クラウス・V・ラインヘルツ
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男なんて所詮、下品で下世話で汚くて最低の生き物だ
ミョウジナマエは自身の長くもない人生において男は所詮どんなに綺麗事を語っても同じものだった、汚い話は下半身に素直でも女を下に見る生き物なのだと言い聞かせるように思い続けた
「それで?」
直属の上司になった男はナマエにとっては何の魅力もない男であった、スラリとした足傷のある顔少し垂れた甘い瞳に高い鼻にスタイルのいい体に不快にさせない香水の匂い、これら全ては女の為に出来ていると言っても過言ではない
だがしかしこの男は仕事のため自身の損得勘定以外では動かないのだと理解している、現に彼が女と歩いている場合は大抵スポンサーや情報収集や仕事のことばかりでそのうち過労死するかもしれないと他人事のように思えるようなものだった。
「結局ザップさんとまでは行かなくてもあの人も男なんですよ」
さもどうでも良いと言いたげな顔の上司は「ふぅん」と返事をしながらコーヒーの入ったマグに口付けて仕事を着々とこなしていた。
彼女が言ったザップは大の女好きだ、悪い奴ではないとは言えないような男ではあるが何かと憎みきれない男ではある…だがしかしナマエにとっては所詮彼は上司よりも嫌いな"男"という生き物である故に気持ち悪さと汚らしさが混じりあったようにも見えた
「みんながクラウスさんは違うなんて言うけど結局…結局あの人だって男だったわけですよね」
さぞ楽しそうにいう彼女はいうが目の前の上司にとってはどうでもいい事で、小さくため息を零しながら彼女に声をかける
「そりゃあこの世を簡略化すれば男と女しかいないさ、それでいえば君は女だしクラウスは男だ、そんなに軽口叩きたいならこれ…してくれるだろう?」
「えっ私さっき自分の終わった」
「話聞いてやるから手伝ってくれよ、僕だってしなきゃならないことが山とあるんだ」
簡単にいえばもう黙ってろということだ、仕方がないこの上司は我らがボスを尊敬し心から敬愛している、ある種の悪口を聞かせてしまったのだろうとナマエは少しバツが悪い顔で口を閉じて仕事をした
『あの人はそんな人じゃない』
『お前だけがそんなことを言う』
『きっとお前が悪いんだよ』
口を揃えて言われた言葉を思い出してはナマエは苦虫を潰したような顔で暗く霧の濃くなった夜の街で缶コーヒー片手に歩いた
ナマエは男にいい経験がなかった、それはたまたまなのかもしれないがそれでも彼女の心に深い傷を残したのは確かなことである
「あれ、クラウスさん?」
だからこそ皆が言う聖人君子の悪い顔といえばいいのかホテル街に女性と歩くあの男を見た時に(あぁ、結局この人もそうなんだと)どこかで自分の考えが間違いではなかったのだと安堵したのだ
「ナマエ、そろそろ休憩にしないだろうか」
優しく低い声がして顔をあげればナマエの中で汚いと認識した男が目の前にいた
大きな背丈に、鋭い牙、見えにくいが優しいエメラルドグリーンのような瞳、赤い髪、見た目からしても男だが彼は紳士で誰よりも誠実で穢れのない男だと人は言う、まるで扱いは聖処女のようだともナマエは思えてしまった。
「これ後2.3分で終わらせるので休んでて下さって結構ですよ」
ナマエがクラウスに素っ気ないのは誰が見てもわかることで彼女はその理由を隠すことはなかった
だがしかし彼にとっては部下であり、対等な存在であると思っているからこそ彼女が2.3分で片するといった物を半分手に取って再度自身の席に座り直し
「これで君も休憩に出来るだろうか…美味しいドーナツを貰ったから良ければひとつ」
「…この為に待っていたんですか」
「うむ、少し前にレオナルドからここのドーナツが美味しいと聞いて気になっていたんだ」
ナマエにとっては何ともない会話だった、それでもナマエは少なからずクラウスを嫌いになれずにいる
所詮男なんてと言いながら結局自分の中でどうしてそうなってしまったかもよく分かっていた
「この間」
「ん?」
「あっいえ、クラウスさんも恋人が居られてあんな場所行くんですね」
ふと何気なく落ちた言葉にクラウスは何も分かったような顔をせず、如何にも?といった顔をしていた
すぐさまあぁ言わない方がいい内容だったのかと思い直してチョコレートドーナツを口に頬張った
「なんの事だろうか」
「ん、んっぷはぁ…いえ、本当にすみませんなんでもないです、私今日外で仕事あるんで終わったら直帰するのでよろしくお願いします」
慌てて飲み込んだナマエはコーヒーで流し込み逃げるようにエレベーターに乗った、クラウスの声が聞こえた気もしたが気の所為だろう、あまり他者に関与しない方がいい下手にしたら傷つくだけだとナマエは自身の腕に爪を立てた
ミョウジナマエが自身に苦手意識を持っているということは人の感情にさほど鈍感ではない為に分かっていたつもりだ
そもそも彼女が異性に対しての苦手意識を持つことは最初から聞かされており、仕方が無いものだと理解していた
クラウスとて短い人生の中で様々な人間を見てきた、それゆえ自身を嫌うものも好意を抱く者もごまんとみてきた故彼女を否定する権利などはあるはずも無い
とはいえそんな感情を置いて目を奪われ心をいつしか奪われてしまった
小さな体に異性であれば噛み付こうとする癖、好き嫌いのはっきりした彼女は魅力に溢れた女性である
出来うる限り警戒されないようにアピールをしてきたつもりだが彼女が拒絶するように逃げたことに頭を傾けた、はて?自分は何か彼女の気に触ることをしたのかと必死に考えるが一向に出てこない
「君この間ホテル街に女と歩いてたんだろ」
それから数日
スポンサー達のパーティに呼ばれ親愛なる隣人ともいえよう友、スティーブンが言った、それは決して"やるじゃないか"という意味ではなく"君にはナマエが居るんじゃないのかい"という意味だろう、何を失敗したのかと聞きたげなスティーブンの言葉に数日前のことを思い出した
「あれは…」
「まぁ待てよ、僕に言っても仕方ないナマエは散々喜んでたよ」
彼の言葉に胸がうっと重くなる
結局大事な話も右から左に何をして話していたのか覚えてもおらず重たい足取りでクラウスは珍しく着崩した服のままベッドにだらしなく横になり考える
「それで私になにか」
「うむ、その先日の話なんだが」
ナマエがクラウスの不貞行為を見つけて数日後
退勤前のナマエに時間をくれないかと言ってきた彼に断るのも理由はなく悪い気がして仕方なく二つ返事で受けた
奥のクラウスの趣味の部屋になったほとんど観葉植物で溢れた休憩室に案内され、紅茶が2つ置かれていた
「私得に気にしていませんよ、ただクラウスさんも男なんだと安心しただけです、スティーブンさんからもし何か聞かされて不快にさせていたなら申し訳ありません」
「そうじゃないんだ、そのまずひとつ訂正したい」
「はぁ」
もうどうでもいいのだ、所詮この人もいままでと同じ女を餌に見ている下世話な男なんだろうとナマエは内心悪態ついた
昔の男たちのように女を食い物に見る、一見まともにみえるだけの根は変わらない物なのだろうと
「彼は男性であり、そのなんというかわかりやすく言うとニューハーフの方だ」
「…はい?」
「証拠にこれを見てほしい」
そういって渡された一枚の写真と名刺
ジュリーキャット レティシア と記載された名刺には住所と電話番号、そしてセクシーなリップの跡があり、もう一枚の写真は派手なプラチナブロンドの長いウィッグを外して暴れ回る彼女に振り回されるクラウスが映されていた
「たまたま酔い潰れている彼を職場まで送り返していたんだ、それを見違えたのかと」
「こんなのの為に私呼んだんですか」
「申し訳ない」
さぞ困ったような顔をするクラウスにナマエは困惑した、嬉しいような分からないようなその中には決して不快な思いはなかったがどう伝え表せばいいのか分からずに写真と名刺を返したその手を大きく暖かい手が包む
「私は君しか見えていない、だから勘違いして欲しくなかったほんとうに申し訳ないナマエ」
「わ、私は恋人じゃないので気にしないでください」
そういって逃げようとするナマエの身体をクラウスは抱き留めた
「だが君をそういう目で私は見ている、一人の女性として異性として愛おしいと思っている」
嫌いな匂いじゃない、優しく品のある香水の香りと柔らかい洗濯された衣類の匂いと彼の不快感のない汗の香り
ナマエは思わず見上げてしまう、理解したくないのだ結局のところクラウスに執着する理由が好意であると認めたくなかったのだ
ほかの男と同じ野蛮で最低なものだと認めたかったのにそうすれば自分の考えに間違いは無いのだと思っていられた
だがそうして目で追いかけていく度にゆっくりと彼に対する気持ちが愛に変わっていると気付いて心苦しくなるばかりだった
「わたし、でも、その」
「決してナマエを傷付けることは私はない、貴方だけを想い尽くしそして愛し尽くそう」
「あの…いや、えっと」
瞳が近くなり、距離がゆっくりと近付くナマエは自身が拒否すればいいだけだと理解しているクラウスは酷い男ではない、酷い男であれば良かったと反対に願い続けていただけなのだから
どうしたらいいのかと思う間にいつの間にやら紅茶は冷めていた
「ここのドーナツ美味しいですよね」
「あぁレオナルドには感謝しておかなければ」
「…もうひとつ貰ってもいいですか」
「勿論、ゆっくりいくらでも食べてくれて構わない」
山積みになった書類の山を横目にナマエはドーナツを食べる、あの日よりは味がしっかり感じられて美味しいな。と思いながら
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