その名を知らない籠の鳥は




天使が善であり、悪魔が悪であると言うのは所詮人間の妄想の産物であり、美しい見た目の悪魔も醜い見た目の天使も皆、人同様に平等に存在するのだろう

その日少女が理解したのは天使のような美しい見た目の悪魔のことであり
脳裏に過ったのは初めて堕天使した悪魔、ルシフェルの事で彼は大層天界では美しい悪魔だったということだ
上記の話を持ってして今目の前にいる男を天使か悪魔か彼女には判別出来ずにいた

「そんなに熱視線で見られちゃ溶けちゃうよ」

「私一人の視線くらい慣れてるでしょうに」

「まぁね」

声も出さずに口元がゆっくりと弧を描く、真っ白な肌と真っ白な毛、黒い眉とまるで女性のようなピンクの唇、骨張っているが細く長い指先はまるでピアニストのようで彼の手は器用に手品や悪戯を施す
父のいない13時〜15時の間彼は必ずやってくる、熱心なクリスチャンである父のもとで学校にも通わずに教会の中で毎日を過ごす、それが自身を守るすべだと教え込まれたからだ

「斑目さんってよく綺麗って言われませんか」

「んー、どうかな…色んなこと言われてきたからなぁ」

怪しげに笑う男を見つめては2ヶ月前を想った。

年齢も職業も生き方も知らない目の前の男はある日、突如やってきた大雨の被害にあい教会に避難してきた、真っ白なスーツに真っ白な肌で寒さに震えた彼にストーブと毛布を出してやり暖かな紅茶を出して教会の長椅子に座り彼と他愛ない話をした

「俺がここに来たこと誰にも言わないでほしいんだ、君の両親にもここの神父様にも」

「父が神父です、もちろん結構ですが何か悩みがあるなら手助けくらい致しますよ」

「…ううん、大丈夫だよまたここに来ていいかなお礼もしたいし」

「えぇいつでも教会は迷い子をお待ちしておりますから大丈夫です」

そういって雨の納まった外に行ってしまった彼はあの日から毎日やって来た
翌日やってきた彼はまず初めに有名な都内一のパティシエのケーキを持ってきてくれた、口に広がるクリームやいちごの味はシンプルながらも人を魅了してやまずに智花は目を丸くさせる、その姿を楽しそうに見て次も持ってくるよと伝えられ彼は決まった時間に毎度違うお菓子を片手にやってくる
美しい天使のような彼に恋心ではなく、人間として惹かれたのは確かなことだろう天井に広がる天使達の絵を見つめてはその中に彼がいるのではないかと錯覚するほど、それ程智花はあの斑目貘に魅了されたのだろう。

「まぁでも面と向かって純粋に綺麗って言うのは智花ちゃんぐらいなもんだよ」

伏し目がちに彼はそういいつつも目の前にあるマドレーヌを口に含む、不思議な雰囲気の美しいその青年に恋心ではなくとも惹かれていく
父が口癖のように言う"外の世界は危険"だと、その言いつけを守り続けて気付けば18年が過ぎた、厳しくも優しい父親は町の人に慕われて日曜日の礼拝の日は人で大賑わいだった子供達に囲まれて大人たちに尊敬される

「私はあまり人を知りませんから、斑目さんみたいな人と出会えてなんだか世界が広がった気がするんです」

「そう?俺はもっと智花ちゃんは外を知ってもいいと思うんだけど」

ふと膝に置いていた手を重ねられ深い彼の瞳の色に目を奪われる、まるで全てを見透かしたような瞳は父や母とは違う外を知る色だ
外に行こうと誘われる度に断り続けている智花はいつか自分が彼の言葉に頷く日が来る気がして恐ろしく感じた、その言葉の通りにしたらきっと自分は新しくなってしまう気がした、窓から見る"外"では無くなってしまうからだろう

「まだ私は行けないです」

「じゃあまた行きたいって思ったら俺を誘って、絶対に後悔させないから」

彼は優しく紳士的で野蛮な人間では無かった
それでもきっと他人と接触したことを知れば父は怒り狂うだろう、11の頃教会に来た歳の近い少年と話した時3日間地下牢に閉じ込められた事がある暗く恐ろしく時折子供の悲鳴のような声が聞こえた、父はその事について素知らぬ顔をするばかりで外の人間と話をすることはそれほど危険なのだと身をもって知ったのだ

「私が出たいって言ったら斑目さんは連れ出す気ですか」

まるで夢みたいな話だったがその妄想をつい呟いてしまった
彼を困らせることを聞いていると自覚しながら心の奥底にあるその感情を素直に告げれば重ねていた手を優しく握りしめて自身の口元に持っていき、まるで男女の恋愛小説のように手の甲にキスをして

「望むなら何処までも連れ出してあげる」

その言葉は頭の中にずっと張り付いた、1週間前のその日以降彼は突然来なくなった、2人分の紅茶も要らなくなってしまい教会の長椅子に横たわれば天井には天使達が飛び回り人を見つめるようなこの絵が見えた、いつからその天使達が美しく見えなくなってしまったのは何故なのか智花は知る気も起きずまぶたを閉じた

人はみな罪を背負って生きている事を父は教えた、その教えを信じ智花は外の世界を知らないふりをしていた
いつの間に寝てしまったのか父の呼び声に起こされる、大切なことがあると伝えられ唯一許される外の世界の"花屋"まで行って欲しいとの事だった、丁度明後日は礼拝でその時にいるのだという、珍しいこともあると智花は渡された携帯と財布そしてGPSの付いたブレスレットを身にまとった時父は抱きしめていった

「悪魔に騙されたらダメだ」



燃え盛る教会の前には白いスーツの天使様が居た
花束を抱えて智花はそんな彼の背中を見つめた
嘆くように喜ぶように、彼はなんとも言えぬ表情でそこに居た、黒いスーツの男達が何かをしているのを見ながら彼女は近付き震えた声で問いかける

「な、何があったんですか」

「君のお父さんが俺に負けたんだ」

彼は表情を変えずに燃え続ける建物を見つめた、胸ポケットにある彼は赤い実を口に含んでゴミとなった包装は燃え盛る教会の中に消えていく

「智花ちゃんのお父さんの正体が知りたい?」

「聞かれずとも分かります、父は厳格な立派な誰もが誇る神父です」

「君を閉じ込めて外の世界も知らないのに」

「それは父としての優しさでしょう」

「そんなお父さんだから智花は地下に閉じ込められた子供達に知らないフリをしたんだ」

その言葉にまるで身体の内側から焼かれたような感覚を浴びる、隣に立った貘を見れば彼は初めから知っていたと言うような顔をした
彼の口から伝えられる言葉は智花と智花の父が確かに背負った"罪"であった、人身売買・児童売春・拉致監禁それらは確かに彼女が3日間閉じ込められた地下で行われていた
裕福過ぎるこの生活に智花は疑問を抱かなかった外の世界を知らないから、貘は愚かな彼女を決して裁くつもりはない。
無知で哀れな娘と思っているからだ

「ねぇ外の世界を知りたいと思わない?」

智花はその言葉に花束を落としそうになるがその花束は彼の腕の中に行ってしまう、戻る家は燃え盛り目の前にいる美しい青年が何者かもわからずに智花は繋がれた手を握り返した
何も言わず、何も言えず、燃え続ける教会を尻目に彼女は翼を得た
自由なのか変わらない束縛のある翼かは未だ彼女には分からない

それでも美しい天使のような彼は優しく微笑み彼女をみつめる

「そんなに美味しそうに食べるなら1口あげる」

「ありがとうございます、貘さんは食べないんですか」

「うん、俺はもうお腹いっぱいだからね」

優しい日差しに包まれてテレビで特集されていた都内の有名パティシエールのいるスイーツ店で彼女はおすすめのショートケーキを口にする、何も変わらない甘くて柔らかくて美味しいケーキの味が広がり、目の前の彼は変わらずみつめた

「またいつか機会があれば"外"に行こうね」

きっと智花は一生本当の外を知ることは出来ない、産まれて死ぬまできっと誰かの籠の中に居る、それがただ父から彼に所有権が移っただけなのだと理解しても道を変えられる訳もなく

「はい、また…いつか」

そう返事をこぼした。

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