情けなくとも君がいい

「結婚しよう、不自由はさせないさ」

こんな街で景色も何も無い、代わりに発達した電子魔術のお陰で店の中は水族館の中のようでいて美しく幻想的だった、いつもとは違うスーツにネクタイをしたスティーブンは目の前の恋人に言った、結果は見えている涙こそ流さないが目を細めていつものように優しく微笑んで"嬉しいです、よろしくお願いします"でありそれ以外の返答など出るわけもないと思っていた
当の本人はコースのメインであるチキンコンフィの皿に添えられているポテトを飲み込んで顔を見た

「結構です」

「直ぐに君の家の物は僕の家に…っては?今なんて」

「ですから、結婚はしません」

「なっ何言ってるんだ智花酔いすぎたか?」

「酔ってません、私はジンジャーエールですから言葉通りです、それより早く食べましょう冷めてしまいますから」

交際歴5年と半年、互いの年齢や性格や趣味嗜好なども理解の上HLも初めの頃よりは落ち着いた方だった人生に女は仕事だけだと思っていたスティーブンが身を固めていいと思えたたった1人の女性はそう言いながらブレッドを幸せそうに食べていた
智花は誠実で真っ直ぐで性格でいえばクラウスのような人間、聖人とも言えるような女だった弱者を助け人を信じ己の正義を護る
反対でありながらもその光を求め続けたスティーブンは彼女を深く愛していた
仕事の次にはなるものの誰よりも大切に愛してきた、だからこそこの話は円満に終わる筈だった
スティーブンはワインの味もデザートは智花にやったが、食後のコーヒーの味も全て分からず2度目のプロポーズの言葉は出なかった

「それでどうだったんだろうかスティーブン」

穏やかに紳士はソワソワとした様子で声をかけるもまるで3徹目の顔をしたスティーブンはいつも以上にだらしなく人気の無い事務所のソファーに項垂れた

「振られたよ」

その言葉には予想してなかったのか彼は困ったような顔をしていたがそれはスティーブンも同様であり、何事も上手くいっていた、この人なら家庭を持っても大丈夫だと思いながら必死に指輪を選んで花束を選んでスーツを選んで予約不可とさえ言わしめるレストランを予約して、そしてあの華奢で美しい娘に伝えた。
彼女は帰りしな家に立ち寄ることもなく薔薇の花束を両手に抱えて「素敵な夜をありがとうございます」なんて言われればそれでもういいか。なんて情けなく思えて涙も出てこない
大人げもなく朝まで飲んで二日酔いをして、それなのに朝に挨拶に来た智花は平気な顔でおはよう。とさえ言えてしまう

「本気で好きなんだ、智花以外考えれないってのに…俺の何が悪いんだ」

「彼女もなにか考えあってだろう、もう一度聞けば答えが変わっているかもしれない」

巨漢の紳士はそう言って慰める、彼なら振られなかったのか等と女々しく考えては自分が情けなく思い仕事に手もつけられずに深い溜息が生ぬるくなってしまった珈琲に飲み込まれる
彼女の考えが分からない、いつだってスティーブンは智花を理解できないと思いながらスマホを覗いても期待の連絡等入るわけもなかった


「振っちゃったの?」

場所は変わって智花は目の前に座る金髪美女につい先日の事を答えた、笑い過ぎて椅子から転げ落ちても笑う彼女に智花は少し困ったように眉を下げて頷きつつ目の前のゲテモノハンバーガーを恐れも知らずに食べては満足そうだった

「振ったわけじゃ有りませんよ別れませんし」

「でも智花っちねぇ…あの男本気よ?」

「本気だとしても私昔言ったんです、結婚のことについて」

「あー、まぁタイミングよね」

悟ったように同僚KKは言葉をそれ以上言わなかった、スティーブンと付き合ったきっかけなど些細な事だ仕事上都合のいい虫除けが出来るからだろう
智花は真剣に彼を愛しても彼は人をどれだけ動かせれるか、まるでチェスの駒を見つめるような物だった、カランと溶けた氷が店の中に小さく鳴いた

「いいんです、お互いの為ですから」

そんなわけないじゃない。とあの男をよく知るお茶会相手は思いながらもそれを伝えるのは自分ではないと飲み込んでポテトを口に投げ入れる
スティーブンは素直でないことはKKはよく分かっている、エッフェル塔の様に高く綺麗なプライドを持って、誰よりも理想を高くしている人間を彼以外には知らない事だ。
それでも年下であり部下であり恋人である智花には何年経っても晒せないのだろう、地面に着いた自分の情けない人間性を、なんと哀れな男だと笑ってやりたかったが今回ばかりは報われないなとも思いはした

「まぁ智花がいいならいいのよ?あの男なんて捨てて別にいい男なんて死ぬほどいるわけだし、けどねいいこと教えてあげるわ」

「なんです」

「あの男はアンタが1番で情けない姿しか晒せてないのよ」

そう言えば智花は不思議な顔をした、嗚呼あんた達やっぱり何も分かってない。なんて思いながらも笑って手をナフキンで拭い頭を撫でてやる

「あいつはクソ男でも智花っちには誠実よ」

そう言えば難しそうな顔をした、そりゃあそうだ人生の選択が今掛けられてるのだから簡単に出せるわけが無い

こんなに自分が情けないだらしの無い人間だったかとスティーブンは思いながら自室のソファーで寝転んだ、テーブルの上にはワインやウイスキーやらが大量に寝転がって居る
結婚をすれば彼女が困った顔で片付けるのか?いやいつものように2人で駄目になれるのか、なんてつまらない妄想をする暗い部屋で窓から見える霧はいつも通り何も外を見せない
ぼうっとそれを見つめて目を閉じればこんな夜更けにチャイムが鳴った、なんだってこんなに憂鬱な時に来客が…と思い子供のように拗ねた顔でソファーに寝る体勢で無視を決め込んだ。
2度3度鳴ってから音が鳴り止みようやくかと思いソファーから立ち上がり水を取りに向かう

「やっぱり居たんですね、居留守ですか?」

「なんで智花な居るんだ」

「合鍵ありますから」

「嫌わかってるけど、来るならメールでも」

「送ってますよ、と言うかなんですかこのだらしない部屋よく見たらスティーブンさんも」

そう言っていつもより声を張り上げた智花はテーブルのゴミを固めて袋に分けて行く、あぁ確かにだらしないな。とスティーブンは遠くの姿鏡に映った自分を見た
暫く在宅ワークに切り替えると言ったせいで余計に私生活は乱れた、人に会うこともないからと髭も剃らずに髪の毛も整えていないオマケにダサいおじさんのようなスウェットズボンにシャツ
家で会うことはほとんど無かった、言われてもしっかりとした姿でしか合わないためにそれが強烈に恥ずかしくなり智花をちらりと見れば掃除機までする始末

「何しに来たんだ、プロポーズを断った相手を笑いに来たのかい」

「…けにきたんです」

「え?」

「受けに来たんです!プロポーズを!」

皮肉めいた冷たい言葉を言えば固まった智花は小さく声を漏らした、よく聞こえずに聞き返せば真っ赤な顔で智花は叫んだ
まるで攻撃を食らったような衝撃に酔っていた頭に響いた

「ずっと昔の言葉が張り付いてたんです、君とは結婚できないよ。ってだから私受け入れられなかったんです…なのにいざ断ればこんなに弱くなるからずるいじゃないですか」

「ズルいって別に君の方が」

「本音で会ってくれたら話してくれたらいいのに、完璧な振りをして私の事遊んで」

「なぁ怒らないでくれよ、君を泣かせたいわけでも怒らせたいわけでもそれにプロポーズも無理に受けなくたって」

もうスティーブンは分からなくなってしまった、目の前で怒って泣いて叫ぶ恋人はまるでいつもよりもずっと子供で癇癪を起こしている
それでも好きだと確かに伝えられる、情けない自分の姿が愛おしいとさえ言い出す始末、酔っていた頭がゆっくり冴えて行けば行くほど恥ずかしくなってしまう

「貴方以外と一緒になりません結婚しません、全部渡してきたんですから」

その言葉にカッと身体の中が熱く感じた、智花は全てをスティーブンに委ねたのだ、純潔も忠誠も恋心も何もかも
静かに聞いていたスティーブンはその身体で抱きしめた、智花のシャンプーの匂いを感じながら自分の酒臭い匂いが混じったように感じた

「どんな情けない姿でも構いません、どんなにされても貴方が好きなんですから」

「改めて君を僕の妻にしたい結婚してくれませんか」

その瞳を見つめてスティーブンは改めて言葉を口にすれば智花は小さく微笑んで抱きしめる腕に力を込めた

「えぇ、よろしくお願いします」

深く息を吸って吐いて彼は大喜びをして困惑する智花も関係なしに夜中に関わらずクラウスの家に行きライブラの全員に電話で連絡をして智花を抱き上げて叫ぶように吠えた、それはもう息高々と狼の遠吠えのようだ
霧の街は今日も楽しく誰かが叫ぶ、異界人も人間も関係なく幸せも不幸も関係なしに。

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