寝ぼけ顔には水を撒け




隆臣くんと私じゃ価値観が合わないんだよね

そう言って彼女は席を立ってしまった、頭の処理が追い付かずに1人残されたお洒落な可愛い女性向けカフェで1人目の前の冷めきった珈琲を見つめた涙が零れるよりも怒るよりも何も感じられずに座り続けていれば隣の席の男女が揉めた
もういいと言ったのは男の方だろう、次の瞬間その場にいた全員が目を奪われたのはドラマのように水をかけられたからだろう、真隣にいた梶の足元に飛び散った水を見つめていればそのまま出ていった男の事も気にせず彼女は

「すみませーんお水おかわり」

などと言ったのが恋の始まりなど誰も知るはずは無い
和泉智花という女はギャンブラーではなく一般人だった、変わっている事を言うなら彼女自身は非常に楽観主義の人間だということ

「汚れなかった?」

「いえ、大丈夫ですけど貴方こそ」

「慣れてるから、さっき別れ話されてたけど追いかけなくていいの」

「えっまぁそうですね、追いかける権利も僕にはないと思いますから」

自分が今どこに身を置いて恋人を作っていたのか理解していたが恋人にそれを理解される気もついて欲しいという欲もなかった、ただ昔の様に恋人を作れば少なからずたまには自分が普通の人間に戻れるのではないかと錯覚しただけかもしれない

「タバコいい?」

「どうぞ」

やってきた店員にタオルを借りて席周りを拭きつつ彼女はタバコに火をつける様はえらく似合っていて普段自分の周りには喫煙する人間が少ない為かその姿さえ何故か目を引かれる

「そんなに見られちゃ恥ずかしいよ、それとも何私に見惚れた?」

「そうです」

声を被せるように返事した梶の言葉に智花は目を丸くしたあと2.3分後短くなった煙草を灰皿に押付けた、1枚の名刺を渡して彼女は行ってしまい何処と無く彼女が人を惹きつける不思議な魅力のある人間だと思えた

数日後梶はとあるビルの1階にいた少し寂れて人の少ないその建物のエレベーターに乗り込み3階を押す、音を立ててぎこちないドアの開閉音をバックミュージックに目の前にあるドアを開けた

「あれこの間の来てくれたんだ」

「近くに寄ったんで挨拶でもと思いまして」

「律儀だね、扉閉めてこの子達出ちゃうから」

足元に擦り寄った長毛種の猫を抱き上げた彼女は近くのキャットタワーの上に置いて少し狭い店内の奥に行く、様々な小雑貨が並びながら奥の部屋は作業スペースなのか店内と違い物も少なかった

「この間は変なところみせてごめんね」

「僕の方こそお恥ずかしい所を失礼しました」

「私和泉智花、きみは?」

「梶隆臣です、智花さん1人でこのお店を?」

「もう6年くらいかなボチボチやってるよ」

少し待っててねと言われてレジ前に出されたパイプ椅子に座れば3匹の違った種類の猫たちがテーブルや膝や足元にやってくる、都会に来た田舎者のように店内を落ち着きなく見回っていればトレーにお茶菓子を持ってきた智花が戻ってきた、猫たちを手馴れたように退けてレジのテーブルを片付けて置いた
柔らかいオレンジティーの香りと焼き菓子がトレーの上にはあり、見慣れているはずだが何かそれが特別なものに感じられた

「梶くんは普段何してるの」

「知り合いの手伝いをしてます」

「例えば?」

「えっとお金を増やしたりするような仕事ですね」

「金融屋さん的な感じかぁ、忙しいのに来てくれてありがとうね」

静かな店の中にいる彼女は前回あったカフェの時と印象が違い静かでそしてあの時と同じく1人を気楽に生きられるような強い女性に見えた、遠慮せずにクッキーを1枚頬張って世間話が花開き2人はあっという間に時間を過ごしてしまい気付けば時刻は17時をすぎてしまう、あまりの居心地の良さに気づかなかったが4.5時間は店内に居たことに気付いた

「こんなに長居するなんて営業中なのにすみません」

「いいよ、今日は休業日だから」

「え、本当すみません」

ふと入口の看板はCLOSEとなっており梶は慌てて謝罪するが彼女は楽しそうに微笑み、また来てくれるの楽しみにしていると言われ店を後にする、浮かれ気味なこの気持ちは少し前に女性に振られた経験等を忘れてしまうもので薄情なものだと言われれば否定はできなかった
それからも何度か通う度に彼女を理解する、酸っぱいものが苦手なこと猫はそれぞれ拾ったり貰い子なこと猫より犬派だったことこの店が好きなこと、彼女に裏があったとしてもそれは梶も同じだからこそ気にすること無く上辺だとしても話友達の関係を作った

そんなある日店の中で彼女はまた男に罵声を浴びせられていた、記憶上初めて会った時の男性と違う事がすぐわかり、レジ近くで座っていた智花はその日も飲み物をかけられていた店内に広がる甘いストロベリーティーの匂いと黙ったままの智花に慌てて近づいた

「大丈夫ですか智花さん」

「いらっしゃい梶くん、少し待っててくれる?お茶用意するよ」

黙っていた彼女が席を立ち奥に消えていく、猫達は落ち着きなく外を見ては唸っていた為に同じく窓の外を見れば先程の男が近くのゴミ箱を蹴り飛ばしていた、ふと智花の様子が気になり梶は普段は入らない店奥の作業部屋に向かい奥のキッチンスペースで髪の毛を濡らした智花が泣いているように見えた

「智花さん泣いてるんですか!」

「ぇ、いや泣いてないよ大丈夫」

「さっきの人と揉めてたみたいですけど、平気じゃないんですよね」

詳しく聞いても彼女を傷つけるだけだと理解して深く聞くことはなくタオルを差し出せば彼女はベタついていた髪の毛を水で軽く洗い流して拭き取る、疲れきったように身体を壁に預けた彼女はいつも通り煙草に火をつける

「私のことどう思う」

「どうって」

智花の意味深な発言に梶は困惑した、素直に好意を伝えるべきなのかはたまた隠すようにいい人だと言うべきなのかどちらも正解で間違いであると感じて言葉を詰まらせれば先に彼女が答えた

「梶くんはいい子だって知ってるけど、私は年上だしあんまりいい人じゃないよ」

「僕も言うほどいい子じゃないですよ」

彼女への隠し事はごまんとあり、その隠し事を晒し続けた結果前の恋人には逃げられているのだ、特別寂しさを埋める為に恋人が欲しいと願う訳では無いか智花と関係を結べたとしてもあまり答えるべきでは無いかもしれないと考えているほどだったが智花の表情をみて答えてしまう

「僕は金融屋じゃないし、ただのしがないギャンブラーでたった一人の尊敬する人を追いかけ続けてるだけなんです、智花さんの事は凄く好きです初めて見た時から…だからこの店まで話に来ちゃうんです」

毎度手土産に少し高かったり有名な茶菓子を片手に喜ぶ顔を想像してエレベーターを上がる時間が好きだった、目の前で短くなった煙草を水につけて捨てた智花はいう

「飲み物かけてきた子達と付き合ってて浮気してるのバレて振られちゃったの私嘘吐きなんだ」

水をかけられときの冷静な彼女の表情の意味をようやく理解して梶は智花を壁に押しやった、少し下にある彼女の顎をすくい上げて物言いたげな唇を性急に奪う、相手の気持ちも知らないフリをして唇を噛み付けば鉄分の味が口に広がる

「だとしても智花さんが好きです」

「浮気していいの」

「して欲しくないですけど、されるのは僕の原因だと言い聞かせます」

「梶くんってヘタレだと思ってた」

「ヘタレです、こんなことする気もなかったのに」

唇が切れた智花が小さく笑って梶の頬を掴んで唇を奪うガリッと小さな痛みが走れば同じく鉄分の味がまた口に広がった

「水かけたら意外と夢から覚めるのかもよ」

そう言って彼女は店内に逃げるように行ってしまい1人残された梶はそんな背中を見つめた後に1度近くの水道水で顔を洗う、冷たすぎたその水で頭が冴えた中でもう一度彼女に想いを伝えてやると覚悟を決めた顔で店内に走るように向かったのだった。

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