きっかけなんて些細なもの



甘い香水の香り、ピンクのキラキラとした唇、緩く巻かれた髪型、上向いたまつ毛と大きく丸い瞳、作った様な甘えた猫なで声、少し肩口や胸元が緩い服装、全てが嫌いな部類だと弥鱈は思った

「弥鱈くんビールする?」

「いえ車なので烏龍茶で結構です」

「サラダも食べなきゃ大きくなれないよ」

「もう大人ですから平気です」

「もう少し可愛げあればいいのに」

「貴方には見せません」

ワイワイガヤガヤと騒がしい居酒屋の喧騒を聞き流しながら隅の席で烏龍茶を飲んだ、立会人同士特別仲がいい訳でもないが彼女は出会った時から妙に馴れ馴れしく接してきた
男女間の友情など信じることも無く、彼女は完全に男として己を見ていること嫌という程わかった故に距離を置きたかった
そんなことも気にせず彼女は酒を飲みながら楽しそうに話をして時折身体に触れてくるの手を拒絶する

「飲み過ぎなんじゃないんですか」

「大丈夫だよ」

「送って帰る人が迷惑でしょう」

「…じゃあ弥鱈くんが連れて帰ってくれたらいいよ」

熱が籠った酒の入った瞳にため息を零して彼女の手からビールを奪って彼女の手から離れた場所にグラスを置いてやる
この職場での恋愛は面倒くさいことこの上ない勿論気にしない人間は良い、だがしかし元から人間付き合いが上手くもなく1人を好む人間としては迷惑極まりないことでもあった

「弥鱈もいいよな、和泉さんにあんなにアピールされて」

御手洗に行ってしまった彼女の席に座ってきたそこまで親しくもない接点もない立会人にそう声掛けをされる、酒に酔ったせいでそんなことを言うのか理由は分からないが弥鱈にとって彼女は迷惑以外の何者でもなく譲れるものなら譲ってやりたいほどだった

「私からすればあの人は邪魔ですけどね」

「なんだよじゃあ俺狙ってもいいの」

「お好きにどうぞ関係ありませんから」

「ラッキーあの人結構軽そうだしな」

下世話なこの男の会話に対して何も思うことはなく烏龍茶を飲んでいれば帰ってきた智花は自分の席に座っていた顔見知りの立会人に愛想良く笑う、間に入れてくれというものだから少しスペースを空けてやりその男と話す彼女は変わらないような表情でやはり誰でもいいのか…と妙に冷めた目でみてしまう
二人の会話も耳に入れずにテーブル下で携帯ゲームをしながら出された食事を食べる

「ごめんちょっと御手洗」

小さく言って出ていった彼女に男は楽しそうに脈ありそうだなと会話をした、話半分に流して自身も席を立ち手洗いに向かえば男女共有のそこは青い鍵マークでありドアを開ける

「えっあっ、弥鱈くん?ごめん鍵忘れてた」

「…構いませんけどいいなら代わってもらっても」

「うんいいよ、どうぞごめんね」

ふとドアを開けた時見間違いで無ければ彼女は泣いていたハンカチで涙を拭いて横を通り過ぎていった彼女の後に入ったその空間はやはりいつも通り苦手な甘い香水の匂いがして、ふとゴミ箱を見れば片付けられていたのか紙ゴミひとつも無かった
また席に戻れば彼女はあの男に絡まれていて先程よりもペースを上げてビールを飲んでいた、赤い瞳が泣いたせいか酔っているのか簡単には判別出来ずに二人の間に割って入れば文句のありげな男に「向こうで門倉さんが呼んでましたよ」なんて適当な嘘をつけばこの間の合コンの話かなぁなんて浮かれ気分で行ってしまった

「そんなに飲んで平気なんですか」

「…へーき、もういい」

「先程までと態度が違いますね」

「弥鱈くんって私の事嫌いでしょ」

酔った人間は嫌いだ、本心を気にせずにさらけ出して素面の相手を置いていき後は知らないと言えるのだから、目の前の彼女も同じだったゆえに相手はあまりしたくはなったが彼女のあの時の表情を見て正直何かが芽生えたのかもしれない。

「嫌いですよ、甘い香水に猫なで声にキラキラしたメイクも綺麗にしたネイルもその如何にもな服も」

そう言えば先程と同じ泣きそうな顔をしていて周りはそんな二人を置いて盛り上がっていた、そろそろお開きだろうと察しながら弥鱈は智花に言う

「そんなに私の事好きですか」

自分自身が何よりも性格を理解している上で好かれるなどとは思わなかった、どのような部分で好きになったのかはたまた何故好きなのか彼女の意見も聞きたいがそれを言えるのかは分からない

「弥鱈くん覚えてないけど、私にとって弥鱈くんが立会人になってから何よりも心の支えだったんだよ」

「何もしてませんよ」

「うん、だからこれは私だけの思い出なのそれがあって、君がそういう態度でいてくれるから好きなの」

ふとやってきた今日の幹事に弥鱈の財布から2人分の金額を払って追い返す、もう終わりだという号令と共にゆっくりとみんなが立ち上がる中先程絡んできていた男が遠くから眺めているのを弥鱈は感じていた、俺が狙ってたのにとでも言いたいことだが所詮この世は弱肉強食であるのなら先に獲物を奪われるのが悪い

「車なんで送っていきましょうか」

「期待しちゃうよ」

「事によってはいい結果になるかも」

「じゃあ行こうかな」

みんなそれぞれタクシーや電車の中で2人揃って駐車場の車の中で住所を先に伝えてもらいナビに登録するがいつまで経っても発射することはなくエンジンのかかった状態で真っ暗な駐車場に残される

「どうして好きなんですか」

この車に初めて広がる甘い香水の香りに嫌な顔もせず弥鱈は問いかけた、智花は少し困ったような顔をしたあとにポケットから1枚のハンカチを取りだしたメンズ物のシンプルなグレーのハンカチは立会人のものでは無い個人的なものだった弥鱈はそれに見覚えがあったそれもそのはず元の持ち主は彼自身だったから

それは智花がまだ立会人になりたての時に1年目の弥鱈の見学として連れ添った時である、取立てになった時に血濡れになった智花に彼はハンカチを差し出した、他人から聞けばその程度?というものかもしれないが智花にとってその行為だけで世界が変わってしまい彼を見る瞳は宝石を見るような物だった

「それくらい…ってわかってるの、けどそれだけで好きになるのが恋でしょ」

「まぁ分かりますよ」

「弥鱈くんも恋したことある?」

「…えぇ智花さんに」

唐突な返答に固まっていれば弥鱈は車を走らせ始めた、だがしかし道は智花の家と反対であり慌てて隣をみた

「どこ行くの」

「答えを聞こうかと思いまして」

「言わなかったら?」

「…ベッドの中で聞きますよ」

その日弥鱈は甘い香水も猫なで声も巻かれた髪の毛もグロスたっぷりの唇も嫌いではなくなった
だがしかし彼の前でそれをする智花は居なくなってしまったが、助手席でハンカチを握りながら小さく「好き」と呟いた彼女の言葉に知らないフリをして自宅に車を走らせる、初めて感じた他人への昂りは今までとは違う感情でありその欲を教えてやろうと考えてハンドルを握る手に力を入れて。

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