悪魔の入れ知恵

「私が守ってあげるから泣かないの」

少女は自分より小柄な少年にそう言って立ち上がらせて膝についた砂埃をはらってやる、少年は他の子よりも少し小さく大きな瞳が涙で潤む度にまるで宝石のようなその瞳が揺れて美しかった
赤い髪は太陽にあたってキラキラと輝く、全てが美しいと感じながら少年はいつも引っ込み思案で本を好み植物を好んだ、だからこそ学校に行けば意地悪気な男の子は揶揄った

「智花…ごめんね」

「謝らないの、クラウスはラインヘルツの男の子なんでしょ」

家柄も、性別も、少女とは異なった
けれど少女は対等に接し、大切にした、どんな人になっても変わらずあの時の潤んだ瞳を思い出すから


「もーへいきだってばぁ」

「ダメだ、そう言ってこの間も路上で寝てるところを見かけたんだ」

「うぅ、大人になってこんなのいや」

「昔から何度も抱っこしてたじゃないか」

千鳥足で歩く智花をみて男は深くため息をついた後に横抱きをしたことに大きく抵抗を見せた
いつの間にあんなに可愛い少年がこんなに男臭くなったのだろうかと思ったが人とはそんなものだと認識した、ハイスクールまでは同じだったがそれ以降出会うことは無かったが半年前のHLで再開するとは互いに微塵も思わなかったことだろう
記者として働く智花とライブラに所属するクラウスは互いに昔を懐かしんだ、それこそ2人は3歳の頃からの友人で互いに可愛いところも憎いところも全て理解していた

「子供じゃない」

「君は変わらないだろう」

「クラウスは変わったよ、大人になっちゃって」

「智花の前では子供になってしまう」

彼は話をする時ずっと楽しそうだった、周りからみてもあまり分からない表情かもしれない、それでも智花には十分な程にわかりやすい表情筋になった
眉間にシワを作ることが増えたのか少しだけ気にもなって、近づいた彼の顔をぺたぺたと触れても怒ることはなく近くにある智花のアパートまで運んでいく、まるで宅配の荷物のような扱いだった
しっかりと横抱きした智花の上にはジャケットまで掛けてくれるほど気を使える男だった

「鍵は?」

「はい」

諦めきった顔の智花がクラウスに鍵を渡せば簡単に片手で子供を抱くようにしてドアを開けて慣れた足取りで智花の部屋に入る、床に転がったビール瓶やそのままにした洗濯物などクラウスに見せても恥ずかしくもないと思った、なぜならもう何十回も見られている事だから、初めの頃はそれは暴れて叫んだが智花の事など気にもしなかった
他の人との対応が違うと文句を言っても彼は気分よくいう

「智花は私の特別だから仕方ない」

それは幼い子供に言うような穏やかで優しい声色だった、智花をソファに優しく置いて手馴れたように部屋にある安い美味しくもないコーヒーを入れる、彼の舌ならきっとこれは泥水だと言えるだろうと思いつつもそんなら安いコーヒーを飲みながら酔いの冷めてきた頭でクラウスをみる
あの自分より幼かった少年は気づけばあっという間に身長は超えて、体格も智花の知る時よりもさらに大きくなって、泣いていたことなど有り得ないと思えるほど彼は落ち着いて美しさを残した紳士になっている

「じゃあ、私は帰るから戸締りはしっかりとするんだ」

「はーい分かりました、じゃあ気をつけてね」

「あぁまた来週」

3階のボロマンションから下を覗けば彼の背中がみえる、深い溜息をつきながら煙草に火をつける
クラウスは大人になった、誰が見てもわかるほど魅力を持って、家柄はあるだろうと理解しながらも彼の佇まいは貴族のようで指先一つから美しい、智花はタバコを吸いながらテーブルに顔を伏せる
智花の片想いは3歳からだった、静かに外で本を読む小さな少年に興味を惹かれ彼の優しい声に恋をしてそして彼はいう

「智花のこと僕が絶対守ってあげるね」

10年程離れていたとしても気持ちは変わらずに再会した際には気持ちが溢れないばかりだった、愚者の様に彼が忘れられずに付き合った男もいない程で虚しい気持ちが込み上げた、煙草の火を消してソファに横になる、明日もまた忙しいんだと思いながら

「それで連中が動いてるって聞いたけどピリピリしてるからこれ以上は一般人の私には厳しいかも」

「そうか助かるよ、そこは僕が動くから申し訳ないんだがたのんでたけんはどうなった」

「うちの所の別のヤツが情報掴んだらしいけど厳重にしてるみたい」

「なんだ大当たりだったのか、どうせ直ぐに分かる事だし待っていよう」

次々に手元の端末の情報を教えてやれば目の前の男前は真剣な顔で意見を出す、スティーブンは誰が見ても魅力的な男だろう
けれど智花の気持ちを知っていた、だからこそ尚更対等でいてくれた、クラウス以外と飲むとなれば彼以外いない仕事の話も程々にワインのボトルを開けていつも通り話題のやまないこの街の話をする、部下が上司が仕事がと結局最後に行き着くのは仕事な当たり彼は根っからのワーカーホリックだろう
1本、2本、3本とワインは今日もテーブルの上を埋めつくしてその頃には智花は崩れてスティーブンもだらしなくネクタイを緩めて智花に話しかける

「いい加減伝えてやったらどうなんだい」

「うるさいクラウスには素敵な人がいるの」

「どんな人だよ」

「綺麗でまともで優しくて穏やかで植物みたいな、女の子らしい人」

「君は彼に期待を抱きすぎだろ、そんな奴じゃないだろ」

スティーブンはいつだって冷静に言う、その日はワインを浴びるように飲んでいるのに彼は平然とした顔でレーズンを口に放り投げる
智花はふとスマホが光っていることに気づき見てみればクラウスからの着信だった、思わず飛び上がってどうしようか慌てていればそっと細長い骨ばった指先が飛び込んできてスマホを奪う

「あぁ…そう、うん、早く来なきゃ僕が持って帰るぜ」

ワインの熱に浮かされた智花は2人の話など店の喧騒に消されて聞こえずにまだグラスに残っていたワインをまた飲み込んだ

「おーい生きてるのか智花」

「うー、ん」

潰れきった智花にやってしまったかと思いつつもチーズを食べていれば店の入口のベルがカラカラと音を立てて開いた、そこにはコートを着た大男が肩で息をしてドアを開けていた
長い足で近づいてきては何か言いたげな顔でスティーブンを見下ろした、普段の彼なら決して向けない表情に悪い気分になってしまうが決して彼をからかいたい訳でもいじめたい訳でもなかった
目の前の机に伏した女を指差して行ってやる

「持ち帰りどうぞ」

「…すまないスティーブン」

「明日楽しみにしてるよ」

それがどんな意味を含むかなど分からなかったがクラウスはポケットから今日の代金を置いていく、多すぎるそれに物言いたげにするが有難く受け取って手を振って2人が出ていく様を見つめてワインを1口飲み込んだスティーブンは残された店の中で呟く

「僕も恋人が欲しいもんだよ」

夜風がえらく気持ちいい、揺りかごのように安心感耳に微かに聞こえる心臓の動く音、全てが子守唄のように心地よくこんな霧の街の中で穏やかすぎる世界に智花はふわふわした頭で半分眠りについた

「好きだ智花」

ハイスクールの卒業前彼は立派な育てた薔薇を持って伝えてくれた、それがどれだけ幸せであったのか伝えることは出来ない

「無理だよ、私は相応しくない」

昔から彼に恋をしても家柄も知る世界も違いすぎた、だからこそ答えられるわけがなかった、彼はその言葉に何も言わずに頷いて花束を渡して行ってしまった
何処に行くのかも告げずに、誰も知らない彼が本格的に牙狩りになってしまった事など知るわけもなかった
大人になり彼がライブラに所属していることを知った時もやはり人を導く彼は聖人のようだった
神様だと本気で思えるほど彼は完璧で相反した自分はきっと光に憧れる蛾と同じだ、馬鹿ながらに賢く居ようとした為に手に出来ないものを遠ざけてしまう。

「あ、いえ?」

「おはよう智花」

「クラウス!あれ、私なんで…つぅ」

「潰れていると聞いて迎えに行った又あんなに飲んで」

「別に関係ないでしょ」

家に着いて30分程が経過すれば落ち着いた頭が冴えて目を開く、見慣れた天井と匂いと大きな背中に深い溜息をつきそうになりながらも彼の小言に反射的に言い返す
クラウスが怒っていた、珍しいとは思いながらも彼はそんな人だった誰かのために悲しみ苦しむことが出来る、智花は立ち上がり少しまともになった頭でクラウスの背中を押すどうって事ない小さな力に押されて外に出されようとしたがピタリと足を止めて智花を見下ろした

「関係がある、君を愛してる」

「…だ、だからそれは」

「許可は頂いた…君と結婚することも両親は賛成してくれている、智花の意見だけだ意見を聞かせてくれないだろうか」

「酔ってるから分からない」

答えられるわけがなかった、嬉しくて瞳の奥がジンとしたが智花には覚悟など無かった、家庭環境も普通より少し悪く両親とは疎遠で彼のように家族を大切にもしていない
上辺だけで生きてきた女に何故そこまで言えるのかと聞きたくもなりながら近づいてきた彼につられて1歩ずつ後ろに下がってしまう

「なら酔いに任せて本音が聞かせてくれたまえ」

大きな指先がするりと頬をなぞり顎を少しだけ上に向かせるやってくる感覚にぎゅっと目を瞑ってもキスをされることはなく思わず目を見開いた、至近距離にある彼の顔とかかる互いの呼吸

「好きでもない私にされるのは嫌だろう」

「ちが、う」

「じゃあ好きだと智花の口から聞きたい、私はもう待ち焦がれているんだ」

捨てられた犬のように彼の表情と声に胸がチクチクとする、そっと背伸びをして彼のその唇に返事をして恥ずかしさを隠すように彼の胸に顔を隠して抱きついた

「これ以上返事なんて出来ないから」

「っ!」

その言葉だけで満足なのかクラウスは智花を抱きしめ返した
翌日の朝同じベッドで寝ていたクラウスのスマホが小さく震えていた、悪いと思いつつも見えてしまった画面にはスティーブンからの連絡だった

『僕の言った通りだろ?』

あぁあの伊達男の入れ知恵だったのかと思いつつも幼い頃のような寝顔で寝息を立てるクラウスの頬にキスをして呟いた

「私も愛してる、クラウス」

狸寝入りだと知っているからきっと3秒後には目を開いてこちらをみる、そして求めてくるのだ先程の愛の言葉を。

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