人魚姫にはなれない君へ
「そうしてると綺麗だよな君」
憎たらしいような言葉を出した青年に女性は苦笑した、それも当然だろうベッドから抜け出して指輪をはめる姿に対して言う言葉では無いのだから
だがしかし女よりも美しい顔に人より遥かに優れた能力を持ち優れた人間に言われるのは悪い気はしない
「そうしてるとって、どういう意味」
「指輪はめ直す姿だよ、色っぽい」
彼の奇抜な青い唇から溢れた言葉に智花はまた苦笑してしまう、床に落としていた下着を拾っていき、服を着替えていく、寝室についている時計はもうすぐ16時を知らせようとしており慌てたようにカバンを持ち始める
とっくに用意を終わらせていたらしい男、岸辺露伴はいつの間にか1階の玄関先で車の鍵を持っていた
「ダメってば」
「別に近くまでならいいだろ」
「バレたらどうするのよ」
「別に損害賠償請求されても僕くらいになれば困らないからな、それよりとっとと乗れよちゃんと遠くで下ろすから」
呆れた顔をしてパンプスに足を滑らせるように履いてしまえば、いつの間にか彼の高級車の中にいた
程よい暖房の効いた車内は今は亡きマイケル・ジャクソンなんかを彼らしくもなく流していてそれもまた心地よくて瞼が閉じそうになりながら街を眺める、見慣れた道になればここでいいと智花は一言告げてドアを開ける
「またメールするから」
「子供じゃないんだ、そんな顔するなよ」
智花が露伴を撫でれば彼は満更ではないが少しだけムッとした顔で彼女にそう告げた、今度は楽しそうに微笑んで行ってしまう
和泉智花と出会って8年以上が経った、いい加減結婚だのどうだの言われながらも独身を貫くのは興味が無いからだろう、なんにでも興味が湧くはずが消えてしまう
そうなったのは出会ってから4年目にして結婚してしまった智花のせいだろう、いつの間にか彼女の左手の薬指には憎たらしい銀の指輪が付いた
肉体関係を持つようになったのは彼女が結婚してから2年目だった、2人目を作ろうとなった時に彼女の夫は告げた
「もう女じゃないんだから、そういうのいいだろ」
その日から智花は理解した、夫は恋人や妻として見ずに子供の母として智花を見ているのだと、その途端に愛が崩れ落ちた、もちろん子供に対しては誰よりも愛情深いが夫に対しては仮面を被り続けた
だからこそ露伴はその穴埋めをした、別に特別彼女が好きな訳では無い30過ぎて女遊びにも飽きてそろそろ落ち着く頃合いだがそんな女をみては飽きることも無かったがほかを抱く気はなかった
そう考えていれば遠くで智花が自分の子供と手を繋いでいた、いつの間にか3歳になった大きな子供に感動を覚えながら車を走らせた
家の中に戻り飽きるほどにスケッチブックに筆を走らせる、全て彼女の背中と指輪をはめなおす姿だ
美しくも悲しそうで残酷な絵は露伴の瞼の裏で何度も彼女のその姿を思い起こさせる
「来ちゃダメって言ってるじゃないの」
「仕事しに来てるんだ良いだろ」
「ねぇ今日あの人居ないから夜に出かけるのはどう」
「乗った、海でも行くか」
「寒いのに」
満更じゃないだろう、と言いたくなる
彼女の働く小さなカフェで絵を書いて横目で彼女を見るのは心地よい、自分のベッドの中でシーツを下半身に纏って長い髪の毛を横に流していつも何かを言いたそうな顔で指輪を直す、外す時はあんなにも気軽に嬉しそうにするのに
いっその事指輪を無くしたと告げればいいのにと意地悪気に思いもした、ある日の昼間寝ている彼女の指輪を隠せば大きく焦っていたことは鮮明に覚えていた為に次からは辞めた
「ブレンドのおかわり頼むよ」
「はーい」
だからそんな事になるなら結婚なんてして欲しくなかったのだ
その日の夜に岸辺露伴宅にやってきた智花を乗せて海側を走り続けた、月明かりやら小さな街灯に反射する海はキラキラと宝石のように輝いていた
彼女のピアスも同じように輝いていた、いつもよりも色っぽく輝く普段つけないラメのグロスなんかが欲情に駆られて車の中で年甲斐もなくセックスをした
30過ぎて何をしてんだよと終わりしなに告げれば大きく笑う彼女に少し恥ずかしくて小突いた
「露伴くんは結婚しないんだね」
「君とこんな関係で彼女は作る気は起きないからな、どっちかとは縁を切るよ」
「変人なのに真面目」
車の窓を少し開ければ寒いくらいの風が少し入ってきて早く閉めろと目で文句を言う、椅子を倒して寝転がっていた彼女は胸元に手を寄せる
「私離婚するの、親権は向こうに譲ろうかなって」
その言葉に鳩が豆鉄砲食らったような顔をして見つめたが彼女は気にもせずに続けた
結婚してもしなくても生活は特に変わらない、子供も可愛いけど正直もうしんどい、あの日言われた言葉は呪いになって離れないのだと、だからもう終わりにするのだとたった1枚の紙切れを提出するだけなのに何年もかかったのだろう
その途端に胸に突っかかっていたものが無くなった、狭い車の中で彼女の上にのしかかり見下ろした
「指輪もうはめ直せないね」
「元から君には似合ってないだろ」
彼女の細い指から銀色の指輪を奪って窓から海に向かって放り投げた、なんて清々しい気分だろうかと感じた
車の中で横になる彼女はずっと遠くに消えたはずの指輪をみて小さく涙を流している
彼女の人生第2幕は終わりを告げた気がして、そのギラギラに光った唇にもう一度噛みついて岸辺露伴は自分を隠した。
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