できれば苦しんで生きてください


目の前で頭を抱えた男の乱れた前髪の奥に覗いた瞳は熱に浮かれていた、手に持ったガラス灰皿は重たく血が着いておりカーペットを汚した

「ええ女じゃ」

「すみません、今度弁償しますから帰ります」

大慌てで荷物を片手に逃げ出した、開けられたシャツのボタンを治すこともなくマンションの1階まで降りきってから息を整えて地面に座り込んだポツポツと雨のように床にこぼれた雫と共に震えた声が

「やっぱり私門倉さんのこと・・・大好きだなぁ」

そう呟いた
あの人と出会ったのは賭郎立会人としてなった時からだった、新人で不慣れな点が多く彼について学びなさいとスカウトをした筈の壱號の指示に従い、彼とは先輩後輩の関係として仲を深めたそして深まる度にいい女友達になるように努力をした
例えどれだけ好意があったとしてもその気持ちを抑えて丸めて隠すようにした

「あんたのせいで雄大くん私の事見てくれないのよ!」

パチンと乾いた音に隣にいた門倉はニヤリと笑っていた、女は酷く怒った顔で背中を見せて高いヒールをカツカツと鳴らして行ってしまい、隣を見上げれば笑う彼に「何笑ってんすか」と思わず言葉を漏らした

「怒らんのぉ相変わらずの態度に感心感心」

「そりゃあもう怒る気も起きないでしょ」

何回目なんだと智花は思った、初めて出会って仲が良くなった彼と食事に行くようになってわかったのは極度の女好きであり女癖が悪く、そして女達を振る時の言い訳に使われてることを知った
だからこそ彼の女達のひとりには決してなりたくないと願ってしまうのは当然の事だった、あの日灰皿で殴ったのは酔った勢いで流されそうになったからだ翌日怒った様子もなく「お前らしいからええよ」と言われてしまえばそれ以上言うことも無くカーペットを2人で買いに行くだけだった

「この尻軽女が!二度と顔見せないでよ」

バシャンと掛けられたビールにはぁ…とため息を零せば目の前の門倉は今日もまた笑っていた、あんたの女はみんな気が強くてろくでもない人達だと言いたかったがそれ以上言葉も出ずにタオルとビールを頼んだ

「ほんまにいい女じゃ、ええ加減ワシの女になれや」

「結構です、私が門倉さんにビールを浴びせる女になりたくも無いですから」

「…ホンマにいい女やのぉ」

「門倉さんはクズですよね」

「よく言われる」

反省した様子もない彼に深いため息を吐いてベタベタとする体に嫌気が刺せば反省した様子もなく「ホテル行くけぇ」と言うものだから思わず足で小突いてやればクククと喉で笑っていた
門倉に抱かれ嘘でも愛を囁かれる彼女たちはいつだって自分と反対の見た目の女たちだった、高いヒールに肩や谷間の見える服に派手なメイクに長いまつ毛と綺麗な爪先に毎日丁寧に巻いているのであろう髪の毛
それらを智花が得ることはない、化粧っ気もなく巻くほど長い髪もないいつだって低い動きやすい革靴にパンツスーツ姿で色気もなかった、羨ましいと思う中で自分を恨んでくる度に自分たちがどれほど心地のよい立場にいるのか教えてやりたかった

「あんたみたいな女がいるから雄大くんは私の事見てくれないの!智花、智花、智花って私の名前なんて呼んでくれたこともないの…なんで、何であんたなのよ」

街中で突然腕を捕まれ罵倒されたかと思いきや次に泣き出した女に智花は羨ましかった、だって貴方は門倉に抱かれたじゃないかと
どれだけ願っても叶ったとしても許されないその気持ちをこの人達は気にせず踏み込んで抱かれ夜を知ることが出来るのだと
涙を流す度に長いまつ毛が震えて、綺麗なメイクは落ちることはなくあまりにも哀れに思えて個人で持っているハンカチを差し出して溢れた思いを告げた

「それでも私は門倉さんとセックスしたことなんてないからあなたの方が上だよ」

卵が先か…という話同様、心が先か…という話なのだろう、その上で今目の前にいる彼女もその他の彼女達も体が先でありそしてたまたま智花は心が先だっただけだ

目の前でキープボトルを空にした門倉が追加注文をする中で目の前の許可なくレモンの掛けられていたからあげを食べる

「いい加減女の子泣かせるの趣味悪いですよ」

「別に泣かしとらん勝手に泣いとんじゃ」

「尚更泣かさないようにしてあげてくださいよ、可愛い子たちなのに」

「可愛い?嘘ついとんちゃうぞ」

「可愛いから付き合うんじゃないんですか」

「阿呆が女なんかごまんとおるんじゃから質のいいやつ選んどるだけじゃ」

本当この人ってとことん最低な性格しているなと思っていたが、彼は自然と女性を喜ばせる力を持つ、例えば今でも智花の好きなものを頼んでやり酒も同じものを飲むが割り方や味の好みを理解した上で無くなれば直ぐに入れてやり、味を変えたいと思えば察してそれ好みのツマミや酒を用意していく
メニューを見ずともわかるほど来たこの店だとしても新しく感じるのは門倉と一緒のせいだろう

「じゃあ私は質が悪いんですかね」

「悪ないよお前はワシにとっての特別じゃからのぉ」

「じゃあ恋人にしないんですか」

「それでワシの隣一生居れるんけぇ?」

恋人になったらきっと彼には捨てられると分かっていた故に智花は何も答えることが出来ずにチビチビと麦焼酎の水割りを飲んだ、ふと髪の毛を撫でてきた大きな手の男を見てみれば彼はずるく笑って言った

「なぁ智花ずっとワシのために苦しんで生きてくれ」

泣いて憎んで苦しんでそして一生忘れることのないようにと言いたいのだろう、彼の言葉が酷く残酷で甘く優しく聞こえてしまい智花は小さく頷いた
きっともう二度と彼が智花の服を乱すことなどないと頭のどこかで残念だと思いながら、そう考えるのだ

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