恋と呼ぶには甘酸っぱかった




「また門倉居らんのか、和泉頼めるか」

「はい」

成績優秀運動神経も良くて少し他の同級生より大人びている少年がいた、1番後ろの窓側の席はこの学校で有名な不良門倉雄大の席だ、みんなが休み時間誰の席問わず座って話すのにその席だけは誰も振れないのは恐ろしいからで授業中問わずに呼びにいけと言われた少女は静かな校内を歩いて窓から運動場を眺めた、2年のサッカーをみて自分たちもしていたなぁ…なんて思い出した

カンカンと殆ど使われなくなった古びた北校舎の螺旋階段を上り立ち入り禁止と書いた看板付きのチェーンを跨いで錆びた鉄格子の扉を開ければ屋上が広がった

「門倉くん先生呼んでる」

「和泉か暑ない?」

「暑いよ」

「プール入りたいのぉ」

その言葉に1週間前2人で学校終わりに人のいないプールに入ったことを思い出した、門倉とはただの同級生だ、少し仲のいい隣の席の
彼の改造した長ランが揺れて綺麗にセットされたポンパドールが崩れずに風に吹かれて、近づいてきたかと思いきや肩に手を置かれ

「戻るか」

と一言、彼が教室でぼうっと外を眺めている時何を考えているのかなど分かる事もなく、中学三年生の夏は嫌に暑かった人の噂がベタベタと汗のように張り付いて、いやでも耳に入るあの子と雄大クンが付き合った噂、あの子が雄大クンと別れた、ABCの何処まで行った、色んな性の多感な時期を感じる話題を流しながら生きて今日も空っぽの窓際の席を見ていた

「3組の東条さんが門倉くんにって」

「…いらんわ」

「そう言わんで貰ったげなよ」

「彼女おるけぇ貰えん言うとって」

「1年の春日さんでしょ」

「そんな名前やったかな」

セミの鳴き声が北校舎の教室の一室に響いたホコリ臭い部屋の中で今日も授業に出ない彼を呼びに来てはついでにと渡されていた手紙を渡したくても受け取ってもくれずに、水のように冷たい言葉が浴びせられる
この辺りの町の不良もヤクザでさえも名前の知ってるこの彼を誰がどう止めるのか分からなかった、ただ和泉の目にはずっと遠くの人に見えて、彼女は所詮他の学生同様彼を1歩引いた目で見ているだけだ

「門倉くんって彼女と長続きしないんだね」

「勝手に好かれて勝手に幻滅して消えてくだけじゃ、ワシは別に長くも短くもなくてええよ」

「私も言ったら付き合ってくれるの?」

「和泉はダメや、お前はこのままでおってくれ」

ミンミンミンとセミが鳴いて暑そうな制服の下は汗がべったりとしていた、それからもずっと変わらずに自分達は進学や受験や別れ等を体感した

吐いた息が白くなるような寒い日の卒業式、桜なんてまだ咲いていない今年は少し遅れているのだとテレビでいっていた

「門倉またいないのか…ったく悪いが卒業証書の受け取りに来いって頼めるか」

「分かりました」

いつも通りの北校舎の螺旋階段を登っても彼はいなかった、薄いあの勉強道具なんて入ってなさそうなペラペラの鞄がまだあったのを知っているので学校内には居るのだろう、静かな校内を駆け回り卒業式後の3年間学んだこの場を歩き回る

「私3年間門倉くんのことが好きでした!」

校舎裏にはパラパラと白い桜が咲いていた、同じクラスの山本さんは真っ赤な顔で門倉に言っていた、彼女静かでいつも目立たないような子だったけど門倉くんみたいな人好きなんだ…なんて思いつつも足は反対を向いてボロボロの螺旋階段を上った
なんて答えたのだろうか?なんて話していたのか、何も聞こえず何も分からずに大粒の涙が階段を登った数だけ落ちていく

「うわぁぁん」

子供みたいに大声を上げて泣いた、もう二度と来ることの無い北校舎の螺旋階段を登りきった屋上でこの3年間の思いをぶつけるように涙を零して彼への想いを告げるように叫んだ

「こっち来い」

「やだよ、制服濡れちゃう」

「水着着てくるんか」

「いいって、それより髪の毛崩れてるよ」

「ん?あぁ和泉なら構わん」

夏の夕方のプールの中も

「ここストーブあったっけ」

「職員室から取ってきたんじゃ」

「先生にバレたら怒られるよ」

「ワシのことどうこう言えるんはおどれくらいや」

秋の寒くなってきた時も

「珍しいね雪降ってる」

「雪だるま作るか?」

「門倉くんが珍しいね」

「ワシも普通の中学生やからの」

冬の雪の積もる時期も

全てが彼との青春だと感じた屋上に座り込んで声を荒らげて疲れきって、落ち着いた所でこんな場所に似合わない煙草の香りがして振り返れば少し髪の乱れた彼がいた、涙を必死に隠して座り込んでいたところを立ち上がり、そうだ卒業式に出なかったから証書の受け取りに行ってと伝えるのだと何度も心の中で言おうとした時だった

「なぁ智花預かっとってくれ」

ぶちんと服のやぶける音が耳に響いた、彼の手から渡されたそれを受け取れば手のひらには小さなボタンが残された、2段目の第二ボタンが手渡されて目を見開いて彼を見れば煙草を消すことなく言った

「いつか答えるけぇ待っとってくれ」

その彼の一言に小さく頷けばまだ半分ほど残っていた煙草を綺麗なコーヒー缶の上に置いて背中を見せていってしまう

「先生が証書取りに来いって…言ってたよ」

階段を下りていく彼の背中にそう返事をすれば彼は片手を上げた、誰もいなくなった北校舎の屋上にまだ1/3残った煙草を初めて口にくわえて呟いた

「全然美味しくない」

涙の味と煙草の味が混ざってきっともっと美味しくなかったのかもしれないがその時だけはそう思って智花はその3年間の思い出を煙草と手渡された第二ボタンに隠すように終わらせた

その恋なんてもう15年以上も前のものだった

仕事・家・仕事・家・お酒・仕事と繰り返す日々に溜息をつきながら都会の喧騒に自分のストレスも苦しみも悲しみも投げ込んで消してしまいそうだった、終電で帰ってきて近くの最寄りコンビニでビールとタン塩レモンを買って安アパートに帰る
狭いワンルームも住めば都で上京して早10年近く生活の安定感も出てきて男が出来れば連れ込みづらいが悪くない生活だった

「あっ最悪買い忘れてた」

シャツの胸ポケットに入れていたタバコの箱には2.3本しかなく買い忘れたと後悔しても買いに行く気力もわかなかったが、ふと見えた視界の先には携帯電話の支払い用紙があり重たい腰を持ち上げる、寒い冬に近づく度に幼い頃の夢を見ては思い出す、今どきみないリーゼントヘアの長ランの男
この世界にいればきっとすぐに分かるのに彼は目の前に現れることは無かった

「62番ひとつとこれの処理お願いします」

目の前の高校生らしい男の子をみては彼はどんな姿に変わったんだろうかと思いながらもタバコを1箱とレシートを受け取り出ていく、帰り道まで2.3分ある買ったばかりのタバコを開けて口にくわえてからどこにもライターがなかったことに気付く

「よかったらこれどうぞ」

「え、あぁありがとうございます」

「良ければ差し上げますよ」

「いや家近いので」

「じゃあ持っててください、また受け取りに行きますから」

突然隣に現れて白いライターを渡してきた男の顔を見上げようとしてもその男は高身長ではっきりと顔が見えずわかったのは片目に変わった眼帯をつけていたこと、そして彼を思い出すようなロング丈のスーツを身にまとっていたことだった
彼の黒いスーツは夜闇に溶けるように消えてしまい名前も顔も分からずじまいで智花は渡された白いライターを見つめたスナックのライターでもないらしく名前も連絡先もないそのライターに溜息をこぼした

それから1.2週間たってもあの男はいなかった、近所に住んでいるのかもしれないが時間も被るわけもないかと智花は今日も終電で家に帰宅しようとした安い家賃4.5万円のワンルームのアパートの階段をカンカンと音を立てて上がった先に男はいた
少し長い髪の毛で横から見てもわかる整った顔立ちに長いスーツの彼は1本の赤い花を持っていた、まるであの人を想起するように人の家の前でタバコを吸っていた

「あのそこ私の家ですけど」

「ん、あぁ帰ってきたか」

「ライター取りに来ました?」

「まぁそんな所です」

男に近づいて話せば彼は少し寂しそうな顔をした、何処かで見たことがあるような顔をしているのにはっきりと思い出せずにポケットにずっと持っていたライターを手渡せばアパートの廊下に1つのボタンがポケットから落ちた

「あっすみません」

「それは」

「昔からの思い出です、持ち歩いてた方がいいかな…って」

「ほうか…っと家の前に長居してすみませんもう来ませんから安心してください」

「えぇ此方こそお渡しできずすみません」

「いえいいんです、良ければこれは返さなくていいから受け取ってください」

そう告げて彼は赤い一輪の花を渡してタバコに火をつけながら行ってしまった、カンカンと階段をおりる音が聞こえて智花も家に入る、何も変わった様子はなくジャケットを脱いで家の前にいたことに不思議と恐怖感等はなかった
なにか胸に引っかかると思いながら渡された赤い花を手に取った時1枚の小さなメモ用紙のようなものが床に落ちた

息が切れるほど走った、10月下旬の夜は息が白くなるほど寒かったがそんなことも気にならず30過ぎにもなって年甲斐もなく走った、今走らなければならない理由があったのだ

「待ってよ門倉くん」

静かな住宅街で足を止めた男は振り返った嬉しそうな顔をして

「忘れられとんか思ってたわ」

「忘れるわけないでしょ」

「知ってる、あんなに大事にされたらのぉ」

くつくつと笑った彼は白いライターでタバコに火をつけながら見つめた

「迎えに来たんじゃ」

片目はどうしたの、あの奇抜な髪型は、その長いスーツは、今までどうしていたの、高校時代に大きな喧嘩をした話を聞いたっきり彼の噂を聞かなかった、だからこそ聞きたいことがあったというのに智花は何も言葉が出ずに立ち止まって見つめるだけだった

「どっちが迎えに来たと…思ってんの」

息切れをおこして肩で息をしてそう言えば彼は不気味な笑顔を見せた、あぁ本当にこの人変わらないなと思いつつ近づいて胸ポケットのタバコを奪えば白いライターが火をつける
灰の中に消えゆくこの味をいつから好んで吸い始めたのかは覚えていない

「いつもお前からやったワシの事迎えに来てくれるんわ」

「聞く耳持たないからでしょサボれてよかったけど」

「のぉ、答え持ってきてくれたか」

「うん」

ポケットの奥にあるボタンを手渡されば彼は嬉しそうに微笑んでタバコを捨てて智花の身体を抱きしめた、初めて触れた彼の身体に背中を回せばタバコの匂いと香水の匂い、そして鍛え抜かれた大きな体を感じられる

「ワシと一緒になってくれ」

昔のように涙が零れてこの涙を隠すことは出来ずに何度も首を縦に振る、少し濡れた肩の温もりに門倉は小さく微笑んで彼女抱く腕の力を少し強めた。



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