子供のように純潔だった
智華は小さく頷く「えぇ、分かりました」そういう以外にこの男の意見を止めるすべはもう無いのだと智華は思った

「ありがとう、そしてそろそろ答えを考えて欲しい」

「…そ、それはそのまた」

話し終えたと思った矢先クラウスはふとそう言った言葉に智華はまた気まずそうな顔をした
それはそうだった、もうこの2年近くクラウスは智華に好意を伝えていたから
けれどなかなか彼女は答えられないでいた、優しいクラウスの言葉に流されるわけでもなく考え続けた結果答えが出ないままであり時折催促をされてしまう

「まだ聞くのが早かったようだ、また機会があるときで構わないその時は君から私の私室に来て欲しい」

その言葉を最後に部屋を出た
見慣れた事務所、誰もいない暗い部屋の中、家に帰ることも疲れてソファに寝そべった、あの暖かな瞳を思い出しその日もまたキュッと心臓を締付ける、愛おしいと理解しながら心臓が声を上げる

素直になればいいのに。と




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