貸し借り

「貸してあげようか、恵ならいいよ」

真横に立つ長身の男が挑発的に少年に言った、彼は如何にも不快だと言った顔をした、窓から見えた女性はふと顔を上げた途端にまるで飼い主を見つけた犬のように笑って手を振っていた

「…馬鹿言わないでください」

少年は絞り出した声が震えていることに気づかないのだろうか
人を愛する、人に恋をするという感覚を知ったのはある日からだったまだ幼い伏黒少年が五条悟という人生の恩人に出会ってから数年後だった、彼が小学6年生から中学生に上がる直前だった付き添いとして高専にやってきた時
その日はえらく暑く蝉が煩く鳴いて額の汗は嫌という程流れていく、無駄に長い道中を徒歩にしてつまらない話をいつも通り奴がしているのを相槌しながら歩いた

「あれ悟さんおかえりなさい!」

「ただいま智花、いやぁ暑っついねぇ」

「そんな服着てるからでしょう、西瓜貰ったんですよ甘い大きいのみんなで食べましょうね」

「いいねぇ、この子のも宜しく」

「初めましてね、私は和泉智花です宜しくお願い致します」

丁寧なものいい、穏やかな佇まい、優しい笑顔、何処か姉を思い出すような忘れた母の温もりのようなそんな人だった

「伏黒恵です」

出された手は夏なのに少し冷たかった、彼女の額から流れる汗はまるで宝石のようにキラキラして、その時から恋ってやつを少しずつ理解した
けれど世界はそう簡単なものじゃない、初恋は実らないのが鉄則だとつまらなく流していたドラマで主演女優が泣いていた其れに対して男優はそんなことはない!なんて言って2人は恋を実らせた

「うぅ…いいドラマだね」

「居たんですか」

「さっきからずっと、ご飯一緒にいい?って聞いたのに真剣に見てるから私無視かなぁなんて思っちゃった」

「そんなわけないですよ」

珍しく滅多に利用しない食堂で彼女がオムライス片手にやって来ては少し涙を目に溜めて座る、さっきのドラマの感想をずっと語る彼女には分からない
呪いと一緒だろう、この気持ちは奥に封じれば封じるほど溢れそうになるぎゅっと唾を飲み込んだ

「そういえば、五条先生とご結婚なさったんですよね」

「えっ!えっ!こ、婚約だよ結婚はそのあのまっ、まだっていうか」

彼女の手からスプーンが落ちて両手をブンブン振り回しながら否定する、この人は心底あの人を愛してるのだと理解した
五条悟という天才は神から何でも与えられている、欲しいと言えば手にすることができるそれが羨ましくて堪らない思ったのは、その一つだけだった
薬指に光るあまりにも輝いているダイヤの石に反射した自分がいつもの自分なのか怪しく思えた

「そーそー、結婚はもうちょっとしてからだよ」

「悟さんお帰りなさい」

「ただいまハニー」

「何するんですかダメですよ」

「イチャつくなら失礼します」

「また後でね恵」

そう思っていれば現れるあの男は見せ付けるように彼女の唇を軽く奪って、顔を赤くさせる
到底他の男には出来ない事で、それさえ憎く妬ましく思えた呪術師で良かったと思うでなければこの呪いを溢れさせるばかりだと思えたから
あの五条の瞳で自分を見られると全てが見透かされる気がした、何者にも譲れない渡せない見せられない気持ちを、けれど彼は知っているだろうだからこそ恵に分からせてやるのだ

「さっきごめんね恵くん」

「どうしたんですか」

「これ私忘れてたみたいだから、ほら悟さん沖縄まで行ってたでしょお土産」

「…ありがとうございます」

「お茶入れようか?」

「じゃあお言葉に甘えて、出せるもの何も無いですよ」

「ふふお姉さんが持ってきたげよう」

そう言って背中を向けた、あの背中に抱き着いて好きだと言えたらどれだけ気持ちが楽なのだろうと思った
5分程経てばお菓子とお茶を片手にやってきた智花を部屋に入れてやる、些末な部屋だと自分ながら思いながらも仕方なく行儀悪いと思いつつもベッドの上にお盆に乗せたお茶を置いて持ってきたお菓子を広げる

「悟さんが恵くんとって、ほら2年生とか他の子達も皆出てるでしょ?」

「あぁそうですね、五条先生はいいんですか」

「んー、いいんじゃないかな?用事あるって言ってたから」

「そうじゃなくて…その」

女々しく怯えた子供のように恵が智花をみる、察したのか智花は穏やかに笑って恵の頭を撫でてやる

「恵くんはそういう子じゃないって知ってるから」

他とは違う優しい子だもんね。
彼女は残酷で優しくそして悪意の無い人だ、ある意味鈍感で人の心を察する力が低い

「こんなことしても?」

ふと、恵は智花の頬に片手を添えて顔を近づけた、それには智花も驚き「えっ?えぇっ」と声を漏らしたがそんな情けない彼女の姿に思わず吹き出して笑う

「口にこんな食べかすつけるから取ったんですよ、ほんと智花さんって抜けてますよね」

「大人をからかうなんて恵くん!」

子供みたいに彼女がそう言って最後のおやつを奪ってしてやったりな顔をする智花に愛おしさが募る
この気持ちはきっと消えないが消さなきゃならないものでもある

「好きでしょ智花のこと」

「…そうですね」

「まぁあいつは昔からモテるからなぁ」

なんて日常のような会話をしながら廊下の窓から外を見る
この人に隠しても意味が無いことを彼は理解しているからだ、遠くで水撒きをする智花は相変わらず綺麗だった

「貸してあげようか、恵ならいいよ」

「…馬鹿言わないでください」

その言葉に声が少し震えたことにきっと気付かれてはいるが彼は何も言わない、そして悟はやってくる智花に手を振りながら少しだけ目隠しをずらしていう

「冗談だよ、アイツだけは誰にもやらないから」

「大人げないんですね」

「そりゃあ僕はいつでも全力だからね」

美しい彼の瞳が物語る、まるで彼女は龍に囚われた花嫁のようだった
逃れることができないが、逃げることも無い、互いを求め生きているだからこそ踏み入る隙など無いことは当然だがそれでも欲するのは、彼女だからか彼のだからか
少しずつ歪んだ感覚の正解なぞもう誰にもわからなかった。


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