何年先まで貴方に夢中



「とっとと辞めちまえ、事務職だとかほかの仕事なんてごまんとあるだろ」

もう何千回聞いた台詞なのか忘れそうな程聞いた言葉だ、能輪巳虎と出会ったのは2歳の頃だった言葉もままならぬ子供の頃に出会い成長を迎えた、小学生低学年の頃から自身はよく虐められる対象になり毎日泣いては彼に慰められていた
その優しさが好意を向けることになる事など当然のことであり、智花は平凡一般家庭の出ながら努力をした
そしてどうにか彼の祖父に認められ倶楽部賭郎の立会人になった、毎年恒例の新入歓迎会の時の彼の顔は真っ青で持っていたビールを床に落としグラスを割った

「お前みてぇな弱いやつ爺ちゃんの顔に泥塗るんだよ分かってんだろうが」

「ッ弱くなんかないもん、私強くなったし巳虎くんに関係ないでしょ」

いつからか顔を合わせる度に喧嘩になった、毎度先に吹っかけてくる巳虎の言い分は同じで爺ちゃん・辞めろの2点だった
幼い頃から彼が特別お爺ちゃんっ子なのは理解しており、それ故に祖父経由で賭郎に入ったのが余計に許せなかったのだろう
ただ只管にあの時のお礼をしたい、隣に立ちたいと願った、勿論誰かしら立会人の黒服候補を頼んだが立会人に空きが出来たために即戦力と判断され入ってしまった
気に食わない点は巳虎からすれば多いのは当然で、平然として仕事をする智花が憎くあるのだろう

「和泉立会人カード交換を」

「畏まりました、では次へ参りましょう」

隣に立っていた巳虎とは出来るだけ被りたくなかったと思いながらも補佐として派遣されてしまっては互いに文句も言えずに次々とゲームを進める
一つ一つの動きに苛立ったような顔をして、舌打ちをする彼の態度など他の人間は知らない、ゲームが終わり後日支払いをするという男の話に承諾した賭郎はそのままお開きになり帰る準備をした

「どうしましたか能輪立会人」

「お前本当立会人向いてねぇよ、辞めた方がいいアドバイスじゃなくて命令だ俺や爺ちゃんの恥になるんだよ」

「…言われる筋合いありません、それとも何ですか?喧嘩売りたいんですか」

「辞めとけよ俺に勝てねぇのに強いフリするな"九拾六"號立会人さん」

元から彼が祖父のお気に入りであったり、自分より格下である物を非常に冷たく扱い潰そうとすることは有名だった、彼の目から見て祖父に気に入られていると智花を認識はしているのだろうが態々倒す気も起きないのだろう、今迄も強く当られたとして彼の暴力を知ることは無かった
周りの言葉が聞こえないわけでも彼の言葉が間違っている訳でもない、ほかの立会人と比べれば暴としては些かまだ成長途中であり、知の方が遥に優っているタイプの人間であった
他の立会人に號奪戦を求められても勝てる気配などないのは身をもって知っていることである

そんなある日の賭郎の飲み会での事だった
毎年数回行われる全員での飲み会は大人数で一種のパーティでもあった仲の良い最上立会人の部下の子達と話をしたり、ほかの仲の良い立会人と会話をしながらも奥から感じる視線は言わずとも巳虎のものだった

「智花ちゃん元気?」

「ママ久しぶり、元気ですよ…あれ?パパは」

「ダーリンは向こうに遊びに行っちゃったから追いかけてる途中よ」

「そうなんですね、お爺様もですか」

「うん、巳虎がべったりだけど」

そう言って指を指した美玲の指先には確かに祖父の傍を離れる様子のない巳虎が居た、彼の父も母も昔から非常に良くしてくれていた
それ故に子供のような喧嘩もよく仲裁に入ったり、話を聞いてくれたりと何かと親身になってくれるものだったまるで自分の親のようでそう感じるからこそ巳虎の怒りは消えないのだろうと智花は察してしまい手元のビールを飲み干した

「巳虎も別に智花ちゃんの事嫌いじゃないのよ、反対に大好きよ」

「…そうですね、だといいですけど」

最後に言い残して行ってしまった美玲の背中にため息をこぼす、幼い頃の自分たちを思い出せばこんなに殺伐とした空気も無くいつだって泣きじゃくる自分を慰めてくれる人だった
勿論過去の話であることは理解はしていたが忘れられぬ夢のようなものだった、彼が祖父を大切にするように智花もカレを心底大切に思っているのだからこそここまで来てしまったのだ引き返すことの出来ない場所に
何杯目か分からぬビールを飲み干してフワフワとした頭でテーブルを見つめていた時だった

「自分で自己管理の出来ねぇなら飲むなよ」

「…巳虎くん?」

「もう解散だとよ、送ってやるよ」

「平気だよ私普通に帰れる」

というより賭郎の飲み会は毎度全員タクシーじゃないかと言いたかったが巳虎は自身のスーツの中にあった車のキーを見せてきた

「でもお爺ちゃん送らなきゃでしょ」

「爺ちゃんのことは大丈夫だ」

「本当平気だよ、なんなら他の人に」

「いいから言うこと聞けよ」

苛立ったような巳虎の声に普段なら耐えられる感情もアルコールのせいで溢れかえりそうだった、なかなか立ち上がらず帰らない智花の手をひいて靴を履かせて適当な挨拶をして助手席に乗せられる
掴まれた腕の力で自分がいかに弱いかを改めて感じてしまい智花は泣かぬようにと外を見た、家の場所を告げて静かに車は発進される

「お前立会人やめろよ」

「辞めないよ」

「お前のためだって言ってんだろ、弱くて邪魔なんだよ」

「巳虎くんに言われなくても知ってる…でもやめない」

「なんでそんなに辞めねぇんだよ力ずくでやめさせられたいのかよ」

彼のハンドルを握る指が貧乏ゆすりをするように音を刻んでいた、苛立った顔を隠すことなく言う彼に智花は零れそうな涙を必死に押さえ込んでいた
見慣れた道のりが見えて、もう時期到着だと安心して返事をせずに窓の外を見つめながら巳虎の言葉を待っていた

「そんなに辞めたくねぇ理由ってなんだよ」

普段よりも静かな彼の声にそういえばこんなことを聞かれたこと無かったと思い出しつつも、見えてきた自分のマンションに安堵してしまう

「言えねぇなら辞めちまえ、弱くて俺の邪魔だ」

ようやく着いたマンションに智花はシートベルトを外してドアを開けようとしたがロックをかけられてしまう、マンションの灯りが彼の顔を照らせば泣きそうな顔の巳虎がいた
思わずその顔に智花はぼろぼろと涙を零してしまい、驚いたような顔をした巳虎の手が智花に伸びてきて涙を必死に拭おうとする

「優しくしないでよっ…巳虎くんが好きだから守りたいからここに居るのに否定なんてしないでよ、そうやって…変に優しくするから私馬鹿みたいに勘違いしてここまで来たんだよ」

鼻水が出て涙が溢れて視界が何も見えなくなる、感じるのは頬に当たるハンカチの感触で彼の低い声は聞こえても来なかった、好きだと言いたくなどなかった答えがわかっていたから、こんな汚い感情を持ってこの世界に入り込んだなど笑い話にもなりはしない
ふと膝に投げ捨てられた紙に立会人としての移動用紙だと分かったのはすぐのことで余計に涙がこぼれてしまう

「巳虎くんが大好きなの、立会人になればもっといられるって思った認められるとか思ってなんかないし弱いなんて誰よりもわかってるの、けど好きだからごめんなさい」

諦められずこの恋心を引き摺って何十年も追いかけ続けてきたのだ、拳の握り方も人の傷付け方も知らずに生きることも出来たけれどソレでも諦められなかった
恋心を胸にこの世界に来た甘い自分に後悔ばかりで智花の涙は止まることはなかったが巳虎は止まない涙を拭くのをやめて両頬を掴み唇を寄せた
互いに塩っぱい水の味がして、直ぐに離れたが智花の涙も驚きと共に止まりふと横に食わる巳虎を見れば真っ赤な顔の彼がいた

「好きな女を傷付けさせねぇ為に辞めろって言うのがそんなに悪いかよ」

「好きな女って?」

「お前だよ、智花が好きなんだよ」

「でもいつも辞めろって、面汚しって」

「あれだけ言われりゃ心が折れるだろお前弱いんだから」

「この紙だっ…て、あれこれって」

「そうだよ、黒服とかほかの部署異動の用紙だよ正確には俺のとこへの」

鈍感なんだよお前。と軽くデコピンをされたが強烈な痛みの為に泣いていた事やここまでの気持ち等が消えてしまいそうだった
わけもわからずもう一度くしゃくしゃの紙を見れば確かに、能輪巳虎立会人直属黒服・立会人補佐と記載があった、この一文は彼の部下になった上で手伝いをするという右腕のような話である事を思い出した、力不足であったりスカウト等様々な理由があるがそうして移動して誰かの直属の部下になるのものだった。

「辞めて俺のところに来いよ、爺ちゃんには言ってるからお前が名前書くだけだ」

「それよりあの…好きな女って」

「さっき言ったろうがまた聞く気かよ」

「だって私は好きだよ?巳虎くんの事だけ見てたよ」

シートベルトを外して動きやすい為に彼に寄って言えば彼の顔がみるみると赤くなる、昔から赤面がしやすかったと関係なく思い出しながら返事を待てばまた唇が塞がれて至近距離で目を見つめられる

「好きじゃなきゃ隣に置くわけねぇだろ」

だから黙って俺のところに来い
そう言ってくれた巳虎の言葉に頷いた頃にはアルコールは消えていた、後日書類を壱號立会人に渡せば楽しそうに笑った

「曾孫も近いかもしれんのぉ」

その言葉に思わず渡そうとした書類を破いてしまい、また巳虎の判子を貰いに行くはめになり彼に怒られた、そして辞めろという言葉はもう二度と聞くことはなくなった。

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