負け犬の遠吠え>
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Hard to Get おそらくこの数日以内に大きな戦闘があった。
新聞は何も報道しないが、ホリデーシーズンでもないというのにレギュラスが家に呼び戻されたことからも、何かがあったことはまず確かだった。さらには家の中が慌ただしく、多くの魔法使いと魔女らの姿を見かけた。一番殺気立っていたのは従姉のベラトリックスだ。レギュラスの顔を見てとても嫌そうに舌打ちをした。
お優しいその反応に対するお返しとして、「ベラ、顔に靴跡が……」と教えてあげた。
「ああっ?!」 名家のマダムらしい上品なご回答だった。
しかし、彼女とのそんなやり取りの後、居間で鉢合わせた来客の訪れは、さすがにレギュラスも予想していなかった。
「はじめ、まして……」
思わず室内に父母の姿を探してしまった。
「父にご用ですか? 今呼んで……」
「レギュラス・ブラックか?」
「そうです。……ヴォルデモート卿」
一時は傾倒し、新聞にその名が現れるたび切り抜いては部屋に貼っていた。そう言えばあの切り抜きはどうしたろう。そうだ、古い壁紙と一緒に捨てたのだったか。
「あの、父を、呼んで、」
絨毯の上で、よろめくように後ずさりした。情けないことだが怖かった。彼は……怒っているように思えた。危険だと感じた。なぜ、自分がひとり、今彼と相対しているのか。彼がそれを望んだからだろう。つまりヴォルデモートの用は自分なのだ。しかしその意図が見えない。
「エイブリーとマルシベールが言っていた」
「……何をですか?」
すでに卒業した寮の先輩らの名前だった。レギュラスは顔を上げた。赤い目が、意外なほど近くにあった。闇の中光る。まだ明るい時間帯のはずなのに、視界は急激にその明度を落とした。
「あ……?」
足元がおぼつかなくなり、レギュラスは軽くよろめいた。机の上に突いた手が、燭台を倒した。
火が落ちる。絨毯が燃える。赤く燃える。その中に現れる赤い目。蛇の目。焦げて縮れていく絨毯のアラベスク模様がもぞりと動き、大小多くの蛇へと姿を変えた。レギュラスの足首に絡みつく。動けない。
石になったような体に、激しく脈打つ心臓に、蛇が絡みつく。熱い。痛い。力づくで心を覗かれる。記憶をこじ開けられる。胸を、体を引き裂かれる。自分の中に他者が押し入る。
(兄さん)
嫌だ、と絶叫するも、きっと声にはならなかった。
(いてくれるなら)
嫌だ。見るな。僕の中を探るな。
(そんな未来、私は知らない)
兄の声。知るはずもない戦いのシーン。
(きっとシリウスは予知夢を見たんだ)
無理矢理にそそぎこまれる記憶の逆流。嫌が応にも想起させられるいくつもの思い出。危険だと分かっているのに。これらの記憶を開け渡せば、あの人が危険だと分かるのに。
だけど腹の中を無茶苦茶にかき混ぜられる。ひとつにされる。嫌だ、気持ち悪い、怖い、痛い、嫌だ嫌だ嫌だ入ってくるな僕の中に。
強く強く拒むも、力が抗いを封じ、無理やりに暴かれる。兄の声。
(選ばなかった物語に俺はいつかしっぺ返しを食らうんだ)
(君の血筋に予言者はいたかな?)
(最強のカード)
そして兄の寝息。
焦げ臭さに目が覚めた。レギュラスは居間を見回し、慌てて魔法で消火に当たった。絨毯が半分ほどと、壁紙の一部が燃えてしまっていた。なぜこんなことに、とぼんやり思えば頭が痛くなった。考えるのをやめれば、むしょうに兄の声が聞きたくなった。
「クリーチャー、クリーチャー」
「はい、レギュラス坊ちゃん」
呼ぶとすぐ現れるハウスエルフに、そわそわと尋ねた。
「ねえクリーチャー、兄さんは次いつ帰ってくると言ってたっけ?」
「先週お戻りになってご両親とディナーを召し上がったばかりなので、早くとも一ヶ月は先ではないでしょうか。レギュラス様、ところでこの部屋の様子がおかしいです。小火でもあったような、」
「ううん大丈夫」
「新しい絨毯と壁紙を?壁材もきちんと確認しなければ、炙られて柔くなっていないか心配です」
「うん、後でね」
一ヶ月先! それは絶望的な遠さのように思われた。うるさいクリーチャーをキッチンへ追いやり、レギュラスはうろうろと居間を歩き回った。そして自分の上着のポケットに、手鏡があることを思い出した。安堵した。
兄に貰った両面鏡。自分と彼を繋げてくれる。それはなんて幸せなことだろう!
レギュラスは、鏡面を一撫でし、甘く囁いた。
「兄さん」
すぐに兄の声が自分を呼んだ。
「レギュラス、どうした?」
鏡の中のグレイの瞳が、わずかに形を変える。そこに映るのは最早自分ではなく、大好きな兄の顔だった。
ああ、この人がいる。ここにいる。レギュラスは息を長く吐き、彼に告げた。
「家に、ヴォルデモート卿が来ていたんだ」
シリウスははっとして目を見開いた。自分を心配してくれているのだと思えば、一層に多幸感が増した。
「それで……大丈夫、だったのか? 今は?」
「うん。もう帰られた。でも怖くて……ごめん、急に」
「いや、気にすんな」
顔の周りにわずかに見える背景だけでは、彼が今どこにいるのか、何をしているのか、何のヒントにもならなかった。屋内にいることは分かった。それにしても、鏡越しの会話では足りないな、と思った。自分は彼に、ここに来てほしい。そう強く欲した。だから言葉にした。
「兄さん、今どこにいるの? 近くにいるなら帰ってきてほしい」
「……レギュラス」
「あの方だけじゃない。ベラや……死喰い人たちがこの家を出入りしている。怖いよ。兄さん、今どこにいるの?」
来てほしい。今どこにいるのか、その言葉で教えてほしい。あなたがここに来てくれたら、きっと、喜ばれる。
鏡が急に暗くなった。シリウスが鏡面を手で塞いだのだと知った。
「兄さん?」
道はまだ閉ざされていないようで、シリウスの硬い声が届いた。
「レギュラス、どうしてそんなことを聞く?」
「え?」
沈黙が落ちた。兄の言葉の意味を考えた。やがて、乾いた笑い声が、自分の口をつくのをレギュラスは聞いた。
「ああ……兄さん、ごめん」
「何が」
「僕が軽率だった。服従の呪文をかけられているんじゃないかって疑ったよね。それもそうだ。言わなくていいよ、僕は大丈夫。少し動揺しただけなんだ。それであなたに泣きつくなんて我ながら信じられない。忘れて。それじゃ」
「レギュラス」
「忘れて。もういいから。大丈夫だから」
いかにも心細げに自分の声が震えた。シリウスの逡巡が伝わってきた。
「レグ」
「大丈夫だよ、僕は……。この家を守る。あなたがいなくても」
押し殺した呼吸がしばし聞こえた。被さって、何かが床を滑る摩擦音。激しい動悸は自分のものだ。
やがて、鏡の向こうが元の明るさを取り戻した。気まずげな表情のシリウスが映った。
「いや……俺もごめん。俺は、また、……疑うところだった。ピーターにせよ、お前にせよ……俺は、」
「兄さん」
「今から行くよ。ロンドンまでは少し距離があるけれど、」
絨毯のアラベスク。
「兄さん」
「俺が今いるのは、」
赤い目。
「――――言うな!」
がしゃん、と大きな音がした。
レギュラスは自分の手元を驚いて凝視した。自分の右手が、その拳が、鏡を割っていた。そしてその怒鳴り声も、自分のものだった。
絨毯の赤い模様。違う、それは大蛇だ。蛇の腹が素早く床を擦り、鎌首を持ち上げ、その対の目が自分を睨む。
魔法を破られた怒りと、真正面から相対し、それでもレギュラスは叫んでいた。
「言うな! 逃げろ! あの人の狙いはあなたの予言だ!!」
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