ヤマト



床に吐き出した嘔吐物を見つめて数秒後彼は走り出した
愛ってのは残酷だ


ヤマトがおでんになると言い出してもう何年が経ったことか、あの娘の奇想天外で破天荒な言動を誰も止めることはない、叶わない夢だと知っているからだ
この島で誰にも心を開くことの無い彼女は自由気ままに島を歩いていた、そんなある日カイドウを含め飛び六胞も誰もいない静かな城の中を歩いていた

「きゃあっ」

角を曲がった途端足元に聞こえた小さな悲鳴に思わず顔を見下ろせばそこにはあまりに小さい…いや、彼女からしてみれば小さいだけで女は平均的な人間の身長だろうか
兎も角女が床に転がって倒れているものだからヤマトは驚いた、打ち所が悪かったのかせいか彼女は鼻血を流しており、更にヤマトは困惑した
こんな女性を見た事はない、こんな女性はどこにいたかと疑問を感じつつ即座に抱き上げて医務室に入る

「ごめんよ、まさか城に人がまだいるだなんて」

「い、いえ大丈夫ですよ、私こそ前方不注意でしたのですみません」

「それより君は遊女か誰かの付き人?それともまさか…迷い人か?」

「少しここでお世話になってるんです、みんなが出払ってる間は城の掃除をと頼まれておりまして」

「こんなでかい城を君一人で?」

「えぇ」

血が落ち着いてきた女はニコニコと笑った
この城でこんなに穏やかに人と話すのはいつぶりだろうかとヤマトは思った、年は自分より上のようだが小さな体はこの城を掃除するのには向いていないようだ

「僕はヤマト、君は?」

「私はナマエです、ヤマトぼっちゃんですね…お話は伺っております、貴方様の身の回りの事も言われておりますから」

「ヤマトぼっちゃんなんか辞めてくれよ…僕のことはおでんか……いや、ヤマトって呼んで欲しい」

普段ならばおでんだと自称して求めていたはずがナマエにはそうではなく本当の自分を見て受け止めて欲しいと願った
その想いが伝わったのか彼女は優しく微笑んだ、カイドウたちは数日帰ってこないのだといいナマエはヤマトの腕に抱かれながら城の中を歩いた
ヤマトの大好きな光月おでんの話をしても彼女は耳を塞ぐことも止めることも無く、まるで子供が本を読んでもらうかのように、目をきらきらとさせて話を聞いてくれるものだから
ヤマトはそれがまた心地よくてたまらなくなった。

「だから僕はおでんなんだ」

毎日ヤマトはナマエに嬉しそうに話をした、人のいない城は2人だけの楽園で心地が良い
ナマエは茶化すわけでも否定するわけでも怒鳴るわけでも暴力を振るうでもなく、ただヤマトの話を真髄に受け止めたそしていつもヤマトの髪を撫でて優しい声でいうのだ

「いつか…いつか、海に出られたらいいですね」

こんな枷がなければ、もっと強ければ簡単にナマエを攫って行けるのにと自身の弱さを悔やんだ
自分の憧れるおでんならば、きっと彼女の腕を掴んで走り出すのに船に乗って色んな世界を見てそして子を持つ、いや体が女の2人には子供は無理かと苦笑いが毀れる
ふと隣にあるナマエの小さな顔を手で包んで顔を寄せる、甘い唇が心地よかった

なのに
どうして地獄は続くのだろうかとヤマトは思った
カイドウが帰国後ナマエとはあまり会う機会はなくなった、久方ぶりに父カイドウに呼びつけられ真面目な話だと言われ嫌々ながら顔を出す
珍しく飛び六胞も大看板も誰もいないカイドウだけの静かな部屋だった

「なんの用事だクソ親父」

嫌な空気を肌で感じた、またあの薄気味悪い果実か、はたまた奴隷か、それとももっと別の何かかと思えば奥の扉が開けられ女が1人入ってくる
美しいほどの白無垢のうな着物を着た女、背丈はナマエに似ていた

「お前の母親、いや俺の新しい妻のナマエだが…ウォロロロお前は知っていたか」

まさしくそれはナマエだった、優しく微笑む彼女に腹の中のもの全てがひっくり返りそうな程で気持ちが悪くなる
ナマエが声を出した「改めましてヤマト、カイドウ様の妻になるナマエです、今後ともよろしくお願いします」と
イヤになるほど耳に張り付いたその声に目を見つめれば彼女の瞳は涙に潤んでいた
何も言わず飛び出して目につくもの全てを壊した、狂った、遠くであの男の笑い声が聞こえた気がした

「ヤマトは海賊になりたいの?」

ナマエは目を丸くしながらそう聞いた、ヤマトはその言葉に待っていたとばかりに目を輝かせて語った
あのおでんがみた世界を、この世界の広さを美しさを楽しみを全て知りたいのだと

「その時…き、君が隣にいてほしいんだ、トキじゃなく僕のナマエとして」

そう告げれば彼女は花が咲いたように笑って頷いた

襖の奥で男女が鳴いた
男の大きすぎる体に隠されるような女は大きく声をあげた
開けてはならないパンドラの箱を薄く開けてみてしまう"父と母"の営みを
目のあった彼女は涙を零していたそして小さく声も出さずにいった


「ヤマト、愛してる」


胃の中のもの全てがひっくり返った
床にちらばった吐瀉物たち、覗きをしていることなど最初からあの男にはバレていることくらい理解していた
けれど抑えられず、その場から走って逃げた
頭の中でヤマトは自分を初めて嫌悪した
女の顔をした彼女に酷く興奮をしたからか、それとも助けてやれない無力さからか、自分が鬼だと心底感じたからか………それとも…

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